「殷王妃・婦好戦記〜巫女軍師は中国史最古の女将軍とともに中華に戦う〜」(佳穂一二三様)より(その3)
「初めは軽い気持ちだったんです」と、ボブ彦は言った。能力の欠如から本編が遅々として書けなくなったので、連休を利用して便乗モノで気分転換……と思ったというのが彼の言だ。
確かに効果はあった。「聖剣物語」「婦好戦記」とオモローな小説のキャラクターや世界観を間借りしているうちに文章がまだ書けることに気がついたのだ。
そして欠点もあった。便乗文章の作成が想像を絶するオモローなもので、本編よりもまず、これを完結させたいという色気にとりつかれてしまったのである。
便乗作者の便乗は尚も続く……佳穂先生、はち先生許して。
どっぷりと日が暮れるまでかかった陣までの長い旅を終えたからといって、別に僕と石堂の扱いが良くなったわけでは決してない。同乗していた恰幅と威勢の良い女性は、「婦好様の客人だ」と言って配下らしい女に僕らを預けたが、その兵士が案内した場所はまあ、なんともいえないものだった。広さは八畳程で、一応は雨露がしのげるようテントらしきものはあるが、床などはなく泥土の地面に小さな布が敷かれているだけの空間なのだ。おまけに矛をもった女兵士が二人も、このテントの入口に立ってこちらを見張っている。
明日、『模擬合戦』を披露するまではここにいなければならないみたいだが、ハッキリ言って、これじゃあ牢獄の方がマシというものだ。多分だけれど、刑務所ですら四六時中看守がこちらの行動を見逃すまいと張り切っている訳ではないだろう。
「『客人』の扱いではないなあ」
僕は、鋭く細い目でこちらを睨みつけている女の子達を眺めた後、横でアグラをかいている石堂にそっと話しかけた。
「まあ、上等やろ。文句の言える身でもなし」
境遇など知ったことではない、といった風に石堂は返した。
「お前、なんでそんなに呑気に構えてるのや?」
「あのなあハタ坊、いやハ先生。気楽に考えようや」
石堂はアグラの向きを変え、こちらの正面ににじり寄った。
「本当なら婦好様にホームラン打たれたところで、あのリツたらいうおっかないのに矛でたたっ殺されても文句が言えなかったんよ、俺ら。それがその場で殺されず、こないして一夜の宿まで恵んでもらった……飯らしいもんも出たしな」
「そない悠長に言うけどなあ……」
塩気の少ない、肉らしいものがわずかに入っただけのスープのみの晩飯をうかない顔で思い出した後、この神経があるのかないのか分からない友人に僕はさらに愚痴をこぼそうとしたがそれは中断した。石堂が、それ以上言うな、とばかりに片手をあげると話しはじめたのだ。
「おっと……まあ、扱いは悪くない思うよ。見てみ、さっきから俺ら小声でヒソヒソ話をしとるが、見張りの子ら別に止めんやろ。ハナから殺す予定なら、こちらの会話なんて総じて『逃げ出す悪巧み』や思うてとうに禁じられているはずや。……どっちゃか言うと、むしろ女の子ばかりのところに男を二人も放り込んださかい用心してはるんやろ」
「うーん……そういや僕ら男やったなあ。女性ばかりの軍隊の陣に入れるべきか分かったもんやないさかいな」
「まあ、俺らの命についてはええ方に考えようや。なんで全軍が女性かも、まあどうでもええわ。それよりも今一番大事なことは、模擬合戦……野球をいかに披露するかや」
「そらなあ、せやなあ」
命以上に野球が大事なわけあるものかと思ったが、よくよく考えるとグローブをはめたままボールを投げつけるわ草原を逃げ回るわのお互いの出まかせとハッタリでこうなった以上、命と野球は不可分の関係になってしまっている。
僕は馬車の座席に引き続いての固い地面の座り心地で痛む尻をさすりながら相槌をうとうとしたが、ふと疑問が出てきた。
「だがなセキ。野球は十八人でやるスポーツ、審判まで入れたら二十人は超えるんやで? 披露いうたらここの婦好様以下の女兵士にルールを教えなあかんがな。お前は経験者かもしらんが、あれ、案外ルールややこしいで」
「覚えさせたらええがな。それがここでの俺らの義務になってもてるがな、先生」
遂に見張りの女兵士にも聞こえるくらいの声色に戻すと、石堂はあっさりと言ってのけた。僕を含めて六つの瞳が彼に注がれる。
「披露せんかったらお妃に詐欺かましたことになるしな……。ま、覚えさせたら俺、今度はあの美女から正々堂々とホームラン打って三振取ったるのや」
「デッドボールだけはやめてくれよ」
「デッドボールか……あれ、昔は母校が負けないために使っていたけどなあ。今回は自分の試合や、使わんよ。悪うない作戦やけどなあハ先生!」
お気楽な男は、ウキウキしたした表情で僕に顔を突き出した。
「セキ……せやでお前、昼のはともかくにしても、ホンマにデッドボール放ったら今度こそ命あるか分からんぞ」
「しかし……ハ先生、デッドボールいうたらその後には怒った婦好様との乱闘があるかもしれん。冥途の土産にあないな美女と取っ組み合い……ウフ、ウヒ、ウヒヒ」
僕は、そうなる前に多分リツの矛で落命するで、とでも言おうと思ったがやめた。持っていたはずの知性を全否定するだけの、煩悩とも野蛮ともつかない言動をもって古代中国の夜を平気な態で過ごしているこの男が何とはなしに頼もしく見えてきたからだ。
少し目を瞑って息を大きく吐く。ため息ではない。婦好との「乱闘」でニヤけたかと思ったら、あっさりと傍らで寝入ってしまった石堂の楽天的なところを見習うべきかもしれない、と少し反省したのだ。
が、自身の腕で作った枕で寝息をたてはじめた彼の寝言が、今芽生えたばかりの友への尊敬を吹き飛ばす。
「……婦好様はええなあ……サクいもええ……もっと寄りい……大貫さんとなら誰が一番ええやろ?」
僕は立ちあがると、素足で彼の腰を蹴り飛ばした。見張りの女の子達は顔を見あわせる。多分、随分と荒っぽい「師弟」もいるものだとでも思っているのだろう。
サクと呼ばれた少女がテントを訪れたのは、石堂が蹴られた痛みとそれを与えた犯人に同時に気づき、こちらに飛びかかろうとした瞬間だった。
「失礼いたします」
婦好のような艶はなくとも、透き通ったよく通る声の少女が入口にたっていた。
「ハタ坊、おどれ!」
「騒ぐなセキ、サク様が見えられたから起こしただけや」
自分の憤りを少女の来訪で誤魔化してしまった僕は、敷布の上に立ち上がった。スケベな内容に違いないまどろみをぶち壊された「弟子」もすぐに同じように立ち上がる。それも満面の笑顔でだ。多分、夢よりも実際の少女に会える方がナンボか上等なのだろう。
コイツがまた寝たら、後でもう一度蹴っておこう。
「お休みでしたか……?」
昼と同じ青を基調とした衣装に身を包み、ムシロのようなものを抱えた少女は頭を少しだけかしげると、自分の訪問がこちらのくつろぎを害していないかと気づかう素振りを見せる。「客人」相手だからだろうか、その言葉遣いは極めて丁寧なものだった。
「滅相もないことです」
僕は慌てて否定した。確か婦好はこの子を「軍師」だと言った。あどけない顔でこの軍の諸葛孔明みたいな存在なのだとすれば、失礼を働けば不利になる。
「弟子と明日の『合戦』の打ち合わせを行っていました」
「それはよいところに来ました……少しお話をいいでしょうか?」
「どうぞどうぞ!」
横から「弟子」が齟齬を崩して賛意を表明する。僕が「師匠」としてその言葉に頷いたら、サクは少しだけ微笑むとコクリと頭を下げ、持っていたムシロを二人の前に敷き、座った。
「……先ほど寝所にて婦好様からお命じいただいたのです。『あの二人の話す模擬合戦とはどのような掟においてやるものか聞いてこい』と」
僕の方を向いて話す少女の瞳は真面目そのものだった。無理もない。この世界でどんな戦があったのかなど知る由もないが、少なくともその頭脳が何千人という女性の命を預かっているのだろうから。十七の初夏、親友と共に美少女と知り合っただけでボーッとしていることが許される、といった時代では決してないはずなのだ。
「この数日、私は婦好様が沚馘様との間で行った模擬合戦にていくつかの献策をいたしました。幸いにして策が容れられ、死人のなきままに勝利を得ました」
「ふむ」
「しかし、沚馘様の軍におられる弓臤様は、その勝利を『まぐれ』と評されました」
「うーん……」
出来るだけ低い、重みのある声で僕は相槌らしきものをしながら、頭の整理をはじめた。この陣までの同乗者の名すら知らない僕は、沚馘も弓臤も当然に知らないのだ。やはり、女性の軍の総帥達なのだろうか。
「私もそうではないか、と思うのです」
サクは表情を少し暗くすると、うつむいて一つため息をついた。
「だから、今後のためにもお二人が修行されているという『死人なき模擬合戦』の仔細を今、教えていただきたいのです。明日見せてもらえば分かる話ですが、私はじきに婦好様に従って沚馘様の援軍に立たねばなりません……時間がないのです。なので、見て理解する前にまず、こうして掟を聞くことで理解したいのです。私は技芸は苦手ですが掟さえ理解すれば、全部隊にこの口で伝えることが出来ます」
サクは一気に喋り、そしてテントの中を長い沈黙が支配した。僕が返事をすることをためらってしまったのだ。少女の視線を気にしながらで石堂の方に視界を移すと、彼もやはり、戸惑ったような顔をするしかないようだった。
僕は泣きたいような気分になった。口を開いた途端、少女の顔は失望に支配されるだろうからだ。
時として芸人は権力者の前でその芸を披露することで生命の危機を逃れる。しかし、過酷な現実の前では芸は芸でしかない。順繰りにベースをまわって点を取る野球を教授したって、合戦では何の役にもならないのだ。死体が山野に転がるだけだ。
僕は生命がかかっているとはいえ口からホラを並べ立てることで、ありもしない兵法もどきをでっち上げた自分を恥じた。無言のままの石堂だって同じ心情なのではないだろうか。
数分もたったろうか、相変わらず答えは見つからなかった。が、少女はこちらの口が開くのを静かに待っている。
僕は観念した。「死人なき模擬合戦」などなく、それは遊戯にすぎないというしかないのだ。
「残念なが……」
「訂正がございます!」
少女に向かって、望むようなものはないと伝えようとした僕の言葉を石堂の大声が遮った。サクのつぶらな瞳は一瞬のたじろぎの後、この短髪の「弟子」へと向かう。
「サク様、我が師と共に修練している技芸は戦とは全くかかわらないものでござます。したがって、『模擬合戦』などと申しましても死人が出ないのは当然であり、それをもって実際の戦の兵法に用立てることも難しゅうございます」
「あぁ……」
長い間待たされた挙句、期待とは程遠い答えがもどってきたサクの目に、ありありと失望の色が浮かぶ。
「が……この技芸にも良き点がございます。恐れながらサク様、長きにわたる戦およびその滞陣にて必要なものとは何とお考えですか?」
「それは……平素からの鍛練、それから兵糧に武具です」
少女は石堂からの唐突な質問にいささか驚いたようだったが、それでも慎重かつ正確な回答を行う。
「ごもっともです。しかしそれだけではございません……大切なものとして団結心と余った時間の使い方がございます」
「団結心と余った時間?」
「いかにも」
石堂はサクの方にズイと身を拳二つ分ほど寄せた。男だろうが女だろうが、話に熱が入ると相手に近づくのがこの男の癖だ。
「戦が長引くと、身体もすり減りますが心もすり減ります。先も見えず、人心が荒むのです。我らの修行している技芸は身体を鍛えつつに人心を和らげ、仲間を重んじる余裕を取り戻すことを目的としているのです」
そこまで言うと石堂は一旦会話を止めた。サクの反応をうかがっているのだ。
会話の主導権を奪われた僕は、息を潜めるようにして推移を見守った。少なくとも、石堂はハッタリを言っていない。スポーツとは多分、彼が語るようなものだ。
スポーツをするものが戦に行くことはあっても、スポーツは戦そのものにはならないのだ。
石堂の口がまた開いた。
「楽しみ、ほどよく身体を鍛練し、そして仲間を思いやることで初めて我らが技芸は成り立つのです!」
今度はサクが長い沈黙をつくる番だった。が、いつかはこの場の静寂に終わりが来るだろう。それが終わった時に、僕らの命運など決まってしまう。勿論死にたくはないが、多くの重圧と格闘しているであろうこの少女が失望するのみでこの会話が終わっては欲しくなかった。
「ハさん、セキさん」
「はっ」
「はいな」
沈黙が破られた時、僕と石堂は殆ど同時に声を発した。
「技芸の掟、教えていただけませんか?」
「喜んで!」
のけぞるように背筋を伸ばすと石堂は礼もせずに「バンザイ」のポーズをとり、それから傍らのグローブを左手につけると何度もそこに拳を出し入れした。
少女は少しだけ笑った。