隠居の屋敷
目の前に立つ建物……いや、聳え立つと表現しても過言ではないような屋敷は、Sランクの肩書を持ち、その実力も確かなアルファ達でさえも、呆然としてしまうほどのものだった。
「……王都からじゃ、こんなすごい屋敷は見えなかったけど」
何とか振り絞って出された、アランの言葉。それに対して他の者も何度もうなずいていた。
そう、彼らは今、王都付近の森の中にいる。
人避けの結界と魔力・物理結界のお陰でアルは今までここが見つからなかったのだ。
そこらを説明すると、ロイ以外の者全員が納得していた。
ロイはというと、興味深そうに周りを見回しながら感嘆の息を漏らしていた。
やがて、家……というよりは屋敷と表現した方が良いだろう敷地の庭にたどり着く。
「綺麗な庭だな。庭師でも雇ってるのか?」
「いや、ここはどうも棲みやすいらしくてな。あいつらが勝手に棲みついてるん……いたっ」
いきなり声を上げたアルに視線を向ける面々。その中で、目を見開いたのは、レイとユウキ。
「精霊……?」
レイには水と風の精霊が、ユウキには火の精霊が見えていた。
精霊は、適性がないと見えないのだが、エルフとして水と風の精霊に好かれているレイや魔術師として火の精霊に好かれているユウキには見えたのだろう。
「え、精霊がいるのか?」
精霊が見えないアルファは、隣で驚いているレイとユウキに向かって興味深そうに尋ねる。
「うん。今、アルさんの頭を火の精霊が軽く叩いたんだ。たぶん、勝手に棲みついたって言ったのが気に入らなかったんじゃないかと思うんだけど」
「へえ」
精霊は、見える人でもこういった人のいない森のような場所でなければ滅多には姿を現さない。
今まで精霊がたくさんいた場所でも、人が住み着くと多くの精霊がその場を去るのだ。
それでも少しは残るのだが、あくまで少数だ。だからこそ自然ほどの美しさを保てないのだし、姿も現さなくなるのだ。
だが、ここは違った。アルが屋敷を建て庭を造ったことで、むしろ多くの精霊が集まるようになった。
もともと色々な精霊に好かれているアルだけに、それが影響したのは間違いないだろう。
ともあれ、ここに多くの精霊が棲みついていることで、庭師を雇う必要は全くなく、精霊たちのお陰で庭は常に綺麗を保っている。
庭にはまず玄関に続く道があり、両脇には水の精霊が多くいるであろう小さな泉が存在していている。多くの植物が植えられ、花畑になっているところもあった。
庭の周りには森の木々もあるので、まるで秘密の庭とでも呼べる美しさと尊さがそこにあった。
そんな風に景色を堪能していると、ふと、アランは気になったことがあった。ここで訓練をするなら、どこでやるのか、と。
こんなに綺麗な庭を荒らしたらそれこそ精霊に怒られそうだし、精霊以外にもピクシーらしき小さな妖精達もいる。彼女らの怒りを買ったとならば、それこそただでは済まないだろう。
だが、そこらのことをアルに尋ねてみると……
「ああ、ちゃんと裏に訓練場がある」
「そ、そうか」
あっさりと、そう返されるのだった。
「ともあれ、ここじゃなんだし、中に行こうか」
笑みを……苦い笑みを浮かべて振り向いて来るアルに、アラン達は一斉にうなずく。
精霊やピクシーたちにも興味はあったが、精霊は見えないし、ピクシーたちはアル意外に興味はないとばかりに他の面々を無視している。
それならばもう諦めてしまうしかない。もしかするとその内彼女らから興味を持つかも知れないのだが、アラン達がそれを知るはずもない。
ともあれ、こうしてアルに案内されてきた屋敷の中へと入っていくのだった。
「あっ、帰ってきた」
「ちょっと、ルミナ。走っても大丈夫なの?」
「まだ大丈夫。そ・れ・よ・り・も、アルが帰ってきたよー!」
「は、ははは……」
リビングから響く二人の少女の声。
「アルー!」
「ちょっ、待っ!?」
「ルミナ! 久しぶりね!」
「お? フィアー! ユウキー! て言うか、みんないるじゃん!」
「わあ、本当だ」
ルミナと呼ばれた少女は、アルと同じ白銀の髪をアップで纏めており、その幼いつぶらな瞳は鮮やかな瑠璃色。幼くも美しいといった形容詞が似合うその顔立ちは、レイヴァの平均より遥か上……それこそ上位に位置するほどの美貌だろう。
ルミナは男なら――場合によっては女も――誰もが見惚れそうな満面の笑みで、リビングから出てアルへと抱き着いている。
後ろから、もう一人の少女も驚きで軽く目を見開いていた。
どちらかと言えば『おしとやかな可愛い系少女』と表現できるような女の子だ。肩までの長さの白銀の髪はサラサラとしていて、彼女が動く度に柔らかく動く。
幼く可愛らしいと表現できるその真っ赤な瞳は、透き通ったルビーを思わせる。戦闘民族の末裔とは言われているが筋肉はほとんど目立たないレイヴァだが、アルやルミナと比べても尚細い手足を持つ少女で、尚且つ男の本能を刺激するかのような少女でもあった。
「俺に抱き着いてるのが、ルミナ。二児の母親で、今三児を身ごもって……るっ……!?」
「あのさ、さらっとそういうこと言わないで?」
笑みを浮かべて、それでも恥ずかしそうに頬を染めながら、ルミナはアルの首を絞めつける。だが、SSランク冒険者として活動している以上この程度なら問題ないのだが、いきなり締め付けられれば驚くのは当然だ。
体が密着しているのだから、気配も何もないのだから。
「ルミナ、アルが苦しがってるよ」
「はーい」
意外にも……というべきか、ルミナは素直に腕の力を緩める。
……それでも体を離さなかったのは、やはりアルに一番母性本能を刺激される者だからこそだろう。
「……えっと、後ろにいるのはもう一人、ゼロ。三児の母親だ」
「初めまして、かな? アルファ達は久しぶりだけど」
思わずルミナとゼロに見惚れていたアラン達三人へ、ゼロと紹介された少女は視線を向ける。彼女の言葉で我に返ったアラン達は、それぞれが自分で自己紹介をする。
「は、はじめまして。アランです」
「ミーシャです。よろしくお願いします」
「初めまして、ルートスです。よろしくお願いします」
「ふふっ、よろしく。アラン君たちのことはアルから聞いてる。改めて私はゼロ。あと、敬語じゃなくていいよ? アルに接してるみたいに」
柔らかい雰囲気を空気を崩さす自己紹介をするゼロ。
笑みを浮かべながら胸に手を当て、優雅に頭を下げたのは、今までずっとアルに抱きついていた、ルミナ。
「ご紹介に預かりました。アルスレンドの妻、ルミナ・ラリスと申します」
美しく、丁寧に、そして優雅に挨拶をしてきたルミナに対して、アラン達は改まって頭を下げる。
「あ、よ、よろしくお願いします」
「ははっ、なんてね。良いよ、敬語なんか」
慌てる姿が面白かったのか、おかしそうに笑ったルミナはそう言ってきた。
「ウォル、お茶を出してくれ」
「かしこまりました」
いつの間にか奥からウォルが出てきており、アルに頼まれてはすぐにまた引っ込んでいく。
「ほら、お前らも行くぞ」
「はーい」
ルミナが間延びした返事を、ゼロがうなずき返事をし、アラン達を伴ってアル達も進んでいく。
「うわあ、本当に広いな。これが貴族の屋敷……」
「使用人とかはいないんすか?」
レイに問われ、何を当たり前のことをとばかりにアルは振り返りながら言う。
「ここに隠居してるのに、使用人を雇ってどうする?」
「ああ……」
納得した、と声を上げてから、更に疑問に思うことがあった。が、レイが口を開く前にルートスが問うた。
「掃除とか、どうしてるんだ?」
「それはだから、精霊やピクシーが」
『なるほど』
アランも加わって、質問をした二人も含めて三人が返事をする。
精霊やピクシーといった妖精というのは、綺麗好きな者が多い。……多い、というからには、数少ない例外もいるのだろうが。
ともあれ、アルの屋敷付近に暮らしている精霊や妖精たちは綺麗好きな者しかいない為、気に入られてるこの家族の家の掃除もしてくれるのだろう。
一般人からすれば、羨ましい以外の何物でもないことだが、精霊や妖精というのは気紛れだ。気に入った者の言うことしか聞かない……というか、気に入ったものにしか興味すら示さないだろう。
アラン達は、今まで田舎に暮らしてきただけあって、これだけの大きな屋敷の掃除は大変そうだな……どころかかなり大変だと確信していたので、精霊や妖精たちがいてくれるなら村でのあの大掃除が馬鹿らしくなってくる。
だが、嘆いても仕方ない。
気に入られなければ、意味はないのだから。
「ここだ」
アルが扉を開けると、広い応接室があった。この人数でも全く問題なく座れるだけのソファの数と広さがあり、狭く感じずゆっくりと寛げるであろう空間だった。
「悪いな、こんな大人数で」
「いや、構わないさ。そもそも招いたのはこっちだし」
謝ってくる友人に対し、さらりと正論を返すアル。
アルファもそう言われるのをわかっていたのか、苦笑を浮かべて導かれるままにソファへ座る。
「ちょっと待っててくれ。資料を取ってくる」
「わかった」
資料というのは、おそらく影に関するものだろう。アルはこちらに戻ってきてから、魔術を行使して様々なことを得ている。それを理解しているアルファは、あっさりとうなずくのだった。
「……にしても、何年ぶり? 十? 二十?」
長寿になったルミナはその影響で時間の感覚がずれてきている。そのためか、首を傾げながらアルファ達にそう問うた。
「もっとだよ、もっと。四十年ぶり」
「え? 本当に? ……まあ、言われてみればそれくらい経ってるような……ね?」
「い、いや、私に訊かれてもわからないよ」
話を振られたゼロも戸惑ったようにそう答える。だが、実際の時間は四十年ほどなので、長寿になり体が成長しないので、感覚がずれてもおかしくはない。
むしろ、普通と言えるだろう。
「まあ、いいわよ。とりあえず、何か話さない?」
「あ、さっきから気になってたんだけど、その子は?」
今まで何故か静かだったロイを指差して、ルミナが不思議そうに問う。だがその顔に笑みを浮かべているのを見れば、だいたいの察しはついているのだろう。
「そうだな。紹介するよ。こいつはロイ、俺と、ユウキの息子」
「ど、どうも……」
「こら、こんにちは、でしょ?」
軽くユウキが注意すると、ロイは父親の影から出て軽く頭を下げながら言った。
「……こんにちは」
「ふふっ。はい、こんにちは。″白の魔術師″が大好きなんだって?」
察しがついていたというより、知っていたのだろう。
アルは何日も先にここへ帰ってきている。そうなれば当然、久々にあったアルファ達の話をしていてもおかしくないのだから。
それを知ってか知らずか、ともあれロイは笑みを浮かべて嬉しそうにうなずいた。
「うん! ″白の魔術師″は、すっごくかっこいいんだぜ! 俺、アルさんが魔物と戦ってるところ、見たんだよ! すっごく、強かったんだ!」
子供らしく目をキラキラと輝かせて、ロイは言う。
同じ――それでもロイとは少し意味が違うが――アル好きとして、彼が褒められるのはルミナやゼロにとっても喜びなのだろう。
語彙力がないせいで同じ言葉を繰り返してはいるが、それでもやはり飾られただけの気持ちの籠っていない褒め言葉よりは、ずっと……それこそ数十、数百、数千倍も嬉しいものだ。
「へえ、そっか。ロイ君は、将来何になりたいのかな?」
「″白の魔術師″みたいに、強くてかっこいい男になるんだ!」
迷わず答えられた言葉。
これだ。ルミナ達は、これを、この言葉を待っていた。それこそが、ルミナ達にとっての一番の刺激。
自分たちが今も恋い慕っている相手に憧れ、目指してくれるのは、嬉しい以外の何物でもなかった。
「すごいねえ。頑張れ、ロイ君!」
「うん!」
先ほどまでは人見知りをしていたくせに、″白の魔術師″の話題を出したことですっかり慣れてしまったロイ。
そこはやはり、ルミナの小さい子好きの性格がそうさせているのだろう。
「お待たせしました」
ウォルが入ってきて、人数分の紅茶を机に置いていく。……ただし、ロイは甘い果実水だったが。
紅茶の香ばしい匂いが彼らの嗅覚を刺激し、ウォルに礼を言ってからカップを手に取った。
「うおっ、美味い」
「本当だ。……考えてみれば、ウォルの紅茶を飲むのはこれで初めてか」
「そりゃそうよ。だって、出会ってから一緒に行動した時間を考えれば……」
「そう、だね。旅路でのお茶はフィアが淹れていたから……」
「アルさんってば、いつもこんなに美味いのを……」
羨ましい、と呟きながら、レイはもう一度紅茶を口に運ぶ。ロイが、大人たちがみんな美味いと言っていたのに興味を持ったのか、隣にいる自分の母親に紅茶をくれと言っていた。
「……ロイには、まだ早いんじゃ?」
「ま、なんでも経験だ」
うーん、と呟きながら、ユウキはそっとロイに飲ませる。
「熱いから、気をつけてね」
「うん」
そうして口をつけて一口飲み込むと……うん? と首を傾げながらレイへと視線を向ける。
「……まだ、早い」
一言、そう告げられるだけだった。
これのどこが美味いのかと、ほとんど味がないじゃないか、と。
子供にはわからないと言われても、子供にとっては納得のできない事案だった。だが、もう一度飲んだところでわからないだけなのだから、大きくなったらもう一度飲んでみようと決めるのだった。
「悪い、待たせた」
その後もしばらく雑談をしていると、扉を開きながら部屋に入ってきたのは当然の如く、アル。
その手には文字の書かれた紙束。貴重な紙を何枚も重ねて使っている辺り、やはり金持ちは違う、とアラン達に思わせてしまう。
だがそんな彼らの様子など全く気にした様子もなく、アルはルミナとゼロに招かれて彼女らの間に座る。
所謂ハーレム状態ということなのだろうが、アルはもうすっかり慣れたとばかりに気にせず紙面を自分の目の前へと持ってきていた。
「うわ、これ古代文字?」
「読めない……」
当然と言うべきか、両脇に座っているルミナやゼロも紙面が気になって覗き込むが、古代文字が書かれているらしく彼女らには読めなかった。
「それって、昔の物なのか?」
紙というのは、そのまま保存すれば当然劣化する。だが、この世界には保護魔法……いや、アルの場合は保護魔術というのが存在する。つまり、魔術をかけていれば紙は劣化しないのだ。
だが、アルの答えは違った。
「いや、最近の物だ。俺以外の奴に読まれたらまずいから」
「何? 信頼してないの?」
「違うに決まってるだろ。ちょっと危険なことが書かれてるからな。呪詛や、呪文といった代物が」
「なるほど。音読はもちろん、黙読されてもいけないということですね」
そう答えたのは、ユウキ。魔術に関する知識があるからこそ出てくる答えだった。
呪文や呪詛といったものは、呪術を使う上で唱える決まり文句なのだ。呪術の知識がない者には何を言っているのかわからないので、だからこそ読みたくなってしまう。
最悪、音読などしてしまったら呪いがかかるかも知れないという危険まであった。呪術の知識がある者は自分でどうにかしてそれを防げるのだが、アルは危険だということでルミナ達を含めた家族には呪術を教えないようにしていた。
隠せば良かったのだろうが、急ぎの調べ物であった以上いちいち面倒なことをして資料を取り出すのは大きなロスタイムになる。
だからこそ、わざわざ古代文字を使ってメモをしていたのだから。
そして今回、集まってもらったアラン達に説明をする際、アルは呪術を使うつもりでいた。
今彼が手に持っている資料の中で一番上にある物は、まさにその経本のようなものだった。
「じゃ、始めようか」
真剣な顔を作って、アルはそう宣言するのだった。




