穏やかな朝食
翌朝。
王都のとある建物の前に小柄な少女……いや、少年が立っていた。
丈の長い外套で身を包み、その深い紺色の髪は外に晒されている。
早朝ということもあり昼間に比べて人通りは少ないが、あくまでもそれは昼間に比べて、だ。
王都であるということもあり早朝にもかかわらずそれなりに人の姿はあり、早朝に誰かの家の前に立っている者がいたら、当然というべきか、怪しく見える。
まして、昨日までは管理人以外は出入していなかったのだ。それなのに見たこともないような少年がその家の前に立っていれば、警備兵も黙ってはいない。
「ちょっと君、ここは私有の別荘だよ。こんなところにいても、誰も出てこないよ?」
相手が子供であるということからその口調は柔らかかったが、荒事の多い王都の警備兵をやっているだけあってその技量は高く、目には決して相手を侮るといった感情は存在していなかった。
そんな警備兵に関心すら覚えながらも、少年は向き直って笑みを浮かべながら、言う。
「ああ、安心しろ。ここは俺の別荘だからな」
一瞬意表を突かれたかのような表情をしていた警備兵だが、すぐに切り替えて口を開く。
「お前みたいな子供が何言ってんだよ。ほら、こんなところで怪しい事してると、詰所まで連れてくぞ」
はっきりと口にされたことで、子供扱いされたことに不満を覚える少年――アルだったが、それでも警備兵はしっかり仕事をしているということもあって言葉を飲み込む。
「ほら、証明書だ。これで満足か?」
いきなりどこから取り出したのかと驚きながらも、警備兵はその紙面を見て驚きに目を見開く。
「し……森むぐっ!?」
″森炎魔″と叫びそうになった警備兵の口を、アルは強引に塞ぐ。
土地の所有者証明のための紙に書かれた名前はアルスレンド・ネロヴァッサー。Aランク冒険者としてコペル王国では有名であり、王都では例外を除いてその名を知らない者はいなかった。
また、紙面の国王直筆のサインも国印も本物であり、目の前の少年がAランク冒険者″森炎魔″アルスレンド・ネロヴァッサーであることは疑いの余地もない。
まさか、警備兵もこの建物……というよりは別荘の所有者が、こんなに子供だとは思っていなかったのだろう。
「というわけだ。俺と話ができたってことを口止め料にさせてもらおうか」
要は、俺の正体を誰にも喋るな。この別荘の所有者は″森炎魔″だという事実は誰にも言うなと、そう忠告しているのだ。
別に絶対というわけでもないが、そうなれば今後この別荘に近づきにくくなる。
この別荘の所有者が周りの住民に明らかになっていないからこそ、そしてほとんどの者が自分の顔を知らないからこそ、今まで堂々とここに近づけたのだ。
それを理解したのか、警備兵はこくり、こくりとうなずく。
実はこの警備兵、幼い頃から王都で有名な″森炎魔″に憧れを抱いている者の一人だ。彼が冒険者である以上は自分も同じ職業に就きたい……とは思ったのだが、考えてみれば日々魔物と戦っているよりは荒事を収める警備兵として働いていたほうが、本人と会話ができるかも知れないと思ったのだ。
今回、その思惑が完全に当たった形だ。
「じゃあ、そういうわけだから、俺は行くぞ」
「は、はあ……失礼しました!」
この家はコペル王国国王のトロフィから譲り受けたものであり、管理に関しても、普段はここにいないので国の方で人を雇ってくれている。
色々と得なこの家を、アルはできれば手放したくはなかった。
(まあ、こんな姿じゃ、誰も異名持ちの冒険者だなんて思わないだろうしな)
アルは自分の姿が若すぎる……いや、幼すぎるということは当然理解している。でなければ、街の中でチンピラや冒険者に絡まれるようなことはないし、警備兵に子供扱いはされない。
だが、だからと言って自分の体格や見た目が気に入っていないわけでもないのだ。別に自惚れとかナルシストとかそういうわけなのではなく、この見た目のお陰で今のような幸せな日々が送れているのだということをしっかりと理解している。
特に、中でも一番大きいのは家族のことだろう。
ルミナとゼロは、アルの姿がどうにも母性本能を刺激するらしく、アルに抱き着いては頬ずりをするのが半ば趣味のようなものになっている。
もともと女性というのが苦手なアルだったが、ルミナとゼロの二人は当然例外だ。
愛する女二人に同時に抱き着かれるのもまんざらでもないし、息が多少苦しいくらいなら我慢できる。というか我慢しないと怒られる時がしばしばある。
アルの遺伝子を大きく引き継いでいる子供たちも、自分の見た目が良くなかったら不細工に出来上がっても嫌だった。
まあ、だからと言ってアルが子供を嫌うなどということはないが、性格はともかく親しみやすさを感じるような見た目でなければ彼らも人付き合いというのがあるのだから、人にもよるが不細工ではあまり第一印象は良くない可能性だってあるのだ。
アル、ルミナ、ゼロの三人ともがレイヴァであることも影響しているのか、アルの子供たちは全員が美少年美少女と表現できる顔立ちを持っている。性格も良い者たちばかりなので、アルはもうその辺は気にしていない。
「おら、起きろ」
ともあれ、今この家で寝泊りをしている者たちに許可を取らないまま上がり込み、まず最初に向かったのはアルファが寝ているであろう部屋。
そして、まだ部屋の中から寝息が聞こえてきていたので、ため息を吐いてからドアを勢いよく開けるとともにそう言い放ったのだ。
「おわあっ!? って、シノン!?」
「シノンじゃない。いい加減慣れろ馬鹿」
「あ、ああ、悪い。て言うか、お前全く気配感じないんだから、いきなり脅かすな!」
もともと気配を普段から発していないアルだけに、近づいてきていきなり扉を開かれれば驚くしかない。ましてや、Sランク冒険者として長く活動しており、近接戦闘に特化した然濃族であるアルファだけに、気配察知の能力には自信があった。
それなのに親友の気配を察知できないのは、少しプライドが傷つくとともに不満もあった。
「こうしないと一気に目覚めないだろうが。他の奴も起こしてくるから、お前も準備しろ。すぐに朝食でも作ってやるから」
「はあ……? お、おう」
アルに驚かされたことで一気に目が覚め、自分と似たようなやり取りをしているだろう男性組の声を聞いて同情を覚えるのだった。
「あいつ、女には何気に優しいですよね」
ふと、顔を洗っている時に後ろから声をかけてきたのは、アランだった。
アルは女性が苦手だとか言っておきながら、何気に異性には甘いのだ。……まあ、女を戦闘の鍛錬で鍛えることになったら、当然容赦はしないのだが。
だがそれでも普段は女性に対してとても丁寧に接するし、女性を尊重していたりもする。
「だよな。けど、それも自覚してるらしくてさ。……あれだけのことがあったら……なあ」
しみじみと呟くアルファ。
アルがどんな形で裏切られたのか事情をしっかりと知っているアルファとしては、そこにはもうアルを心配する感情しか浮かばない。
まあ、ルミナに出会う前なんかは無視をすることすらあったのを思えば、それはそれで圧倒的に良い方面に動いたのだろうが。
「ともあれ、準備が出来たらアルを手伝うぞ。朝食作ってくれてるらしいからな」
「え、本当に?」
「ああ」
アルって料理するんだな、と意外そうに呟くアラン。
今までアルが料理をしているところは見たことがなかった。カル村ではアルはギルドにある宿泊施設を借りて生活していたので、その機会もなかったのだろう。
「忘れたのか? アルは好奇心旺盛な性格だから、色々なことを見て学んできたんだぞ? 当然料理も、な」
「へえ。それじゃあ、期待していいですか?」
「ああ、思う存分期待していていいぞ」
その言葉に、心底嬉しそうなアルファの顔。それを見れば、アルの料理の腕がどれほどのものなのか想像に難くないだろう。
アランはその味を想像して、ごくりと生唾を飲むのだった。
「おっ、美味そうだな」
「本当だ、良い匂いが……」
そう声を上げて食堂に入っていくアルファとアラン。
朝食はそれなりに軽い物を作っているようで、アルファが台所を覗くと、アルが冷蔵の魔道具を開けて手を突っ込んでいる所だった。
左手に関しては、軽く包帯が巻かれているがだいぶ治ってきたらしく、ほとんど不自由はないようだった。
コンロには鍋がかけられており、煮込んでいるのか蓋は閉じられている。
アルは台所に顔を出している二人の気配に気づいていたが、気にせず慣れた手つきで野菜や肉を切り刻んでいた。
肉は切ったらすぐに鍋に突っ込み、香辛料の類を少し振ると、お玉杓子で軽く混ぜたらすぐにまた閉じた。
「手伝いとか良いから、座ってろ」
言いながらもアルは上の戸棚から食器を取り出す。……魔術で。
やはり小柄なので、上の戸棚には直接手が届かないのだろう。だが、だからと言って動きが鈍るアルではなかった。
それを見て本当に手伝いはいらないらしいと悟った二人は、食堂の席に戻って行った。
「おはよー……」
ふわあ、と欠伸をしながらロイと共にレイがそう言ってくる。その隣では、父親やアラン達のように叩き起こされたにも拘わらず寝起きなのに元気なロイがいた。憧れの″白の魔術師″に起こされたというのが、どうやらそれの原因らしい。
(……ロイはともかく、レイ……いや、エルフって朝に弱いのか?)
ふと、そんな風に考えるアラン。
レイとこれまで十数日間過ごしているが、彼はいつも朝は遅い。気配が感じられない中でアルに叩き起こされたにも拘わらず、未だにこうして寝ぼけているのだから、よほど朝に弱いというのがわかるだろう。
だが、アランはそう思ってはいるが、実際のところエルフというのは朝が早い。
それは、本来森の中で暮らすエルフは朝早くに起きて森へと獲物を狩りに行くために基本は早起きだ。
だからどちらかと言えば……いや、どちらかと言わなくてもエルフは基本的に朝に強い……はずなのだ。
ただ、レイは幼いころに森の外に放り出されているので、朝の習慣というのはどうしてもエルフと同じにはなれず、元の体質が強く出てしまうのだ。
「おはよ、アラン!」
「あ、うん。おはよう、ロイ」
ロイは、最初こそ警戒していたものの今ではすっかり人懐っこい笑みを浮かべている。やはり数日でも一緒に過ごしたというのは少なからず影響したのだろう。……自分の中での最高の憧れの存在と共に行動をしていたというのが最大の理由だろうが。
「おはよう」
「おはようございます」
女性組三人も起きてきて、それぞれ席に座った。アルが朝食を作るというのは既に聞いているらしい。
「ほら、お兄ちゃんたちも座ったら? アルだってすぐには作れないだろうし」
「そうだな」
短く返事をすると、アルファを始めとした他の面々もそれぞれ席に座り、朝食が来るまでの間は雑談をしているのだった。
「ん」
特に言葉を発するでもなく、短く済ませて鍋敷きの上に鍋を置くと、底が深い皿を人数分置いた。そして蓋を取ると、そこらの下手な店では嗅げないような香ばしい匂いが部屋中に広がった。
だがアルは全く気にした様子もなく蓋を取るとさっさと台所に戻って別の料理を運んでくる。
柔らかい白パンや、新鮮な生の野菜を盛り込んだサラダにはアルの手作りのドレッシング。
鍋の中身は具だくさんのコンソメスープだった。夏に温かい……というよりは熱いスープを飲むのはどうかとも思うが、ここは冷房の魔道具が動いていて少し寒いくらいであり、温度に関しては特に気にしなくてもいい。
それに、アルの作ったコンソメスープは香辛料が絶妙に調節されており、さっぱりとしたその味はしかし癖にならず、それでいて印象に残るようなものだった。
一言で表すと、美味い。
「ああ……美味いなあ」
しみじみと呟かれるレイの言葉。
隣ではロイが夢中になって食事をしていた。更にその隣では、母親であるユウキが笑みを浮かべてそんな息子の様子を見守っていた。
「ふう、相変わらず美味いな。というか、また腕が上がったんじゃないか?」
「そうか? 自分の料理は昔から食べてきたからそんなに自覚はないが」
そう言いながらも、顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。自覚はしていなくても、褒められると照れる性格のアルだ。今回のように、親しい相手に単純な言葉で褒められるというのは決して悪くない。……むしろ、嬉しい。
どんなに飾った、ただそれだけの言葉よりも、どんなに多くの語彙を使った、ただそれだけの褒め言葉よりも、感情の籠った単純な一言はアルにとって心底嬉しいものだった。
初めてアルの料理を食べるアラン達は、ただ言葉もなく、ロイと同じように夢中で食べ物を口に運んでいた。
そんな光景も、アルにとっては嬉しいものを感じるのだろう。なんだかんだ言って、アルも成長期の精神年齢なのだ。褒められ慣れていても、新鮮な気持ちや刺激は持つ。
アルにとって料理は半ば趣味のようなものだが、こうして誰かを喜ばせることができるならやっていて良かったとも思う。
ただ、自分の趣味が誰かを喜ばせられるなら、そこに後悔はない。それが、長く生きてきた時間の中での刺激でもあるのだから。
調理で使った器具を片づけながら、アルは食卓と繋がっている台所の窓から食べ物に舌鼓を打っているアラン達を眺める。
その表情は女性のように慈愛に満ちており、柔らかいもので、束の間の幸せを堪能しているかのようだった。
「……ふう、朝から食べすぎたかな」
「よっしゃああ! アルさんの料理久々に食えたし、今ならドラゴンを一人で倒せるような気がするぜ!」
「いや、それはやめて、レイ」
「父さん、スッゲー!」
「ロイ、冗談でも竜を倒しに行くとか、言っちゃだめだよ」
『皓月千里』の面々がそんなやり取りをする中で、アラン達もまた先ほどまで食べていた料理の味の余韻を楽しんでいた。
「アルって、料理こんなに上手なんだね」
「ああ。正直、驚いた」
「ああ。正直、意外だった」
ルートスの言葉をアランがほとんどそのまま続けると、ミーシャがおかしそうに笑った。
「今度教わろうかな」
「時間あるか? これから本格的に訓練だろ?」
「よくわかったな。そのつもりだ。今のうちに現実逃避しておけ」
「は?」
さっさと食器を片づけていくアルに不思議そうな視線を送りながら、アランが呟く。
アルファを始めとしたロイ以外の『皓月千里』のメンバーも、アルの厳しい訓練を思い出したのか苦い笑みを浮かべていた。
「覚悟、しといた方が良いぞ。まあ、慣れれば良いけど……けど、最後まで諦めなかったからこそ、今の地位にいるのは間違いのない事実なんだけどな」
しみじみと呟くアルファ。アリュスフィアも同様に、兄に共感するように何度もうなずいていた。
その様子を見て、アラン達三人は若干頬を引き攣らせていた。Sランクの冒険者がそう言っているのだから、その反応はある意味当然だろう。Aランク冒険者のレイは、遠くを見つめるようにしているのだから。
ユウキは純粋な魔法使い……いや、魔術師なので、魔術以外では特に教わることはなかった。ただ、一気にその知識を詰め込まれたことはあったが、ユウキにとっては許容範囲だった。
「あ」
唐突に声を上げたのは、アルだった。その声に反応して、この部屋にいた者の視線が彼へと一気に集まる。
「どうした?」
「いや、悪い。すっかり忘れてたんだけど、今日から平日だな」
「そうだけど、何かあるの?」
疑問に思ったアルファとアリュスフィアが、それぞれ尋ねた。
「いや、今日から平日ってことは、もう仕事に出てるな……って思ってさ」
「仕事? 誰が?」
「俺の、息子と、娘が」
「……ああ、なるほど」
アルのその言葉を聞いて、納得の声を上げたのはレイだった。その後遅れて他の面々も気づき、同じように声を上げた。
アルは自分の家族をアルファ達にも紹介したいと言っていたのだ。それなのに仕事で子供たちがいないとなれば、紹介しようにもできないということなのだ。
……まあ、夕方になれば帰って来るらしいのだが。
「ともあれ、そういうことだ。よろしく」
「いや、よろしくって。……まあ、いずれにしても会えるのならそれでもいいけど」
そんな風にして穏やかに朝が通り過ぎていく。
アルが朝食の片づけも終わると、アルファ達はそれぞれ服装を着替え、荷物を纏めて、武器を確認して準備を整えた。
女性組が来るのを待ち、やがて彼らはようやくアルの家へと出発したのだった。




