すぐ傍にいた伝説
「へえ、こんなに……」
アランとルートスがいるのは、ギルドに設えられている図書館だ。
冒険者は情報を集めていなければやってはいけない。情報集めのスキルは、冒険者として必須と言ってもいい。
魔物に関する情報もまた、然り。
この世界に印刷技術はないので、本というのはかなり貴重だ。そもそも紙というのが貴重なので、それに手書きで書かれているものが何枚も重なれば、それはかなりの額になる。
だから、ギルドでも本の貸し出しを行ってはいるが、ランクが低ければ低いほどその値段も高くなる。それだけ功績を残していない者に対する信頼がないからだ。
Aランクになれば銅貨数枚で済むし、Sランクになれば各ギルドのギルドマスターあるいは団長の絶対的な信頼を得ているために、無料となる。
当然本を返す期間を過ぎてしまえば誰でも平等に金額を払わなければならないのだが、期間を過ぎる者は余程のことがなければいない。
ギルド内で読んでいるだけならば料金は発生しないので、多くの冒険者はギルド内で本を利用している。
「お? ウォル?」
「ああ、アラン殿にルートス殿」
見覚えのある顔を見つけてアランが声をかければ、ウォルが振り向いてそう声をかける。
「……お前、アルは?」
「アルスレンド様がここの書物をご所望なので。代わりに取りに」
「ああ、なるほど」
アルもいい身分だな、と少し面白く思うアランとルートスだったが、ウォルは特に気にした様子もなく本棚へ視線を向け、いくつか取り出して持って行く。
「……二時間であんなに読むのかな」
「さあ」
アランが疑問を口にすれば、ルートスが短く返す。
正直、アルはまだ色々と謎が多い。まだ何か隠しているというのはわかるのだが、二人にそれがなんなのか察しろと言う方が難しかった。
アルも隠すつもりは特にないのだが、話すのは早いだろうという判断からまだアラン達に自分のことを全部は話していない。
「なあ、聞いたか?」
「……何を?」
「"白の魔術師"だよ。今、このエラリスに来てるって噂があるんだ」
「ああ、さっき聞いたぜ。けど、なんでだろうな? まあ、ここは皇国の都だから、来てもおかしくはないんだろうけど」
「まあな。で、奴は今日来たばかりらしいぜ。なんでも、噂の翼狼に雷鳥、九尾を連れていたらしい」
『え……?』
しばらく本を読んでいると冒険者たちのそんな会話が聞こえ、小さく声を上げたのはアランとルートス。
「な、なあ、あんた。その話、聞かせてくれないか?」
「ん? ああ、いいぜ。俺も知り合いから聞いた話なんだが、頭巾で顔は見えなかったが、かなり小柄な男らしい」
「……それって、後ろに青髪の青年を連れてなかったか?」
そうアランが訊ねると、冒険者の男は目を見開いて驚きを露わにする。そして隣にいた男も同じような表情でアランに訊ねた。
「なんだ、知ってたのか?」
「あ、ああ、まあ、な。で?」
「ああ、青髪のそれなりに整った顔立ちの男がいたらしいってのは聞いてるよ」
「…………」
間違いない。ウォルのことだ、とアランは内心で呟く。
「ルートス」
「ああ」
「ありがとう、じゃあな」
「え? お、おう」
アランは情報料として銅貨を数枚置くと、さっさと本を片づけて図書館を出た。
「アル」
ギルドに併設された、酒場とは違うカフェで茶を飲みながら読書をしていたアルに、アランが話しかける。
ウォルが一瞬鋭い視線を送ったが、それも一瞬。すぐにアラン達だと気がつき、アルの背後に控える。アルは読んでいた本をぱたりと閉じ、笑みを浮かべながらアランとルートスに視線を向ける。
「アル、どういうことか、説明してほしい」
「どういう、とは? 何かわからないことでもあったのか?」
余裕の笑みを崩さないアルは、頭巾の下からその青い瞳をわずかに覗かせる。ウォルは視線だけをアラン達に向けており、表情はいつもと変わらない。
「誤魔化さないでほしい。……あんた、"白の魔術師"、だな?」
ルートスが周りに聞こえないようにそう問うが、アルは答えない。
ただ笑みを浮かべたまま、本を机に置いて紅茶を一口飲んだ。
「ふう……まあ、図書館でのお前らの会話は聞こえていた。ばれたかと言うべきか、よくわかったなと言うべきか」
「はぐらかすな。……本物、なのか?」
アランが懇願するかのような思いを滲ませてそう訊ねる。すると、アルはカップをソーサーに置き、アランに顔を向け……首肯した。
「じゃ、じゃあ……」
「ああ。お前らは"白の魔術師"を助け、"白の魔術師"に気に入られた存在なんだ。上から目線だが。……黙ってて、悪かった」
アルは申し訳なさそうに呟く。
「つまりAランクというのは、嘘、だったのか?」
「まさか本当のランクを言うわけにもいかなかっただろうに」
「それは……まあ、そう、だけど」
それでも、最初から言ってほしかった。
ずっと憧れてきた存在が、ずっと目の前にいたなんて、全く気づかなかった。
だが、それでも、アランの中にはアルを恨む気持ちは不思議となかった。むしろ、嬉しさすらあった。
彼が、自分が"白の魔術師"であることをしっかりと肯定したのだから、当然だろう。
ちょうど昼の鐘が鳴り、アルは席を立つ。ウォルがさっさと持ってきた本を重ねて図書館に返してくると、彼はミーシャとともに戻ってきていた。
「予定変更だ。宿に戻って、ちょっと話をしようか」
ミーシャは何が何だかよくわからない顔をしていた。だが、アランとルートスが真剣な表情をしているのを見て素直にうなずくのだった。
「……そう、だったんだ……」
宿のアルとウォルの借りている部屋で、今窓際の席に座っているアルが"白の魔術師"であるということを話したアランとルートス。ミーシャはそう言うことだったのかとばかりに、静かに答えた。
「ああ、またどこかで偽物が名乗るかも知れないからな、一度見せておこう。ほら」
そう言って、アルは袖で隠れていた左手首を見せる。アルの左手首にあったのは、魔法銀で作られた腕輪。
アランがそれを覗き込むようにしてそれを見つめていると、アルは見やすいように角度を調節してくれた。そこにあったのは、丁寧に刻まれた文字。
『SSランク冒険者証明。
これは、全王リュアン・テル・エリザベス・グラード・リリーズが、この者の身分を証明するものである。
彼は、リリーズ王国全王の友である』
『…………』
三人は、不思議な雰囲気を纏う腕輪の表面を見て絶句する。
理由は至極単純だ。
全王王国リリーズの女王であるリュアンの名が、フルネームで刻まれているのだから。
それに、リリーズ王国全王の友であるという部分は、アルという人物の一言で、一人の人間の命が容易に消えるということだ。
……まあ、アルが無闇やたらと人を殺すような真似はしないだろうが。
「……なあ、二人とも」
「……?」
数秒間三人を眺めていたアルが、不意にアランとルートスの二人へ話しかける。
「……発展途上、って、上の人がたくさんいる、って、どんな気分なんだ? ……悔しい、か?」
視線を窓の外の都へ向け、アルは静かに尋ねる。それは、アルの純粋な疑問だった。
彼は色々な意味で特別だった。
血筋も、才能も、性質も。
それ故に、ずっと昔の、上に誰かがいたというかつての感覚を、今では忘れてしまっていた。
彼は負けず嫌いであり、好奇心旺盛な性格である。それを理解しているウォルが、二人に補足するために体ごと向きを変えた。
「決して嫌味ではないぞ。そのように聞こえるかも知れないが、アルスレンド様は、純粋な疑問をお前たちにぶつけていらっしゃる」
そう告げるウォルの言葉は、本気で言っていることだった。だが、修正するつもりはないのか、呆然と窓の外を見つめるアルはその言葉を聞いていながらも反応する気配はない。
「……上の者がたくさんいるという者としての感想、か。そうだな。この世界は広いって思うよ。当たり前だけど……でも、地図みたいにいっぺんに世界を眺めるという行為ができない以上、俺たちじゃ絶対にこの世界の正確な広さを知ることができない。世界中の高みにいる人にはいっぺんには会えない。なら、高みに上ればいい。這いつくばって、足掻いて、抗って。けど、やっぱり……世界一にならなくても良いんじゃないかって……そう思うよ」
アランのしみじみと呟かれる言葉。それを聞いていたルートスもうなずいて、アランの言葉に続くように言う。
「俺はどうせ目指すなら、一番かな。けど、その単位は世界じゃなく、村とか、街とか、国とか。世界はさすがにアルがいるから無理だと思うから、国で留めておくけどな。……やっぱり、上にたくさんの人がいるから、目指すものがあるんだと、俺は思う。上の人がいるから、強くなれる……って、俺は思うんだ」
ルートスも自分の考えを述べる。
アルはそんな二人の言葉を聞き、空を見上げ、しばらくしてようやく口を開いた。
「……そうか。俺は、ただ世界一を目指したかった。で、最強になって……兄さんたちを見返したかった。……今じゃ、それしか覚えてなくてな」
「お兄さん?」
「腹違いの兄と姉だよ。父は子だくさんだった。……いや、今でもそうか。それこそ、五十人を超えてたんじゃないか?」
『ごっ……!』
アランとルートスとミーシャが同時に驚きの声を上げる。だが、さらりと放ってみせた驚愕の言葉に、ウォルと水狼、白夜と極夜の一人と三匹は全く動じる様子がない。
……それを見た三人は、その言葉が事実だということを悟らざるを得ない。
「やっぱり、アルみたいにたくさんの種族の血を持ってたり……?」
ルートスがそっと話しかけると、アルは意外にもさらりと答える。
「ああ。種族は違えど、ってところだが」
静かに答えるアルのその態度は、しみじみとした雰囲気すら感じた。そして更に付き合いが長くなると、アルの中にあるわずかな寂しさにも気づいただろう。
だが、その領域を超えているのはウォルと水狼、白夜と極夜しかいない。
「……ちょっと出てくる」
「かしこまりました、では」
アルが一言呟いただけで何をしたいのか悟ったウォルが、頭を下げて立ち上がったアルについて行った。
「お前たちはここで待っていてくれ。すぐに戻る」
「え? あ、うん……?」
ミーシャが困惑顔で、部屋を出て行ったアルとウォル、そして水狼を見送っていた。困惑しているのは当然彼女だけではなく、アランとルートスも彼らを見送っていた。
『……主は』
数分ほどして、沈黙を破ったのは白夜。
『主は……いや、アルは、強くなりたい一心で、自ら様々な達人に弟子入りし、様々な戦い方を学び、そして自身で自身を鍛えた。そうして高みに上り詰めた結果、世界でも最強の人物になったんだよ。……それ故にアルは、上の者がいるということの向上心を、長い年月の中で忘れてしまったんだよ』
白夜が、アルの座っていた椅子の正面にあるテーブルの上に鎮座しながら、そう言う。
『ふむ、裏の主が出てくれば兄者殿達をも越える戦士となった。主も、いつでも世界を滅ぼせるほどの力を持っておきながら、力を持て余しておる。そのお陰で感じておる主の孤独は、今は消えはせんだろうの』
「孤独……? アルが?」
『あんた、気づかなかったのかい? アルがルートスやミーシャを連れてきたのは、あんたが世界に出て、自分みたいに寂しさや孤独を感じることがないようにするためにしたからなんだよ? アルは信じてるのさ。あんたが……いや、ルートスやミーシャも含めて、あんたたちが世界のレベルに届くってことをさ』
白夜の言葉に、三人は固まる。
ルートスとミーシャはアルのその気遣いには気づいていたので、反応は小さかった。
だが、アランは違った。
もともとアルの孤独を知らなかったからこそ、彼の気遣いに気づけなかった。世界で有名になった少年は、他の人達とは違う領域に行ってしまったことで、自分だけ違う次元にいるような気がするのだ。
それ故に感じる、孤独。
それに、気づけなかった。
『……あんた、馬鹿じゃないのかい?』
「え?」
いきなり言われた言葉に、アランは呆然と聞き返した。
『あんたね、アルがどんな気持ちでここまで連れてきたと思ってんだい? 贔屓なんかじゃないんだよ。自分たちの力でここまで来たいとか言ってたわりには、世界一にならなくてもいいだって? ああそうさ、確かに世界一には別にならなくてもいいさ。けどね、今のあんたが言っていい言葉じゃないよ。それを言うなら、アルにあんたの戦闘力を認められたらにしな。それが世界を目指す者の、目的ってもんだろうが』
白夜の意外な一面……説教に、三人が呆然とする。
そして、しばらくしてようやく我に返ったのは、白夜に説教されていた対象の……アラン。
「……ごめん。俺、考え方が間違ってた、んだな。アルが何となく物寂しそうにしてたのは……そういうことだった、のか……」
アランは拳を握った。
自分は世界で有名になると、"白の魔術師"に追いつくくらいの実力を手にすると、決めたではないか。
それが、アルが"白の魔術師"だと知った瞬間から、甘えていた。それが、悪かったのだと。
「俺、謝らなきゃ。アルのこと、やっぱり俺は全然わかってなかったんだ。ありがとう白夜。あと……極夜も、ごめん」
『謝るのは私達に、じゃないよ』
『我と白夜の奴を一緒にするでないわ』
『うっさいね! だいたい、今はそこじゃないだろうに!』
始まった白夜と極夜の口喧嘩に、三人は笑みを浮かべる。
「二人は……いや、二匹か? ともあれ、仲が良いな」
「ふふ。何だか和むよね」
『お主らは黙っておれ!』
「……そう、だな。二匹とも、ありがとう」
アランはしみじみと呟き、そんな声を聞きながら、彼らは白夜と極夜の言い争いを眺めるのだった。
*
「アルスレンド様」
「ああ、ありがとう、ウォル。大丈夫だ、大丈夫……」
街の中を歩きながら、ウォルがアルを心配する様子で話しかけるが、どう見ても大丈夫ではなかった。
肩に載っている水狼はアルの魔力で生み出された存在なので、そこらのことは魔力の繋がりの問題で主に何が起こっているのか理解している。
ウォルが視線を向ければ、彼は目を細めてうなずいている。
「アルスレンド様、今すぐ戻って、お休みになってください」
「……戻ったら休むから」
「お買い物なら私が行きます。アルスレンド様はお身体の調子が……」
「それ以上言うな、ウォル」
瞬間、二人の歩みがピタリと止まる。
アルの腰から抜かれた真っ黒な剣身を持つ剣が、ウォルの首筋に突きつけられたからだ。だがウォルも、アルが自分を攻撃することはないと理解しているため特に緊張感もないままじっと黙る。
「…………」
「…………」
互いに黙ったまま、数秒。当然そんなことをしていれば目立つのは当然で、街の住民が警備員を呼ぶかもしれない。そんなふうにウォルが感じた、その時。
「アルスレンド様」
「…………」
一言、主人の名を呼ぶウォル。
彼の背後からは警備員が人混みを掻き分けてきている。どうやら偶然近くにいたらしく、騒ぎを聞きつけて来てしまったらしい。
アルは静かに剣を降ろす。そしてため息を吐くと、その剣――相棒の黒刃を鞘に仕舞う。
ウォルはそんな主人に軽く頭を下げると、背後の警備員を振り返る。
「何の騒ぎだ。怪我は?」
「いえ、お騒がせして申し訳ございません。私が主人に無礼を働いたのが原因ですので、お気になさらないでください」
「は、は……? まったく、紛らわしいな。気をつけてくれ」
警備員は、刃を突きつけられていたのがウォルだったというのを見ていたので、その本人がそう言うのであればと周囲に集まっている民衆を解散させる。
「……アルスレンド様、失礼いたしました」
「いや、気にするな。俺こそ悪い」
「……はっ」
これ以上言い返せば彼に対しては返って失礼だと理解しているウォルは、主に軽く返事をしながら頭を下げるだけで済ませる。
「……っ」
「っ! アルスレンド様!」
突如アルの体がぐらりと揺れ、ウォルが咄嗟に主の体を支える。
「……ああ、ありがとう」
「……やはり、お休みになっては……?」
心の底から心配するように声をかけるウォル。
だが、多少息を切らしているアルは、やがてその体の全体重をウォルに預けてしまった。
「あ……アルスレンド様!!」




