③猿
「なぁ義兄弟」
道中、犬が俺のほうを見上げて言う。
「……ん、もしかして俺のこと言ってんのか?」
「他に誰がいるってんだよ。それよりまさか、たった二匹で鬼ヶ島に殴り込もうってんじゃねぇよな?」
「俺一人でもやるつもりだったさ」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ……ったく」
ため息を吐く犬を、俺は「なんだよ」と小突く。
犬は立ち止まると、来た道を振り返って言う。
「気に入らねぇが、腕の立つ奴がいる。知り合いってほどの仲でもないけどな、まぁ腐れ縁ってやつだ。少し道を戻ることになるけどいいか?」
「お前がそこまで言うなら、別に構わねぇけどよ」
「決まりだな」
犬は再び、街道を逸れて林の中へと入っていく。「そこにいるのか?」と聞くが、犬の返事は「すぐにでも向こうから見つけてくれるさ」というものだった。
草を掻き分けてしばらく歩くと、ふと俺は気配を感じる。
視線は木々の上から。それも一つや二つではない。気付いたときには完全に囲まれているようだった。
「ここはもう奴らの縄張りだ。俺も先日、獲物を追ってこいつらの縄張りに入っちまってな。あの手傷はそん時のもんだ」
「そうだったのか……」
「っと。悠長に構えている場合じゃねぇ。来るぞ」
気配が動く。
木の上から一斉に飛び降りてきたのは猿だった。
小さな身体の割りに眼光は鋭く、それらが全て、爪を剥いて四方から同時に襲い掛かってきたのだ。
俺は咄嗟に刀に手を掛けたが、
「待てや、テメェら!」
ドスの効いた低い声。それが林の奥から聞こえた。
猿達は攻撃を止めると、その場で林の奥から現れた、一際大きな猿に頭を下げた。
「たかが二匹を大勢で囲んで、何してんねや。テメェら阿呆か、あぁ? そんなモン、義親父の顔に泥を塗るだけなんとちゃうんか!」
「「スンマセン、若頭っ!」」
どうやら大猿は、ここの猿達の群れのナンバーツーのようだ。大猿は猿達を叱りつけたあと、こちらに向き直る。
「おい犬。ジブン、何またウチらの縄張りに入ってきてんねや? この前のでまだ懲りんのか? ワシだけやって、ジブン一匹ぐらいやったら、伸してやることもできんねんぞ?」
「馬鹿言え、タイマンで俺がてめぇに遅れを取るわけねぇだろうが」
「あぁ? 喧嘩売りに来とんのやったら、ホンマに買うたるで? そもここはウチらの縄張りや。尻尾巻いて走っても逃がさへんから、言葉はきちんと選びぃや?」
「……そうだな。それにこの前の件は悪かったのは俺のほうだ。それについては今さら怒っちゃいねぇよ。こんなことを言えた義理じゃねぇって分かってはいるが、今日はお前に頼みがあってきたんだ」
それから犬は、大猿に深々と頭を下げる。
もしかして犬の言っていた『腕の立つ奴』とは、この大猿のことなのだろうか。
犬のその態度に、戸惑ったのは大猿の方だった。
「なんや、ジブンがワシに頼み事? 何やねん、気持ち悪いなぁ。頭上げぇや。おどれのそんなん見ても何の足しにもならんわ」
「首を縦に振ってくれるまで、ここから去らねぇし頭も上げねぇ!」
「……そこの人間と何ぞ関係でもあるんか? とりあえず聞くだけ聞いてやっから、話してみいや」
犬が説明しようとして、しかし俺はそれを止める。
「犬、ありがとうな。だがここからは俺から話すのが筋ってもんだ。大猿、俺たちは鬼ヶ島に向かってるんだ」
「鬼ヶ島ぁ? あんなとこ、鬼が住んどるだけの、ただのでっかい岩コロやんけ。美味いモンも面白いモンも、一切あらへんで?」
「物見遊山で行くんじゃねぇ。俺たちはそこにいる鬼を退治しに行くんだ」
それから俺は、鬼ヶ島の鬼退治に向かっていることを説明する。道中で犬と同行することになり、大猿を紹介してもらった経緯を伝える。
「人間。おどれ、アホなんとちゃうか?」
俺の話を聞いた猿は、半ば呆れたように言った。
「鬼ってのは人間と違うねん。人が勝てへんほど強いから『鬼』って言うんや。鬼の大勢いる場所に一人で飛び込むなんざ、無謀としか言えへんやろ?」
「俺はやる。村の人たちは俺の恩人だ。今年また鬼が来るって分かってて、何もせずにいれるわけねぇだろ」
常識で考えれば無謀なのは百も承知だ。
けれどその上で、俺は鬼と戦うと決めたのだ。
俺のちっぽけな命なんかで、それよりもよっぽど大切なものを守ろうというのだ。
だから俺は、土の上に膝を着くと、大猿に向かって頭を下げた。
「頼む、力を貸して欲しい」
「安い頭やな、この恥知らずが。ジブン、ワシのこと何も知らんと、ようそんなことできたもんやな」
「それなら知っている」
俺は大猿を睨み返して言う。
「お前は少なくとも、この犬が頭を下げるに値するほどの奴だ。何より、義兄弟が俺のために頭を下げてんだ。それを蔑ろにできるわけねぇ。男としてそいつはしちゃぁいけねぇ。そうだろ?」
「………………」
口元に指を沿え、大猿は考え込む。
そのときだった。
「若頭ぁ! テメェ、何を迷っとんじゃオドレはっ!」
「義親父っ!」
声と共に茂みから現れたのは、この猿達のボスのようだった。
ボス猿は大猿の頬を殴り飛ばすと、言い放つ。
「若頭っ。何がテメェの進む道だかぐらい、迷わず示さんかいっ! 格好悪いことしとったら百遍シバくぞゴルァ!」
「すいやせん、義親父っ! ワシぁこの組一筋で……」
しかしそこまで言ったところで、大猿の言葉が途切れる。
ボス猿がその大きな手で、大猿の頭を撫でたのだ。
「ああ、それがこの組の筋や。けどな、おどれを頼ってきた者を無下にせんのも男の仁義っちゅうもんや。この人間のことが気に入ったんやったら、組のことは大丈夫や。行って来たらええ。最後はおどれの心に聞きぃや」
「義親父っ、ありがとうございます!」
大猿はボス猿に頭を下げると、それからこちらに向き直った。
地面に膝を下ろして俺と同じ高さまで目の位置を下げ、そして大猿は言う。
「先刻は失礼を申した。太郎殿、ワシにもその腰の黍団子、お気持ちの分だけ、分けていただきとうございます」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
ひとつの黍団子を半分に割り、俺と大猿はそれを口に運ぶ。
こうして猿は、俺の義兄弟になった。