①桃太郎
俺は赤ん坊の頃。まだ物心もつかないときに、爺さんと婆さんに拾われた。
二人は俺を拾ったときの話を、今でも時折、本当に嬉しそうに話してくれる。
『私達の子になってくれてありがとう』と言ってくれた。
こんな俺なんかを、『神様がくださった子供』とまで言ったときもあった。
だけど違ぇんだ。
貧しい暮らしの中で、俺をここまで育ててくれた。
俺の方こそ、言葉で言い尽くせねぇくらい、本当に感謝してるんだ。
この村から見て辰巳の方角に、小高い山がある。
斜面が急で木々もうっそうと生い茂り、頂上に辿り着くのが難しいと噂の山だ。
奇跡的に頂上に辿り着けた者も、二度目を訪れることはできないと言われている。
山頂には桃の木がたくさん生えていて、この世とは思えないほどに綺麗な景色が広がっているのだそうだ。現在は神聖な場所とされていて、山の五合目より上に踏み込むことは村の掟で禁じられている。
爺さんと婆さんは、その村で小さな田んぼと畑を持っていて、そこで採れた米と野菜で生活をしている。
爺さんは三日に一度、山に入って薪にするための木々や枝を刈りに行っている。婆さんが俺を拾った日もそうだった。
山の頂上から流れてくる川が村の端を通っていて、婆さんがそこで洗濯をしているときだった。川の流れに乗って、どんぶらこ、どんぶらこと、薄紅色のとても大きな果実が流れてきたそうだ。
一緒に洗濯をしていた村の仲間と協力して、婆さんは子供ぐらいの重さのある大きな果実を川岸まで引き上げた。
最初は村のみんなで分けようと婆さんは言った。
しかし一緒に洗濯をしていた仲間は、『鬼に全部もってかれちゃったんでしょ? あたいらは隠してたぶんがまだ少しあるからさ』『婆ちゃんが最初に見つけたんだから、婆ちゃんのモンだ。爺ちゃんと一緒に食べな』と言い、家に運ぶのを手伝ってくれたという。
婆さんが家に着いた少しあとに爺さんも家に戻り、その果実を見て、その大きさに大層驚いたそうだ。
ましてやその果実の中から種の代わりに赤子が入っていたのだから、二人して腰を抜かしてしまったと、爺さんも婆さんも笑ってそう教えてくれた。
その赤子が俺なのだそうだ。
爺さんと婆さんに子供はいない。だから生まれてきた果実の名前の下に、長男を表す『太郎』を付けて俺を呼んだ。
本当の子供のように俺のことを可愛がってくれたんだ。
この村には七年に一度、鬼がやってきては、その年の作物を奪っていく。
俺が拾われた年もそうだった。一年かけて作った米も野菜も全て持っていかれ、木の実や魚を食べて飢えを凌いだ。自分達が苦しい中でも、俺を捨てないでいてくれたんだ。
そして七年後。俺が八歳のとき。
再び鬼は現れた。
背丈は七尺ほどもあり、肌は赤く、獣の皮で作った服を纏っている。額には一対の角があり、がっちりとした体格をしていて、声は人の倍以上大きかった。
初めて鬼を見たとき、俺は何もできなかった。爺さんと婆さんが庇ってくれる後ろで、恐怖で一歩も動けずにいたのを覚えている。
一年間苦労して育ててきた作物が、目の前で持ち去られていく。それでも村人の誰一人、それを拒むことも抵抗することもできなかった。
このとき俺は決めたんだ。次に鬼が来る年までに、鬼に勝てるぐらい強くなろうと。
更に七年後。俺は十五歳になった。
喧嘩は村で一番強くなった。隣の村の奴らとだって、負け知らずだ。
「太郎、少し休憩にしようか」
「そうだな、爺さん」
俺達は畑仕事をしていた手を休め、芝生の上に腰を下ろす。
「ってかさ、爺さん。もう歳なんだからさ、畑仕事ぐらい俺一人でできるって。もうちょっとゆっくりしててもいいんだけど?」
「太郎も本当に立派になったことだしの、それでもいいのかもしれん。だがな、わしはお前と一緒に畑で草を毟っている時間が、楽しくて堪らないんじゃよ。それとも太郎はワシのことが嫌いか?」
「爺さん、その聞き方は卑怯だって……」
「はっはっはっ。ワシゃこの歳になって、お前のおかげでますます長生きしたくなったんじゃ。そのためには毎日身体を動かさんとな」
そう言って爺さんは心地良さそうに笑った。
俺もつられて笑った。本当に温かくて、居心地がいい。爺さんも、婆さんも、この家も、この村の人も、本当に優しさが溢れていた。
町や市場にも何度か行ったことはあるが、そこにはないものが、この村にはある気がした。
「だからのう、太郎と育てたこいつらが、また鬼共に持っていかれると思うと、やはりワシは寂しいのう。それだけはどうにも悔しくてならん。仕方の無いことではあるがの」
「爺さん、そのことなんだけどよ」
俺は丑寅の方の空を眺めて言う。
「俺さ、鬼ヶ島に行って、鬼を退治してこようと思うんだ」
風が吹いた。木々がざわめき、稲穂が、畑の緑が、その身を輝かせて揺れる。
再び音が止んだとき、爺さんはぽつりと「そうか……」と言った。
「爺さん、驚かねぇのな」
「そんな気がしとったからな。いつかはそう言い出す気がしとった」
「そっか。さすが爺さんだな」
鬼ヶ島に住む鬼は、島の近くにある七つの村のうちひとつから、毎年作物を奪っていく。
今年は凌しのげるかもしれない。
けれど理屈じゃないのだ。
俺と爺さんで作った作物を、婆さんが料理してくれる。囲炉裏を囲んでそれを食べる。それを幸せだと本気で思っているし、それを奪っていくのは許せない。
ましてや七つの村のどこかで毎年それが起こっているとなると、俺にはもう我慢ならなかった。
「いつ行くんじゃ?」
「来月の頭には行こうと思う」
「そうか。本当に強くて優しい子に育ったのう。ワシら夫婦の自慢の子じゃ」
俺よりも背丈の小さな爺さんは、手を伸ばして俺の頭を撫でてくれた。
爺さんが呼びかけてくれて、俺が鬼ヶ島へ行く話は数日後には村中に広まっていた。
「ほれ、これを持って行け」
三軒となりのおじちゃんが、刀を俺にくれた。
おじちゃんは元は落ち武者だったらしい。この村に流れ着いたあとも、もう使うことの無いはずの刀を大切にしてきたのだろう。詳しいことを知らない俺でも、しっかりと手入れされているのが分かった。
「ほら、こいつを持っていってくれ」
向かいの家のおばちゃんが、立派な羽織を俺にくれた。
大事にとっておいた着物を仕立て直して作ってくれたらしい。一度手放したらもう二度と手に入らないだろうというぐらい、綺麗な布地だった。いままで売らずに持っていたのだから、よほど大切なものだったのだろう。
「太郎。村のみんなが分けてくれてね。持ってお行き」
婆さんから渡されたのは、ひとつの袋。その中には黍団子が入っていた。
黍なんて、市場に売りに行けば金になるはずだ。鬼が来る年に、僅かばかり隠しておくものは、どの家も決まって黍だった。それを俺のために分けてくれたのだ。
村のみんなが応援してくれている。
そう思っただけで、力が湧いてくるような気がした。
「行ってきます」
村の人たちに見送られて、俺は鬼ヶ島へ向かって歩きだした。
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