領主よ、わたしにしばかせろ
思い出したくもないが、私の人生はろくでもないものだった。
そりゃあ、世の中にはもっと辛い思いをしているひともいる。幼くして亡くなる子供や、不条理な暴力で命を散らす多くのひとたち。
しかしそれはそれとして、私ももうすこしマシな人生を送るべきだった。
自分で言うのもなんだが、とても男運が悪かった。
だいたいクズだったりヒモだったり、借金があったり別に女がいたり。
わかってますよ! そんな男にひっかかるな、ってー話ですよ!
知ってますよ! 私みたいにダメな男にばっか引き寄せられる女をなんていうかを!
そして企業のOLだった私は事故に巻き込まれ、二十代のみそらで人生を終えたのだった。
ああ、残してきた今カレ、私無しで生きていけるだろうか。冷蔵庫にお総菜が入っているから2、3日は食べつなげると思うけれど。私の生命保険の受取人は今、誰だっけ?
そうじゃない!!!!
もうダメ男に振り回されてきた人生とはおさらばよ。
生まれ変わるならもっとマシな男と巡り会いたい。いいや、どうせなら贅沢にイイ男をたくさんハベらしたい。知ってる、そういうの逆ハーレムって言うんでしょ。前の前のカレシが引きこもりのオタクだったから妙な知識がつきました。
あ、逆ハーレムといっても女王蟻はちょっとご遠慮いたします。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
新しい世界よ初めまして。こんにちは、生まれ変わった私です。
酸素をたっぷり吸って産声をあげるって結構爽快ですね。世界全てが私を祝福してくれてる気分です。
一日の殆どを寝て過ごし、お腹がすいたら鳴き声あげて、万能食の母乳をもらいます。ほらほらほら、もっとあやさないと泣くぞ! なーくーぞー!
…………はっ。
いけない、赤子生活を満喫していた。
でもホント、クセになる生活なんだもの。やばい、ヒモ男の気持ちが今すごくわかった。そして私を見て幸せそうな母の気持ちもわかる。だって自分がいないとこのひと生きていけないんだもん。笑ってくれるだけで嬉しいんだもん。
それより、何故私は赤子なのに生まれる前の人生を覚えているのだろう。頭だってしっかりしているし、記憶は死んだ直前まで残っている。
まあ多分、幼い子っておかあさんのお腹の中の頃の記憶があったり、生まれる前に何をしていたとか言い出したりするじゃない。それと同じようなものだと思うから、5歳くらいになったら全部忘れるよね。
だいたいちょっと頭いい子供は、ハタチ過ぎたらただの人だもの。
ただひとつ、大きくなるまで覚えておかないといけないことがある。
ダメ男にはひっかかるな、私!!!!!!
何を忘れようとこれだけは絶対だ、誓いだ、命を賭けろ。真面目で品行方正で私を養ってくれる優しい男を見つけるんだ、ヒモもクズも浮気者にも関わるな。出来ることなら逆ハーレムだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私の生きる世界は、電気も車も飛行機もなかった。
町なんて昔のヨーロッパみたいで、身の回りのモノもまるでアンティーク。
過去に生まれ変わることなんてあるのかと思ったけれど、国の名前も聞いたことなんてないし、何より魔法が存在するとかファンタジー映画みたいだ。
水道やガスコンロがないから水を汲むのも鍋に火をかけるのも大変だけど、そういうものだと納得すればなんとかなるもの。
それに今時の女子として、ロハスとかオーガニックとか興味があるのです。でも手の荒れる石鹸はちょっとノーサンキュー。
新しい名前はレナータ、赤毛だけどアン・シャーリーじゃないから緑色に染めたりはしない。
元気にすくすくと育った私だけど、何故か記憶はそのままだった。
ちょっと誓いを魂に刻み込み過ぎたのだろうか。それとも今度こそ幸せな人生をおくるようにと、神様からの贈り物だろうか。わかった、私がんばる。
物心ついた頃から、私には母親しかいなかった。
どうやら裕福な家庭に育ったらしい母なのに、どうして長屋住まいで繕い物や定食屋の給仕で日々お金を稼いでいるのだろう。
片親で頑張っている優しい母を助けてあげたい──そう思って私も小さい頃から手伝いをしたり、わがままを言わないようにしてきた。
贅沢なんて出来ない慎ましい生活だけど、こんな人生も悪くないかな、と思ってた。
しかし、気付いたのは4歳くらいのこと。
多分、私に気付かれないよう、今まではこっそりしてたんだろう。
二人で住んでる長屋に、一人の男がやってきた。
「おいエルマ、金の用意が遅いじゃねえか」
最初は借金取りだと思った、しかしなんか雰囲気が違う。
「あ、あなた……ここにこないで、店で渡すって言ったじゃない……」
「お前が早くこないのが悪いんだろ、ほら、早くよこせ」
お母さんは慌てて小銭をかき集めて、男に渡す。男は母を一瞥もせず小銭の入った財布をじゃらじゃらさせて去っていった。
私はぷるぷると震え(子供なので本能的にしかたがない)柱の影に隠れていた。母は青ざめた顔で、それでいて私を心配させないように笑顔で言った。
「なんでもないのよ、レナータ」
へー、私の髪の色って父親似だったんですね。ちょっと変わった赤毛だと思ってたけど。
お、おかあさん、お前もか!!!
どこからどう見てもダメ夫じゃないですか! なんでお金貢いでるんですか! ダメな男に引っかかって身を持ち崩したお嬢さんの見本じゃないですかお母さん!!!
知ってるよ、この家族や友人に言われても届かない目。自分でいうのもなんだけど、境遇にも酔っちゃってるんだよね。あの男にたまーに優しくされると嬉しくてたまらないんだよね。わかるわー。
わかるわー、じゃねーですわ!
一度すごく痛い目にあうか、こっぴどく捨てられでもしないと父親と縁は切れない。今何を言ったって無駄だし、こんな小さな身体じゃ何もできない。
だから私はひとりでなんでも出来るようになろう。お母さんが少しでも楽になるように。
勉強だってたくさんして、大きくなって、自分を磨いて、お金もたくさん稼げるようになるんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
花も恥じらう16歳、レナータは可憐な少女に育ちました。
……ほんとだし。街の男の子たちは私のこと気にしてるし、髪だって綺麗に伸ばしてるし、笑顔だってお母さんはかわいいって言ってくれるもん。
町の貸本屋に通って勉強もがんばった。掃除や料理の腕も自信があるし、薬草屋で働いて賃金も貰ってる。
私の稼ぎは全部生活費に回せるから、お母さんが父親に貢いでも、そこそこ苦しくない生活が送れてる。
大丈夫、いろいろ順調だ。
それに、ちょっといいこともある。
「レナータ! 今度の休みはどこにいこうか?」
薬草屋の休憩時間、私より少し年上の青年がカウンターへ訪れた。
彼の名前はディエゴ。そう、実はちょっと前からお付き合いをはじめた男性なのです!
「んー……あなたと一緒ならどこでも楽しいよ。でも、そうね、新しく出来た雑貨屋さんを見にいきたいな」
「ははっ、そうか。じゃあそうしよう」
まるで中学生のようなお付き合いだけど、この平和な感じが大変よろしい。
爽やかな彼は町長の息子でもあり、打算が混じって申し訳ないけど、将来は安定していそうでそれもよろしい。
だって私が町長夫人になれば、少し強引にお母さんから父親を引きはがすことも出来るかもしれない。
いや、ディエゴのこともちゃんと好きだから! まだつきあい始めたばっかりだけど、私のこと大事にしてくれてるし!
・
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・
「はい、3000ルッソ! 3000ルッソだよ、もう終わりか?」
「3200ルッソ!」
「はいはい3200ルッソいったよ、あとは? あとは?」
奴隷市場の活気ってすごいですね。誰もかれも目がギラギラしています。逆に売られている商品の目は死んだ魚の目をしていますね。
そして私も死んだ魚の目だ。
頭にベチ、っと落札価格を張られた。そうか、私は3200ルッソか。若いし健康そうだし、結構高値がついたね、やったあ!
やったあ、じゃねーですわ!
嬉しくもなんともないわ! 私の価値は私が決める! とかそういう問題でもないわ!
簡単に言えばディエゴは裏で結構遊んでおり、博打にはまっていた。借金はかなり嵩み、親の尻ぬぐいにも限界がきていた。
そして理由はわからないが困っている様子の彼に、つい私は。
「何か困ってることがあったら言って。私に出来ることなら何でもするよ」
そのまま騙されて、あっという間に離れた街で奴隷として売られることに。そうだね、博打男もだめだね!!
あまりの状況に私は泣くことも出来ずにいた。なんでこんなことになるんだろう。
お母さん心配してるかな。あの男にお金を渡し過ぎないといいな。風邪をひきやすいから気をつけてほしいな。そういえば穴の空いた鍋、金物屋に修理に出さないといけなかったな。
馬車はゴトゴト、私はドナドナ。
大人しいから縛られることもなかったけど、商品の見張りで厳つい男達が目を光らせてるから逃げ出すことも出来ない。
私を買ったのは旅の奴隷商のようだった。
大きな街で奴隷を買って、旅をしながら売り歩くような感じ。
大事な商品だから売るまではそこそこ大事にするみたいで、食事もちゃんと貰える。でも黒パン、干し野菜、燻製肉はちょっと飽きたな。
大きな街道を進んで、新しい街に入る。
結構な規模の街だけど、ちょっと貧富の差が激しそうな気がする。崩れた建物が多い地域だったり、綺麗な建物が並んでいる通りがあったり。
物乞いも多くて、飢えてる子供を見るのはちょっと辛い。
このあたりの統治に対して、ちょっと不安を覚えるレベルだ。
馬車が向かったのは街の中心にある、とても大きな館だった。
黒い垂れ幕が屋根の上からぶら下がっている。あれは何だったか、確か喪に服しているしるしだった気がする。
奴隷商の挨拶から、どうやらこれは領主の館らしい。
え、こんな怪しい商人通すの? でもって奴隷なんか買うの?
私は奴隷商に連れられ、大きな部屋へと通された。
部屋にはハタチをちょっと過ぎたくらいの、紺色の髪の青年が高そうな椅子に座っていた。顔は整ってるけどなんだか偉そうな感じだ。まわりには多分護衛みたいな男達。
売られるために、清潔な白いワンピースみたいな服に着替えさせられた私は、愛想笑いをする余裕もない。じろじろ見られてるが、穴があくのでやめてください。
「ソレが新しい商品か」
「ええ、若くて健康で、容姿も悪くない掘り出し物ですぜ」
おお、ほんと私って売れ筋商品なのか。ぜんぜん嬉しくないけどな!
奴隷なんて使い道はピンキリで、最底辺の消耗品から愛玩目的まで様々だ。私は一体どうなるんだろう、と想像すると足が震えてくる。お母さんのお腹に還りたいよう。
「では領主様、これからもどうぞよしなに」
「ふん……まあ、品物次第だな」
心の中で泣いて喚いて、地団駄踏んで、現実逃避に床のタイルの枚数を数えてる間、奴隷商と若い男が値段のやりとりだの契約書だのを取り交わした。
奴隷商は私を引き渡すとさっさと館を去っていく。
「ま、とりあえず『庭』に放り込んでおけ」
若い男はどうやらこの街の領主らしい。へー、よいご身分ですね。庭ってなんですか、私の仕事は草むしりですか。
小間使いらしい男性に連れられていったのは館の奥で、もうひとつ建物があった。話によるとそれが『庭』と呼ばれているらしい。
その建物には何人もの女のひとがいた。
綺麗だったり若かったり、身分が高そうだったり、金髪だったりブルネットだったり、色白だったり褐色だったり、よりどりみどりですね!
ここは領主が囲っている女達が住む館なんだろう。
いいですね、ハーレムですねー。
いや、いやいやいや!!!
確かに私は逆ハーレムを夢見てた。
ハーレムを自ら作るのではなく、ハーレムの一員になる。
ああ確かにハーレムの逆ですね、…………ってちっがうわ!!!
ちゃう、そんなんちゃう! 私が求めてたのはこんなん違う! クーリングオフさせてもらう! お母さんに会いたいよう。えーん。
……いかん、幼児退行してしまった。
休む為の部屋を割り当てられたが、なんの荷物もないので片付ける用もない。閑散としたここが私の住処か。お母さんと住んでいた長屋よりも大きい部屋だけど、ただ寂しさしかない。
私みたいに売られてきたひともいるのか、逃げられないように出入り口には見張りが立っている。外も定期的に巡回しているらしい。
とにかく私は右も左もわからないので、こういうときは先人の知恵を借りよう。
女たちの為の部屋の他には、大きな広間があった。
そこで女同士でおしゃべりしてたり、お茶を飲んだり、編み物をしたりするらしい。なんだ結構優雅じゃないの。
みたところ、この中で私が一番身分が低い。ただの町娘だからね。
ぐるりと広間を見回して、おしゃべりをしている人たちでなく、話しかけるなオーラを出しているひとでなく、ブツブツなにかを呟いているひとでもなく。ていうかあのひとこわい。
外見は大人しそうで、年齢も私より少し上な感じで、ひとり編み物をしている彼女、きみだ!
あたりを見学しているふうを装って、さりげなく彼女の方へ歩いてゆく。ふんふんふーん♪ 鼻歌はオプションです。
一生懸命編み物してるけど、ぶっちゃけ下手だな。でも頑張っている女の子は可愛いものよ。それはともかく、さりげなく声をかけてみる。
「あの、こんにちは」
「あっ……? は、はい! なにか……っ」
ちょっと驚かせてしまっただろうか。ごめんなさい、小動物みたいな彼女。あと私は不審者じゃないのよ、という思いを込めてにっこり笑う。
「はじめまして、私レナータといいます。今日、いえ、ついさっきここに連れてこられたんです」
「はっ、はい、私はルチアと申します……っ。まあ、ではわからないことも多いでしょう?」
「ええ……すごく心細くて、私、どうしたらって」
少しうつむいて、両の手を祈るように握りしめる。まあ嘘ではないし、先行き不安で困ってるし。
ルチアと名乗った少女は、見たまんま気弱で優しかった。泣かないでくださいまし、と言われたけど御免、泣いてない。
「わからないことがあったら何でも訊いて? 何かあればお力になりますわ」
ありがとう、本当にありがとう。でも貴女もなんだか悪い男にひっかかりそうなオーラがある、気をつけて。
傍の椅子を勧められて、とりあえず色々質問をした。
食事の時間とか、お風呂はいつ使っていいのかとか、ここにはどんな人がいるのか、とか。『庭』に出入りしている仕立て屋がいるので、服はその時に頼めばいいとか。
領主はふらりとやってきて、女達と遊んだり、部屋に連れ込んで籠もったり。お盛んだな、おい。
「黒旗のしるしを見たでしょう? 前の領主様が半年前に亡くなったのです。そして一人息子であるエドアルド様が後を継ぎました」
なるほど、ぼんぼんか。きっと一人息子ということで甘やかされていたんだろうね。でもハーレムつくるのはちょっとやりすぎじゃないかな。もっと違うところにお金をかけなさい。
ルチアからいろいろと話を聞けたので、丁寧にお礼を言って席を立つ。小動物な彼女は「またいつでも訊いてくださいましね」と仏のようなことを言ってくれた。どうか悪い男にひっかかりませんように。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局のところ、『庭』の女達は領主を楽しませるためにいるので、とくに仕事がある訳じゃない。
ただ私は身分が低いので、他の女性達から小間使い的なことも言いつけられる。シンデレラのように苛められる訳じゃないし、別に苦でもないのでやりますとも。
そしてルチアは身分が高い方なのに、私をお茶に誘ってくれる。天使じゃないのか、この娘。
ちなみに出入りの仕立て屋にはメイド服に似たワンピースを仕立ててもらった。これだと色々仕事がしやすいし、自分の身分もわかってるから色々わきまえられる。別にちょっと憧れてたとか、服かわいいよねーとか思ってないよ? ちょっとしか!
ここの生活にも馴染んできて、ようやくリズムがわかってきたな、って頃。
館の本館と『庭』をつなぐ通路、その扉が開いた。護衛が退くと、領主が広間に姿を現した。
その場にいる女性達が彼に向かってお辞儀をする。私もメイドっぽく礼をする。
中央にあるテーブルに向かい、彼に席につくと何人かの女性が傍によって話しかける。領主は面倒くさそうな様子だけど、嫌だったらここに来ないだろう。
私はお茶を淹れて運んだ。だってメイドですから。
談笑らしきものの邪魔をしないように、どうぞ、と心の中でだけ言ってテーブルへ置いた。
領主はカップを手に取り、口へと運ぶ。紅茶を喉へと流し込むと「ん?」という顔をする。
ふふふ、美味しいだろう。
お母さん、美味しいお茶を飲むと幸せそうに笑ってくれたんだよね。だから、美味しい淹れ方をうんと勉強したんだ。その上、この館にいる舌の肥えたお嬢様さん方相手により腕を磨きましたとも。
顔を上げ、こちらを見た領主にドヤ顔は控え、涼しい顔をしておく。エヘン、エヘン。
「誰だ……? ああ、この間買ったやつか」
ハーレム要員を買ったつもりがメイドになっているのだから、気付かなくても仕方ないですね。まあ私のことは気にせず、お話を続けてくださいな。
しばらくしてお茶を飲み終わった領主は、席を立ち上がった。あとは適当なお嬢様をつれてお部屋にゴーですね。どうぞいってらっしゃいませ。
「ふぉ!?」
思わず変な声が出てしまった。ちょっと可愛くなかったな、反省。
じゃないわ、なんで私の腕を掴むんですか! 間違えたんですか、この腕じゃないでしょ、ほら、あちらの髪をくるくる巻いた麗しいお嬢様なんていかがですか!
「りょ、領主様、わ、私は……」
「? さっさと来い」
腕を引かれて強引に廊下を歩かされる。痛い、ちょっと痛い! 歩幅が違うんだから少しゆっくり歩くのが筋ってもんでしょうに!
簡素な私の部屋ではなく、領主が泊まるもっと広くて豪華な部屋へと連れてこられた。ベッドもすごく大きいですね、でもまだ外は明るいので就寝するにはちょっと。
「おい、さっさと服を脱がせろよ」
お大尽か、お大尽なのか。まあぼんぼんだけど。ベッドの前で身動きせず、メイド服のエプロンを握りしめている私を領主はいぶかしげに見ていたが。
「なんだ、未通女か? 面倒だな……まあいい」
再び腕を捕まれると、ベッドにぽいっと投げ転がされた。ふかふかで最高の寝心地ですが、私は自分の部屋に帰らせていただきたい。
だけど私よりも大きな、しっかりとした成人男子の身体がのしかかってくると、部屋を出るどころかベッドからおりることも出来ない。
ああ、ちょっと顔がいいからって何をしても許されると思っているのか! ついでに領主だから権力もあって、お金もいっぱいありそうだし、やばい、これは陪審員も無罪と言うレベル。
「……で、ででで、でもやだ-!」
「痛ぇ!?」
思いっきりアゴにコブシを入れたら、さすがに領主はのけぞって私の上から退いた。
痛そうにアゴをさする彼は、一体何がおきたのか判らない顔をしていた。
「? ……何で拒否する」
あ、怒って殴り返したり、服を引きちぎってむりやり事に及ぼうとしない。ちょっと見直したよ、領主。
「お前に出来ることなんて伽くらいだろうが」
あ、ダメだ。
「な……なんだって出来るっての! 掃除だって洗濯だって料理だって、計算だって、帳簿つけるのだって! 男の一人や二人や三人養えるし、お母さんだってほとんど養ってたし、やってやれないことなんてないっつーの! 出来るのにしないひととは違うんだから!」
思いっきり、怒鳴ってしまった。
ああああ、基本的に温厚な私だけど、こういう女を馬鹿にしたこと言われると頭に血が上ってしまうんだ。
でも頑張ってきたんだよ、前の人生だって男関係を除けば仕事や身の回りのことだって手を抜かなかった。レナータになってからだって、やれることは全力でやったよ。
頑張りすぎて元カレに「お前は仕事の出来ない俺を馬鹿にしてんだろ」とか言われてどうせいっつーの、みたいなこともあった。
そりゃ、この領主様は私のことなんか何にもしらないけど。
頑張ってた私を、偉いねって頭を撫でてくれたお母さんに、あいたい。
「…………」
ぐす、と私は鼻をすすった。
うんと小さい時に転んで膝をすりむいて以来泣いたことのなかった私が、ちょっと泣いてしまった。奴隷として売られた時だって泣かなかったのに。
「興が冷めた」
領主がギシ、と音をたててベッドからおりる。
「名前は」
「へ。……レナータ、です」
そして振り向かず、そのまま扉から出ていった。ベッドに取り残された私は、しばし呆然としていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
基本的には『庭』の住人は館内から出られない。
館に女を沢山囲ってるなんて、民に知られたら聞こえが悪いからだろうか。だったら最初からするなってー話ですが。
なのに、私は通路を通って領主が普段居る本館へと呼ばれた。
先日のことでやっぱり解雇ですか、いや奴隷なのだから処分ですか。二束三文で売り飛ばされるんですか、うわあ。
ちょっと我ながら顔色が悪かったと思う。メイド服のまま執務室らしい場所に連れてこられたが、領主は別に怒っているふうもなく、こちらを一瞥だけ。
「茶を淹れろ」
たったそれだけを言った。
こちらの館にはあまり人はいないようだった。小間使いの数も最低限だし、どちらかというと見張りなどの方が多い。『庭』が女の園としたら、こちらは男の園か。なんかやだなあ。
厨房の場所へと案内してくれたのは、普段から領主の傍に仕えている護衛だった。
「悪いねー、エド様も気まぐれでさあ。つかあの人、お茶の味にはうるさいのに気に入られたんならスゴいっすわ」
ほー、エド様なんて気軽に呼んでいいんだ。ちょっと軽い感じの青年はニクラスと名乗った。そのお腰の剣を扱うより、街で女の子をナンパしてる方が似合う感じだ。
まあおしゃべりならその分、訊きたいことを全部訊いておこう。さあ、あることないことキリキリ吐くがいい。出来れば領主の弱みとかそのへんを。
領主様のお茶係として、三食おやつ付きの仕事に転職した私。労働条件がものすごくホワイトなのだけど、いいのかしら。
あれ以来、領主あらためエド様は私に伽を要したりしない。むしろ私なんていないように顔を向けもしないんだけど、私は自動お茶淹れマシーンか。まあ似たようなものか。
しかし、執務室に出入りをするようになってから判ったんだけど、正直まさかと思ったんだけど。
領主、あんまり仕事してない。
書類の処理とかなんか雑だし、街の顔役とか地域責任者の話とか聞くのも適当だし、ふらりと『庭』に行ってしまったり。領主ってもっと仕事があるんじゃないの?
この街はこのあたりでも大きな、他の地域と地域をつなぐ交通の要のようなものだ。市場は活発だし、税収も多い。黙っていても人が集まるので恵まれてる。
でも、今の状態は色々なブロックを雑に積み重ねてるだけじゃないか。下の方で押しつぶされてるひとたちもいるし、危ういバランスな地域もある。上の方だっていつ落ちてくるかわからない。
「出来ること、たくさんあるのに」
思わずぽつりと言ってしまった。
机の横に控えていた私を、エド様は『なんでお茶淹れマシーンが喋るんだ?』みたいな顔してる。腹たつなあ。そして眉を顰めると私に問うてきた。
「何がだ」
「……街、困ってるひととか、貧しいひととか、いっぱいいるんでしょう。なんで出来ることしないんですか」
「言われたことはやってる」
「立派な館に住んでますよね、美味しいご飯食べてますよね、女のひと囲ってますよね! それは領主としての責任を果たすからこそ享受できるんです。手を抜いてただ生きているだけじゃ資格はないんですよ!」
おおおおう、また怒鳴ってしまった!
罵倒機能付きお茶淹れマシーンなんて、ちょっと購買層がコア過ぎる。クーリングオフ、またクーリングオフなのか。
雇い主に逆らって暴言を吐いたメイドなのに、部屋に護衛として付き添っていたニクラスは肩を奮わせて笑いをこらえている。軽い上に笑い上戸か、アンタ。
私のクビを簡単に飛ばせる雇い主は、まさかの暴言に目を丸くしていたが、目を細めて意地悪そうに笑った。
「ああ、お前は何だって出来るんだったな?」
むかーーー!
「男の一人や二人、三人も養えるんだったな?」
むかむかむかーーー!
「ええ、出来ます、よ!」
領主の真正面に立ち、腕を組んで言い放った。
笑い上戸の護衛が、そろそろ呼吸困難で死にそうだ。墓にはちゃんと「笑い死にした男」と刻んであげよう。
「へー、そーかそーか」
「領主の一人や二人や、三人! まとめて面倒みてやろうじゃないですか!」
薄笑いでこちらを見ているエド様は、世間知らずの小娘の戯言と思っているんだろう。
私、前世の名前は捨てたけど、秘書課勤務(秘書検定準1級所得)のOLだったのだ。
オーケイ、ダメ男。
あとで尻尾を巻いて逃げ出したってかまわなくてよ。
そしたら領主として成り代わって、私の逆ハーレムを作り上げてやるわ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
幾らなんでも私も天才ではないから、出来ることから少しずつやって、それを広げていく。
エド様から奪い取った文書や資料を読み込んで、まずは優先順位を決めることから始めた。
これあと、これ先、これもあと、これは最優先、これは……ええい、なんで夫婦喧嘩の仲裁が領主宛にやってくんの!
報告書はまとめて後でもっと簡潔に作り直してからエド様に伝える。わかりやすくグラフや統計表にしておこう。
これは全部メクラ判してもらえばいいや、そのかわり重要事項のある書類にはある程度要点を揃えたメモをつけておく。
そうそう、お母さんに手紙も出しておこう。わたしは元気だと伝えておかないと。
「エド様、この後は商業ギルドのチャイルズ様との会談です。申し立ての大体の内容はこちらにまとめてありますので5分ほどでご確認ください。あと、その1時間後には近隣の村の郷長と面会ですので。それと……」
立て板に水で今日のスケジュールを伝える。聞いてますか領主様。さすがにまだ私は領主じゃないので、重要な面会や書類の押印は出来ません。
「おい……詰め込みすぎじゃないか、一日中働いてる気がするぞ」
「仕事というのは一日中するものなんです」
それに詰め込むのはまだまだこれから。だってまだ、普通に朝ごはん食べて、昼ごはん食べて、おやつも食べて、夜ごはん食べて寝てるでしょ。
残業天国に生きてきた身には、スキップと鼻歌も余裕のスケジュールなんですが。
しかし確かに、エド様はちょっと朝に弱すぎたり、倦怠感が強かったり、頭痛持ちだったりする。
そういえば食事も偏食気味だし、そのあたりもきちんと管理してみようかな。
「……せめて茶を淹れてくれ」
「かしこまりました」
香りの良いお茶は心身共にリラックス出来るもの。お茶を飲んで、あとはたっぷり働いてくださいね?
資料を抱えて廊下を歩いていたらニクラスと出会った。彼は休憩時間が終わって戻るところだったようだ。
「お、ごっくろーさん!」
いつも楽しそうだなアンタは。このひと護衛だけど文章の読み書きはどうなんだろう。部屋に突っ立ってるだけなら仕事を手伝って貰ってもいいよね。
というより、この館、デスクワーク出来る人はいないの?
いろいろ疑問があったので、立ち話ついでに話を聞いてみることにした。
「領主の仕事の補助? あー……いたんだけどなあ、以前は」
「以前? どうして今は脳みそまで筋肉みたいな人しかいないんです?」
「メイドちゃんすげー辛辣だよね! まー話せば長くなるんだが……」
「簡潔にお願いします。三行くらいで」
「前領主補佐・ぎっくり腰・定年退職」
やれば出来るじゃないのよ笑い上戸。にしても恐ろしいくらいに人員不足なんだな。
前職からの引き継ぎなんて多分していないだろうから、一度ここに呼んでもらって話を聞いた方がいいかもしれない。読んでてちょっとわからない文書もあったし、少しの間でも嘱託として働いてもらえたらもっといい。
ちょっと考え事してたら、ニクラスの様子がちょっといつもと違う。言いにくそう、というのかな。頭を掻きながら、それでも何か言おうとしている。
「ホントは俺らがエド様にちゃんと言わないといけなかったんだよな。メイドちゃんが尻叩いてくれてすげー助かってる」
「まあ、それは確かにそうですけどね。エド様、仕事してみるとすごいアホとか能無しとかじゃあないし、勿体なかったですよ」
「ほんと言うよねメイドちゃん! まあ、エド様がああなったのは理由があんのよ」
「理由?」
珍しくニクラスが声を抑える。聞くべく、私も神妙な表情で続きを促した。
「ちっと、まあちっと? 悪い女にひっかかってなー……」
おっふ、とても俗っぽい理由ですな。
お金を貢がされたり、騙されたり、二股かけられたり、借金の保証人になったりしたのかー。俗っぽいけど、本人にとっては深刻だし、ショックなのはわかる。
「昔は素直でよい子だったのに、すっかりひねくれるわ、しばらく引きこもるわで大変だったわ」
話によると前領主である父親が亡くなるくらいまで引きこもっていて、ようやく部屋から出てきた時には人も辞めてたりで、館内はボロボロ。
女にはもうこりごりだったとしても、跡継ぎは必要なので訳ありの女性達を囲ったり。色々自棄でお金を使ったり、絵に描いたようなグレっぷりでしたね領主様。
「まーその、なんだな。これからも頼むわ、メイドちゃん」
いつもより真面目に言うニクラスに、私はしっかりと頷き返した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
厨房のコックにも声をかけてエド様の食生活も一新する。確かに忙しかったりで昼食を執務机で食べたりもするが、出来るだけメニューはバランスよく、野菜をしっかり、良質なタンパク質も摂りましょう。
どうやら彼は貧血の気もあったらしく(男性はなりにくい筈なのになあ)、爪がスプーン状になってたり、妙に堅いモノを食べたがったりしたので、レバーパテを食べさせたりした。
体調がだんだんよくなれば、気力も湧くし、仕事も効率があがるはず。
ただ仕事のことだけじゃない、彼が領主としてやっていく為には心もつよくならないといけない。
ぶっちゃけていうと、女に騙されたくらいで心が折れていたらやっていけないのだ。
ただのメイド兼秘書として、そこまで言うべきではないのかもしれない。
甘やかして、笑顔になって貰うのなんて簡単だ。全部やってあげて、どんな要望でも応えてあげればいい。
私は彼の面倒をみると言った。そして彼の下には街や領地のひとたちがいて、重い。
どんなことでも言わないといけないし、嫌われても仕方がない。
「悪い女に一人二人引っかかったくらいで、ヘコんでちゃダメです。そりゃ落ち込みたい時もあるだろうけど、いつかは立ち直らないといけないんです」
仕事の休憩時間、私はエド様にはっきり言った。
彼は「何でその話を知ってるんだ」という顔で私を見る。あなたの斜め後ろでそっぽを向いてる男ですよ。
「……じゃない……」
「はい?」
「一人二人じゃない、…………6人だ!」
多いな!!!
一体どんなスパンで女に騙され続けたんですか、というか前世の私にも負けないレベルですね!
あ、それはさすがにボロボロになるわ、グレてもいいわ、私が許す。
そうか、彼は私と同じく。
ダメな女に引き寄せられる男なのだろう。
ああ、なんという────類は友を呼ぶ。
「でも、ですね。もう、7人目は大丈夫ですよ」
「……は?」
エド様に間抜けな声を出されて我に返る。あれ、なんか今恥ずかしいこと言った?
「い、いえ、そういう意味じゃなくてですね、ほら、傍にいる女という意味で! ぶ、部下ですからちゃんと仕えますよ!?」
「お、おお……まあ、うん、よろしく頼む……」
少し赤くなられると、こっちも照れるじゃないですか。
ああ、でも悪い女に引っかかるダメな男と、ひどい男にばっか引っかかるダメな女、絶妙過ぎるバランスじゃあないか。
割れ鍋に綴じ蓋、そんなことわざが頭を過ぎる。
私も前世では色々あった。この世界に生まれてからも色々あった。これからも様々な出来事が起こるだろう。
でも、私はひとつの真理にたどり着いている。だから大丈夫。
その言葉を、エド様にも贈ろう。
「仕事は我々を絶対に裏切りません。さあ、仕事をしましょう」
私はエド様の手をとって、にっこりと笑った。
さしあたって、後ろで腹をかかえて大笑いしている護衛を解雇するところから始めましょうか?