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簿記の巻1

 野球部みたいな奴がトイレに走って出て行くと、僕は、後ろの席のやつに声をかけられた。

「ねぇ、君はどこ中?」

「僕は、南中だよ」

「へぇ、近所じゃん」

「そうだね」

 たわいもない会話だった。南中は、「南」とつくくらいなので、南商業とは目の鼻の先にある中学だった。僕に話しかけてきた男の子は「仙崎進」と言うらしい。

「どうして、君は商業高校を選んだの」

 やはり彼も気になっているらしかった。無理もない。担任の先生があのような話をしたのだから。聞き耳を立ててみると、まわりのみんなもそんな話をしながら盛り上がっていた。

「僕は、自分の学力で食堂がある学校がこの学校だったからだよ」

「え、本当に?そんな理由なの?確かに、県立の学校には食堂がある学校は偏差値の高い学校で2校ぐらいだったけどさ。市立の学校だと確かにうちか、隣町の北高くらいだったよね……」

 彼は、少々驚いているようだった。そりゃそうだ。自分の人生がかかっているかもしれない高校生活を食堂だけで決めるとは。全身を使った渾身のギャグに見えたのだろうか。

「中学の担任の先生は、なにも言わなかったの?」

「不思議そうな目と、驚いたような素振りをくれたよ」

「だよね。それが正しい」

 彼は、少し笑って頭を掻いた。

「それで、進くんはどうして商業高校に?」

「なんか、外国人が日本に来ている理由を聞いている番組のような質問の仕方だね」

「まったくだ」

 冗談は置いておいて、僕も実際のところ理由が気になっていた。

「僕は、親が会計士なんだ」

「かいけいし?」

 生まれてこのかた会計士という単語は聞いたことがなかった。税理士という職業があるのは知っていたけど、会計士という商業があることはしらなかった。

「正確にいうと、会計士登録をしている税理士なんだけどね。個人開業して小さな町の会社の税務業務をやっているんだ」

 彼の言っていることが僕にはちんぷんかんぷんだった。どうやら、商業高校の人たちは、親が商業高校出身で、専門用語を生まれた時からいっぱい聞いているらしい。

「あ、私のお母さんは税理士だよー」

 横から、女の子が割って入ってきた。

「自己紹介が遅れたね。あたし、橋本梓。よろしくね」

 黒髪で長く、身長は僕と同じくらい。クラスに一人くらいは居そうな清楚なんだけど、うるさい女の子のようだった。

「ねぇ、君たちは簿記って知ってる?」

「今、会計士と税理士について、進からレクチャーを受けてたんだけど」

「って、もう進かい」

「え、もう友達でしょ?」

「ん、まぁそうだね、いいよ。そういや、君は名前なんていうんだっけ」

「鈴木一朗。イチローでいいよ」

「野球得意なの?」

「全然」

「おーい」

 橋本さんが、僕らに無視されていることにしびれをきらしたのか、大きな声で僕らの注意を自分の方へ向けるようにさせた。

「な、なんでしょう」

 僕らは震えた声で彼女の方を見た。

「だ、か、ら!簿記って知ってる?」

「ボキ?骨でも折れたの?」

 当たり前だが、僕は全く知らなかった。進は知っていたようで、「知ってるよもちろん」と言った。

「鈴木君は知らないんだ」

 僕は、少々負けた気がして悔しかったが、「うん」と一種の敗北感とともに返事をした。

「先生の担当科目は、簿記だってね」

「らしいね」

「何級もってるのかな」

「2級くらいじゃない。高校の先生なんて、ほとんど2級の人が多いらしいってお父さんが言ってたけど」

 進がそういうと、橋本さんは「そうらしいねー」と明るく返事をしていた。

「橋本さんて、簿記検定とか持ってるの?」

「あたし?4級かな。進くんは?」

「僕は、持ってないよ。でも、高校卒業までに1級までとって、大学で会計士の勉強と在学合格したいからね。頑張るつもり」

「へぇーすごーい。私は、とりあえず1級めざして、良い会社に就職する予定です」

 橋本さんと進ので会話が弾んでいる。とてもとても微笑ましい感じであった。

「あ、あのさ……」

 僕は、その二人の関係に嫉妬と、その輪に入れない悔しさから二人に別の話題を振ろうとした瞬間、チャイムが鳴った。自分の力で話題を変えられなかったが、「チャイムナイス」と心の中でガッツポーズを決めたのだった。

 

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