五章 [1]
「泉蝶」
明るく高い声に、泉蝶ははっとして顔を上げた。しかし、目の前には誰もいない。
「こっち」
そう着物の裾を引っ張られて、彼女はやっと斜め後ろの低い位置にあるその顔に気が付いた。
真ん丸とした輪郭に、大きなよく動く目。十歳にも満たないような、あどけなさの残る少年だ。
彼の纏う袍には淡い紅に染められた最上級の絹が使われ、金銀を惜しみなく使って鳳凰が刺しゅうされている。しかも、その贅を凝らした衣服を着ることに何ら疑問を感じておらず、良く似合ってもいた。
彼の後ろには侍女が四人と教育係の老爺が一人、静かに控えている。
「翔様……。申し訳ありません、少しぼんやりしていたようです」
すぐさまひざを折って、自分よりはるかに背の低い彼よりも頭が低くなるようにこうべを垂れた。彼はこの国の第八皇子。泉蝶は慌てて最上級の礼を尽くした。
「だいじょうぶ? 疲れてる? 泉蝶の気、元気ないよ?」
桃源国第八皇子――翔はうつむいたままの泉蝶の頭にそっと両手を添えて尋ねた。彼女が深々と頭を下げていることに関しては何の疑問も感じておらず、それを当たり前のこととしてとらえているようだ。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。すぐに業務に戻りますので――」
「ううん。ちょっとおしゃべりに付き合ってほしいな。いいでしょ?」
「殿下、泉蝶殿のお仕事の邪魔をされては――」
背後に控える教育係が、小さく異を唱えるが、翔は「いーじゃん。僕は今日やらないといけない勉強を全部終わらせたし、泉蝶は僕たちを守るのが仕事でしょ? 一緒にいた方が守りやすいじゃん」と言い返している。
「ね? ね? 命令だよ? いいでしょ?」
そして、泉蝶の手を取って立ち上がらせ、期待に満ちた目で彼女を見た。帝とその周囲を守る泉蝶にとって、帝の息子で次の帝になる可能性を秘めている皇子の命令は重い。
「かしこまりました」
泉蝶はそう答えて頭を下げた。
「じゃあ、僕のお部屋が近いから、そこに行こう」
そう言って、翔が侍女を見れば、すぐさま四人いる侍女のうち二人が踵を返す。泉蝶をもてなすための準備を行うのだろう。




