一章 [2/21]
「これはこれは」
医者は意味をなさない言葉をつぶやきながら、少女の右腕に巻かれていた応急処置の手拭いを慎重にとった。
出てきた傷は、ほとんど血が止まっているものの深そうだ。しかも、刃物で斬った傷と比べると、切断面がきれいではない。抉り取られたような、引き裂かれたような――。
「獣の爪、ですかねぇ?」
「あなたがそう言うなら、そうなんでしょう」
泉蝶もそう考えていたが、医者の自信なさげな態度に少しいらだつ。
「しかし、桃源に人を襲うような獣はほとんどいないはずなんですけど……。廣の兵士に襲われたと考える方がまだ現実的なくらいです。もしくは、彼女自身が廣の兵士で、桃源を守護する使役獣に襲われたか」
まだ腑に落ちない顔をしながらも、彼は素早く治療の準備をはじめている。
「裏の岩山で見つけたから、おそらく違うと思うわ」
あの渓流へ行くためには、桃源の帝都――源京を抜けなければならない。しかし、帝都に敵兵が入ったという情報はない。それに、廣の人口ならば、兵力となる男手には事欠かない。こんなに若い少女を戦わせる必要はないはずだ。
「まぁ、山奥の集落の子と考えるのが妥当ですよね」
医者もうなずく。心から同意してはいなさそうだが……。それを言えば、泉蝶にも少し不安がある。
「では、手当てをはじめたいと思います」
それでも、ちゃんと治療をしてくれるのが、彼のいいところだ。
「細菌感染が怖いですけど、仙術を使えば大丈夫だと思いますし。まぁ、とりあえず縫い合わせてしまえばいいんじゃないですか?」
そして、「秋夕さん、咬創です」と助手の名前と患者の状態を口にした。
「はいよっ!」
威勢の良い声とともに、二十歳前後の女が駆け込んでくる。医者の指示通り、持っている盆の上には消毒や包帯の他に、針など治療に必要な物が不足なくのっていた。
「すぐに準備した方がいいと思います」
「お任せくださいっ!」
助手――秋夕は応えて、鉤型の針に糸を通すなど、素早く傷を縫い合わせる準備をはじめる。
その間に医者は少女の脈をとり、腕以外の外傷を探して様子を見た。
「大きな傷はこの腕だけみたいですね。骨にも異常なし、っと。はい、命に別状はないと思われます」
この医者は「みたい」「ようだ」という表現を使うのを好み、はっきりとした物言いをしない。
しかし、それは癖のようなもので、彼の話は普通の医者の話を聞く程度には信頼できることを泉蝶は知っていた。あくまで、普通の医者程度で、彼自身が非常に優れた医者というわけではない点には注意が必要だが。