序章 [1/3]
朝もやの残った谷間に、乾いた木を打ち合わせる鈍い音が響く。
四方を切り立つ山に囲まれたこの場所は、天から巨大な錐で貫かれたかのように狭い。
そこに百人もの人が武器を持って相対しているのだから、その窮屈さは尋常ではない。空気のこもりやすい谷間は、むんとした熱気に満ちていた。
真剣に武器を突き合わせる戦士たちはみな、体中に汗を浮かべ、気合の声を発している。彼らの半数は十代から五十代ほどまでの女性。しかしその多くは筋骨隆々で、並の男性など簡単に組み伏せてしまいそうだ。その証拠に、女戦士の中には屈強な男性を相手にしている者もいる。
今はほぼ毎朝行っている模擬戦中。約百人の戦士が四つの組に分かれて、木を削って作りだした武器を振るっている。
その中でただ一人、武器を腰に佩いた鞘に納め、汗一つかかず歩く女性がいた。歳は二十代前半くらい。大きな蝶が刺繍された薄紅の着物は袖がほとんどなく、良く引き締まった腕がむき出しになっている。幅広の帯がきつく締められた胴は女性らしいくびれをあらわにしていた。着物の裾は両脇に深く切れ込みが入り、足を踏み出すたびにこんがりと日に焼けた太ももが見える。
腰にある鞘にも着物同様金銀で蝶があしらわれ、その装飾性と露出の多い衣装から芸者か踊り子のように見えた。
およそこんな剣戟と怒声がこだまする場所に似つかわしくない姿だが、誰も彼女の存在を不審に思う者はいない。堂々とふるまう彼女自身も、自分がこの場にいることに何ら疑問を持っていないようだ。
彼女の名は泉蝶。この山深い国――桃源国の帝直属軍「禁軍」に所属している。
そして、今この狭い谷間で木剣を突き合わせているのは、全て彼女の部下だった。彼女は五つに分けられた禁軍の一部隊、聳孤軍を治める若き将軍。女性でありながら一軍を束ねる彼女を、同じ禁軍に属する人々は愛着を込めて『姫将軍』と呼んでいた。
「もう少しで終わるから、気を抜かずにがんばりなさい!」
よく響く泉蝶の声に、すべての人が大きな声で応える。
泉蝶は吊り上り気味の目を鋭く細めて、うなずいた。眉間には浅くしわが寄っている。
朝の鍛錬は聳孤軍の日課だったが、ここ最近は雰囲気が変わってきた。かつては、厳しいながらも生き生きと励む人が多かったにもかかわらず、今はみな一心不乱に稽古に打ち込み余裕が見られない。