第4話 下からツキコ
――って、このまますんなりはいそうですかって帰れる訳ないじゃない。
私、やっちゃったわよ。交際初日にしていきなりその……チ、チ、チッスしちゃったわよってもうキャーったらキャー!
だって祐介くんったらあんなかっこいい顔するんだもん。だってだって祐介くんったら私をじっと見つめて『地獄の底まで――』なんて言うんだもん。
もう、駄目。
私、スイッチ入っちゃった。
あんなことまでしたのよ、このまま家帰って屁ェこいて寝てる訳にはいかないじゃない。だって、私は恋するオトメですもの!
はぁ~、恋ってええやんステキやん? なんて素晴らしい日々、なんて素晴らしい祐介くん、なんて素晴らしい私! 夕暮れ空はまるで血のような茜色。情熱の赤よ。パッションの赤よ。そして愛の赤なのよ!
ほら、よく運命の赤い糸とか言うじゃない? でもそんなの、細すぎてすぐにプチンといっちゃうチンケなものよね。それに比べて私達の運命は、愛は、この空一面に真っ赤に広がっているのよ! なんて地球規模、なんて宇宙規模! さあ、アルマゲドンでもラグナロクでもかかって来なさいよ。どんな厄災が降りかかろうとも、二人のラヴで場外ホームランよ。統一球? だから何? 場外場外アンド場外よ。そんな私はちょっぴり巨人ファン。
……自分でも何言ってんのか分かんなくなってきたけど、とにかく私は今、血管ブチ切れるくらいに興奮しているの。鼻血ブーなの。もう誰も私を止められやしないわよ。今なら楓子にだって楽勝よ。ジャイアントスイングしたままプロペラ回転して成層圏まで連れてってやるわよ。本当に何言ってんだか分かんない。私、どうしたいんだろう。
……どうしたいんだろう。
……どうしようとしてるんだろう。
私は、
私……は、
祐介くん家に突撃したい! いや、潜入したい!
だって、普通に訪問してもし出てきたのが祐介くんのご両親だったら……たぶん、いや確実に『ソレ』だから。そしたら私、どうなっちゃうか、どうしちゃうか、想像出来ないししたくもないから。
私は今、道のど真ん中に仁王立ちである。目前には軽トラックが迫ってきている。けたたましいクラクション。でも私は避けない。避ける必要も意味もない。何故って、『ソレ』の運転する車に私が轢かれる訳がないから。
よし、じゃあ賭けてみる? 私が轢かれたらお陀仏よね。おしまい。
でも私が轢かれなかったら、祐介くん家に潜入しよう。祐介くん家の空気を肺に満たして、でもそれだけ。彼には気付かれないよう、そっと去ろう。それがオトナのオンナってもんよ。それが美波月子ってもんなのよ。
さあ、かかってらっしゃい。ラブラブ補正でブースト状態の私に軽トラなど、恐れるに足りないわ。さあほら、もっとアクセル全開で来なさいよ。気合いが足りないってのよ、ほらもっと。プープープープー鳴らしてる暇があったら私にガチで向かって来なさいよ。
軽トラは、私に接触寸前でカーブし損ね、電柱に激突した。……だから何?
ひしゃげた車体、割れたフロントガラス、ぐったりとした『ソレ』……で、どうしたの?
勝った。
なんて清々しい気持ち。
これで私は祐介くん家に潜入出来る。彼と同じ空間に居られる。
私は勢いよく踵を返す。たんっ、とローファーが小気味良い音を立てた。『ソレ』の呻き声? ごめんなさいともありがとうともざまあみろともオッペケペーとも思わない。それでもあえて言葉を絞り出して何か言うとしたら…………うん、やっぱり何とも思わない。……ああ、ラーメン食べたいなってちょっと思った。かもしれない。
さて! ちょこっと忍び込みますか! で、帰りにカップラーメンでも買ってこう。
祐介くん家は、それなりの一戸建てだ。お父様、頑張ったのね。改めてご両親には感謝しなくっちゃ。なんたって祐介くんを産んで下さったんだから。祐介くんをこの世に存在させて下さったんだから。それだけでもう、国民栄誉賞モノよね。きっとお会いしても『ソレ』なんだろうけど、でもあなた方は国民栄誉『ソレ』です。
えっと、今回の目的はあくまで潜入なのね。だから、正面切ってピンポン鳴らす訳にはいかないの。榊祐介の部屋に潜入し、その空気と同化せよ――それが、今回の月子スネークの任務なの。ならば玄関から「どうも~、潜入しに来ました~」なんてノリで行くアホは誰一人としていない。やっぱりここは、裏口からよね。事前の楓子リサーチで、ちょうど裏口から回った二階が祐介くんの部屋らしい。待っててね、祐介くん。私、このミッションを完璧に遂行してみせるわ! ……でも、あなたには会わない、触れない、話さない。それが月子スネークの流儀。とドヤ顔。
さて、裏口に回ったはいいけれど、ここからどうやって二階まで行こうかしら。物置があったから、そこに梯子でもあればいいんだけど――って、やっぱり鍵かかってるわよね。ですよねー。
……参ったわね。ミッションだ月子スネークだなんて言っときながらその実、ついさっき衝動的に思い立っただけなんだもの。……でも、でもね、衝動的な愛ってあるじゃない。爆発的な愛ってあるじゃない。だから私はここにいるのよ。だから私は潜入するのよ。私は何も間違っていない。これが私の愛のカタチなの!
……いけない、熱くなりすぎるな。ミッションは冷静に、丁寧に、正確に。月子の夢が、叶いますように!
さあ、辺りを物色するのよ月子スネーク。使えるモノを探せ。何でもいい、何かあるはずだ。猫の手でも引きちぎって使え。……実際に野良猫がいたけど、あっさり逃げられた。野良猫はぴょんと塀に飛び乗って、そのままどこかへ行ってしまった。
キーッ、悔しい! 私にもあんな跳躍力があれば、しれっと二階に辿り着けるのに! どうして私はニンゲンなの? どうして私は猫に生まれてこなかったのよ、私のスカポンタンメン半ライス餃子セット!
……やっぱり、正面から強行突破しかないのかな。でもそれだと潜入じゃなくて侵入になっちゃう。恋するオトメにそんな粗暴なこと出来ないわ。おしとやかに、しなやかに、艶やかに潜入する。それが今回のミッション。それが私のオトメ道。
……うん、でも無理ね。やるならもっと計画的にやらなきゃ駄目だった。今回は空回りしすぎたみたい。あまりに衝動的すぎたわね。名残惜しいけど仕方ない。おとなしく帰って屁ェこいて寝ましょう。
と、私の視界の隅に、ひらひらと揺らめくものが入り込んできた。これは洗濯物のバスタオルね。祐介くんが使ったかもしれないバスタオル――なんだか変な気持ちになってきちゃうじゃない。色んなトコロの処理も済んでないっていうのに私ったら。とりあえず匂いだけは嗅いでおきましょうね。はい、見事に洗濯洗剤のフローラルなかほり。でもこのバスタオルが祐介くんのあんなトコロやこんなトコロをなんたらかんたらしたかもしれないって思うと、何だかこんな布っきれ一枚に嫉妬しちゃうわね。
……私は何をやってんだ?
……私は何がしたいんだ?
考えるな、感じろ。素に戻ったら死にたくなるからこのテンションを維持するのよ月子。って言ってももう諦めて帰るんだからいいか。あ~あ、カップラーメン買ってこよ。
ってヴォォォォォイ!
これ……は。
これ……なら……。
イケるかもしれない!
物干し竿。
そう、物干し竿よ。これを使って棒高跳びよろしく空中高く舞い上がり、配管にしがみついた後、ゴッキーのようにカサカサ配管を伝って二階のベランダへ行けるかもしれない。
……いや、無理よ。ただの人間の私にそんな真似、出来る訳ないわよ。私ったらすぐに熱くなっちゃって。少しアタマ冷やしなさい、月子。
いや出来る!
何故なら、ここに愛があるから! ならば私は無敵。それをさっき証明してみせたじゃない。ラブラブ補正でブースト状態の私は車に轢かれなかった。私は今、ヒトを超越した存在なのよ。だったら出来る。出来るのよ!
小宇宙を燃焼させろ。
波紋を練るんだ。
イクのよ月子。今が正念場。言うなればここは榊オリンピックなのよ!
物干し竿を手に取る。――いいえ、これはもうそんな容易い代物じゃないわ。立派にそそり立った男らしいコレはまさに聖剣・エクスカリバーそのものよ。
まず私は塀に登り、しかる後に勢いよくそこから飛び降りた。
そして着地の瞬間、そのまま爪先を強く蹴り出し、駆ける。
「――はあっ!」
跳躍。
物干し竿がしなる。『竿竹~ぇ、竿竹』なんて間抜けなテーマソングはいらない。私にとってこれは聖剣なのだから!
ああ、ありがとうエクスカリバー。しなり具合がとってもセクシーよエクスカリバー。そしてそこから一転、ぐいんと伸びるアナタは男らしい猛々しさに満ち満ちているわエクスカリバー。
ありがとう。そして――
「――さよなら」
私はそんな聖剣を涙を飲む思いで手放し、配管にしがみついた。
「ぶべらっ!」
――痛い。鼻っ柱を強打してしまった。
でもそんな泣き言は言ってられない。体が沈む前に次の一手を、一足を。
端から見たら、今の私はどう映ってるんだろう――などと考えてはいけない。どうせ見てるのは『ソレ』だけだもの。
そうしてシャカシャカとよじ登っていくと、遂に――
「着い……た」
――ミッションコンプリート。
どう? これが火事場のクソ力――もとい、榊場のオトメ力よウェーッハハハ! ね、言ったでしょ? 私は今、ヒトを超えた存在だってウェーッハハハ!
いや、まだよ。まだ難関が残っていたわ。すぐ調子に乗るのは私の悪い癖よね。
ベランダに辿り着いたはいいけれど、さてどうやって窓を開けようかしら。絶対鍵かかってるわよね。そんなの常識よね。
仕方ない。鍵の周辺のガラスにテープを貼って叩き割ろう。祐介くん、ごめんなさい。けれどこれも愛深き故の業……。
でもまあ、一応ロックされてるか確認してみようかな。一応、ね。
――って開いたや~ん。なんかシマらんオチや~んロックだけにってやかましいわ!
いいのもう。多少グダグダでもミッションコンプリートなの!
ああ、ここが祐介くんの部屋なのね。机にベッド、テレビにコンポにDVDデッキ、散らかってるゲームや漫画等々……いやん、しっかり男の子って感じ。
はぁ……部屋中に祐介くんの匂いが充満してハァハァ。祐介くんの粒子が充満してハァハァハァハァ。例えばこのベッドに私がパイルダーオンしたらどうなるんだろうハァハァ。祐介くんのラヴと私のラヴがフュージョンしてイリュージョン。きっと素敵な化学反応が起こるに違いないハァハァハァハァ。
その時、ドアの向こうから足音がした。まずいヤバイ祐介くんだ。さすがにバレたらドン引きされる。こんな私でも、それくらいは判る。今私は不法ラヴ侵入をしている。それくらいは、ね。
だから私は一旦ベランダに身を隠した。それとほぼ同時にドアが開かれ、祐介くんが入ってきた。……ああ、さっきバイバイしたばかりなのに、この高鳴る鼓動はなに? まるで私達は何年も引き離されていたかのように感じる。祐介くん……出来ることなら、今すぐあなたの胸に飛び込みたい。そしてもう一度チッスしたい。もっとエグいこともしてみたいされてみたい。
でも、駄目なの。今はその時じゃない。だって私は月子スネークだから。
そうしていると、祐介くんは制服を脱いで部屋を出て行った。
チャ~ンス!
私は当然、また部屋に潜入する。
私は当然、彼の制服を手に取る。
私は当然、彼の制服の匂いを嗅ぐ。
ああ……祐介くんの匂い。男子の匂い。なんて甘く香しい……。
ええい、着てしまえ! 祐介くんの制服上下、着てしまえ!
ああっ、駄目! 祐介くんと私が同化したみたい。ジュンってキちゃう。
こんな状態でベッドに潜ったらどうなっちゃうんだろう。……も、も、もう私、歯止めが効かない。リミッター解除されちゃって、今私、月子なの? それとも祐介くんなの? もうわかんないとにかくベッドに入りたい!
ええい、潜ってしまえ! 祐介くんのベッドに潜ってしまえ!
「……さ、さ……」
サンライトイエロー・オーバードライブゥゥゥゥゥッ!
アカン、イッてまう。そんなのしたことないのにイッてまう。彼の制服を着て、彼のベッドに潜り込んで、彼の匂いに包まれて……アカンて。イッてまうって。
枕をぎゅうっと抱き締めた。
なんて幸せなの。
幸せすぎてショック死しそう。意識が朦朧としてきた。
しかし、だ。またドアの向こうから足音が聞こえてくるではないか。
まずい。非常にまずい。今からではベランダまで間に合わない。どうする月子。自分の部屋に戻ってみたら、なんとベッドの中には自分の制服を着て枕を抱き締めたアヘ顔の彼女がいました。――アカン。終わる。交際初日にして全てが終わってしまう。
じゃあどうする? 足音はもうすぐそこまで迫ってきてる。アタマを、全神経をフル回転させろ美波月子。何か突破口があるはずだ。
――あ。
下。
ベッドの、下、だ。
思った瞬間、私はもう行動に移っていた。もうメタルギアなんたら何だかクロックなんたら何だか分からないが、とにかく私は息を潜めた。
ドアが開く。祐介くんの足が見える。シャンプーの香りがする。お風呂に入ってたのね。私も一緒に入りたかったな。でも……処理が。
「ふう」
祐介くんの声。気持ちよかったんだろうなぁ。処理なんかほったらかして私も突撃すればよかったかしら。……いえ、駄目よ。そんなの、恋するオトメ道に反する行為だわ。
――と、こつんって。
私の左手に、何かが当たった。
これは……プラスチック製のパッケージ、だろうか。ゲームかなんかの。
私はケータイ電話のライトでそれを照らしてみた。すると、そこには。
『IKUMIのイクイク十連発!』
こ、これは……。
まだあった。
『IKUMIのハイパーギリギリモザイク!』
は、はいぱー……。
えっ、まだ?
『IKUMIのムッチリ若妻ハミ出し水着!』
ムッチリなんだ……ハミ出しちゃうんだ……。
からの~?
『スーパーアイドルデビュー! 水野IKUMI』
これがデビュー作なのね。
はいお次!
『IKUMIのパイ☆パンX!』
パイ……パン……。やっぱり処理しとかないと駄目ね。
さらに~?
『IKUMIの完熟マンゴーシスター!』
完熟なんだ……マンゴーが。
あ、次で終わりかな。
『IKUMIのぶっかけ奥さんスカスカ熟女!』
ぶ、ぶっかけ……す、す、スカスカ……。
時系列順に並べてみるとなかなか興味深い。このIKUMIという人はまずアイドル系でデビューして、イクイク、パイ☆パン、若妻、シスター、スカスカ……と壮絶な最期を遂げている。てか何このIKUMI推し。何このIKUMIクロニクルズ。
私は……いいの。理解はしてるつもり。男の子がこういうのに興味を持つのはごくごく自然なことなんだって。
でも……でも、ね。祐介くん。
いくらなんでもスカスカはないんじゃないの? パッケージの裏面は結構な地獄絵図よ。ぶっかけよ。スカスカよ。当分カレー食えないわよ。祐介くん、あなた本当にいいの? スカスカ熟女で、ねえ! そんなのでイケるっていうの? カレー食えるっていうの!? だったら何でトイレで見せてくれなかったの? スカスカがいいんでしょ、そこんとこドゥーなの!?
「祐介~、ご飯出来たわよ~。今日は奮発してステーキよ。お父さん遅くなるみたいだから、先に食べちゃいましょ」
お母様の声だ。それにしても……哀しいわね、お父様。
てか、ステーキって! 祐介くんったら更に精がついちゃうじゃない! そんな彼は、私にナニをしちゃうの?
ムッチリ若妻ハミ出し水着にして、ぶっかけ奥さんスカスカ熟女にしたあげく、マンゴーシスターのイクイク十連発にしちゃうの? そんな私は逃れられない性奴隷となり、いつしかスーパーアイドルデビューしちゃうっていうの?
……スカスカ以外ならいいわよ。覚悟完了。でもスカスカはちょっと、ねえ……。
ああ、何だか色んな感情が混ざり合ってモヤモヤしちゃう。スカスカはしない。
あ、祐介くんが出て行った。夕飯ね。この隙に私もトンズラしよう。お腹すいてきちゃったし。ラーメン食べたいし。
まあ、アレよ。マンゴーシスターまでなら許してあげる。でもスカスカ熟女は駄目。祐介くんの精神衛生上、よろしくありません。という訳で、有無を言わせずボッシュートでーす!
……よし、帰ろう。またベランダから配管シャカシャカ滑り落ちて帰ろう。……いったい私はナニしに来たんだろう。セーラー服の上から学ラン着てベッドの下でスカスカAV持って。
何だかとっても疲れた。
でも、いいの。祐介くんの部屋に入れたし、匂いも堪能したし、お母様の声も聞けたし、ボッシュート出来たし。
はい、学ラン脱いでね、痕跡を消してね、スカスカAV持ってね、誰にも気付かれず、そっと去ります。それが恋するスネーク道だから。
じゃあさよなら、祐介くん。本当に大好きよ。心の底から愛してる。だから、いつかスカスカに耐えられるように私、頑張るわ!
× × ×
あの~、最後に一言だけいいですか?
晩ご飯、カレーでした。