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イワンのばか  作者: 石川
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大森

大森は、この世の地獄を見ていた。



渋谷FHKホールの控え室。


生放送収録の『キラメけ中小企業☆町工場の底ヂカラ!』本番直前。


控え室の大森は極度の緊張により持病である不安神経症とパニック障害の発作予期不安に襲われ、生き地獄とも言える不安感の中に居た。



『キラメけ中小企業☆町工場の底ヂカラ!』は、今やFHKのみならずTVメディアを席巻する超人気番組だ。


この番組は春・夏・秋・冬に一度、全国の中小企業からアマチュアバンドを公募し、1シーズン掛けて地区予選を行い、最終8バンドに絞り込む。


そしてそのシーズンの最優秀バンド決定ライブを、毎回FHKホールで行うのだ。

この番組システムは、既存の商業ポップに辟易していたリスナーに大激震を与え、『キラメけ中小企業☆町工場の底ヂカラ!』は瞬く間にFHKの看板番組となる。


番組の力で日本放送業界はおろか、世界にまで影響力を持ったFHKの功績により、大相撲が夏期五輪の正式種目となって随分と久しい。


FHKと民族派政治家の大相撲五輪正式競技化運動により大相撲が五輪競技に正式採用されたことで、モンゴル勢は同種目において全大会金銀銅メダル制覇を決め、現在は空前のスポーツブームと好景気の中にある。


大相撲五輪正式競技化運動に奔走した民族派の政治家は、右翼に刺され死んだ。



大森は、勤め先のタオル工場で結成されたバンド「奥多摩アネクドテン」のボーカルとして、『キラメけ中小企業☆町工場の底ヂカラ!』の最終選考ライブ生放送本番に望まんとしていた。


極度の緊張は、彼に持病であるパニック障害の予期不安と、不安神経症による過剰な恐怖感を与えていた。


足と手の震えが止まらない。

発汗も止まらない。

喉がひたすらに渇く。

頭の中では最悪を濃縮結晶化したが如くドロリとした不安感が渦巻く。


ひゃははははははははははははははははははははははは!!母母母母!歯歯!母母!!歯歯母歯!

母母母!!!

歯歯歯羽母ハハハはハハ!



FHKホールの観衆が自分に向けるであろう嘲笑が彼の頭の中でループする。


耐えることのできない、不安。

恐怖。


さっき飲んだ抗欝剤も何の効き目も発さない。



「ゆかちゃん………。」


耐え切れず大森は、バンドのキーボードであり、経理部のゆかちゃんに話し掛けた。

2人は同じ年の19だ。


「発注伝票……ないかな…。」


発注伝票を処理している時にのみ、大森は心の底から落ち着けた。


ラブホテルや、この世の最後の様にしなだれた銭湯のタオル発注を伝票処理する時のみ、彼は悪夢の不安と人生の苦しさから解放された。



「……ないよ…。」


笑いもせずゆかちゃんはマルメンの紫煙を吐き出した。


「そだよね…はは…。」



ゆかちゃんには噂があった。


高校生の時、立川で600人のオヤジと援助交際した結果、発病後10年でチンパンジーと化すこの世に5人と発症例のない難病を発症したこと。


カリスマ的人気を誇るアイドルグループ「WLSP38」の第一期生だったこと。


過労で亡くなったお父さんが存命中は、出張先のオーストリアでクラシックピアノの英才教育を受けていたこと。


様々な噂がある。

真相は誰にも分からない。


今の大森にはどうでもいいことだ。


会社でのやりとりの様に、山と詰まれた発注伝票をぶっきらぼうに渡してくれさえすれば、それが大森の最上の幸せだった。


大森の手の震えが増す。


「……緊張してんの?」


ゆかちゃんが声を掛ける。笑うしかない大森。


「はは…俺自律神経が壊れてるからさ…。

不安とかガンガンおっきくなっちゃうんだ。パニックも起きる気がして……。」

「…………。」


「……怖い。」



言った。


ゆかちゃんは再び紫煙を吐く。

緊張している様子は、ない。


大森は、うつむいた。



死のう。

もう死のう。

ダメだ。

生きていても辛いことしかない。

死のう。

死ねばいいのだ。

本番が終わったら、安定剤全部飲んで死のう。

いや…本番前に死のう。

だって本番が怖いんだ。

トイレ行ってる隙に…死のう。

あぁ、俺ってFHKで死ぬ運命だったのか…。

『ピタゴラスイッチ』の収録見学出来るかな?

『ピタゴラスイッチ』見てから死のう。


死のう………。



その時だった。


大森の口に、ゆかちゃんが口付けていた。



長く。

柔らかく。

優しく。


大森は、言葉も出ない。

不安と恐怖が、少女の芳香で塗り潰されていく。


少女は、少し笑い、大森に問うた。



「どんな匂いがした?」



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