「恋愛には、保険をかけておくべきだ」
恋愛にもいろいろなやり方があって、裏技ではないけれど、こうしておいた方が良い、とかいう話は確実に存在する。
所詮人間は、一度の人生を一度しか歩むことができない。ゆえに、恋愛についても、人生についても、その一度きりの人生を基にして語るほかない。
もし、自分以外の人生を踏まえて話す人間がいたり、人生や恋愛の一般論を「騙る」ことができる人間がいたとすれば、それは、多くの人から話を聞いてきた、実に人生が豊かな人間なのだと言わねばなるまい。
その知識の源泉は書物からなのか、それとも本からか。
どちらにせよ、あくまでも見聞きした恋愛なのだから、所々に誇張や嘘、オブラートに包めばフィクションが混じっているので疑ってかかるべきであろう。
そして、上記の、自分以外の人生や恋愛を一般論として語るだけでなく、それを押し付けようとする人間がいるとすれば、それはお節介を通り越した、とんだ「詐欺師」だと俺は糾弾する。地についた人生や恋愛を知らず、親か、知人か、はたまた小説ドラママンガ、もしくはネットで拾った誰かの話を、咀嚼もせずに、悪意すらなく広げていくのは「人生のコンサルタント」とでも呼ぶべき人間で、「人生のインプレ稼ぎ」とでも言うに相応しい。
さて、前置きは済んだ。これから恥ずべきことをしよう。自分の恋愛観、人生観を語り、それでインプレッションを稼ぐ。
ここは「なろう」で、閲覧数と、評価を稼ぎ、ついでにハナから期待していないコンテストにもタグをつけて、「まあ期待しちゃいないんだけどね」とナアンチャッテと冗談半分に言いながら、本心では死ぬほど実績を作りたいと願っていて――
やめよう、露悪なんぞ控えて、早く本題に入るべきだ。
そのために、最後の露悪をする。
「恋愛は、保険をかけておくべきだ」
俺は男である。この言葉を聞けば、女子からは非難ごうごうで、男子諸君からも胡乱な目を向けられること間違いなしだ。
ただ、待ってほしい。一途に一人の女子を愛する――それはとてつもない美談であるが、残念ながら、先の見えない現代においては茨の道である。
そもそも恋愛は一人でやるものではない。相手がいる。
その相手と、運よく相思相愛になったとして――残念ながら、少年漫画やライトノベルのようなハッピーエンド、とはならない。エンディングは、それこそ二人が死ぬまでお預けである。
ならば、どちらかが愛想をつかして縁を切ったり、他の異性の元へ走ったりしないとも限らない。
いや実際のところ、蓋然性を考えればそちらの方が大いにあり得るのではないか?
一人の人間「だけ」を愛するというのは、要するに自ら視野狭窄になり選択肢を捨てようとすることだ。それが感情だけならばまだしも、現実の社会を生きようとすれば、家計収入など、考えておかねばならないことは山のように自分たちにのしかかってくる。
「ステップアップのために転職を」とバカみたいにがなり立てる連中は、数年前に比べて格段に増えた。そしてこれからも、増え続けることだろう。
それを免罪符に、「自分の生活のレベルを上げるために、従来好意を寄せていた人間より、より甲斐性のある男の元へ」というのも、これもまた蓋然性を考えればゼロではない。
人間は社会生活を営む動物であり、そうである以上、社会とは切っても切れない。一人のパートナーは切れるが、社会とはどうあがいても切り離せない。
そして、「いや、気持ちさえ通じていれば、自ずとそのようなバカな真似はしなくなるものだ」と言い出す諸兄は大勢いるが、しかし、人間とは、記憶を改竄することができる動物である。記憶を改竄するものは、過去も、未来も、改竄できる。いわんや思いをや、と言ったところか。
要するに俺は、思いの強さというやつを、ラノベや漫画やアニメの登場人物ほど、信じていない。これは、あくまでも俺だけの経験則である。
では何があったかと言えばこれも大した劇的な話ではない。その辺に転がっている話である。
好きな人がいて、自分は惚れっぽいタイプだったので、他の異性を好きにならないように自制していたのだが、すれ違いが続いたある日、向こうからフラれて、しかも向こうはさっさと他に好きな人を見つけて幸せに結ばれた。それだけの話である。
恋愛は一般に、向こうが「縁を切ろう」と言ってきたならば、同意するのが筋である。自分の気持ちがそうであろうとなかろうと。たとえ自分だけが好意を寄せていたところで、向こうの好意は死に絶えているのだから、その感情は重いどころか、もはや現時点をおいてマイナスである。
一方的な好意がマイナスになった例を、俺たちはニュースでよく知っている。いわゆる、ストーカー問題である。
個人的な考えを述べるなら、「いったん心を通じ合わせていた二人」のうち、その片割れが、ストーカーになるほどに、もう一人のことを思いつめるのは、いかにも健全に思える。
世の中の、「ヤリ捨て」という連中が、「モテたくなくても向こうから勝手に寄ってくる」と自慢する状況を男の甲斐性であると持ち上げるよりかは、ああこの人は本当に、一度心を通じ合わせた人のことが好きで、それゆえに苦しんでいるのだ、と思える方が、よほど人として誠実である。
だけれども、現実は、悲劇になることが多い。
思いつめた結果としての凶行となって、世間は初めて両者の話を知る。
世間は言う。大人げない、と。頭がおかしい、狂人なのだという。
嘘をつけ!
「愛に狂う」とかいう洋画で知った文句にウットリしていた連中はどこへ行ったのだ!?
極論言ってしまえば、ストーカーにならないコツは恋をしないことであり、人間を知らないこと、となってしまう。愛は執着であり、執着であるならば、むしろ捨てなければ悟りは開けない。もっとも、あなたが聖人君子になりたいわけではないのなら、話は別だが。
そして、ニュースになるたびに思うのは、(ここにも報道の妙が隠されているのかもしれないが)ストーカーとなって凶行に走る人間の多くは、少なくとも、男子が多いということである。
さすがにフィクションと現実をごっちゃにする人間は少ないと思うが、男子はヤンデレになるくらい自分のことを一途に好いてくれる女子、という話を聞いた時、どちらかというとノボせるものである。
「好きでもない人に、好かれても、気持ち悪いだけ」
この言葉をどこかで見たことがあるが、これはいかにも冷淡に見えて、端的に、男子と女子の恋愛観の違いを表した名文句であると言わざるを得ない。
ここまで散々言い募ってきて、ではどうするべきかと考えるのだが、結論は既に出ている。「恋愛にも、保険をかけておくべきだ」ということだ。
実際のところ、女性陣はここまで明瞭に文字にしなくっても、大体が無意識にやっているものである。
人の愛を信じたい、男子とも呼べないほど歳を食った男子としては大いに反対したいところではあるが、そうでもないと、自分の恋心が暴走した時に、歯止めが利かなくなる。
幸いにも社会は、「妄想するだけであれば、刑務所にぶち込まれない」という素晴らしい思想の自由を保障し、そこに余地を残してくれている。
常にリスクを考えよ。
「もしもこの女性にフラれた場合、自分は生きていけなくなるかもしれない。自殺するなら、まだ同情を得られていいが、殺人犯にでもなれば、俺はともかく、加害者家族となる俺の両親やきょうだいはどうなるだろう。両親やきょうだいを不幸な目に遭わせないためにも、俺は、備えておかねばならない」
こんなところである。
その保険のやり方については、女子の方が詳しい。浮気にならない程度に、常に自分の恋人を、他の男と天秤にかける。
「私は彼と付き合っているが、付き合っている人と比べて、この男性の、なんとおおらかなことだろう。ユーモアのセンスは間違いなく、彼よりもこちらの男子の方にある」
恋愛に、保険をかける。恋人を絶対視するのではなく、どこまでならば許容できるかのラインを正確に見極めて、そこを超えた瞬間から減点していく。そしてやがて、耐えきれなくなった時、比較対象の異性に切り替える。そして、「私はあくまでも、あなたと恋愛をしていた時は一途を貫いていました」という証拠に、最後の仕上げとして、自分から恋人を振る。
何事も、主導権である。フラれるより、フる方がたやすいし、心によい。「ああ、自分はもう、恋人が好きではなくなったのだ」と自覚させた方が、ストンと自分を納得させられる。
恋愛に関しては、女子の方が天性のものを持っている。付き合っている相手を絶対視せず、常に、自分の身の回りの男子と比較する。そして、別れ話は自分から切り出す。
これを、女子にできて男子にできない理由は、男子は社会的な面を常にみられているからなどがありそうだが、だとしても、一途に思い続けた挙句に悲劇どころか、犯罪者となるよりはましである。
さんざん悩んだ挙句、「僕は君を好きだったが、残念ながらこの先、やっていける自信がない。僕は他の人を好きになろうと思う。今まで好きでいてくれてありがとう」
と、自分から切り出せる男子がいるとすれば、その男子は聖人君子ではないかもしれないが、少なくとも、思いやりや人間の情というものを知っていて、何より、恋愛というものをよく知っている者であると、俺は思う。
男子はフラれることを恥のように考えるかもしれない。しかし女子にとっては、それは名誉の傷にもなり得る。この辺りは本当に、男女の違いというほかない。
一途になり、視野狭窄になり、恋人を絶対視するのは、不健全である。「もし彼女と上手くいかなかったら、この人に自分の気持ちを打ち明けてみよう」と考えておくのである。それが、恋愛サバイバルのコツである。不発に終わったとしても、それはそれでよろしい。
恋愛は戦争である。
ならば、二の矢、三の矢を考えずにおく参謀がどこにいようか。己の活力を無限と信じて、補給線を疎かにする将軍がどこにいようか。フラれたらどうしよう、と考える暇があるならば、次の手段を考えておくべきだ。
そのためには、自分磨きが欠かせない。自分に魅力がなければ、そもそも異性は自分に惹かれてくれない。とことん優しくなり、礼儀正しくなり、欠点を愛嬌として見てもらえる程度に擬態することである。
もっとも俺は、「言うだけ番長」なので、未だにフラれたトラウマから、次の恋に踏み出せていない。誰かを養う甲斐性もないので、結婚はそも絶望的だと諦めている。最後に、持病持ちである。
「希望とは、雨後の筍のように生えてくる。雑草のように、水をやらずとも逞しく生い茂る」
ゆえに俺は、希望を持たないことを自分に言い聞かせながら、日々を暮らしている。
月二十万円も稼げなくてよい。七万円。それくらい稼げる程度の健康が欲しい。




