第四章 追放前
リディアン=オーネスヴァインは、スキルを持たないタイプの貴族だった。
ちなみにそれ以外の知的・文化的能力や身体的能力は優秀な方で、魔法の腕も、常人より上をいっていたものの、アダンホーラ王国においては重要視されるスキルは持たずに生まれてきた。
いや、もしかすると彼女は、スキルを持たないゆえの劣等感や後ろめたさから、それ以外の分野で優秀な成績を残そうと努力して、それで今に繋がっているのかもしれないが。
とにかくそんな彼女はある時。
どういうワケだか、アダンホーラ王国の王子であり、リディアンの幼馴染の一人であり、アダンホーラ王国に存在するスキルの中で、一番強力なスキルを保有するジョイド=ゲルナッド=アダンホーラと婚約させられた。
リディアンのスペックを考慮したから、というのもあるかもしれない。
知的・文化的能力や身体的能力もまた、国を率いる者として必要なのだから。
たとえ、アダンホーラ王国ではスキルが重要視されて。
王侯貴族の間では特にその思想が強く……ジョイドを始めとする王族どころか、リディアンの親族でさえも、リディアンを見下していたとしても。
ゆえに婚約者となってからは、両者は義務として付き合っていた。
そこに恋愛感情は一切なく、ただただ王国を、そして王家の血筋をこれから先も存続させるために付き合っていた。
けれどある日。
リディアンの、優秀な知的・文化的能力や身体的能力があったからこそなんとか成立していたパワーバランスは突然崩れる事になる。
アダンホーラ王国のある場所で。
ある少女の中にあった【聖女】としてのスキルが後天的に目覚めたのだ。
ネーナ=イデーク。
彼女はリディアンとジョイドと同い歳の平民だった。
けれども、アダンホーラ王国の伝説の中に登場する創世の神が五十年おきに誕生させるとされた聖女として覚醒した事で、国宝級の重要人物として祭り上げられる事になり、ついにはリディアンとジョイドが通っている、それなりに時間をかけて勉強しなければ合格できないほど高度な試験に合格しなければ通えない魔法学院に通う事が決定した。
たった、二日で。
平民にしては、あまりに恐ろしい展開速度だった。
リディアンを始めとするごく少数が、おかしいと思うほどに。
いや、平民の中にも天才的な頭脳を持つ者はそれなりにいるし、創世の神が誕生させる聖女がどれだけ重要な存在かは理解している。
ついでにいえば、聖女がアダンホーラ王国のこれからに必要な存在だと分かってはいるけれど、なぜここまで展開が早いのか……それだけは、彼女達にも理解できなかった。
まるで、神の見えざる手が絡んでいるかのような。
すべてが、誰かにとって都合の良い展開に転がっているかのような……恐怖さえ覚える事柄だった。
そしてそんな展開は。
リディアンの運命を大いに変え始めた。
そもそもそこに愛情はなかったものの。
それでも婚約者である以上、それなりに付き合っていたハズのジョイド……いやそれどころか国家運営に関わる貴族を親に持つ令息全員がネーナに入り浸るようになり、ネーナもそれに応えており、そんな現状を憂いたリディアンの親族からは、ジョイドを始めとする令息も悪いが、リディアンもまた、婚約者としてジョイドを繋ぎとめられないゆえに悪いと言われるようになり…………リディアンの心は少しずつ追い詰められていった。
しかし、それでもリディアンは耐えた。
ジョイド達は子供じゃないのだからいつかは目を覚ますと。
色恋などは一時的なもので、最後はこの国の事を思ってくれると。
聖女は確かに重要ではあるが、それはあくまでも彼女のスキルが重要なだけで、国よりも異性と遊ぶ事を選ぶような存在に、国家運営能力があるワケないのだと。
だからジョイドは、いずれネーナから離れると。
だけど、その認識は甘かった。
『リディアン=オーネスヴァイン!! 俺はお前との婚約を破棄する!!』
王家主催の舞踏会で。
ジョイドはネーナを侍らせつつ。
多くの王侯貴族が集う中で婚約破棄をした。
『お前は己の成績に迫りつつあったネーナに、次期王妃の地位を奪われると考え、ネーナに数々の嫌がらせを仕掛けたな!!』
しかもあらぬ疑いまでかけてきた。
リディアン側の有責で事を進めたいがために。
というかそれ以前にリディアンは知っている。
確かにネーナの成績は、異性と遊んでいるにも拘わらずなぜか自分の成績に追いつかんとする勢いだが、それでもプラスアルファな事をしている自分には及ばない事を。
そんな彼女に、なぜ危機感を覚えなければいけないのか。
いや、確かに危機感は覚えている。今。国家運営方面で。リディアンと婚約破棄をしたという事は、おそらくジョイドはネーナあたりと婚約し直すだろう。
なぜか勉強はできるようだが。
聖女でありながら、国家の事よりも異性との色恋に関心がある……そんな存在が国家運営に関わったらアダンホーラ王国はいったいどうなるのかと。
『殿下!! 私はそのような事をしていません!! というか殿下、目を覚ましてください!! 国を動かさなくてはいけない存在が色恋にかまけてばかりで――』
『黙れ!!!!』
しかし、アダンホーラ王国のこれからを危惧するリディアンの声は届かない。
いやそれどころか、リディアンは戦慄を覚えた。
その視界の中でジョイドが、今や聖女のスキルに次ぐ強力なスキルとなったそれを発動しかけたのを見たからだ。
『殿下、さすがにここでそれはまずいですよっ』
そんな彼を止めたのは、なんとネーナだった。
どうやら彼女は彼女で、この場が殺戮の場になる事を望んでいないようだ。
『お前に俺の何が解る!!? 好きでもないお前と、俺の人生に華を添えるような気づかいすらできないお前と付き合い続け、最終的には王家の血筋やら国家のためやらでお前と結婚しお前と国のために動かなければならない、そんな俺の何が理解できるというのだ!!? もう国家の操り人形でいる事にはうんざりなのだ!! そして、操り人形でいる事をよしとするお前を見ていると、同じ操り人形である俺を見ているようでつらいのだ!!』
『ッッッッ!!!!』
しかし、それでもジョイドの感情の爆発は止められず。
そして、その感情の爆発の中で明かされたジョイドの胸の内に……リディアンは衝撃を覚えた。
今まで、アダンホーラ王国のためを思い行動していた。
周囲からかけられるプレッシャーにも負けず、将来的にジョイドと協力してこの国をより豊かにしようと……たとえそこに恋愛感情はなかろうと、それでもアダンホーラ王国のため、という使命感で心を一つにしていると思っていた。
でもそれは幻想だった。
その場にいるほぼ全員を唖然とさせるほどの幻想だった。
ジョイドは国家の事よりも自分の事を優先していた。
いや、自分の心を大事にしたいと思うのは悪じゃない。
心を犠牲にして国家運営をするのもまた、時には大事ではあるものの、最終的にその心が壊れてしまっては、そのせいで幸せでなければ、その人の生きている意味がなくなってしまうのだから。
だが、今回の感情の爆発は大問題だ。
そういう感情は、心の内で抑えておくからこそ社会はうまく回るのだ。もしも今の状況が気に入らないのであれば、正当な手順を踏んで今を変えればいいのだ。
なのに、そんな自分優先な感情は聖女によって。
しかも他の貴族も集まる舞踏会の会場にて解放されて。
もう彼らは、あとには引けなくなった。
このままでは、ジョイド達になんらかの処罰が下る。
国家を揺るがしかねない発言をした彼らを、その場にいる他の王侯貴族は絶対に許さない…………………………ハズだった。
『ああ殿下、可哀想に』
しかし、そんな未来は訪れなかった。
代わりに、ネーナのそんな台詞と共に。
なんか聞き覚えのある、複数の足音が聞こえてきた。
『国を維持せんとするあまり。そして、人の心がない国家体制を肯定する者がこの国にいるせいで、こんなにも壊れてしまって』
感情を爆発させたジョイドを、ネーナは優しく抱き締める。
まるで、数多くの命を救うために少数の命を奪うという業を背負い世界を救った英雄を許さんとするかのように。
だがその一方で、リディアンを始めとする王侯貴族には鋭利な刃が向けられた。
その事実は、リディアン達が聞いた、空気を切り裂く音によって知らしめられ、そして刃を向けられた彼女達がほぼ同時に、刃を向けた者へと視線を向けると……そこにいたのはアダンホーラ王国の国教たるメオノール教に属する騎士達。
ネーナが最初に接触した勢力。
魔法学院を下校した後に交流していた勢力。
創世の神こと、女神メオノールを信仰する教団である。
『ジョ、ジョイド貴様ぁ!!』
国王が息子たるジョイドの名を呼ぶ。
王太子たる、ジョイドの兄に何かがあった場合に備え、ジョイドにこれでもかと教育を受けさせ、彼の心を疲弊させた毒親とも言える存在が。
そしてそれにつられて、他の貴族もまた、教団関係者や聖女側にいる令息にいろいろとわめくのだが……ネーナや、ジョイドを始めとする聖女側の令息はそれらを完全に無視した。
『私に聖女としての役割を与えた女神様は言いました』
それどころかネーナは、ひと呼吸をおいた後。
周囲にいる者達に向けて、透き通るような声で告げた。
『確かにこの国の民の先祖は、私が選び、そしてこの場所まで導きました。みんなには幸せになってほしいから。そしてダメ押しとばかりに私という聖女――スキル《聖域創世》を持つ存在を誕生させました。この国は豊かになりました。ですが、その一方で王侯貴族の中には、この状況がいつか失われる事を危惧しているのか、殿下を始めとする存在に無茶な事をさせるようになりました。まるで人の心をガン無視するような事をです。私はそれが残念でなりません。ですから今度の聖女――私にはスキル《聖域創世》以外にもう一つ、今までの聖女には授けなかった魔法を授けました。罪ある者に、死ぬよりもつらい罰を与えるための魔法を――』
『ネーナ、その業はお前が背負うべきものじゃない』
だがしかし、そんな彼女の言葉は途中で遮られる。
ゆっくりリディアンに近づき、同時に腰から抜いた帯剣の切っ先を彼女に向けるジョイドの声によって。
『お前は聖女だ。血にまみれるのは俺のような存在だけでいい。そして俺は、自分の手で過去と決別を――』
『ダメですっ!』
しかし、自ら決着をつけようとしたジョイドの言葉は。
自分を今まで苦しませてきた存在は、自分の手で葬らなければいけないと。
もしも聖女の介入によって決着をつければ、本当の意味で自分を解放できないと考えるに至った彼の言葉は。
今度は聖女の言葉によって遮られた。
『殿下を苦しめ続けたリディアンさんの罪はとても重いですっ! 殺したところで償えるワケがありませんっ! 殺すよりも追放して生き地獄を味わわせるのが妥当だと思いますっ!』
『追放、か』
ジョイドはその場で足を止めた。
そして一瞬だけ逡巡した後『馬車を用意しろ!』と、己とネーナの味方となった教団の騎士に指示を出し――。
『だから大丈夫ですよ、殿下っ!』
しかしそれは、またもや聖女に止められて、
『わざわざ馬車をお使いにならなくても、魔法で転送させればいいではありませんかっ!』
こうして、物語は始まった




