第二章 サソリ
油が熱せられ、香ばしい匂いがその場に広がった。
王都の学院で習った【魔の森】の環境からしてあまりにありえない……おいしい料理を想起させる匂いが。
いや、その場に広がったのは匂いだけではない。
油が熱せられて出るその炸裂音も広がって……耳を通して、おいしい料理ができあがる事実を知らしめる。
(ま、まさか……この森で食事ができるだなんてッ)
そしてそんな中でリディアンは、その香ばしい匂いと炸裂音の原因たる光景――先ほど出会った謎の組織『ビヨンダード商会』の営業マンの一人である黒髪の男性が、どこからか取り出したエプロンを、現在着ている登山用の服に重ね着する形で身につけて、これまたどこからか取り出した食材や器具を使って料理をする光景を目撃していた。
とはいっても、何の用意もなしに【魔の森】で料理をしているワケではない。
リディアンの故郷であるアダンホーラ王国へとかける予定の、営業の責任者だと言われていた赤髪の男性が、周囲に、これまたどこからか取り出した謎の杭を突き刺してからの料理だ。
(結界、なのかしら? こんなに香ばしい匂いがするのに【魔物】が一匹も寄ってこないだなんて)
料理と同じくらい、どうしてもそれが気になってしょうがないリディアンは……何度目になるか分からない、杭へのチラ見をした。
(だけど、私達や聖女が使う結界とはずいぶんタイプが違うような……?)
そんな彼女は、アダンホーラ王国の貴族令嬢であるため、この世界の摂理や自分たち人間に備わっている能力、そして自分を【魔の森】へ強制転移させた聖女――五十年ごとに生誕すると言われている特異存在の能力も、ある程度は知っていた。
そしてそんな彼女だからこそ、違和感を覚えてしまう。
彼女が知る結界とは、魔力で創った障壁。
なのに、現在自分と向かい合って木製の椅子に座っている存在――料理をしてる男性と同じく、登山用の服を着た赤髪の男性が張った、結界らしき何かはいったいなんなのか、と。
「あ、もしかして気になりますか?」
そして、そんな自分に気づいたのだろう。
向かいに座るその赤髪の男性が、緊張しているのだろうか、顔を強張らせながら話しかけてきた。
「ちょっとー。初めて責任者になったからって緊張しすぎっしょー?」
そんな彼に、彼の隣で木製の椅子に座り、リディアンと向き合っている、同じく登山用の服を着た黒髪の女性が話しかける。
「う、すみません」
「謝るよりも、結果で示すのがウチの流儀だからガンバっしょ」
それは、責任者に対する言葉づかいとは思えないモノだった。
そしてその事実は、リディアンの頭上に新たな疑問符を浮かばせる。
彼らがいったい何者なのか……少なくともアダンホーラ王国の外から来たのは、服装や作っている料理の匂い……いやそれ以前に容姿からして間違いはないだろうが、言葉づかいのせいで余計に分からなくなった。
「は、はい。じゃあ料理ができるまでに改めて自己紹介をさせていただきます」
コホン、と一度咳払いをしてから、赤髪の男性は話を再開した。
「俺の名前はレノン。ビヨンダード商会という、一言で言えばなんでも屋のような会社の営業マンです。アダンホーラ王国には初の営業の仕事で来ました。この森を抜けられたら、アダンホーラ王国を案内してくださると嬉しいです」
「え、営業ですか」
なんでも屋の営業。
そう聞いてリディアンは少し緊張した。
なんでも屋、と言うほどだからさまざまな事業を展開しているのだろう。
という事はアダンホーラ王国に着いたら、おそらくは王城で、いろんな物や企画を売りつけたりするのだろうが、いったい何を売りつけるつもりなのか……そこに不安を覚えてしょうがなかった。
「例えば、何を」
というか、そんな謎すぎる組織の営業マンをアダンホーラ王国に入れたら、下手をすればアダンホーラ王国が滅んだりするのではないか……アダンホーラで生まれ育ち、それなりに愛着を持っているリディアンは、ついにはそんな最悪の事態を想像してしまい、思わず彼らの核心に少し踏み込んだ。
下手に訊いたら、先ほどの【魔物】のように殺されるのではないか。
少しもそう思わなかったといえば嘘になる。
そして核心に踏み込んだ事に対し、リディアンは恐怖こそ覚えているが……それでも彼女は、彼らの目的についてはどうしても訊いておきたかった。
自分のせいで、故郷が滅ぶ結果にしたくないのだから。
たとえ、そのせいで先ほどの【魔物】のように八つ裂きにされるとしても。
「ああー。もしかしてやばい物を売りつけるって思ってるっしょ?」
しかし返ってきたのは、そんなリディアンの緊張した雰囲気をぶち壊すかのような……まだ名乗っていない黒髪の女性の、のんきな声色だった。
リディアンは思わず脱力した。
さすがにずっこける事はなかったが体勢を崩しそうにはなった。
だがすぐに彼女は体勢を元に戻した。
こんな事でリカバリーできずして貴族社会を生き残れないのだから。
まるで胸中を覗かれたかのような発言だったが、それは気にしない。
その辺については、あえてそう察してもらうために言ったのだから。
自分の反応を見るためなのか、それを実際に口にしたのはさすがに予想外だったが……とにかく、そうじゃないかと気づく者が、少なくともここにいるという事実が彼らに伝わる事で、彼らがアダンホーラ王国に対し警戒してもらえれば。
たとえ自分が死んでも、少なくとも時間稼ぎにはなり。
そうなれば実際に自分と同じように国内の誰かが気づき、彼らを警戒し、最終的には、彼らが悪性の存在だった場合は排除してくれるだろうから。
だから、リディアンは。
いまだに恐怖を覚えつつも……次の言葉を待った。
「はは、まあ武器とかも扱ってますが」
レノンは苦笑いをしながら話を続けた。
「アダンホーラ王国には他国とのこれからに備えた提案をしに来ました。このままでは大変な事になりかねないので」
「…………え?」
レノンの説明に、リディアンは先ほどとは異なる不安を覚えた。
彼が本当の事を言っているのならば、少なくともビヨンダード商会そのものが、アダンホーラ王国を滅ぼす事はないかもしれない。
だがその代わりに、他国が絡んだ大事がこれから起こる可能性がある。
まだ確定でこそないが、もしもレノンの言うその大事が国際問題絡みであるならば……アダンホーラ王国は他国によって滅ぼされるかもしれない。
そしてレノンが、その戦争を起こさないためアダンホーラ王国に来たのならば。
すぐにでもアダンホーラ王国を案内しなくてはいけないだろうが……果たして、彼の言う事は本当なのか。いやそれ以前に自分が聖女に強制転移された後のアダンホーラ王国はどうなっているのか。
さまざまな懸念事項がリディアンの脳裏に浮かび…………しかし、それは長続きしなかった。
突然、彼女の視界が揺らぐ。
かと思えば、なんだか吐き気を覚えた。
(ッ!? ……ぃ……ったい……何が…………?)
彼女にも、一瞬わからなかった。
しかし次の瞬間、彼女だけでなくレノン達も、なぜリディアンの体調が悪化したのか、その理由を嫌でも理解した。
クウゥゥゥゥーー、という可愛い音がリディアンの腹部から聞こえたために。
途端にリディアンは赤面した。
まさか今まで自分が空腹であったなど、急展開に次ぐ急展開のせいで自覚できなかった。そしてそのせいで腹の虫を他者に聞かれる事になったのだ。貴族の令嬢としてこれほど恥ずかしい事はない。
一方で、レノンと、黒髪の女性は言葉に詰まっていた。
リディアンからの自己紹介で、彼女が貴族令嬢である事を知っているため、この場合どう言葉をかければ彼女を傷つけずに済むか…………すぐには思いつかない。
「空腹は最上の調味料ってね」
そして、その時だった。
黒髪の男性が料理を完成させ、リディアンへと、それをのせたお皿とスプーンを渡したのは。
「ちょうどいいから、みんなで夕食にしよう。ちなみにさっき倒したエビは朝食のために仕込んでるけど、今回ちょっとだけ入れてみました」
「いや、あれはサソリでしょ」
「どう見たってサソリっしょ」
そしてそれは、場の空気を変えるのにちょうどいい出来事だった。
途端に話の方向性が変わり、リディアンの腹の虫についてはうやむやになった。
だが代わりに、差し出された料理に、彼らがサソリと呼ぶ【魔物】が入っている問題が浮上して……リディアンは心の中で躊躇いを見せた。いやまさか、本当に、アダンホーラ王国では【魔物】と呼ばれるモノを食材にするとは思っていなかったのだから。黒髪の男性は冗談を言っていると思っていたのだから。
(ちょっと待って!? 【魔物】って食べられるの!?)
少なくとも、アダンホーラ王国では聞いた事がない。
いやまさか、他国では当たり前のことなのだろうか。
だが目の前に出された料理……これまたアダンホーラ王国では見た事がない食材を使って作られた黄金色のそれが放つ匂いは、リディアンの鼻孔をくすぐり、より空腹感を覚えさせる。
下手をすればまた腹の虫が鳴りかねない。
「あ、そういえば言っていなかったけど、黒髪の、料理を作ってくれた方がヒイロさんで、もう一人はジュリさん。俺と同じ営業マンで、俺の先輩達です」
「よろしくね、リディアン嬢」
「よろしくっしょー」
そして、そんな状況であるために。
リディアンはさらなる自己紹介に集中できなかった。
失礼だったかもしれない。
だが空腹は集中力を奪うので仕方がない。
あとで改めて名前を聞こう。
そう心中で決意しつつ彼女は「よ、よろしくお願いします」と、早く食べる許可が欲しいという思いも込めて言葉を返す。
「じゃあ改めまして、いただきます」
「いただきます」
「いただくっしょー」
「い、ただきます?」
するとその思いがようやく届いたのか。
言葉こそ違うものの、食前の挨拶らしきそれが放たれ、リディアンはすぐに……はしたなく見えない程度にスプーンを動かす速度をなんとか自制しつつ、その料理を他の三人と同時に口に入れ――。
――四人同時に噴き出した。
そのサソリ料理が激マズだったがゆえに。




