偽善の対価
冬が始まった。外は一面銀世界で人もまばらにしか歩いていない。まるで世界が休息ですよと言っているみたいだ。
そんな中冒険者ギルドの依頼掲示板の前。仕事を探すべく俺と師匠は佇んでいた。
「ない……碌な依頼がない!」
カガミ師匠がそうごちた。
世界は休息を求めているのだ。魔物も冬は活動を低下させる。よって討伐依頼などの仕事は減るのだ。
雪が降り積もってからずっとこの調子である。幸い今までの稼ぎで何もしなくても冬は越せる。あっちなみに師匠に借りてたお金はとっくに返したからね。そういうのはキッチリしておかないとね。
「どうします?」
俺が師匠に問いかける。
「うーん、こうなったら冬は訓練とネロの勉強だな。他にやることがない」
そうなるよねー。予想通りなので俺は素直に返事する。
「分かりました」
「それじゃ早速訓練にでもいくか」
師匠が踵を返そうとした時、俺の耳に何やら言い争い? のような声が聞こえてきた。
「だから、登録料がないと登録できません」
「そこをなんとか……お願いします。どうしても冒険者になりたいんです……」
「ダメです。規則ですので」
どうやら受付嬢とローブを着た子供が押し問答しているようだ。
子供はフードを目深に被っていて顔は見えないが、俺よりも少し身長が低いくらいで同じくらいの歳ではないかなと思う。
ローブで着ているので服は分からないが、足元は裸足だった。
こんな雪の降り頻るなか裸足とは、貧民街の子か何かだろう。
「お願い……です! お願いします!」
子供はその場で土下座をして頼み込んでいた。次第にギルド中の視線が集まるようになった。
「だからそんなことされても困ります!」
受付嬢は困り果てて少し涙声だ。
こういうのは気まぐれに関わらない方がいいのかもしれない。ああいう子は世界にウン千万といるだろう。それを全て救う覚悟がない奴が目先の同情だけで、行動しても意味はないのかもしれない。そう、それはただの偽善なのかもしれない。
でも、俺は……その必死に懇願する姿に生前の自分を重ねていた。絶望に陥った時、俺は心から懇願した。そしてそれは運良く叶えられた。そうして俺は今こうしている。世界を憎まずに前を向いて生きていられる。
だから——
「どうしたんですか?」
俺は件の受付嬢に話しかけていた。
「あぁネロ様! 実はこの子が冒険者になりたいとやってきたんですが、登録料が払えないということで……」
受付嬢は俺がやってきたことに少しほっとした様子でことのあらましを話した。
俺はとりあえず疑問に思ったことを聞くことにした。
「そこの君、なんで冒険者になりたいの?」
「お金が……いるから……」
「冒険者は危険もあるよ。それでもなりたいのかい?」
「それしか……私が生きられる道はないから……」
「他の職業じゃダメなのかい?」
「こんな私を雇ってくれるとこなんて……ない」
そうか。自分の立場は理解してるということか。こんなに小さい子が生きる為に命のやり取りをする冒険者になりたがっていることに、この世界の過酷さを感じた。
「……」
俺は押し黙ってしまった。かける言葉が見つからない。ここで俺が何か言ったところで、この子には全て恵まれたもが言う上から目線なものに聞こえるだろう。
だから、俺は何も言わずに受付嬢に五千リル渡した。
「こっこれは……」
受付嬢が困惑した声を出す。
「これで、登録をしてあげて下さい」
それだけ言って俺はその場を去った。
カガミ師匠が呆れ顔で俺を迎えてくれる。
「全くネロは……面倒事にあまり首を突っ込むものじゃないよ」
「わかってます。今回はただの気まぐれですよ」
「そう、ならいいんだけどね」
師匠の顔は困り果てていたが、どこか誇らしそうだった。
翌日、冒険者ギルドに依頼がないか見に行くと、隅の方に昨日のローブの子供がいた。
気のせいか見られているような感じがする。
まぁ別に見られても何も減るものじゃない。好きにさせておこう。
そう思ったのだが……
「ネロ、あの子ついてくるぞ」
碌な依頼がなく森に訓練へ行こうと足を進めている時、師匠が堪らずに声をかけてきた。
「ですね、どうしましょう」
「要件を聞いてみたらどうだ?」
「うーん、そうですね」
俺は面倒なことになったと思いながら、ローブの子の方へ向かっていった。
ローブの子は俺が近づくと踵を返して逃げようとする。
俺は、逃げられないように子供の足の裏と地面を氷魔法で縫いつけた。
そして近づき声をかける。
「ごめんね、少し手荒な真似して。でも、こうしないと話が出来ないと思ってね」
「……」
子供は俯いたまま黙っている。
「なんで僕達をつけてきたの?」
子供はしばらく黙っていたが、やがておもむろに口を開いた。
「冒険者やり方わかんないから……真似しようと思って……」
「受付のお姉さんに聞いたらわかったんじゃないかい?」
「依頼の受け方なんかは教えてもらった……字も読めないけど頼めば読んでもらえるとも教えてもらった……でも……戦い方が分からないから」
「それで俺たちの戦い方を見て参考にしようとしたの?」
「そう……」
「低ランクの冒険者には薬草採取だって任されている。そういうので稼ぐことは考えなかったの?」
子供はまたしばらく押し黙る。
「お金がたくさん必要だから……魔物を倒すのが一番いいと思った……」
「そうか……」
何やら相当訳ありのようだ。
俺は話の途中から横に来ていた師匠に問いかける。
「どう思います? 師匠?」
「うーん、このままついてこられても面倒なだけだ。それに、私達の戦いを見たからといってこの子が強くなるには限度がある。見るだけで強くなれるなら、誰だって達人になれるからな。そして最悪、いざ一人でこの子が魔物と戦う時この子は死ぬぞ」
うーむ、頭が痛い。ちょっとした出来心で助けたのがこうも厄介なことになるとは……俺のせいで死なれるとか目覚めが悪すぎる。
俺がなんとかしないとなぁ……
「師匠、巻き込むような形になって申し訳ないんですが、この子にそれなりに戦えるようになるまで訓練をつけてあげていいですかか? 師匠の手を煩わせることはしないので。今は冬で碌な依頼もありませんし……どうでしょう?」
「うーん、まぁネロにも責任はあるしな……それがいいかもしれんな。私はその間、一人で訓練でもしておこう。ただ、教えるのに行き詰まったらいつでも頼ってきていいからな」
「わかりました。ありがとうございます」
話はまとまった。俺は子供に向き直る。
「と、いうことだ。これから俺が君が一人で戦えるようになるまで訓練をつける。それでいいかい?」
「い……いいの?」
子供ははじめて顔をあげた。綺麗な緑色の瞳が俺を覗き込んでいた。
「ああ、毒を喰らわば皿までだ」
「毒……? 皿……?」
しまったつい前世の言葉を使ってしまった。子供が意味が分からずキョトンとしている。
「まぁ最後まで面倒みるってことだよ。ところで君名前は?」
子供がその小さな口をおもむろに開く。
「ミルフィ……」
「ミルフィか。俺はネロ。よろしくね」
俺はミルフィに手を差し出した。
ミルフィは俺の手を躊躇いがちに見た後、おずおずと握手した。
その手は冷たく赤切れの傷跡でデコボコしていた。
この小さな手が一人で生きていけるように俺が面倒を見よう。
それまでしっかり守ってあげなければ。
「と、いうことで! まずはミルフィの靴と服を買いに行こう!」
「え? え?」
俺は戸惑うミルフィの手を引いて街の中を歩いていくのだった。
「ミルフィ、着れたかい?」
「う、うん。着れた……」
店の試着室からミルフィが姿を現す。
しかし、その姿はローブに隠されてほとんど服が見えない。顔もフードを被っていて見えない。
「ミルフィそのローブは……いや、なんでもない」
きっとローブを外したくない理由があるんだろう。無理強いするのはよくない。
「服は気に入ったかい?」
「う、うん。でも……いいの? ネロには登録料も出してもらってるのに……」
「出世払いってやつさ。ミルフィが稼げるようになったら、返してくれればいい」
「わっわかった……! 必ず返すね」
「うん、よろしく」
ちなみに今回は武器防具などは買っていない。するのは訓練だし武器の方は俺が使ってた木刀を渡せばいいだろう。
「それじゃ早速行きますか」
「うっうん!」
ミルフィが元気よく返事した。
-----
いつも俺と師匠が訓練する森の開けた場所でミルフィは木刀を振るっていた。
まずは型の訓練だ。これは地味だが基礎だ。基礎は大事だ。なので、俺も気合いを入れて指導する。
「もう少し腰を落として、剣先はブラさないように」
「うっうん」
ミルフィは一生懸命俺の言うことを実践しようとする。
その姿をみると自分が型の訓練をしていた時を思い出す。
思わず横で素振りしている師匠を見てしまう。
師匠はどんな気持ちで俺達を教えてくれてたんだろうな……
俺と同じような気持ちだったのだろうか。
それとも複雑な気持ちだったのだろうか。
あの当時の師匠は訳ありに見えたから。
この子も見るからに訳ありだ。その日その日生きるのにも必死なのだろう。
訓練も真剣に取り組んでいる。
強くしてあげよう。精一杯。
それが、俺の偽善の対価だ。