不協和音、のち調和 Ⅱ
続きです。
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次の日の朝、空気は言わずもがな最悪だった。何があったか知らないるいと悠乃。昨夜あの後で何かあったのだろうか、とは思ったが2人の前で話す勇気も聞く勇気もなかった。朝食なんて最悪だった。無言。ただ無言なのだが、ピリピリとした空気が漂っていた。
「…行ってくるね」
この空気感に耐えかねたるいは早々に学校へ避難することにした。
「僕も今日は先に行くわ」
悠乃はそういうとリュックを背負った。いつもに比べるとそっけない2人からの見送り。2人の、『昨夜あの後で何かあったのだろうか』という疑問は『昨夜何かあったんだな』の確信に変わった。
「あの2人、今度は何があったわけ」
るいは家の向かいの道路に渡りながら隣の悠乃に聞いた。
「僕も知らないんだよなぁ。これが」
「でも夜挟んで悪化したのは事実」
「そう。だから多分僕が風呂から出て来て、寝た後に何かあったんだと思う」
「今日はどちらかと言えば湊音の方がイラついてたよね。昨日はどちらかと言えば澪の方がムカついてる感じだった。湊音は昨日は比較的余裕ある感じだったのに」
「大方、昨日の夜、澪の方がなんか湊音の気に触るようなこと言ったりしたりしたんじゃない?」
さすがは悠乃。ご名答でである。ただそれが正解だと2人は知る由もない。
「そうなら完全に澪が悪化要因だけど、澪ってそういうことするかなぁ」
「あいつは結構するぞ」
「昨日と言ってること逆じゃない?『あいつはあんまり違いを見せない』って言ってたよ。それって衝突を避けてるってことでしょ」
「まあ、普段は、ね。ただあいつって人のことよくみてるからなのか、相手にとって、1番言われたいことをわかってるんだよ。でもそれって1番言われたくないことも理解できるでしょ」
「あ、」
「そう。今まで言ってなかっただけであいつは言おうと思えば言える。だってそういうラインを見つけられる人だから。るいだって今まで微妙なラインで突かれたことあったよね?」
「微妙なラインって?」
「怒るほどではないからかいとか」
「身に覚えがありすぎる。ていうか、それは君ら全員から受けてる」
「自分で言うのも何だけど、僕らは多分みんなそのラインとかを探るのがうまいんだよ。で、その中でも澪は特別うまい」
「確かに澪はうちの中で1番対人関係とか問題なさそうだよね……」
「そう」
「はあ、今日家帰るの嫌だなぁ……」
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放課後。澪は物思いに沈んでいた。澪1人のみが残された教室は放課後特有の浮ついた雰囲気からはかけ離れた雰囲気だった。もうすでに17時近かったが到底帰る気分にはなれなかった。夕飯の担当は今日はるいだったし、まあいいか。そんな考え方が澪の頭に浮かんできて彼は苦笑した。いつのまにか、この家族の在り方に慣れている自分がいた。
家族。それは澪にとって近くて遠い存在だった。今まで出会った家族は澪のことを本当に理解してくれることはなかった。小学生の頃、澪はある家族に引き取られた。その頃の澪は小学生にしては大人びていて、現実的な、変わった子供だった。
ねえ、人って何で生きてるの?澪は家族にそう聞いたことがあった。すると家族は笑って言った。小学生はそんなことを考えなくていい、ただ学校行って、宿題やって、みんなと遊ぶことが仕事なんだから。いつも深い話をしようとすると、「難しいこと考えるの、やめなさい」と笑われた。
澪は中学生になった時、自分の意思でその家族を去った。自分を理解してくれる家族に会いたかったから。けれど次の家族も違った。その次も。澪はいつしか家族に自分の考えたこと、特に深いことを話すのをやめた。自分の価値観などそういうものを心の奥にしまった。そうしてだんだん、生活すらも周りに合わせるようになった。理解してもらえないのなら言って悲しい気持ちになるよりは、と思ってのことだった。そうやって、自分を守って生きてきた。
…でも今の家族もそうだろうか。澪はふっと考えた。ファミリー3のメンツは随分普通からかけ離れている。でも誰もそれに言及しない。そんな雰囲気があった。過度に肯定することもなければ、ちょっとびっくりして、自分はいいかな、ということはあってもそのものや考え方を否定することもなかった。るいや悠乃、湊音のやりとりを見ながら澪はそう感じていた。いつか自分が夢見た家族がここにあるのではないか、と思うこともあった。でも自分だけどこか遠く離れたとこにいる気分になることがあった。だって自分は、何も差し出していないから。心の奥を見せていない。ただ、『受け入れてもらえるかもしれない』という可能性を見つめて何もしていなかった。
「|ハイ ディファン ディフェ イ チュ ラーヴァウヴォ 《 好機逸すべからず 》か……」
澪はるいが過去に湊音に教えていたラノ語を思い出した。
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「るい、この言い回しってどういう意味?」
湊音がラノ語の宿題をやっていた時のことだった。
「 |ハイ ディファン ディフェ イ チュ ラーヴァウヴォ《 好機逸すべからず 》?ああ、これはね、『好機逸すべからず』って意味だよ」
「こういうことわざってどこにでもあるんだな。世界中の人に当てはまるってことか」
湊音が笑いながら問題文を眺めていた。
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「今の僕にも当てはまるかも」
澪は立ち上がるとリュックを掴んで下駄箱に向かった。空の夕焼けがちょっと眩しく見えた。
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「澪帰ってこないね……」
るいは完成した照り焼きチキンをお皿に盛り付けたものを悠乃に渡しながら言った。
「湊音は湊音でさっきから『イライラの発散』とか言ってピアノ弾きまくってるし…」
心配そうな表情をするるいに悠乃は笑った。
「まあそう心配しなくても大丈夫だって」
そこへ玄関のドアが開く音がした。
「あ、帰って来た」
「ただいま」
「「おかえり」」
澪はソファーにリュックを置くとあたりを見回した。
「湊音は?」
「部屋でピアノを狂ったように弾いてる」
「あー……、なるほど。ちょっと呼んできてくれない?」
「え」
警戒するるいに澪は慌てて言った。
「あ、大丈夫。喧嘩を終わらせるためにもみんなに話したいことがあって」
「家族会議ってこと?」
「まあそんな感じ」
「了解、呼んでくる」
悠乃は持っていた皿を配膳すると湊音の部屋にすっ飛んでいった。
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「ではこれから第一回家族会議を始めます。時間の都合上、夕食を伴わせていただきます。モデレーターを務めさせていただきます、天霧と申します。よろしくお願いします」
「何その始まり方」
澪の冷静なツッコミが飛んだ。
「いや、この方が緊張とかほぐれるかなって。とにかく。えー、ファシリテーターの木さん、今回の招集理由を提示してください」
「え、あ、はい、今回の招集理由は更科さんから我々全員に話したいことがあるとのことです」
「お前も乗るんかい」
湊音からもツッコミが飛んだ。
「えー、更科さん、どうぞ」
「なんか無理矢理感半端ないけど、まあいいや。結構長めの話になると思うから本当にご飯食べながら聞いてもらっていいから」
澪はそういうと語り始めた。
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「とまあこういうわけで、僕はあんまり深い部分を見せるのをやめてました」
「それは結構大変だったね……」
相槌と食器のぶつかる音だけが鳴り響く中、澪は今までの経緯を語った。悠乃が澪に同情した。るいも湊音も浮かない表情だった。
「でも、さ、お前らとはまだ正面からぶつかったことなかったなって思って」
「うん」
「ぶつかってみようかなって思った」
「なんで?」
「……お前らが今まで1番居心地いい家族だから」
「……え、じゃあ何で今までもぶつかってみようかなって思わなかったの?」
るいのどストレートな質問に湊音と悠乃はむせた。そんな直球で聞いて大丈夫か。おい。
「裏切られることへの不安、とか」
「なるほど?」
「変な空気になったらいやだなとか」
2人の心配をよそに意外と本音をぽつぽつと語る澪。
「でもこれからはぶつかってくれるんだよね?」
ここは僕も踏み込むか、と悠乃がじっと澪を見つめた。
「…出来るだけやってみよかなって」
「いいじゃん」
「待ってるよ」
「やっとか」
「……じゃあ早速言わせてもらうけど、君たち、食べた後の食器を水につけて欲しい。こびりついたら洗うのがめんどい」
「「「……善処します」」」
「それからるいと悠乃はもっと部屋を片付けて。あの部屋で暮らしていけるの、逆にある意味尊敬する」
「……そんな風に思ってたんだ……」
「……最善を尽くします」
ズバズバと今まで思っていたことを吐き出す澪。結局15分近く喋り続けた。
「……はぁ。言いたいこと全部言ってなんかすっごいスッキリしたわ」
「……まさかいつものあんな優しそうな顔でこんなことを考えていたとは……」
「……誠に申し訳ございませんでした」
「……最善を尽くさせていただきます……」
15分後、3人へ生活面で言いたいことを洗いざらい喋り倒した澪は、心当たりしかねえ、しかも言われて結構当然なことじゃん、と苦笑いをする3人とは違って、心からの笑顔だった。こうして第一回家族会議は幕を閉じた。
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夕食後、湊音の部屋にノックがあった。
「僕だけど。今時間いい?」
澪だった。
「全然大丈夫。どうした?」
「いや、結局謝ってなかったなって思って。ごめん」
「お前、そういうとこ意外と気にするんだな。僕も何も知らなかったとはいえ、ごめんなさい」
湊音は笑いながら答えた。
「ピアノ、弾かない?」
「僕も誘おうかなって思った。何弾く?今日はお前に決めてもらうぞ」
「そうだな、有言実行って大事だから。って、もうだいぶ夕食でぶちまけたけどね。とりあえず今までの連弾楽譜見ていい?」
「いいよ、出すね」
「あ、これとか」
「未来幻想曲ね、フリージカの作曲家が作ったやつ。もとのルーミア語の名前何だったっけ」
「ラムスシュ・ミューデ 。前るいに聞いたら教えてくれた。」
「あいつどんだけ言語知ってんだよ…。よしセット完了。弾くか」
澪が悠乃の隣に座った。2人でタイミングを合わせて弾く。和音が重なると気持ちが少しずつ音でほぐれていく、そんな感じがした。澪がぽつりと呟いた。
「……今までで一番、気持ちよく弾けてる気がする」
湊音と澪は鍵盤の上で手を踊らせながら笑った。綺麗な和音が夜の静けさに溶けていった。
「ね、見て。2人でピアノ弾いてる。嵐はすぎたね」
「不協和音も調和したか……」
「悠乃、上手いこと言うね」
悠乃とるいはピアノに向かって並ぶ二人をみて微笑んだ。