不協和音、のち調和 Ⅰ
穏やかな日曜日の夜。「ファミリー3」の面々はそれぞれ黙々と趣味に没頭していた。るいは貯金をためてようやく買えたテレビゲームを、悠乃は携帯ゲーム、澪は料理を、湊音はピアノの譜読みをしていた。
「そういえばさ」
澪の持つボウルに泡立て器が当たって奏でられるカタカタ音と、るいと悠乃のしているゲームの効果音やバックミュージックだけがなっていたリビングで湊音が唐突に喋った。
「澪って僕との連弾の楽譜、選んだことないよね。初めは一緒に探してても澪が『僕はなんでもいいよ』って言っていつも僕が選んでる気がする」
湊音は譜読みしていて楽譜から目を上げて、澪の方を見つめた。
「まあ」
曖昧な返事をしながら澪はボウルの中身を型に注いだ。
「まあ、じゃなくって。たまには澪が選ぶ曲も一緒に弾きたいんだけど」
湊音の意識はもはや完全に譜読みから澪に向いていた。
「考えとくよ」
「考えとくって、お前、いつも考える気ない時だよね?」
「考えてる時もあるから。今ちょっと忙しいから待って」
「その忙しいのだって、自分が食べるわけでもない、みんなのために作ってくれてるお菓子のせいでしょ?お前もうちょっと自分のこともやりなよ」
「いや、今料理してるから。僕にとってはこれは趣味だし。自分のこともやってるって」
「そうかもだけど。そういうことじゃないって」
「じゃあどういうことが言いたいわけ」
雲行きが怪しくなってきたやりとりにるいと悠乃はちらちらと2人の様子を伺った。
「僕ら全員、悠乃も澪も、僕も。ここにきてから澪にずっとよくしてもらってると思うよ。たださ、お前何かやったり決めたりする時、お前絶対自分の気持ちとか言わないよね」
「言ってると思うけど。僕この前ゴミ捨ての時とかだって『あんまり行きたくない』って言って結局じゃんけんに持ち込んで誰かになすりつけたよ」
「そういう時の話じゃない。軽い話題とかそういう日常的なことでは割とお前やりたいようにやってるよ。言いたいようにも言ってるし。ただ、お前絶対深いところは見せないっていうか、そういうとこあるよ!こう、本当に思ってることはあんまり言わないみたいな」
「……で?だから何?そういう性格なんだよって話じゃない?」
「ほら!またそういうこと言って。お前自分の深めな話になるとそうやってすぐ屁理屈言って誤魔化す」
雲行きどころかもう雷雨になりそうな、いや、もはや荒れ始めている気配を感じ始めたるいはいつでも悠乃のところへ逃げれるよう、ビデオゲームのセーブを始めた。
「別にいいだろ……」
めんどくさそうに答える澪。悠乃もこれはやばいのではと心なしかるいの方に身を寄せた。
「よくないだろ。僕ら家族だろ。全部言えっていうのは確かに無茶苦茶な話だけど。家族のことはちょっとぐらい信じてくれてもいいんじゃない?」
ドンっと重めな音がした。澪がシンクに調理器具を乱暴に置いたようだった。
「…お前、家族、家族って言うけど。家族だからって思ったことを全部言わないといけないわけじゃないだろ」
「だから全部じゃなくっていいって。お前ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるから」
ゲームなんてとっくに終了していたるいは悠乃の隣で身震いした。怒鳴りあうでもなく、互いが静かなトーンで言い分をいう、なんとも言えない圧迫感が漂った。
「とりあえず落ち着けって」
「「落ち着いてるから。黙ってて」」
悠乃が声をかけて、2人の声がハモった。こんな緊迫した状況なのに隣のるいにしか聞こえないくらいぐらいの声だったものの『ハモって仲良いんだか悪いんだか…』という悠乃に君もこんな状況で変わらないね…、とるいは思った。
「……」
「……」
重苦しい沈黙。そんな中で給湯器の音楽が鳴り響いた。
「……ぁ、ぇっと、お風呂沸いたから……」
るいはそういうとそそくさと洗面所に逃げていった。
「早いとこ仲直りしなよ」
悠乃もそういうと後は知らないとばかりに自室に入っていってしまった。るいは洗面所から悠乃が自室に戻った音を聞いてガックリした。今この状況をなんとかできたのは悠乃だけなのに…。そんなことを思いながらるいは風呂場のドアを開けて湯気を浴びながら、お風呂から出る頃には仲直りしてますように!と念じた。
****
が、世の中そううまく行くとは限らない。るいが風呂から上がってリビングに来てみるとそこにいたのは湊音だけであった。るいが出てくると湊音はい言った。
「澪ならいないから。あいつは部屋に引きこもってます。るいが風呂行って10分ぐらいで退場していった」
「……ちなみにその10分の間に仲直り、とかは……」
「してるわけなくない?澪が引きこもる理由ないじゃん」
「いや、ワンチャン、ただの引きこもりというのもありうるかなと……」
「あるわけないでしょ。あの状態で残されてあれ以上の衝突がないだけマシだったってとこだろ」
「そうだね……」
るいがなんとも言えない顔をしながら相槌を打っていると、悠乃が部屋からぬっと現れた。
「お、るい上がった?湊音、入る?」
「悠乃先入ったら?」
「じゃあお先に」
「ちょっとまてい」
るいは風呂へ向かう悠乃の襟首をガシッと掴んだ。
「うぉっ、なに?」
「なんで悠乃さっき出ていっちゃたの?あの場を納めてくれるかなって思ってたのに」
「るい、真っ先に逃げたもんね」
「それはすみませんでした」
「まあそれは置いといて、あれ以上何も言わなかったのは『僕も湊音に賛成だから』かな」
「お、やっぱ悠乃もそう思うよな」
「うん、僕も澪のああいう感じなとこには結構前からどうなのかな、って思ってたから」
あれは良くないよね、という2人。
「でもさ」
「何?」
「本当に話したくないことだってあると思うよ。仕方ないんじゃない?」
「そうなんだけど、」
「あいつは度が過ぎてるっていうか」
るいの反論に湊音と悠乃が困ったように言った。
「るい、お前、澪と価値観とか生活観とかズレたことある?」
「え、なに、急に」
湊音の突拍子もない質問にるいは眉を顰めた。
「いいから、考えてみて」
「…えー?価値観?生活観?ズレ?考えたことない……」
「そこなんだよ」
悠乃が湊音の隣の座りながら言った。
「僕らは家族だけど、途中から一緒になったじゃん。普通に考えたら育ってきた環境だって色々なんだから結構考え方や生活スタイルだって差異があってもおかしくないわけ」
「実際、僕は悠乃とるいにその違いを感じたことがあるし」
「僕だってあるよ」
突然の暴露にるいは困惑した。
「え、そう?私そんなに思ったことないけど」
「るい、それはお前がニブイだけ。よく考えてみなよ。例えば、るいにとって片付けられてない部屋ってどこから?」
「うーん、部屋に足の踏み場がなくなってきたら?」
「僕にとっては衣服をとかが散乱してたら、っていうので、」
「僕にとっては住めなくなったらってとこかな」
「だから湊音よく私に部屋を片付けなさいっていうのに、悠乃は言わないの?」
「そうだね。そんな感じかな。こういう風に僕らには結構いろんな違いがあって、ある人にとっては気になるけどある人には気にならない、とかなってるわけじゃん」
「うん」
「ただ、澪にはほとんどその違いがないんだよ」
「…言われてみればそうかも」
るいは考え込んだ。澪と、「違う」と思ったことがない。
「それってすごいよね……」
「すごいというか、もはや怖いって領域に入る」
湊音がテーブルに散らばった譜面をかき集めながら言った。
「僕らに合わせてるだけで、あいつずっと自分のやりたいように、思ったようにできてないのかもって思うと、僕もちょっと思うとこがあったってわけ」
頷く湊音を横に、悠乃は再び立ち上がった。
「とりあえず僕は風呂入ってきたら寝る。もう遅いし」
「僕はその後入るわ」
****
「私、澪のこと全然みてなかったのかも」
じゃあね、と洗面所に向かって行った悠乃を見送るとるいは言った。
「自分じゃ気づけなかったって落ち込んでんの?」
「……うん」
しゅんとするるいに湊音は微笑んだ。
「うーん、気づけないと困ることもあるかもだけど、今はいいよ。るいはそのままで」
「なんか『お前には無理だよ』って遠回しに言われた気分なのはどうして」
「思うところがあるんじゃない?」
「そうかもね…ってそれってどうい」
「あ、話してたら23時半近くなってんなー」
「わざとらしいな」
「るいはもう寝る時間だなー」
「続けるんかい」
「茶番は置いといて、お前もう寝なよ。心配しなくてもあいつは出てくるって」
「……わかった。寝るね。おやすみ」
「おやすみ」
****
24時。ちょうど日付が変わるタイミングで風呂から上がった湊音は、ちょうど部屋から出て来た澪と鉢合わせすることになった。気まずい沈黙。
「……あのさ」
先に喋り出したのは湊音だった。
「……何」
「ちょっと話し合ったりとか、できない?さっきはちょっと良くなかったなって」
澪は何も言わずに洗面所に向かっていった。
「……澪?」
「……話し合いで解決すると思う訳?そういう話はもういいから」
まさか突き放されると思っていなかった湊音は呆然としたままそこに取り残された。
2話は長いのでここらで一旦区切って前編とします。2人の喧嘩の結末や澪のか抱えていることを見たい方は後編へどうぞ〜。