累、涙、るい Ⅱ
「……おまえ、もしかして聞こえてた?」
噂の張本人の登場に3人はギギギギ、と音が鳴りそうなほどゆっくりとリビングのドアの方を向いた。澪が気まずそうに聞く。
「名前出されてたから気になって。悠乃の『るいの病院行く基準って変だよね』あたりから聞いてた」
「……怒ってる?」
澪が恐る恐る聞いた。
「いや、顔に出てたんだなって思ったぐらい?」
るいは困った様に笑って荷物を持ち上げながら続けた。
「今までは病院ってほとんど行ったことがなかったからさ、普通はこういうもなのか……っていうか感情だっただけ。気遣いも慣れていないっていうのはその通りだけど、どっちかと言えばそういう感情だったかな」
「は?」
困惑した様に澪が眉を寄せた。
「風邪とかひいても、私だけ病院行かしてもらえないのが『普通』。家族からの優しい言葉とかよっぽどのことがないとかけてもらえないのが『普通』だったから、本当の普通を体験すると感動よりもなるほどっていう気持ちになっちゃって」
あはは、と困った様にるいが笑って頭を掻いた。
「え、は?」
湊音が困惑したようにるいを見つめた。
「私だって今までの『普通』が普通じゃなかったことには小学校中学年ぐらいで気付いたからさ、本当の普通ずっと体験してみたかったんだよね。で、いざ体験するとははーん、こんな感じか……っていう、悟りの域に入っちゃうんだよ」
「……そういう、『普通』を今まで誰か直してくれなかったのか?」
澪が静かに聞いた。
「助けてくれてた人はいたんだけど、私、大体外国に住んでたから、他の国は外国籍の子供の保護について青菊ノ国みたいにきっちり決まってなくてさ。そう簡単には保護とかできなかったみたいで」
「……そうか」
「いつも、『おまえなんか貰わなきゃよかった』とか『いなきゃよかった』って言われて1人で生きてたからさ。ここにきて、皆が優しくて、なにもできなくてもっ、っここにいてっ、いいっていってくれるひとがっ、いて、」
「もういいよ、喋らなくていいよ。わざわざ辛いこと思い出さなくていい」
ポタポタと涙を流し始めて嗚咽を漏らして喋るるいを見て澪は止めた。
「っうわあ゛あ゛あ゛あああぁぁ」
るいはダイニングテーブルに突っ伏すと堰を切ったように大声で泣き始めた。
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「虐待って本当にあるんだな……」
湊音は泣き疲れて寝てしまったるいを部屋に運び終わり、るいの部屋から出てくるとポツリと零した。あの後、るいは10分ほど号泣したかと思うと唐突に糸が切れた様に寝てしまったのである。
「……るいが前に言った、『ある場所に留まりたいのなら、常に走り続けなきゃいけない』、あれもきっと前の家族の誰かの言ったことだろうなって、今、今までのるいの全部が繋がってなんとも言えない気分だよ、僕は」
澪はダイニングテーブルに座って頰杖をつきながらため息を吐いた。悠乃も黙って冷蔵庫から緑茶を取り出すと氷をたくさん入れたコップに注いだ。この空気感に似つかわしくない、軽やかな氷の音がした。
続きます。