幕間④ 6人の夏の一コマ
7月後半。ルークラフト教授夫妻に青菊ノ国の案内をしていたるい、悠乃、湊音、澪は青菊ノ国の夏らしい湿気の多い、もわっとした暑さの中、夫妻と共に談笑しながら次の目的地に向かって華昴郡の中心地区、山紫地区を歩いていた。大きな公園の前を通りがかったとき、不意にフィルークが言った。
「ちょっと飲み物を買いたいんだが、この辺に店はあるかい?」
「それなら自販機の方が近いかもしれないですね」
「ああ! 自販機か! そうだった、青菊ノ国には自販機があるんだったな」
「エルディアにはないんですか?」
「エルディアは冬が寒すぎてな。自販機の扉が凍るんだ。そうすると自販機の中身が変えられないだろう? それだと不便すぎるから、普通は置いてないんだ」
「なるほど……」
「1番近くの自販機は300メートルぐらいのとこにあるみたいです」
湊音の疑問に教授が答える横で悠乃がスマホを見ながら言う。青菊ノ国では全ての自販機にGPSがついている。元々は盗難対策のために付けられたものだったが、10年くらい前に自販機の飲料会社で『すぐに自販機がどこにあるかわかったらいいんじゃね?』と、ある社員が発言したことにより、専用のWebサイトから近くの自販機を探せるサービスが生まれた。だから青菊ノ国の人は自販機探しにはスマホさえあれば困らないのだ。
「フィル、悪いけど私の水も買ってきてくれない? ちょっと歩き疲れてしまって。そこの公園で休んでてもいいかしら」
「もちろん」
「じゃあ私もオフェリアさんと待ってるね。私も歩くの疲れちゃった」
るいがオフェリアのそばに駆け寄った。この数日でるいはすっかりオフェリアに懐いていた。
「じゃあ自販機は男性組だけで行くとしようか」
「そうですね」
****
「お、あった!」
GPSの示すところまでやってくると男性陣4人は自販機に駆け寄った。
「隣のこれも自販機かい?」
フィルークは右側の箱のような自販機らしきものを見た。
「そうですね、それも自販機です。アイスクリームの。」
「青菊ノ国の自販機は種類が豊富なんだなぁ。ちょっと羨ましいよ」
4人はそれぞれ水を買うと、ペットボトルのキャップをキュっと捻って中身をあおった。程よく冷やされた水が火照った体内を駆け巡っていく。
「水、美味しい」
「生き返るー」
「リアの分も買わないと」
内側から冷やされ、リフレッシュしたフィルークがオフェリアの水を買い終わって車道を見た時のことだった。
「お、悠乃。あの車のナンバープレート、ナルシスト数だぞ」
悠乃が小学生になった頃、見かけた車のナンバープレートに何か法則がないかなどを見つける遊びをすることが多かった。そしてその遊びを教えたのはフィルークなのだ。だから悠乃が喜ぶだろうと思って教えたのだが、何気ないフィルークの呟きに思いの外、他の男子2人も食いついた。
「え、どれですか」
「どのやつです?」
「たしか4桁のやつって3種類ありますよね?」
キョロキョロとする3人にフィルークがペットボトルである車を示した。
「あれだよ、あそこの赤信号で止まってる白い車。ナンバーが8202だろう?」
「ほんとだ」
「なんかラッキー」
「え、待ってその車の隣の車線のやつ、カプレカ数じゃない?」
「本当じゃん」
「めっちゃ運いいな、今」
はしゃぐ男子3人を見て、フィルークが声をかけた。
「悠乃が数学に興味を持ってたのは知っていたけど。澪くんと湊音くんも数学が好きなのかい?」
「ええ」
「まあ」
「君達、カプレカ数も知っているようだったよね?」
「一応知ってますね、はい」
「悠乃よりは知らないことが多いと思いますけど」
「あー……。あれは規格外だから、考えなくていいさ」
「ひどいですね、フィルークさん」
傷付いたふりをする悠乃をよそにフィルークは納得したように頷いた。
「つまり、君たちも数学オタクと言うわけだね? で、先ほどのような遊びを結構している、と」
「ええ、まあ」
「どっちかと言うと理系全般のオタク、ですかね」
「悠乃と同じだな。いやぁ、君たちが仲がいい理由がもう1つわかった気がするよ。君らの将来が楽しみだ」
「ルークラフト教授にそう言ってもらえるなんて光栄です」
ははは、と笑うフィルークに3人も笑った。夏の、爽やかな匂いがした。
****
一方そのころ、るいとオフェリアの女性陣といえば。
「なるほどね。あなたたちは本当に面白いわね」
ファミリー3についての雑談に花を咲かせていた。夫人は面白い4人のエピソードに笑いながら近くのベンチに座ろうとしていた。るいもそれについて行こうしてちょっとだけ盛り上がっていた道につんのめり、転けそうになった。
「ベ ヤギャッベ!」
ルークラフト教授はるいを引き寄せながら思わずエルヴェ語を口走った。
「あ、ごめんなさい、今のはエルヴェ語で……」
「|イェイゼ、ドウロー《すみません、ありがとうございます》」
「……あら?」
なんとるいがエルヴェ語を喋ったのだ。驚く夫人にるいが無意識に追い討ちをかける。
「|ノ ミャ キ トゥツリッパ ウュぺ カ ポ ザャヨー《後で毛糸玉を探して投げなきゃですね》」
完璧な発音。その上、エルディアの文化である「転けたときは幸運を呼ぶために毛糸玉を投げる」というエルディアの文化も履修済みと来た。
「るい、あなたは、エルヴェ語が喋れるの?」
驚きは去ったものの今度は興奮が夫人に宿った。
「あ、えっと、昔の家族とエルディアに住んでいたことがあって」
「でもエルディアの人は外の人には基本エルヴェ語を使わなくないかしら。地域によるけれど、基本ラノ語か和語を使うわよね」
「そうなんですけど、色々あって、隣のお姉さんに教えてもらっていたんです」
「なるほどね。どれくらいの期間教えてもらっていたの?」
「住んでいた期間まるまるなので…2年くらいですかね」
「2年!?2年で難関の言語と言われるエルヴェ語をここまでに仕上げたの?!」
「えっと、私、家族とは仲があんまり良くなくて、本当にあの2年間はお姉さんに助けられて生きていたので、自然にエルヴェ語を使わざるをえず、習得、と言うかんじですね……」
「なるほど……」
「私、外国語だけは自慢なんです」
「外国語、ということは他の言語も喋れるのね?」
「はい、ラノ語、ルーミア語、仁語ですかね」
「母国語はここの和語なのかしら」
「そう……ですね……たぶん」
「多分ってなによ」
夫人は笑った。
「母国語ってその人が生まれた時に初めて習得した言語じゃないですか。それでいうと私がものすごく小さい頃に私の家族だった、さっきとは別の家族とリューミュに住んでいたこともあって。その時がちょうど和語を喋れるようになった頃で、ラノ語も同じぐらいのタイミングで習得しました。だから、ラノ語も母国語みたいな感じなんです」
「じゃあ、ちょっと聞き方を変えましょうか。あなたが最も心地よく感じる言語はどれなの?」
ルークラフト教授がそう尋ねると、るいは少し考え込むそぶりを見せた。
「うーん……」
顎に添えていたてを下すと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「——たぶん、和語、です」
「たぶん?」
教授は小さく微笑んだ。
「和語は、今の家族と話す言葉だから。言葉のルーツは曖昧でも……今の私にとっては、それが一番安心できるものなんです」
その言葉に、教授の瞳が少し柔らかくなる。
「そうね。言葉というのは、単なるツールではなく、人の生き方や関係性と結びついているものだからね」
るいは少し照れくさそうに笑いながら、そんなに大した話でもないですよ、と肩をすくめる。
「いいえ、大した話よ。言葉ってみんなが思うよりも結構人を知る手掛かりなんだから」
夫人は満足げに頷いた。
「それにしても、あなたの言語の才能は本当に興味深いわね」
「そうですか?」
「ええ、言語学を専攻するものとしては好奇心をかられるわよ。あら、男性陣の方も帰ってきたようね」
「あ、ほんとだ」
「さ、行きましょ? この後は美術館に行くのでしょう? 私、青菊ノ国の陶器を見るの、初めてなのよ。楽しみだわ」
「行きましょ、行きましょ」
はしゃぎながら男性陣に合流する女性と女の子の2人。それを笑顔で受け入れる男性1人に男の子が3人。何も知らなければ微笑ましい家族に見える。「家族」の物語はこれからどうなるのだろうか。
家族、乃ち居場所の語られなかった夏休みのエピソードを書いてみました。みんな個性が炸裂してます。楽しそうだな、ぽまえら。(作者は絶賛繁忙期(じゃあなぜ書いている))