表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/99

第72話 きっと、慕われてたんだろうなあ

本日更新予定3話中の2話目です。





「――アレを呼んでください」


 弾麻ダイカツがその命を下してから、少しばかりの時間が過ぎた。




 ◇




 弾麻興業の事務所。


 その奥の役員室には、冷え冷えとした空気が漂っていた。

 かつて「センパイ」と慕われた男は、椅子に縛りつけられていた。


 腫れ上がった顔には無数の青痣。息をするたび、かすかに身じろぎし、そのたびに顔を歪める。

 その姿を囲んでいるのは、いやらしい笑みを浮かべた男たち。


 中には、新事業関連の査定係――野口の姿もあった。


「……おや、どうしました? しばらく見ないうちに、ずいぶん顔色が悪くなりましたね」


 ダイカツが眉をひそめ、心配そうに声をかける。

 センパイは唇を震わせるが、うまく声が出ない。


「そりゃ、こんな失敗しちゃあ真っ青にもなりますよねえ」


 野口が声を張り上げると、取り巻きたちは待ちかねたように笑い出した。


「センパイ、どうしたんすかぁ?」


「チビのガキに伸されて、そのまま気絶とか――」


「くはは、だっせぇ!」


 嘲笑が室内に響く。

 センパイの虚ろな瞳が彼らを睨み返すが、その目に宿っていた威厳はとうに失われていた。


「センパイ、もっと前みたいに稽古つけてくださいよ~。ほら、こんな風に――」


 野口がひときわ悪意に満ちた笑みを浮かべ、振りかぶった――その瞬間。


 ――パンッ。


 乾いた音が響く。

 野口の額に小さな穴が開き、体がくずおれる。


 取り巻きたちは息を呑み、室内の温度がさらに冷え込んだ。

 煙を立ち上らせる銃を手に、ダイカツは困ったように肩をすくめる。


「……彼の顔――君たちがやったのですか?」


 その声は穏やかだが、ぞっとするほど冷たい。


「いけませんねぇ。君たちは仲間でしょう? どうしてお互いに、仲良くできないんですか」


 取り巻きたちは震え上がり、一斉に頭を下げた。


「さあ、謝りなさい」


 その優しい声に促されるように、男たちは口々に声を絞り出す。


「せ、センパイ! す、すいませんでしたっ!」


「っ……。あ、ああ……お、俺の方こそすまねぇ……」


 センパイのかすれた声が、かろうじて続く。

 ダイカツは満足げに頷き、柔らかな笑みを浮かべた。


「なんと美しい。赦し合いの精神こそ、この荒涼たる世界において最も尊いものです。皆さん、どうか忘れないでくださいね」


 その言葉は穏やかで、感動的な場面にすら見えたかもしれない。

 足元に広がりつつある血だまりさえなければ――


「そう――赦し合いは必要です。とはいえ……信賞必罰。それもまた、無視はできませんね」


 ダイカツがそう呟くと、センパイの体がびくりと震えた。

 その反応に気づくと、ダイカツはわざとらしく眉を寄せ、ふう、と静かなため息をついた。


「ノルマが少々キツ過ぎましたかねえ」


 あくまで柔和な口調。しかし、その声の奥底に潜む冷たい棘を、センパイは敏感に感じ取っていた。


「無理をする必要はなかったのですよ? 一言、言ってくれさえすれば――私はいつでも、相談には乗ったのに」


「あ、は……はい……す、すいませ……」


 か細い謝罪が漏れる。


「そうすれば、ここまでの事態にはならなかったでしょう」


 ダイカツの視線が、足元の死体へとゆっくり滑る。

 センパイの体がびくりと跳ねた。


「――ですがね。よかったこともあるのですよ?」


 ダイカツは優しく微笑んだ。


「君のおかげで、財津課長との絆がいっそう深く結ばれることになりました」


 その笑顔は、まるで子どもの成長を喜ぶ父親のようだ。

 しかし、その無垢な笑みの裏に潜む鋭い刃を、センパイは嫌というほど理解していた。


「とはいえ……失敗は失敗。新事業の停滞を招き、組の名を危機にさらしたのもまた事実。赦しだけでは、優しさとは言えませんよねえ?」


 ダイカツは顎に指を当て、しばし思案する素振りを見せる。ふと何かを思い出したように、目を細めた。


「そういえば、つい最近――用心棒(ペット)が一匹いなくなってしまいませんでしたっけ」


 その一言で、センパイの額からぶわっと汗が噴き出した。


「なぜいなくなったのでしたっけ?」


 ダイカツはゆっくりと首をかしげる。

 その目は柔らかく微笑みながらも、じわりと圧力を増していく。


「……ねえ、君。何か心当たりはありませんか?」


 センパイの喉が鳴る。

 額の汗が滴り落ちるのも気にせず、ただ黙って震えていた。




 用心棒(ペット)――

 アブレたちがアジトに住まわせる、制御不能の巨大クリーチャー。


 敵を味方もろとも葬り去るためだけに存在する、最終手段。

 その不在を、看過できるはずがない。




「あれは抑止力なんです。いなければ無駄な抗争に発展してしまいます。どうしていないのか……」


 ダイカツはわざとらしく天を仰ぎ、ひとつ息をついた。


「どうしました? 私が、君に、聞いているんですよ?」


 穏やかな声。柔らかな微笑み。しかし、その足取りは静かに、確実に、センパイとの距離を詰めていく。


「あ……あれは……」


 センパイの唇が震える。喉がこわばり、言葉が出ない。


「あれは?」


 ダイカツの顔がさらに近づく。その圧に耐えきれず、センパイの口から、とうとう言葉がこぼれた。


「あ、あれは……お、俺が……」


「――ああ、そうですか。君が逃してしまったんですね」


 ダイカツは満足げに頷き、ゆっくりと微笑む。


「では、ちょうどいい。捕まえてきてください」


 その一言に、センパイの顔から血の気が引いた。


「サイズは……そうですねえ。ビルの二階ほどの高さのもので構いません」


 軽い調子で告げられる指示。しかし、その意味は明白だった。

 用心棒(ペット)の捕獲――それは、命を賭けた行為だ。単独での成功など、ほぼありえない。


 つまり、「死ね」と言われているのと同じだった。


「あ、あっ……あっ……」


 センパイは言葉にならない声を漏らす。


「それをもって、全ての禊としましょう」


 ダイカツは、慈悲深い笑みを浮かべながら、ゆっくりと告げた。

 それまでの数々の失態を、たったひとつの功績で帳消しにする。これが優しさでなければ、何だろう。


 少なくとも、ダイカツはそう信じていた。発言しているその瞬間だけは、本気で。

 だが、その優しさが、相手に伝わるとは限らないらしい。


「ま、待ってください! お、俺のせいじゃないんです!」


 センパイの上ずった声が、室内に響いた。

 額には脂汗が浮かび、血走った目が必死にダイカツへと縋りつく。


「あ、あれは……アジトに乗り込んできた不審者が、やっちまったんです!」


「ほう?」


 ダイカツはわずかに首を傾げる。その仕草には、うっすらとした愉悦の色が滲んでいた。


「つまり君は、不審者を引き込んだ挙句、手に負えない用心棒(ペット)まで解放される事態を招いた、と?」


「……か、カスの野郎が、勝手に……!」


 絞り出すような言葉に、ダイカツは鼻で笑った。


「ああ、春日井君が、ですか。彼も、まったく勝手な人だ」


 それは事実だった。用心棒(ペット)を解き放ったのは、カスこと春日井に違いない。

 ただ、そもそもの話――


「ええと、それで? なぜ、その不審者を呼び込むことになったんでしたっけ」


 ダイカツは視線を天井に向け、考え込むふりをする。そして、あっさりと結論を導き出したように、センパイへと目を戻した。


「ああ、そうでした。君が――誘拐なんて真似をしでかしたせいでしたね? 新事業を控えたこの大事な時期に」


 センパイの喉がひくりと震える。


「い、いや、それは……」


 言い訳を続けようとするが、口が上手く回らない。


 それでも、なんとか声を絞り出した。


「あ、あれは……ぼ、ボス好みの女がいると、仮面の野郎が言って……そ、それで――ぼ、ぼ、ボスのためだったんです!」


「ほう。私好みの、ですか」


 ダイカツは、一瞬だけ驚いたように眉を上げた。しかし、すぐに冷笑へと変わる。


「アレが、そんなことを。まあ、利をもたらす存在だったのは事実ですが――潮時、ですかねえ」




 こうも虚仮にされては手の切り時だ.

 ダイカツはそう結論づける。


 もちろん――

 それは、目の前の男についても同様だった。




「ああええと、なんでしたっけ?」


 ダイカツは指先を軽く振りながら、のんびりと問いかけた。


「私好みの女? それは、どんな女性だったのですか?」


 何気ない調子の問いだった。

 だが、それは気まぐれの産物――あるいは、心に燻る疑念の小さな種火に過ぎなかった。


 センパイはその変化を、最期の好機と勘違いする。

 顔を引きつらせながらも、血走った目に必死の光を灯し、つかの間の猶予にすがりついた。


「そ、そりゃあ面もスタイルも抜群で。ひ、氷解者だってんでちょっと頭はアレでしたが、かえって扱いやすそうなバカ女で――」


「……氷解者?」


 ダイカツの声が低くなる。

 その一語に含まれる違和感に、わずかに細められていた目がかすかに見開かれた。


 漂っていた柔和な空気が、瞬く間に張り詰める。




 氷解者。


 遺物でありながら遺物ではない、特殊な存在。

 データベースにも登録されず、売買も管理もできない。


 ダイカツが把握しきれない数少ない例外だった。




「その女は、氷解者だったのですか?」


 声の調子は先ほどと変わらぬまま。けれど、その奥底に潜む鋭い棘が、センパイの喉を締め上げていく。


「は、はい! つい最近氷解したばかりだと……か、仮面の野郎がですね! そ、それで――」


「……つい最近だと、あの仮面が言ったのですね?」


「え、ええ!」


 ダイカツの目がゆっくりと伏せられる。


 呼吸が、わずかに深くなる。


「…………それほど、容姿が優れていたと?」


「そりゃもう、人間離れしてるんじゃないかってくらい不自然に面の整った――ッ!??」


 その瞬間――ダイカツの手が、センパイの首をわしづかみにした。


「ぐっ!? が、か、はっ……!!?」


 センパイの喉から、濁った音が漏れる。

 突然の暴挙に理解が追いつかぬまま、爪を立てて必死に抵抗するが、無駄だった。


 指が食い込み、首の骨がきしむ。

 ダイカツの顔はみるみるうちに赤く染まり、怒りに震えている。


 その怒りは、目の前のセンパイに向けられたものではない――少なくとも、直接的には。

 だが、容赦はない。


「――――っか――はっ!」


 センパイの目が血走り、舌がだらりと垂れ下がり――最後の痙攣を見届けることなく、ダイカツはその首を握りつぶした。


「あの野郎ぉおぉ~~~~ッ!!」


 轟く咆哮。

 投げ捨てられた死骸が床に沈むと、ダイカツの怒りが解き放たれる。


 血に染まった拳が震え、合皮のソファを蹴り飛ばし、重厚なローテーブルが叩き割られ、残骸が床に散った。


 恐怖に竦みあがる部下たちをよそに、破壊の嵐はしばし続く。

 やがて、息を切らせたダイカツは、ぐしゃりと潰れた亡骸を一瞥し――


「……がせっ! 氷解者の女を探し出せぇ!!」


 怒声混じりの指令を叩きつけた。

 部下たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。


 ダイカツは、自らの手で貴重な情報源を失ったことに気づく余裕すらなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ