表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/99

第71話 壁に耳あり

本日更新予定3話中の1話目です。





 クサカベスタンプの店内は、昼下がりの気だるい静けさに包まれていた。


 客の姿はなく、薄い陽光が棚に並ぶ印器のケースを鈍く照らしている。

 裏手の作業スペースでは、クトリが端末を操作しながら笑い声を漏らしていた。


「『新事業中断、手続き不備か』――だってさ」


 ニュースサイトの見出しを指先で弾きながら、嘲るように声に出す。


「財津のおっさん、よっぽど荒れてるらしいぜ。過去のことまで穿り返されたってな」


 イヒトは黙ったまま、腕を組んで壁にもたれていた。眉間のしわがわずかに深くなる。

 クトリはちらりとその顔を見て、肩をすくめた。


「お前にとっちゃいいことづくめだろうに」


「足引っ張りあって喜ぶほど、落ちぶれちゃねーよ」


 イヒトの冷めた声音に、クトリはわざとらしく目を丸くする。


「へぇ、殊勝なこった」


 ひゅっと端末を放り投げるように机に置いた。小さな音が響き、沈黙が落ちる。

 イヒトは視線を逸らしたまま動かない。


「やめるか?」


「……あ?」


 低く険しい声が返る。

 クトリは立ち上がり、イヒトを見下ろした。


「全部やめて、狩人に戻るって手もあるぜ」


 言葉は静かだが、その瞳は探るように鋭い。


「今回の件で、財津のおっさんも相当詰められてる。今まで通りってわけにはいかないだろう」


「……んな簡単に戻れるかよ」


 イヒトは吐き捨てるように言った。


「じゃあ、このまま細々と調査士やり続けるでもいいぜ。ホカゼちゃんたちが一番望んでるのは、それだろうな」


 クトリはからかうように笑い、イヒトの胸を軽く叩く。


「どうする?」


 試すような視線がイヒトを射抜く。

 イヒトはその目をまっすぐに睨み返し、静かに言った。


「バカかお前。いまさら俺が、おじけづくとでも思うのか?」


「……そうか」


 クトリは息を吐き、肩をすくめた。

 机の上の印器をつまみ上げ、ひらひらと振って見せる。


 その軽薄な仕草がどこか挑発的に見えたのか、イヒトの眉間がさらに険しくなった。


「ほら、これ」


「……なんだよ」


「何って、ご注文の品だけど?」


 イヒトの目がわずかに見開き、すぐ苦々しく詰め寄る。


「……金を急かしてたのは、なんだったんだ」


「材料費に届く位は払ってもらったからね。残りは借金ってことで勘弁してあげるよ」


 舌打ちが静かな店内に響いた。


「……とっくに出来上がってたのかよ」


「当たり前だろ。何年たったと思ってるんだ」


 イヒトはそっぽを向き口を開く。


「で? 今になって渡すつもりになったのは、どういう風の吹き回しだ」


 クトリの手がぴたりと止まる。

 印器を机に戻し、目を伏せた。


「……やるなら、今しかないと思ったんだよ」


「どういう意味だ」


 イヒトの声が低く落ちる。

 クトリは端末を手に取り、ディスプレイを見つめながらぼそりと呟いた。


「これまでは、イヒトが何を言ったところで誰も信じなかっただろ。でも今は違う。財津のおっさんが転んだ今なら――」


「テメェ……そんなくだらねぇ理由で今まで出し渋ってたのか」


 イヒトは苛立ちを押し殺すようにため息を吐いた。


「あのな。俺は俺の主張を通したいわけじゃねえんだよ」


 その声は吐き捨てるようだった。

 だが、睨みつけるイヒトに、クトリは少しも動じない。


「俺一人がわかってればいい、ってか?……いい加減、ガキみたいなこと言うなよ」


「あぁ……?」


 静かな言葉に、イヒトの目つきが険しくなる。


「お前だけじゃ、どうにもならない問題だってあるだろ」


 クトリは渋い顔をしながら、ゆっくりと口を開いた。


「ったく……今回だって、沙倉やリィズちゃんのおかげだろうに」


 名を口にされた瞬間、イヒトの指先がわずかに動いた。

 その反応を見逃さず、クトリは静かに続ける。


「結果的に、全部の繋がりが明らかになった。沙倉たちを襲った誘拐犯の正体――アブレの一員だぜ」


 イヒトは目を細める。


「……マジなんだろうな」


「ああ。沙倉に伸された後、弾麻興業の社員を名乗る奴らが引き取りに来たって話だ」


 クトリは端末を手に取り、ペン先を画面に走らせる。さらさらと文字が刻まれる音だけが静かな空間に響いた。


「弾麻興業――なにかと黒い噂の絶えなかった企業だ。()()()()()()鳴りを潜めてたけどな」


 クトリはその名を囲み、ペン先を止める。

 次に「エコロジカルアーカイブズ」と記し、一本の線で繋ぐ。


「今回の件で、この線が繋がった。そして、この二つは――」


 ゆっくりと、最後の名が描かれる。


「財津」


 イヒトは睨みつけるようにその名を見つめた。


「当然テメェとも、繋がりがあるよなぁ……!」


 低く絞り出した声には、怒気が滲んでいる。

 だが、その手が印器を奪おうと伸びた瞬間――クトリがさっと腕をかざして遮った。


「どういうつもりだ……見せびらかすために出したわけじゃねえだろ」


 イヒトの目が険しく細まる。


「イヒト、目的を見失うなよ」


 その言葉には、冷たい鋼のような硬さがあった。クトリの目がイヒトを射抜く。


「お前の狙いはなんだ?」


 イヒトは一瞬だけ黙り、ため息を吐く。


「……決まってんだろ。あの災害を起こした奴らに落とし前をつけさせる。それだけだ」


 僅かな間。

 クトリの目が細められる。




「クリーチャー災害は人災――本当にそう言い切るんだな?」




「また蒸し返すつもりか?」


「いまさら疑わないよ。少なくとも、お前らがそう信じてることはな」


 イヒトの唇が歪む。


「なら、さっさとよこせよ。これ以上何の確認が必要だ?」


「落ち着けよ」


 クトリの声は静かだが、その分だけ鋭さが際立っていた。


「財津は手がかりに過ぎない――お前自身が言った言葉だったな」


「ただの手がかりじゃねえ。あの災害は自警団や狩協のシフトの隙間を狙って起きた。そんなことが出来たのは――」


「わかってるさ。足取りを追えば、財津が絡んでる可能性は高いってことはな」


「なら――」


「やりすぎるな、って言ってんだ」


 クトリの声がイヒトの言葉を遮る。その声音には冷えた鋼のような硬さがあった。


「お前さ……冷静なのは口だけなんだよ」


 クトリの視線がイヒトを射抜く。


「お前の気持ちはわかるよ。俺だってな、憎いに決まってる。でもな――」


 クトリは印器を握りしめ、静かに語り始めた。その声には抑えきれない怒りが滲んでいる。

 クトリは一歩前に出て、イヒトを見据える。


「唯一の手掛かりを潰すような真似すんなよ。その時は、俺がお前をぶっ飛ばすからな」


 その目は、言葉以上の決意を語っていた。


「いいかイヒト。財津はあくまで手がかりだ。口を割らせるだけにとどめろ」


 クトリは印器を掲げ、イヒトの目の前に突き出した。


「こいつは渡すのは、それを約束してからだ」


 長い沈黙。イヒトの拳が震える。やがて、その瞼がゆっくりと閉じた。


「――わかった」


 低く絞り出すような声。

 イヒトが頷くのを見届けると、クトリはわずかに肩の力を抜き、ようやく手を放した。


 印器がイヒトの掌に落ちる。

 その重さを噛みしめるように、イヒトは指をゆっくりと握り込んだ。


 張り詰めた空気が、わずかに緩む。

 クトリは一歩引き、いつもの軽口を戻すかのように口角を上げた。


「――で、どうだ。わかったか?」


 静かな問いかけに、イヒトは眉をひそめた。


「あ? なにがだよ」


「沙倉たちのおかげだ、ってことがだよ」


 ピクリとイヒトの表情が歪む。


「アイツらの行き当たりばったりが、たまたまいい方向に転がっただけだろうが」


「たまたま――なわけねえだろ」


 クトリは呆れたようにため息をついた。


「どうやって狩協の連中が、今回のことを知ったと思う?」


「……どうやってって、そりゃ――」


 言いかけたイヒトの口が止まる。クトリはわずかに首を振った。


「沙倉から渡されたデータを、俺がリークしたんだよ」


「――なんでお前なんだよ」


 イヒトの視線が鋭さを増す。クトリは片眉を上げ、わずかに得意げな笑みを浮かべた。


「俺も当たり前すぎて忘れてたんだけどさ。亜人ってのは、少し変わった能力を持ってることが多いだろ」


 その言葉に、イヒトの脳裏にサクの尖った耳がよぎる。


「……裏で話すときは、もう少し小声にするべきかもな」


 茶化すような口調に、イヒトは鼻を鳴らした。


「聞かれて困るような話なんざしてねえよ」


 クトリは肩をすくめる。


「礼は言っとけよ」


 イヒトは答えず、ただ手の中の印器をじっと見つめた。その視線は険しく、だがどこかに迷いが滲んでいる。


 クトリはそれ以上何も言わず、ただ静かにイヒトを見ていた。




 ◇




 その日、クサカベスタンプには人知れぬ来客があった。




 本郷ホカゼは、いつものように裏口を選んだ。

 表通りに面した店先は、若い女性客でよくにぎわっていることがあった。


 クサカベスタンプは、スタンプの需要もさることながら、クトリ自身の飾らない雰囲気や整った顔立ちも秘かに人気を集めているのだ。


 ホカゼには、その輪の中に混じる勇気はない。


 だからホカゼがクサカベスタンプを訪れるときは、例え人気のない時間帯でも、決まって裏手の小さなドアを使うのが習慣になっていた。


 今日も変わらず、そのルートをたどる。

 ひっそりとした路地を抜け、二段だけの平べったい階段にたどり着く。


 ホカゼは一歩ずつ慎重に上り、小さく息をついた。

 ドアノブに手がかかる。ひんやりとした金属の感触が指先に伝わり――




 なじみのある二人の声が、漏れ聞こえてきた。

 ホカゼの指が、ドアノブに半端に触れたままで止まる。


 ひとことひとこと、耳に染み込んでくる会話。

 ホカゼは息を詰めた。


 そのまま、何もできずに立ち尽くしていた。




 ――盗み聞きするつもりなんて、なかったのに。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ