第7話 日下部クトリは腐れ縁である
「よかったじゃん、お仲間が増えて」
クトリのからかうような声に、イヒトは眉をひそめた。
「仲間なんかじゃねーよ」
「なんで? やっと崩壊前トークできる奴が見つかったんだろ?」
「俺がいつ、そんな話をしたがった?」
「だって、何かにつけて『俺が産まれた頃は』なんて言ってたじゃん」
イヒトがにらみつけても、クトリの表情に全く応えた様子はなかった。むしろ、いたずらっぽい笑みを強めながら言葉を続ける。
「ああ、でもイヒトは氷解者の中でも特別だから話が合わないかもしれないなあ」
「……テメェな」
「『俺は三次前に生まれたんだぞ。四次じゃない、三次だ』――だっけ?」
煽るような顔の幼馴染に、いよいよイヒトも青筋を浮かべ始める。
「おい、クトリ。こっちにもガキの頃の『おいた』のストックが山ほどあるって忘れてねえか?」
「はいはい、悪かったって」
クトリは肩をすくめると、少し真面目な表情をして、穏やかな口調で言葉を続けた。
「ま、その子とは仲良くしてあげなよ。向こうだって崩壊前のことを話したいかもしれないだろ? なんせ、こんな世界に突然起こされたんだからさ」
「そんなタマじゃねえよ」
「そう言うなよ。どうせ施設に引き取られたんだろ? たまに顔出すくらいはしてあげなよ」
イヒトは言葉に詰まり、曖昧にうなずくしかなかった。
まさか、「引き取ったどころか、倉庫部屋に放置している」なんて、口にできるはずもない。
クトリはまごつくイヒトに小さく溜め息をつくと、話題を切り替えた。
「それよりイヒト。お前、例の件は大丈夫なのか?」
「あ? 何がだよ」
「肝心の金は、どうすんのって話だよ」
痛いところを突かれ、イヒトは思わず顔を背けた。
「焦んじゃねえよ。もうちょっと待てって」
「俺に言われてもな。イヒトが金払うまで、あの件が進まないだけだぞ」
「いや、進めろよ。金なら後で払う」
「イヒト、お前なあ……」
深々とため息をつくクトリに、しかし、イヒトも食い下がる。
「テメェが時間がないって言ったんだろ。それくらい融通してくれたっていいだろうが」
そう詰め寄るイヒトだが、クトリは冷静に言葉を返した。
「あのな、俺はもともと反対なの。イヒトの考えたバカげた計画にはな」
「なら、他に方法があるってのか?」
イヒトが険しい顔で睨みつけても、クトリはひるむことなく続ける。
「財津のジジイが何かを企んでるのは間違いないよ。狩協の課長って地位を使って、近いうちにやらかすだろうってのもね」
「なら――」
「ただな。止めるにしたって、イヒトのやり方は滅茶苦茶なんだよ」
真剣なまなざしでクトリは訴える。
「三年前の繰り返しになるかもしれないんだぞ」
だが、イヒトも譲れない。
その瞳には、底知れぬ怒りがにじみ出ている。
「……だから、準備だけなら手伝うって言ってるだろ。金さえ払えばね」
それが最大限の譲歩だと言わんばかりに、クトリは強い調子で言い切る。二人はしばらく無言のまま、お互いを睨みあっていた。
突然、クサカベスタンプの入り口が勢いよく開かれた。
「イヒト君はいるかしら!!」
ふいに響く大声に、イヒトもクトリも硬直する。見ると、背の高い女がずかずかと入ってくる。
イヒトの後輩狩人、マトモだった。
「……お前かよ」
「ハァイ! 元気してた?」
エネルギーを持て余しているかのようなマトモに、クトリは苦い顔で肩をすくめた。
「マトモちゃん、ここは俺の店だよ? 来るたびにイヒト、イヒトって言われても困るんだけどさ」
「でも、今日はいるじゃない」
マトモは不敵に笑った。
その何者にも引かないぞ、という無駄に確固たる姿勢には、クトリもお手上げだった。
「はぁ……イヒトに会いたいなら、本郷さんちに直接行ってくれよ」
「私、なーんかホカゼちゃんに避けられちゃってるのよね。その点クトちゃんちなら、ついでに人造印も注文できるし」
「ついで、かぁ……」
クトリは苦笑しながらイヒトに目を向けた。その「お前が何とかしろ」という視線に、イヒトはため息をつく。
「ったく、いちいち付きまとうんじゃねえよ」
「あら、イヒト君だって私に会えたらうれしいでしょ?」
イヒトは顔を引きつらせるしかなかった。マトモの場合、これを本気で言っているから手に負えない。
「もういい、用がないなら帰れ。俺に近寄んじゃねえ」
うんざりした様子で言い捨てるイヒトを見て、マトモは急に大笑いし始めた。
「うわっ、聞いたクトちゃん!? 『俺に近寄んじゃねえ』だって! かわいー!」
「ははは……」
マトモはクトリの肩をバンバンと叩きながら、似てない物まねを披露し始めた。限界まで顔をゆがませるイヒトをよそに、クトリはただ苦笑するばかりだ。
「おい、クトリ。客じゃない奴をのさばらせてんじゃねえよ」
「あら失礼ね、用ならあるわよ。二つもね」
マトモはカウンターにどかっと腰かけた。
「まず一つ目。クトちゃん、注文はできてる?」
「『ついで』でいいならね」
クトリは印器を取り出し、マトモに手渡した。マトモは受け取るとすぐ掌に押し、満足げにうなずく。
「ん、さすがクトちゃん。注文通りね」
「こちらこそ。マトモちゃんたちはありがたいお客様だよ。お金もきっちり払ってくれるし」
「あら、そんなの当たり前じゃない?」
「――だってさ、イヒト」
クトリはイヒトに目配せしながら、軽くからかうように笑った。
「うるせえな、俺だってツケすることは滅多にねえだろ」
「なんだ、イヒト君まだ金欠なの? いつまでもソロでやってるからよ」
「お前には関係ねーよ」
マトモは笑いながら身を乗り出すと、真っすぐイヒトを見つめた。
「じゃあ二つ目。ねえイヒト君、うちに来ない?」
空気がスッと切り替わった。しかし、イヒトはただ深く、ため息をついて首を横に振った。
「あのな。後輩のチームになんか入るわけねえって、何べん言ったらわかるんだよ」
「あら、残念」
マトモはわざとらしく肩をすくめ、あっけらかんとした笑顔に戻った。クトリはその様子を見て、わざとらしく茶化す。
「天下の『ストレートライト』にイヒトが加入なんて、財津課長がうるさそうだね。なんせ、今や押しも押されぬ狩協のエースチームだ」
「何が天下の、だ。狩人がスター気取りかよ」
イヒトは舌打ちした。
「気取ってるんじゃなくて、本物だろ。見てみろよ」
クトリが顎で示す先には、店の外にはすでに多くの人だかりができていた。
ガラス越しに店内をのぞき込む連中は、みなマトモ目当てだ。
「勝手についてきちゃうのよ。困ったわね」
マトモが軽く手を振ると、キャーキャーとうっとうしい声が店内にまで響いた。
もちろん、狩人は人気商売ではない。クリーチャー狩猟が本業であり、それ以上でも以下でもない。
だが、そんな常識を打ち破ったのが、マトモ率いる「ストレート・ライト」だった。
戦闘中の映像を編集してMVを作り、グッズ展開まで手掛ける彼らは、今や崩壊後の世界ですら全国的な人気を博していた。
その活動をよく思わない者も少なくなかったが、マトモたちはその圧倒的な実力で批判者をねじ伏せてきたのだ。
だからこそ、彼女たちは「本物」として認められ、短期間でスターへと変貌していった。
「本格的に集まってきちゃったわね」
外の喧騒が大きくなったのを感じて、マトモはカウンターからひょいと下りた。マトモはクトリに軽く手を振ると、悠然と扉へと向かう。
「そろそろ行くわ。またね、クトちゃん。イヒト君は、はいこれ」
マトモはそう言いながら自身の端末をタップした。
「あぁ? なにしやがった」
「新作MV送っておいたから。それ見て、考え直したくなったらいつでも連絡してね」
イヒトが「いらねえよ」の一言を言う前に、マトモはさっと身をひるがえし、外に待つファンたちのもとへと去っていった。
「ったく、勝手なやつだ」
「嵐みたいだったね」
苦笑するクトリに同意しつつ、イヒトは立ち上がった。
そろそろいい時間だ。
マトモのように出待ちのファンどころか帰りを待つ家族もいないが、ホカゼをあまり一人にさせるわけにもいかないだろう。
イヒトはそう思いたち、帰ろうとして――そういえば一応、自分の部屋にも帰りを持つ存在がいたことを思い出した。
イヒトはふと、心に引っかかっていたことを口に出した。
「なあ、機械にも押せる人造印ってあったりするか?」
「は? あるわけないだろ。刻印処理ならともかく、押印は生物にしかできないなんて小学校で習うレベルだぞ」
「――だよな」
当たり前すぎる答えに、イヒトは曖昧に頷いた。
生物以外のものに押せる印なんてあったら、百年たってもクリーチャーの脅威に悩まされることなどなかったはずだ。
そう。そんなのは常識のはずだ。
なのに――あのとき、リィズリースには確かに人造印が押せた。
「やめだ」
イヒトは小さくつぶやくと、頭を振った。考えても意味がない。端末の確認をした。ホカゼから連絡がきているかもしれない。
画面を見た瞬間、イヒトは家へと駆けだしていた。