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第5話 本郷ホカゼは機嫌が悪い




 イヒトは帰り道を進みながら、小さく舌打ちを繰り返していた。


 別に、バイクを押して帰るのが面倒なわけではない。ケチってバイクを手押しする程度、いつものことだった。


 イヒトにとっての本当の問題は、すぐ後ろを歩く得体の知れない奴――リィズリースだ。


「イヒトさん、何かお困りですか?」


「……あぁ?」


「何か、お役に立てることはないでしょうか?」


「あのな……俺がそんなに物忘れが激しいとでも思ったか?」


 イヒトはぼそりと吐き捨てる。


「お前が俺を殺したいだのほざいたこと、忘れてねーからな」


 にらみつけるように言うイヒトに、リィズリースは相変わらず穏やかに否定した。


「そのようなことは考えていません」


「へぇ、直接手を下す気はないんだな。で? 俺が自分から死ねばいいってか?」


 リィズリースは微笑みを絶やさず、ただ口を閉ざした。


「否定しねーのかよ」


 呆れたイヒトは前を向き、ぶつぶつと独り言を漏らしながら歩き続ける。


 すると、またしてもリィズリースが口を開いた。


「やはり、お悩みがあるのでしょうか」


 イヒトは盛大にため息をつき、バイクを押す手を止める。


「いいか、人を一人養うってのは金がかかるんだ」


「そうですね。人間が生活するためにはさまざまな費用がかかります」


 リィズリースは素直に肯定した。それがイヒトの苛立ちをさらに煽っているとも気づかず、淡々と続ける。


「食費や住居費、光熱費に加え、医療費などの不測の事態への備えも――」


「テメェのことを言ってんだよ!」


 我慢の限界に達したイヒトが振り返り、リィズリースの言葉を遮った。


「俺はな! テメェにどんだけ金がかかるか考えてんだよ!」


 怒りを露わにするイヒト。それでも、リィズリースはやはり冷静に返す。


「まあ、そうなんですか。つまり私は、お金を稼いで来たら良いのですね」


「……あぁ?」


「私が働けば、問題は解決しますね」


「バカ言え。人形相手に金せびるような真似できるわけねーだろ」


「私は人間模型です」


「……ああ、そうかよ。どうせなら人形の方が百倍マシだったけどな」


「なぜでしょう」


「人形だったら大金で売れたからに決まってんだろ。テメーなんか、一エンにもなりゃしねえじゃねえか」


 イヒトがそう言うと、リィズリースはきょとんとした表情を浮かべた。


「私は売れないのですか?」


「当たり前だろ」


「そうですか。人間模型は売れないのですね」


 リィズリースは小さく呟いた。その言葉に、イヒトはぴたりと足を止める。


「お前な。自分のことを人間模型だとかぬかすの、やめろよな」


「なぜでしょう?」


「――なんでもだ。お前みたいなのがいるってバレると、めんどくせぇんだよ」


 イヒトは苛立たし気に吐き捨てると、再び歩き出した。二人はしばらく、無言のまま砂利道を進んでいく。


 やがて、リィズリースが再び口を開いた。


「イヒトさん」


「なんだよ」


「どちらへ向かっているのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 背後からの問いかけにため息をつくと、イヒトは振り向かず答える。


「家に決まってんだろ」


 イヒトはそう言って、少し歩を早めた。




 ◇




 小秋市の東にあるホンゴウビルは、古い集合住宅を改築した、三階建ての建物だ。


 一階にはリサイクルショップ「ホンゴウリサイクル」が店を構え、二階と三階は住居として使われている。


 そのビルの階段を、一人の少女が駆け上がる。


 セーラー服の上にエプロンをかけ、掃除道具を抱えたまま。表情は実に不機嫌そうだった。


 少女――本郷ホカゼが、夕暮れ時にビル中を駆け回るのは、いつものことだった。


 中学校から帰宅し、リサイクルショップの手伝いを終え、夕飯の準備に取りかかるまでのわずかな時間。


 その隙間を使って、ホカゼは簡単な換気と掃き掃除を日課としている。


 ――本当は、もっと時間をかけたいのに。


 ビルの唯一の住人は「空き部屋なんか、使うときに掃除すれば十分だ」と言うけれど、ホカゼにとっては冗談じゃない。


 放っておけば、埃はたまるし、カビも生える。


 ホカゼは、仮にもこのビルの大家の娘だ。事実上、管理を任されている身として、そんなことは見過ごせなかった。


 廊下を歩いていたホカゼは、ふと外に目を向ける。見慣れたバイクが、ビルの前に停まっていた。


 ホカゼはわずかに眉をひそめる。


 唯一の住人――一ノ井イヒトのバイクだ。


 ということは、イヒトはすでに帰っている。


 ――いや、違う。


 ホカゼは「たった今、イヒトの帰宅に気づいた」ことに気づいた。


 つまり、イヒトがわざわざホカゼに見つからないよう、こっそり部屋に戻ったということだ。


 こんなの、後ろめたいことがあると言っているようなものだった。


「どうせまた、ろくでもない物を拾って……」


 ホカゼは小さくため息をつくと、三階へと駆け上がる。


 そのまま迷わず、イヒトの部屋へと向かった。




 ◇




 ホンゴウビルの三階。


 その一室に、イヒトとリィズリースはいた。


 部屋には、イヒトが発掘した遺物が雑然と保管されていた。


 発掘品のすべてがすぐに売れるわけではない。時には長期間、手元に置いておく必要があるものもある。


 だからイヒトは、自室とは別に、倉庫代わりの部屋まで借りていた。


「イヒトさんはこのような古い物品を好むのですね」


 部屋を見渡しながら、リィズリースがぽつりと呟く。


「売るために拾ってきてるだけだ」


 イヒトはそっけなく答えながら、積み上げられた箱をどかし、スペースを作る。


 だが、リィズリースはその言葉を聞いていないかのように、ゆっくりと言った。


「かつて生きていた時代を、懐かしんでいるのですか?」


 イヒトの手が止まる。


「……だったらなんだよ。文句あんのか?」


 不愉快そうに振り返るイヒト。


「いいえ。遠い未来に目覚めた方が懐郷するのは、自然な感情だと思います」


 淡々とした口調で、リィズリースは告げる。


 イヒトは答えず、舌打ちだけを返した。


「私も、イヒトさんが昔を懐かしめるものを探してみようと思います」


「あのな。だから、余計なことは――」


 イヒトが言いかけた、そのとき。


 部屋の扉を叩く、強めのノック音が響いた。


「イヒトさん、いるんでしょ?」


 続く声に、イヒトの全身がこわばる。


「イヒトさーん、開けるからねー!」


「ち、ちょっと待て!」


 イヒトは慌ててクローゼットを開けると、雑多に積もった荷物をかき分け、リィズリースを押し込んだ。


 狭い空間に無理やり詰め込まれたリィズリースは、瞬きひとつせずイヒトを見上げる。


「いいか、俺は今から出かける。後で何とかしてやるから、それまでおとなしくしてろよ!」


 イヒトが小声で言い聞かせ、クローゼットの扉を閉めた瞬間――


 部屋のドアが勢いよく開いた。


 ホカゼが中へ踏み込み、部屋を見回す。


 たった今、イヒトが散らかしたばかりの部屋を見て、あからさまに顔をしかめた。


「よう、ホカゼ。なんのようだ、急に」


 イヒトは平静を装うが、どこか不自然に立ち尽くしたまま、声がわずかに上ずっている。


 ホカゼはじとっとした目でイヒトを睨んだ。


「イヒトさん。倉庫部屋を借りた時、なんて約束したか覚えてるよね」


「……当たり前だろ」


「じゃあ、これはなに?」


 ホカゼが顎で示した先には、色褪せたボードゲームやら、山積みのおもちゃの箱やらが無造作に転がっていた。


 まるで田舎の古びたおもちゃ屋のような光景――イヒトにとっては、秘かに満足している空間だった。


 だが、ホカゼにとっては違う。


「約束、覚えてるなら言ってみてよ」


「……部屋を汚すな、だろ」


「違う。あんまり散らかしたら、私が掃除するって言ったの。そんなにしてほしい?」


 ホカゼの圧に、イヒトはたじろぐ。


 だが、ここで引くわけにはいかない。


「……だからな、ホカゼ。ちゃんと片付いてるって言ってるだろ。俺にはどこに何があるか、完璧にわかってんだ」


 確かに、パッと見て物であふれている部屋であるのは、イヒト自身も認めるところだ。


 だがそのほとんどは、きちんと「あるべき場所」に置いてある――少なくとも、イヒトにとっては。


「へぇ。本当に?」


 ホカゼは呆れたように目を細める。


 だが、ついさっきクローゼットの中身をぶちまけたせいで、いつもより酷い有様なのは事実だった。


「これは、あれだ。整理してる最中だからな。すぐ元に戻せる」


 言い訳をしながら、イヒトはぬいぐるみやサッカーボールを適当に棚に押し込み、床に散らばった小物を箱に放り込んでいった。


 ホカゼはちらりとクローゼットへ視線を移し、深く息をついた。


「整理、ねえ」


 まるで「そのつもりなら、こっちにも考えがある」とでも言いたげな口調で、ホカゼはイヒトを見据える。


「――で、今日はどんな変なもの拾ってきたの?」


 イヒトの心臓が跳ねる。だが、表には出さず、肩をすくめた。


「変なもんじゃねーよ。俺が拾うのは遺物だけだ、って言ってるだろ」


「売れる遺物なら、ホンゴウリサイクル(うち)で引き取ってます。売れないガラクタばかり拾ってきても意味がないでしょ?」


「全部が、ホウさんの店で取り扱えるわけじゃないだろ」


「限度を少しは考えてよ、って言ってるの。イヒトさんは、あれもこれも拾いすぎだし――」


 言いながら、ホカゼは床に落ちていた本をつまみ上げる。


 そして、その表紙に表情を険しくしながらイヒトへ詰め寄った。


「エッチなのはやめて、って言ったよね」


 古びた雑誌の表紙には、百年以上前の女性が水着姿で不自然なポーズを取っていた。


 いわゆる、グラビアアイドルの写真だ。


「だ、だから、それは不潔でもエロでもねえの!」


 イヒトは必死に弁明する。


 イヒトにとっては、ただの青年向け漫画雑誌だ。それなのに汚らわしい物を見るような目で見られるのは、こたえるのだろう。


「これは金! 金になるからとってあるんだ!」


 だが、年頃の少女にとっては、やはり感じ方が違う。ホカゼの視線は冷ややかなままだった。


「そういうのは、売ってから言って」


「っ……」


 イヒトは言葉に詰まる。


 ホカゼはその様子を見ても、表情ひとつ変えず静かに言い放った。


「とにかく、約束は約束だからね」


「わかった、わかった。ちゃんと片付ける」


 渋々とイヒトは答え、散らばった小物を手早く箱へ詰め込んでいく。


 ホカゼは腕を組み、じっとその様子を見守った。


「よし、こんなとこだろ。約束通り片付けた。これでいいよな」


「――あのね、イヒトさん」


 ホカゼが何か言いかけたが、イヒトは手を上げてそれを遮る。


「わかった、後で聞くから。もう出かけなきゃなんねーんだよ」


 強引に話を打ち切ると、あからさまに退出を促す。


「ホカゼもこんなとこで油売ってる暇ないだろ。さっさと行こうぜ」


 そう言いながらイヒトはホカゼの背を押し、半ば強引に部屋を後にした。




 結局、イヒトはリィズリースの件も、部屋の件の解決も、まったく同じ方法を用いた。


 その方法は、人類史上おそらく最も頻繁に行われ、往々にして事態を悪化させるだけに終わった、由緒正しき解法。


 つまり、問題の先送りである。




以下はキャラクターの参考画像です。


・本郷ホカゼ

挿絵(By みてみん)

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