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第4話 法律にも流行はある




 小秋狩協の医務室にいるイヒトの頭は、かつてないほど混乱していた。


 まさか、検査はおろか、()()()()()()()()()()()()()


 リィズリースが本当に人間だとでも言うのだろうか? 人間模型だとぬかしてたのは全部妄言だったとでも?


 いや、それこそありない。実際にアレを――リィズリースの生首を見てしまった以上、それだけはないと、イヒトは思う。


 イヒトの目は、自然とリィズリースに向けられた。そこには、出会った時と変わらない、不自然な笑みがただ浮かんでいた。




「えー、というわけでね。経過観察は必要だけどね、ひとまずは問題ないでしょう。記憶も、徐々に戻るでしょうし」


 狸耳医者は、まるで健康診断結果を報告するかのような、平凡な調子でしめくくった。


「ただ、氷解明けで体がなまってるからねえ。市販のでいいから、基礎筋力増強印もできれば押した方がいいかなあ。頼り過ぎはよくないけど――」


 狸耳医者はごく一般的な諸注意を述べ、淡々と話を終えようとして――ふと、気づいたようにイヒトの方を見た。


「っと。そういえば、()()()()()()()()()()。彼女にもいろいろ教えてあげるといいよ」


 リィズリースはそれを聞き小さく驚いたような声を上げる。


「まあ、そうだったんですか」


 イヒトはただ舌打ちを返した。


「先生、あまり個人情報を漏らさないでください」


 月山も注意するが、狸医者あっけらかんとしていた。


「あ、隠してたの。そりゃ悪かったねえ」


 狸医者は何事もなかったかのように締めくくる。


「ま、こんなとかなあ。あと、何かあるかな?」


「一つ、よろしいでしょうか?」


 リィズリースが尋ねた。


「なにんだい?」


「その耳を触らせていただいてもよろしいですか?」


 三人は医務室での時間を、数分ほど余分に過ごした。




 イヒト、リィズリース、そして月山の三人は再び会議室へと戻った。


 長机を囲み、三人は向かい合って座る。


 月山は、リィズリースに関する手続きについて説明を始めたが、イヒトは上の空だった。


 正直なところ、まだそれを他人事としか思っていなかったのだ。


「ここからは、申請が受理されるまでの話になりますが――一ノ井さん、聞いていますか?」


「……聞いてるっての」


 やさぐれたような口調のイヒトに、月山はため息をつく。


「一ノ井さん……これは、あなたにも関係のある話なのですよ」


「なんでだよ。人間だってなら、後はコイツ自身の問題だろ」


 イヒトはそう言いながらそっぽを向いた。月山は、重い口を開く。


「……氷解者が市民権を得るまでに、およそ三か月から半年――場合によっては、それ以上かかると考えてください」


「あぁ? ったく役所ってのは相変わらずだな」


「重要なのは、その間のリィズリースさんの法的な立場です。――一ノ井さん、よく聞いてください」


 月山はペンを机に置き、真剣な表情でイヒトを見据えた。


「現在、一ノ井さんは、リィズリースさんを『所有』しています」


「……はぁ?」


 イヒトは戸惑いながらもすぐに当たり障りのない解釈を試みた。


「あー、つまり。俺がコイツの面倒みなやいけないってことか?」


 市民権を得るまでは、発見者が保護者扱いされる。イヒトはそう推測し、鼻で笑いながらも「最悪だな」とつぶやいた。


 しかし、最悪には下があることを、イヒトはまだ知らなかった。


 月山は静かに首を振ると、はっきり告げた。


「いいえ、違います。法律上、現在のリィズリースさんは『物』であり、その所有権が一ノ井さんにある――そう言っているんです」


 月山はあえて淡々と言い切った。


「はあ!?」


 今度こそ、イヒトは立ち上がった。


 リィズリースすら「まあ」と小さく驚きの声を上げる。


「もちろん、あくまで法律上の話です。また、リィズリースさんが市民権を得られれば所有権は失効します」


 月山は、努めて冷静に説明をするが、イヒトは顔をしかめて口を挟む。


「ちょっと待て。どういうこったよ」


「すべては『特別指定遺物完全保全法』によるものです」


 月山は理由を話し始める。




 崩壊後の世界では、冷凍睡眠装置は価値の高い資源とみなされている。


 その装置に搭載されている刻印力(エナジー)供給炉は、資源不足の時代において喉から手が出るほどの貴重品であるからだ。




「ですが、発掘する側にとって『中身』は厄介な荷物でしかありませんでした」


「……だろうな」


 イヒトは鼻を鳴らしながら、かつての発掘者たちが、もっとも楽な方法に頼った結果だと呟いた。


「『中身』を捨てた、って話だろ」


 月山は静かにうなずいた。


「もちろん、冷凍睡眠装置で眠り続けている人間を捨てるなど、当時も今も許される行為ではありません。しかし――」


 イヒトは月山の言葉を受け継ぎ、低く語る。


「稼働して何十年もたった装置が、正常に動作している保証はない。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 イヒトの顔は、能面のように無表情で、死者に引きずられぬための厳しい掟を物語っていた。


「つまり、『中身』が本当に遺体だったなら問題ない行為なのでしょうか?」


 リィズリースがそう問いかけると、月山は苦々しく頷いた。


「ええ……ですが、発掘現場近くで、どこのだれとも知れない『新鮮な』遺体が転がっている――当時は、よくある話だったそうです」


「ふん」


 月山の話に、イヒトは不機嫌そうに顔をゆがめた。


「そのため、冷凍睡眠装置はどのような状態であろうと、『中身』を含め遺物として扱い、必ずすべて持ち帰るように義務付けられました」


 月山は一旦言葉を切り、続けた。


「ここまでは、一ノ井さんもご存じでしょう」


「持ち帰った後にまで所有権が続くとは聞かされてねえぞ」


 イヒトはぶっきらぼうに返す。


「システムのバグ――というよりは、アップデートが為されていない弊害です」


 月山は低い声で呟いた。


「社会が安定するにつれ、市民権の取得はどんどんと複雑化していきました。一方で、冷凍睡眠装置の発掘数は減り続けています」


 結果として、法律自体が時代に取り残されてしまった――月山はそう締めくくった。


「なるほど、だから私はイヒトさんの所有物なんですね」


 当事者であるはずのリィズリースがいかにも()()()()()()()姿に、月山の表情はわずかに曇る。だが、すぐに姿勢を正した。


「なるべくはやく手続きが終わるよう、掛け合ってみます」


 月山はイヒトに向き直り、真剣な表情で問いかける。


「一ノ井さん。リィズリースさんのこと、お願いできますか?」


「チッ……『所有』してるとまで言われて、投げ出すわけにはいかねーだろ」


 イヒトはため息をつきながら答えた。


「よろしくお願いします。同じ氷解者として、一ノ井さんが力になってあげてください」


 最後に、月山はリィズリースに氷解者向けのパンフレットを手渡した。このご時世に印刷までする気の利かせようだった。


「その他の必要事項は、こちらに書かれています」


「はい、わかりました」


「リィズリースさん。あなたは法律上、一ノ井さんの所有物として扱われてしまいます」


 リィズリースは、じっと月山の目を見返し、


「しかし同時に、あなたは全ての基本的人権を享有する存在です。決してモノとして扱われるべきではありません。何かお困りのことがあれば、いつでもご連絡ください」


 微笑んだまま、ただその言葉を聞いていた。


 月山は最後に、イヒトの方を向いて静かに頭を下げた。


「一ノ井さんも。ありがとうございました」




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