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第39話 好きにしろと言われると逆に困る

本日更新予定2話中の2話目です。




 夜。


 イヒトの狭い部屋には、家主のほかにサクとリィズリースがいた。

 この光景にも、少しずつ慣れてきた。だが、今日もこうなるとはイヒト自身、予想していなかった。


 ベッドに寝そべりながら、部屋の隅に佇むリィズリースを睨みつける。


 ――よくもまあ、好き勝手してくれやがったな。


 そんな視線を受けても、リィズリースはどこ吹く風といった様子で、にっこりと微笑んでみせる。

 その態度に、イヒトはため息をついた。


 短い付き合いだが、自称「人間模型」をコントロールしようとしても無駄だと、さすがに学習しつつあった。


 だが、問題はもう一人――サクだった。

 床にあぐらをかき、端末を操作している。どうやら、学校の課題をこなしているようだ。


 イヒトは小さく息をつく。


 ――今日の今日で来るとはな。


 イヒトの頭に一瞬、数時間前の出来事がよぎる。




 屋上。


 リィズリースがすべてを暴露した後――。

 ラルの尋問は、もはや犯罪者へのそれに近かった。


 だが、イヒトがただ無言を貫くと、ホカゼは何もかも投げ出し、自室に閉じこもってしまった。

 ホンゴウビルは、最悪の空気に包まれていたと言ってよかった。




 普通なら、こんな日にトラブルを起こした張本人の部屋を訪れたりしない。気まずいし、避けるのが普通だろう。


 だが、サクは何事もなかったかのように、イヒトの部屋に現れた。


 ――こんなに空気が読めない奴だったか?


 横目でちらりとサクを見ながら、イヒトは考える。

 もしかして、これこそがサクらしさなのか――そう思った瞬間、胸にわけのわからない苛立ちが湧き上がった。


「……らしいってなんだよ」


 聞こえないほどの小さな声で呟く。

 イヒト自身、何に腹を立てているのか、よくわからなかった。


 ――コイツが本当にサクなのか、確証も持ててないくせに。


 舌打ちし、勢いよくベッドから起き上がる。


「な、なに?」


 サクが驚いたように顔を上げる。


「お前は――――」


 イヒトはサクを見据え、口を開く。

 しかし、言いかけた言葉を飲み込み、思いがけない方向へ話を振った。


「……課題やってんのか?」


 そっちがその気なら、こっちだって普通にしてやろう。そんな風にイヒトは覚悟する。


「えっ……」


 突拍子もない話の切り出し方に、サクは一瞬呆気に取られたが、すぐに端末を差し出した。


「えっと……うん。見るか?」


 画面には、びっしりとローマ字の文字列が並んでいた。


「……英語かよ」


 イヒトは、自分が解くわけでもないのに顔をしかめる。そんな様子に、サクは苦笑しながら訂正した。


「違う。世界史の課題だよ」


「はぁ?」


「レポート課題は、問題文も提出文も英語に設定してるんだ。どうせ出題も採点もAIだし」


「……」


「こうすると英語の課題を少し減らせるんだよ」


 そう語るサクに、イヒトは唖然とする。


 崩壊後の世界で学校教育が変わったことくらい、理解はしていた。

 せいぜい「端末の活用が増えたな」とか「AIやロボットの授業が増えたな」と感じる程度だった。


 だが――


 こんなふうに、当たり前のように二足の草鞋を履くような水準を求められるとは聞いたことがなかった。


「『帝国とは何か。歴史上のさまざまな帝国を例に挙げ、定義と特徴、成立条件について論じなさい』――という課題ですね」


 不意にリィズリースが口を挟んだ。


 いつの間にかリィズリースはイヒトの隣に立ち、サクの端末を覗き込んでいた。

 英文が読めずに四苦八苦するイヒトに、翻訳まで添える丁寧さである。


「高等教育の課題にしては、広範で抽象的であるように思います」


「そう? レポート系の課題ってこんなもんだと思うけど」


 さらりと返すサクの態度に、イヒトは半ば呆れながらも質問を続けた。


「最近の高校生って、ここまでするのかよ」


 驚きと呆れ、そしてほんの少しの恐怖が混ざった声だった。


「サクさんは勉強がお好きなんですか?」


 リィズリースが興味深そうに言うと、サクは慌てて手を振る。


「んなことないって……そろそろいいだろ」


 そう言って、端末をイヒトから取り返す。

 持ち上げられすぎて気恥ずかしくなったのか、サクは先ほどより心なし居住まいを正し、再び課題に向き直った。




 しばらくして、リィズリースがまた口を開いた。


「サクさん、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


「ん?」


「サクさんは勉強をして、何をするんですか?」


 唐突な質問に、サクは戸惑う。


「な、なんだよ突然」


「勉強とは一般的に好かれるものではないと認識しています」


 リィズリースの話しぶりは、いつも通り淡々としていた。


「例えば、一般的な社会人はイヒトさんのように、義務教育課程で学んだ知識の欠落が端々に見られます」


「いま俺のことバカにしたか?」


 イヒトがたまらず声を上げる。だが、リィズリースはその声を無視し続けた。


「もちろん、ホカゼさんのように真面目に勉強をこなす方もいますが――」


「もちろん? もちろんって言ったよなお前」


「その目的は、義務の遂行と割り切っている方が大半のようです」


 リィズリースはイヒトの茶々を流し、まっすぐサクを見つめる。


「ところが、サクさんは勉強を楽しんでいるように見えました。その理由を教えていただけますか?」


 にこやかな視線に、サクはたじろぐ。


「えーっと……」


 返事に詰まるサクに代わり、イヒトが口を挟んだ。


「バカだなお前。そんなの、カッコいいからに決まってるだろ」


「カッコいい、ですか」


 リィズリースが首をかしげる。妙に真剣な顔をしている二人を見て、サクは吹き出した。


「まあ、それもあるかもな。でも単に面白いだけっていうか……うーん、改めて聞かれると難しいな」


 そう言いながら腕を組むサクの表情も、どこか真剣だった。


「でも、マジで勉強をするようになったきっかけは覚えてるぜ」


 ちらりとイヒトを見やりながら、サクは話し始める。


「最初は、悔しかったんだよな」


「何がだ?」


「ガキの頃、テストでお前に負けたことがあっただろ」


「そんなことあったか?」


「あったよ。『なんでそんな点とれたんだよ』って聞いたら、『罰で勉強させられた』って」


 それでも思い出せないという顔をするイヒトに、サクは小さく笑う。


「学校のテストなんか余裕だって思ってたのにさ。ちょっと勉強しただけのイヒトに負けたんだぜ」


「……お前ら俺を馬鹿にしすぎだろ」


 イヒトがムッとするが、サクは笑い飛ばす。


「イヒトを馬鹿だと思ったことはねーよ。お前、やればできるじゃん」


「『やればできる』なんて、やらない奴にしか言わねーだろ」


 サクは声を上げて笑った。


 リィズリースはしばらく二人のやり取りを眺めていたが、ふと思い出したように口を開いた。


「いえ、イヒトさんは『やればできる』に当てはまると思います」


「はっ、お前に何が――」


 イヒトは言いかけて止まった。嫌な予感が膨らむ。




「そうでなければ『復興調査士資格試験』に受かることはないでしょう」




 リィズリースの発言に、また空気が凍った。


「『復興調査士資格試験』の全国的な合格率は毎年――」


「ああ、わかってるからいいって」


 サクが慌ててリィズリースの言葉を遮ったが、冷え切った空気はそのままだった。


 イヒトは「コイツは水を差す天才だな」と、一周回って冷静に眺めていた。




 しばらく沈黙が続いた後、イヒトがふいに口を開いた。


「――悪かったな」


「……何がだよ?」


 サクが即座に返す。イヒトは少し視線を落とし、低く呟いた。


「いろいろ、巻き込んじまっただろ」


 イヒトの自嘲気味な声に、サクは眉をピクリと動かした。

 そして、盛大にため息をつく。


「そうだな。お前は悪い」


 あっさり肯定され、イヒトは面食らったように顔を上げる。

 言っておいてなんだが、まさかこんな素直に認められるとは思っていなかったからだ。


 サクはそんなイヒトを気にすることもなく、続ける。


「イヒトが調査士になったのも、それをどうするのかも、お前が決めたことだ。外野が口出しするもんじゃない」


 それから、少し間を置いて言い切った。


「お前の好きにすりゃいいんだよ」


 だが、イヒトは眉をひそめたままだ。


「回りくどい言い方するんじゃねえよ」


 イヒトが不満げに言うと、サクはさらに深いため息をついて、言い放った。


「お前、今ダッセー、つってんの」


「あぁっ!?」


 イヒトが鋭く睨みつけるが、サクは真っすぐ見返す。


「好きにすりゃいい、ってオレは言ったんだぞ」


 そう言いながら立ち上がると、棚に飾られた黒電話の受話器を手に取った。もちろん、線は繋がっていない。


「イヒトはさ、今まで好き勝手やってきたんだろ? ホカゼちゃん、お前がこういうガラクタ集めてるの鬱陶しく思ってんじゃん」


 受話器を元に戻し、部屋を見渡す。

 隣の棚には、トースターやタイプライター、小型扇風機が並んでいた。


「ま、イヒト個人の部屋だから、って我慢してるみたいだけど――」


 さらに横の棚には、ゲーム機本体やコントローラー、ソフトにボードゲーム。


「隣の部屋に関しちゃお前のいないとこでもかなり愚痴ってたぜ」


 その下の段には、チェスボードにでかい王将、ニキシー管、木彫りのクマ、ニュートンのゆりかご、テンセグリティ構造のインテリア。


 統一感があるようで、まるでないものたちが所狭しと並んでいる。


「こんなの意味がない、ってさ」


 サクは机の上にあった怪獣モチーフのおきあがりこぼしを指で弾いた。


「意味がないからカッコいいんだろうが」


 イヒトが反射的に言い返す。サクはふっと笑った。


「そういうとこだよ。誰に迷惑かけたって、お前がそれでいいって思えるなら――まあ、よくないけどいいよ」


 怪獣は、ゆらゆらと揺れ続けている。


「でも、自分にも他人にも嘘ついてるならダッセーじゃん。それって、悪いんじゃねえの?」


 イヒトは何も答えなかった。


 サクは軽く手を振ると、部屋を出ていった。


「イヒトさんは悪いのですか?」


 リィズリースが首をかしげる。その問いかけにも、イヒトは黙ったままだった。




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