第34話 そんないいもんでもないよ
本日更新予定2話中の1話目です。
イヒトは軽く肩をすくめ、ラルを見やった。
「根掘り葉掘り聞けてよかったな。満足か?」
その一言を最後に、誰もが沈黙した。
言い出したイヒト自身すら、ばつが悪くなったのかもしれない。無言で立ち上がると、そのまま事務室を出ていった。
サクは少し目を泳がせたが、すぐにホカゼへ目配せすると、慌ててイヒトの後を追った。
残されたのは、ラルとホカゼの二人だけだった。
日が沈み、部屋の隅々に影が伸びる。
ふと、ラルが口を開いた。
「明かりをつけた方がいいな」
スイッチを押すと、温かな光が静かに広がった。
ハッとしたように時計に目を落とし、ホカゼは慌てて端末を手に取る。
「す、すいません。もうこんな時間……すぐ手続きを終わらせますね」
取り繕うように笑うホカゼに、ラルが短く謝罪を口にした。
「すまなかった」
「え? そ、そんな……」
「いや、軽率だった。後で、一ノ井にも謝るとしよう」
「いえ……小秋の人なら、誰でも知ってることですから」
ホカゼは苦笑し、ラルはしばらく何か考え込むように視線を落とす。
「悪いな。俺は、その土地の事情を軽視しすぎていたようだ」
「……ラルさんは、旅をしてきたんですよね」
「ああ、この時代に目覚めてからずっとな」
ラルの答えに、ホカゼはふと顔を上げ、じっと見つめた。
「やっぱり……イヒトさんたちと同じ、氷解者なんですね」
ラルは曖昧にうなずく。
「崩壊前に暮らしていた、という意味ならそうだな。……気になるか?」
「あ、いえ……すみません、そんなつもりじゃ」
「いや、いい。特に隠しているわけでもない。それに、先にあれこれ聞いたのはこちらの方だ」
ホカゼは少し戸惑ったが、意を決して尋ねた。
「それじゃあ……その、崩壊前の話を聞かせてもらえませんか?」
ホカゼにとって、崩壊前の世界は夢物語だった。
渋滞を作るほどにあふれる車。
東西を一時間で結ぶ鉄道。
空を自由に飛び回る飛行機。
地球の裏まで張り巡らされたネットワーク。
あらゆるものを、今では考えられない速度で運ぶことができた時代。
スポーツに、映画に、音楽に。
娯楽は娯楽のためだけに存在し、次々と新しいコンテンツが生み出されていた。
華やかで、きらびやかで――そんな世界の話が聞けるのではないか。
ホカゼは、かすかな期待を込めて、ラルを見つめた。
「イヒトさんから聞く話はとっても面白くて。だからラルさんにも、何か教えてもらえたらなって」
ホカゼが期待を込めて言うと、ラルはわずかにためらい、静かに首を横に振った。
「そういう意味なら、悪いが無理だ」
「あっ……そ、そうですよね。ごめんなさい」
がっかりした様子でうなだれるホカゼに、ラルは少し早口で言葉を足す。
「話したくないわけではない。ただ、話せないだけだ」
「話せない、ですか?」
「軍属だったからな」
軍――その響きを、ホカゼは口の中でそっと繰り返す。
「突然変異現象――『怒りの日』だったか。あれが起きる直前まで、俺はずっと軍にいた。だから、お前が想像しているような楽しい記憶はない」
ホカゼは、さっと血の気が引くのを感じた。
「ご、ごめんなさい」
軽率だった。クリーチャーがいないからといって、崩壊前の人々が皆、幸福に暮らしていたわけではない。
そんな当たり前のことを、ホカゼは忘れていた。
「気にするな――結局、戦場には出られなかった」
ラルは静かに首を振り、続ける。
「俺の記憶といえば、キャンプや基地の出来事くらいだ。……それでもいいなら話せるが、どうする?」
ホカゼははっと顔を上げ、嬉しそうに頷いた。
「あ……! お、お願いします」
「軍には変わり者が多かったな」
ラルが懐かしむように言う。
「例えば、どんな時もフットボールの話しかしない奴がいたな。食事中だろうと、訓練中だろうと、殴り合いの最中だろうとだ」
「フットボール……ああ、サッカーですよね。イヒトさんたちがよく広場でやってたのを見たことがあります」
「それはフットボール違いだな」
ホカゼが首を傾げると、ラルは珍しく、口元に小さな笑みを浮かべた。
ラルはデスクのそばに椅子を寄せ、軍の仲間との小さな思い出話を披露しはじめる。
軍には多趣味な者が多く、ラルもそれに影響され、いろいろなスポーツを試したり、映画を観るようになったのだという。
ホカゼは目を輝かせ、楽しそうに聞き入っていた。
話はいつしか、ラルが目覚める直前のことへと移っていく。
「この国に来たのも、作戦の一環だった。当時の、ほんの少しの間だが、現地の景色は今も覚えている」
「どんな風だったんですか?」
ホカゼが興味深げに問いかけると、ラルは窓の外へと視線を向け、ふっと遠くを見るように答えた。
「さして、今と変わりはなかったな」
「えぇ? そんな、嘘ですよ。だって、崩壊前の黄金期ですよね?」
「本当だ。町並みにそれなりの違いはあるがな。人は簡単には変わらない」
「そうかなあ……」
ホカゼは少し首をかしげ、納得いかない様子を見せる。
「眠りにつく直前の記憶だ。今でも鮮明に覚えている」
ラルはふっと目を細める。
「――それから、百年ほどか。まさか、こんなにも長くこの国にいることになるとはな」
ホカゼは驚きに目を見開いた。
「あの……だ、大丈夫です! 帰れますよ! まだ国際便がなくなったわけじゃないし!」
そう言うなり、ホカゼは慌てて端末を操作し、社会科の資料集を開いた。
「ほら、ここ! 『国際交流が完全に断絶したわけではない。現在も二十世紀初頭程度の水準を維持しており、徐々に回復傾向にある』って!」
真剣な表情で画面を指し示すホカゼを見て、ラルは少しだけ笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな。確かにこの国では、西の方がまだ海運は生きていると聞いたことがある」
「……だから、西へ向かっていたんですか?」
「他に行く当てもなかったからな」
「じゃあ……また、旅に?」
「――どうだろうな」
ラルはゆっくりと立ち上がった。そして窓の外へ目を向ける。
すっかり夜の帳が降りた街には、まだちらほらと人影が行き交い、暖かな灯りが揺れていた。
「この町は、ずいぶん平和で豊かな方だ。独特だが秩序は保たれている。亜人の扱いも悪くはない」
「……そうなんですか?」
「もちろん、独自の事情に思うところがないとは言わないがな」
「……それは」
「すまない、お前に言っても仕方ないことだった」
「……いえ、私だって今のままでいいとは思ってませんから」
ホカゼは小さく目を伏せる。ラルは静かにその横顔を見つめた。
「うち、昔は復興調査事務所だったんです」
そう言って、ホカゼは一枚の画像を端末に映し出した。
そこに写っていたのは、「本郷調査士事務所」と書かれた看板の前で撮られた一枚の写真。
今の「ホンゴウリサイクル」とは異なる、その旧名。幼いホカゼと両親が、穏やかな笑顔で並んでいる。
「母が調査士で、父がそのサポートをしていました。復興調査系業務の斡旋も、その一環だったんです」
ホカゼは写真をめくる。その指先に、わずかに懐かしさが滲んでいた。
「調査助手の人を雇って発掘したり……母が見つけた遺跡もあるんですよ」
画面に映し出された次の画像には、崩れかけた古い廃屋の前で、満面の笑みを浮かべるホカゼの母の姿があった。
「私は昔みたいに、またここを調査士事務所に戻したい。母が見つけた遺跡も、ちゃんと調査したいんです」
ラルはじっとホカゼを見つめていた。
ふいに、事務室のドアが開く。
「ホカゼ、まだいたのか。明日にでも――ん? 君は……?」
姿を現したのは、一人の男性だった。ホカゼの父、本郷ホウセイ。
ホウセイの視線が、ホカゼからラルへと移る。
ラルは軽く頭を下げる。
「ホカゼの世話になっている者だ。ラルと言う」
「ああ、斡旋の……」
ホウセイが軽く頷くのを見て、ラルも立ち上がり、丁寧に会釈を返した。
「すまない、長居しすぎたようだ。失礼する」
そう言って、ラルは席を立つ。
「ま、待ってください! まだ手続きが――」
ホカゼが慌てて呼び止めるが、ラルは振り返らず、ただ軽く手を挙げて応じた。
「次の時に頼む」
そう言い残し、静かに事務室を後にした。




