第27話 神出鬼没な者たち
MV撮影の当日。
朝六時。
イヒトがバイクを押しながら集合場所へ向かうと、そこには見知った――が、予想外の顔が待っていた。
「なんでお前がいるんだよ!」
開口一番、突っかかってきたのは、以前プラントでトラブルになった猫亜人の年若い男だった。
一瞬、なぜコイツがいるのかと愚痴りたくなったが、考えるまでもない。
イヒトは内心で舌打ちした。
そのとき、一台のワゴン車が二人のそばに停まる。屋根の上に人がどっかりと座っていることを除けば、何の変哲もないワゴンだった。
屋根に腰を下ろす女――マトモが快活な声をかける。
「おはよう、イヒト君、ニャー君!」
そう言うなり、ワゴンから飛び降り、堂々と二人の前に立った。
猫亜人の男――丹山は、さっきの態度とは打って変わって、ハキハキとした声で挨拶する。
「おはようございます、マトモさん!」
一方、イヒトはうんざりした顔をマトモに向けながら、答えのわかり切った質問を投げた。
「おい、なんだよコイツは」
「ニャー君にも手伝いに来てもらったのよ。二人とも、今日はよろしくね」
軽い調子で答えるマトモに、イヒトは深くため息をついた。
「先に言っておけよ」
文句を言うが、もう遅い。
どうやら丹山も知らされていなかったようで、露骨にイヒトを睨んでいる。
「さっさと行きますよ、マトモ!」
そのとき、ワゴン車の中から女性の声が響いた。
マトモは「せっかちなんだから」と肩をすくめると、再びワゴンの屋根へ軽々と飛び乗る。
イヒトもバイクに跨り、呆れたように「お前もだろ」と小声でつぶやいた。
丹山もワゴン車に乗り込もうとして――慌てたように声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 乗れないって、どういうことですか!?」
「ごめんなさいねー、定員オーバーなのよ」
運転席から聞こえてきたのは、先ほどとは別の女性の声。長身の女が笑いながら言う。
「定員って……き、今日はお二人だけですよね?」
座席には十分余裕があるはずだった。
ワゴン車は六人乗り。現在、車内には二人だけ。屋根にマトモがいるのを考えても、余裕は十分あるはずだった。
「無理なもんは無理なのよ。ま、見ればわかるでしょ」
そう言うと同時に、ワゴン車のドアが開かれる。次の瞬間、丹山と――さらにイヒトまでもが驚愕した。
「なっ……!」
車内には、大量の荷物が座席を埋め尽くしていた。
しかし――
丹山たちの驚きの原因はそれではなかった。
「な、なんでお前が――」
丹山より先に、イヒトの口から言葉が漏れる。
そこには、穏やかに微笑むリィズリースがいた。
一瞬、奇妙な沈黙が流れる。
「お願いをして、私もお手伝いをしに来ました」
リィズリースはそう言って、柔らかく微笑んだ。
廃虚が立ち並ぶ荒れ果てた道を、二台の車両が走り抜ける。
先頭を行くのはストライのワゴン車。その後ろを、イヒト自慢のバイクが追いかけるように走っていた。
イヒトの愛車は、大型の内燃機関バイク。今どき骨董品に近い代物で、燃費も悪い。
だが、丁寧に手入れを重ねながら乗り続けていた。
そんなバイクの後部座席には、露骨に不機嫌そうな丹山がしがみついている。
悪路を突っ切るバイクは激しく揺れ、丹山は何度も体をよじらせながら必死にバランスを取る。
そのたびに、二人の表情はますます険しくなっていった。
「……チッ。壊れたりしねえだろうな」
苛立ち交じりの独り言が漏れると、こんな時だけ耳ざといイヒトがすかさず反応する。
「文句あんならさっさと降りろや」
「はぁ!? 文句なんか言ってねぇだろうが!」
短いやり取りは互いの苛立ちを煽るばかり。
ほんの十分足らずのドライブは、二人にとって果てしなく長い、地獄のような時間となった。
目的地に到着した。
そこは、かつては公共施設だったらしい廃墟。
かつては繊細なフレームにガラスが張られ、煌びやかな建物だったのだろう。
しかし今は、ほとんどのガラスが剥がれ落ち、むき出しの枠組みだけが残っている。
そんな寂れた建物のそばに停められたワゴン車。その車内には、限界まで詰め込まれた大量の荷物がぎっしりと押し込まれていた。
イヒトと丹山、ついでにリィズリースは、その膨大な荷物の山を前に呆然と立ち尽くす。
「――で、どれを運べばいいんだ?」
イヒトが呆れ気味につぶやくと、すかさず威勢のいい声が響いた。
「全部に決まってるじゃないですか!」
胸を張り、腕を組んで見上げてきたのは、ストライのメンバーの一人、チミツだった。
イヒトより一回り以上小柄な彼女は、どこか得意げな表情で命じる。
「いいですか、お前ら! ちゃんと漏れなく、きっちり運んでくださいよ!」
「任せてください! こんなの一人で持っていけますよ!!」
威勢よく答えた丹山が、手当たり次第に荷物を抱え込もうとする。
だが、チミツが慌てて制止した。
「ちょっと! もっと丁寧に扱ってください! 貴重な機材なんですからね!」
「き、機材!? ……す、すみません!!」
途端に、丹山の動きがぎこちなくなる。さっきまでの勢いはどこへやら。
わざとかというくらい荷物の量を減らし、おっかなびっくり運び始めた。
「おい、お前ら! 機材なんだから絶対壊すんじゃねえぞ!!」
念を押しながら、丹山が慎重すぎるほどの動作で荷物を運ぶのを見て、イヒトは呆れたようにため息をつく。
「0か100しかないのかよ……」
とはいえ、壊されるよりはマシだ。イヒトも最低限の注意を払いつつ荷物を担ぎ始めた。
リィズリースも、二人と同じくらいの荷物を両手に抱える。
だが、それでも人手が足りないのは明らかだった。
「私も手伝った方がいいかしら」
そう言いながら、マトモが機材を運び始める。
すると、その様子に耐えかねたように、ため息をつきながら姿を現す女性がいた。
「あーもう、全然手が足りてないじゃない! どうなってんのよ、おチミ!」
長身でスタイリッシュな体型に、派手な服装。ストライのメンバーの一人――ミワクだ。
「ミワ……! なんですか、ボクに何の文句があるって言うんです?」
険しい顔で応じるチミツに、ミワクは無造作に鼻を鳴らし、つまらなそうに言う。
「アンタがわがまま言うから雑用に三人も雇ったのよ。なのに、それでも足りないってどういうこと?」
そう言いながら、ミワクもしぶしぶ荷物を担ぎ始めた。
「はぁ? だから、撮影するならこれくらい必要だと――ってちょっと、雑に扱わないでくださいよ!」
チミツが慌てて声を上げるが、ミワクは気にも留めずに肩をすくめる。
「そんなに大事なら、倉庫にでもしまっておきなさいよ」
二人の口論をよそに、イヒトは再びため息をつき、淡々と荷物を運び始めた。
◇
小秋市の東、山裾に古びた展望台が佇んでいた。
かつては市内を一望できる景勝地として、地元の人々に親しまれていた場所。
だが、時の流れとともに人影は途絶え、今では訪れる者もほとんどいない。
クリーチャーたちの破壊を奇跡的に免れ、百年以上の時を経た今も、その形をとどめている。
そんな展望台に、一人の人物が立っていた。
顔には装飾の一切ない真っ白な仮面をつけ、重厚な外套に身を包んでいる。
その姿は、ただそこにいるだけで怪しげな気配を放っていた。
つい先日、「人さらい」のアジトで「センパイ」をそそのかした張本人――まさに、その仮面の者だった。
仮面の者は、静かに市内を見下ろしていた。
視線の先には、遠くに古びた建物がある。
ストレートライトの面々が撮影をしている廃墟だった。
彼らのいる場所を、仮面の者はじっと見つめ続ける。
背後から足音が聞こえた。
階段をゆっくりと、それでいて確かな歩調で昇ってくる。
「ずいぶん早いじゃないか」
仮面の者は振り返らず、おどけた調子で声をかけた。
足音の主が展望台の床を踏みしめる。
それは、金髪碧眼の男だった。




