第23話 要領がいいのか悪いのか
小秋市の北東部。
目と鼻の先には、小秋市新遺跡群がそびえる。
イヒト、サク、それにラルの三人はホカゼが紹介した作業現場に立っていた。
都市の外では珍しくもない光景だが、市域の内側にこれほど荒れた地が残されているのは稀だった。
仕事とは、この廃墟と化した一帯のがれき撤去だ。
「やっとかよ」
イヒトは周囲を見渡しながら、小さくつぶやいた。
生々しさの残る爪痕にも、イヒトの心が大きく揺れることはない。つい最近まで、この現場を通って狩りに出かけていたのだから。
「押印がまだの奴は、さっさと並べ!」
現場管理者の怒号が響き渡る。作業員たちは次々と列に並び、押印の順番を待ち始めた。
この時代、工事や重労働に従事する者にとって、人造印の押印は必須だ。
増強印は筋力を、頑強印は耐久力を強化し、人間の限界を軽々と超える力を与える。
特に、安全の面から頑強印の押印は義務づけられていた。
三人も列に並び、順番を待ちながら他愛のない会話を交わしていた。
イヒトとサクは軽口を叩き合い、話を振られたラルは淡々と相槌を打つ。
そんな中、ふいに後ろから声がかかった。
「へへっ、知ってるか? ここの頑強印、ヤバいって話だぜ」
薄汚れた白Tシャツを着た中年の男が、ニヤニヤと笑いながら言う。
いきなりの物騒な話に、三人は困惑するが、おっさんは気にする様子もなく続けた。
「お前ら新顔だろ?」
「うん、まあ」
サクが戸惑いながら返事をする。
「ここの印器な、二級って言ってるが、実際は三級以下らしいぜ」
おっさんは「安心安全二級印器使用! 頑強印出力25以上!」と書かれた立て看板を指さし、へへへと笑う。
「……えっと、それって?」
不安げに尋ねるサクに、ラルが淡々と説明する。
「この現場で使われている印器は、復興事業従業時の法定下限出力を下回っている――と、言いたいんだろう」
「えっ、うそ! それってヤバいんじゃない?!」
サクの顔がこわばる。
「本当ならな」
イヒトは興味なさげにつぶやいた。
こうした現場では、この手の噂は日常茶飯事だ。
事故や怪我人が出たり、仕事への不満が溜まったり、単に話題が尽きると、誰かが適当に流し始める。
いちいち真に受けていたら、きりがない。
「へへっ、信じるか信じないかはお前ら次第さ」
おっさんは楽しそうに笑う。
「だとしても、ここはまだマシな方だな」
ラルが視線を前方に向けながら、淡々と話し始める。
「ひどいところでは、三級にも満たない頑強印を使い、安全性を犠牲にしてでも増強印に予算を回す」
ラルが淡々と話し始めた。
「ひっで、なんでそんなこと!」
サクは顔を歪め、声を上げた。
「その方が効率がいいからだ」
ラルの視線の先では、自分の背丈ほどもある瓦礫の塊を持ち上げ、運搬する男たちの姿があった。
サクはその光景を見て口をとがらせる。
「そりゃ、そうだろうけどさ……」
理屈はわかる。しかし、それを納得するのとは別の話だった。
「ま、それで体壊しちまう奴も多いんだけどなぁ。オマエらも、せいぜい気を付けろよ」
おっさんは悪趣味な笑みを浮かべながら言い残し、別の作業員にターゲットを移した。
話している間にずいぶん列も進んだ。
サクとラルは順番を終え、それぞれの作業場へと振り分けられていく。
◇
現場管理者の男は、臨時雇いの者たちに目を光らせていた。
こうした仕事では、必ず問題を起こす奴が一人はいる。
本当なら正規雇用者だけで現場を回したいところだが、人手不足と予算の都合で、そんな贅沢は言っていられない。
とはいえ、臨時雇いのすべてが問題児というわけではない。中には思わぬ「掘り出し物」もいる。
今日で言えば、金髪の外国人がまさにそれだった。
巨人用かと思うほどのスコップを軽々と操り、瓦礫を一気にかき集めている。その動きは力任せではなく、手慣れたものだった。
あのレベルの重作業を任せられる者は、現場でも限られている。管理者は無意識のうちに感心していた。
それに、あのひょろそうな亜人のガキも意外なあたりだった。
人造印の適性が高いのか、体格に似合わず効率よく動き回り、すでに作業員たちの間で一目置かれている。
「こんな奴らばかりなら、楽なんだがな……」
管理者は満足げにうなずくが、それと同時にため息をついた。現実はそう甘くない。
その時、押印所の方から言い争う声が聞こえてきた。
「だから! あれくらい余裕だ、っつってんだろ!」
「無理なものは無理だ。印枠が足りずに増強印だけ押すような奴を、重作業に回せるかよ」
「何度もやってるっての!」
「あのな……事故があったら、ウチの責任になるんだぞ」
管理者は舌打ちをした。
「ったく、ああいう奴が一人はいるんだよな」
自分の力を過信しているのか、それとも金に目がくらんでいるのか。
どちらにせよ、分不相応な現場に回せと駄々をこねる厄介な連中だ。
言い争っている男の顔をよく見れば、見覚えがあった。
――「ゴミ漁り」か。
管理者は鼻を鳴らした。
狩人をクビになり、流れ着いたと聞く。そんな甘い考えでやれる仕事ではない。
結局、ゴミ漁りは軽作業へと回された。余裕のある現場なら、小型ロボットにでも任せておける程度の仕事だ。
当の本人は、不満げにしていたが、薄汚れた白Tシャツの中年男が妙に歓迎している様子だった。
どうでもいい話だ。
管理者は一瞥しただけで、二度とそちらを振り返ることはなかった。
◇
昼休憩の時間になった。
適当な現場の休憩場所は、当然ながら適当である。指定のスペースなどなく、そこらに座って好きに食えとのお達しだった。
イヒト、サク、ラルの三人がホカゼの作った弁当を広げていると、いつの間にか白Tシャツのおっさんがちゃっかり輪に加わっていた。
どうやら、イヒトはすっかり気に入られてしまったらしい。曰く、「こいつは見所がある」らしいのだ。
「この業界は長いんだがな、オレ以外の奴はみんな辞めちまった。なんでかって? 体を壊すからよ。一番多いのは腰、次は膝だな。肩やらかす奴もよくいるぜ?」
おっさんは腰や膝をさすりながら、聞かれてもいない自分語りを始めた。
「いくら頑強印や増強印を押印していようが、無理をすればいずれたたるんだ。長くやりたきゃ、目の前の餌に飛びつくもんじゃあないぜ」
真剣そうな顔を作ってみせるが、どこか芝居じみている。その様子に、サクは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「その点、コイツはよくわかってる」
そう言って、おっさんはイヒトの肩に手をまわす。
イヒトはあからさまに迷惑そうな顔をしたが、そんなものはおっさんにとって知ったことではないらしい。
「色男な外人さんもよ、よく覚えとけよ。ずいぶん目立ってたみたいだが、そんな無茶は若いうちだけだぜ?」
ラルはおっさんに冷ややかな視線を向け、毅然とした口調で返す。
「自分より一回り以上小さなものに任せて、平気でいられるほど厚顔ではない」
視線をサクの方へ流しながら放たれた言葉だったが、おっさんはただ楽しそうに笑っているだけだった。
だが、流れ矢を受けたイヒトの表情は険しい。
「……うっせーな」
その後も休憩が終わるまで、おっさんの独演会は続いた。
イヒトとラルは終始不機嫌そうに黙り込んでいた。
もっとも、一番静かに怒っていたのは、とばっちりで「小さなもの」扱いされたサクだったのだが。




