第21話 よくわかる突然変異生物講座
猫耳の男と別れてから、イヒトたちは無言で工場内を歩いていた。
進むほど、油と金属の匂いが濃くなり、機械の轟音が絶え間なく響く。
沈黙は、気まずさと共に場を支配していた。
だが、その原因を作った張本人は、そんな空気をまるで気にする様子もなく、無神経に口を開く。
「イヒトさん。そろそろ、発言してもよろしいでしょうか?」
イヒトは疲れたようにため息をついた。
「……お前な、ああいうことは言うなよ」
「『ああいうこと』とは何でしょう?」
リィズリースが首をかしげる。
イヒトは言葉に詰まった。
言いたいことは山ほどある。だが、どう言えばいいのかがわからない。
「それは……だから、わかれよ」
もどかしく口ごもるイヒトは、ふとサクの方を見た。
亜人の話題はデリケートだ。当事者がいる場では、特に慎重にならざるを得ない。
しかし、イヒトの視線に気づいたサクは、軽い調子で言った。
「ああ、いいって。オレは気にしないからさ」
「……いいのか?」
「だって、普通気になることじゃん。それを、素直に口に出しちゃっただけだろ?」
サクは笑って何でもないと続ける。
「ああでも、亜人の話題はイヒトやオレだけとにしとけよ。怒るやつも多いからな」
「わかりました」
リィズリースは素直に頷いた。
その反応に、イヒトは困惑する。拍子抜けしたような気持ちが胸に残る。
当事者が気にしないのなら、イヒトが何か言う筋合いもないのだが――それでも、釈然としなかった。
少しの沈黙の後、サクが再び口を開いた。
「せっかくだし、さっきの話も答えてやるよ。『どうして亜人とクリーチャーが同じじゃないのか』だっけ?」
イヒトはサク自身からその発言が出たことに少しだけ驚く。
一方、リィズリースは興味深げにうなずいた。
「はい。例えば、生物学において人間と猿は、同じヒト科や霊長目に属すると定義されます。しかし、亜人とクリーチャーにはそのような分類がなされません」
「ようするに、なんで『みんな同じ動物だ』みたいな分け方すらしないのか、って話だろ?」
サクが補足すると、リィズリースは満足そうに微笑んだ。
「はい、そのとおりです。クリーチャーは『特定突然変異生物』として、既存の分類とは完全な別枠が設けられています。しかし、そこに同じく突然変異により誕生したはずの亜人は含まれていません」
「クリーチャーは完全に別生物、でも亜人はヒトの亜種ですよ、って説だな」
サクは、あっさりとした口調で、自身に関するデリケートな話題を口にする。リィズリースは不思議ですね、と微笑む。
二人のやり取りを横目に、イヒトは妙な居心地の悪さを覚えていた。
二人の話はどれも、現代では中学生までには習う常識レベルの知識に基づいている。
イヒトもうろ覚えながら、大枠は把握していた。
だが――そこから生まれるある種当然の疑問に関しては、ほぼ絶対的にタブー視されていた。
今では苛烈な亜人差別主義者ですら、公には口に出さないだろう。
しかし、サクは気にする様子もなく続ける。
「まずさ、昔はもっと亜人差別がひどかったんだよ。『亜人はクリーチャーの成り損ないだ』なんて罵られてたらしい。そういう歴史もあって、亜人とクリーチャーをつなげるような話には敏感なんだ」
「つまり、亜人感情への配慮が理由で、あえて分類をわけているのでしょうか?」
「単純に言えばそうかな。でも、実態はもうちょっと複雑でさ」
サクの言葉は軽やかだったが、その奥には長い歴史の影が滲んでいるようだった。
「『生物学的には』って一口に言っても、いろいろあるんだよ。クリーチャーを既存の生物の亜種とする説も、当然あるにはあるんだ」
「そうなのですか? 初めて知りました」
「リィズリースは小秋市のネットで調べたんだろ? たぶん、一番常識的な情報しか載ってなかったんだろうな」
「ではなぜ『特定変異生物』という枠がわざわざ設けられたのでしょう?」
リィズリースは問いかける、一瞬サクは上を向き悩むそぶりを見せた。
「理由はいろいろあるけど、一番は『生体型』クリーチャーかな。知ってる?」
「人間の一部が変異したと言われるクリーチャーですね。一度見たことがあります」
生体型クリーチャー――それは、人間の手や足など、体の一部がクリーチャー化したものを指す。
イヒトは眉をひそめた。
元狩人からすれば、害しかない存在だった。
獣型ならば、皮も肉も利用価値がある。しかし、生体型に至っては、せいぜいプラント用の廃材にする程度の価値しかない。
そんなイヒトの苦い顔をよそに、サクは話を続ける。
「そう。問題は、コイツでさ。普通の生物学に生体型を当てはめると、ヒトの亜種に分類しなきゃいけなくなるらしいんだよ」
イヒトは驚いた。
そうなると――
「つまり、亜人も人間もクリーチャーと『同じ動物』じゃなくて、『ほぼ同じ種だ』ってことになる。この説は亜人以外の人も嫌がったみたい」
「なるほど、人類全体において忌避感が勝ったのですね」
「そう。そんな事情あってさ、『亜人はヒトの亜種』だけど『クリーチャーは特定変異生物』って説が今の主流なんだよ」
そう語るサクの顔は、どこまでもあっけらかんとしていた。
イヒトは、その無関心さにどう反応していいかわからず、結局、ただ聞き流すことにした。
サクたちの話に相槌を打ちながら、ちょうどいい距離を歩いたらしい。
三人はやっと目的地に到着した。
「おおっ!」
サクが目を輝かせ、満面の笑みで声を上げた。
目の前に広がるのは、開かれた工場の内部――巨大な材料プラントだった。
トラックや二輪車、リヤカーに背負い荷。小秋市中から運び込まれた廃材が、山を成している。
それらはさらに細かく分類され、粉砕され、固められ、そして最後に刻印処理が施される。
そうして、産業に必要なさまざまな原材料へと生まれ変わるのだ。
サクはしみじみとした声を漏らす。
「すげーよな」
それは、黄金期の結晶であり、刻印工学の到達点。そして今や、ただの残骸にすぎない機械たちだった。
「そんなにか?」
イヒトがそっけなく応じると、サクは不満顔で反論する。
「イヒト、お前さあ。材料プラントの凄さを本当にわかってないのか?」
「ゴミをなんにでも変えられるんだろ」
「なんにでもはならねーよ! でもすげーの!」
イヒトの適当さに、サクは思わず突っ込みを入れる。
刻印工学――それは百年前に「現代の錬金術」とまで言われた技術だ。
卑金属を金に換えることはできないが、それに匹敵する成果をもたらす技術。
「ついた名が『レアメタル殺し』だぜ。大きくて分厚くて重くて大雑把なアレじゃないぞ」
イヒトは「いまどき誰にそのネタが通じるんだよ」と内心でため息をつきながら、ぞんざいに答える。
「だから、すごいリサイクル技術なんだろ」
雑にまとめられて、サクはがっくりと肩を落としたが、イヒトはそれで十分だと思っていた。
重要なのは、それがどう自分の得になるか――ただ、それだけだった。
受付で手続きを済ませると、三人は手分けして、リヤカーに積まれた廃材の分別を始めた。
イヒトは慣れた手つきで作業を進める。サクやリィズリースの手際も悪くなかった。
ようやく作業を終え、一息ついたその時だった。
「うっせーな! 無理だっつってんだろ!」
荒げた声が響く。イヒトは思わずそちらを向いた。
「なんだありゃ」
揉めているのは、犬亜人らしきプラントの職員と、外国人らしき男だった。
その金髪碧眼と長身、がっしりとした体格――この時代では、いやでも目を引く。
犬亜人の職員は声を荒げ、金髪の男は食い下がる。
どうやら、廃材の持ち込みを巡るトラブルのようだった。
「なぜだ? これはただのクズ材だ。許可の必要な処理物などないはずだ」
男がそう言うと、職員は大仰に首を振る。
「だから、そりゃ遺物なんだよ! だから許可がいるんだ! お役所でクソほどお堅い職員相手に、面倒くせえ手続きを経て、いまどき紙束で提出しなきゃならん許可がな!」
「遺物? 道中に集めたガラクタだぞ」
金髪の男は足元の袋を軽く蹴った。
詰められているのは金属や瓦礫のクズ。確かに、ただの廃材にしか見えなかった。
「遺物なんだよ、ここではな! おめえがやったのは『ゴミ漁り』以外の何物でもねえ!」
金髪の男は大きく首を振り、嘆息する。
「信じられんな。許可がなければ、危険極まるクリーチャーも、再利用できる廃材も捨て置けと? ここまで醜く利権にまみれた都市はついぞなかった」
「ケッ、よそ者が。何言われようが、お前からは引き取れねえんだよ。どうしてもってんなら――」
犬亜人は親指を背後にくいっと向ける。
「ご同類さまにでも頼むんだな」
その先にいたのは――イヒトだった。
「……あぁ?」
唐突なご指名に、イヒトは鋭く睨み返した。




