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第20話 好奇心は猫を刺す




 目覚ましが鳴った。


 ホンゴウビル三階。イヒトの自室。

 時計から飛び出したおもちゃの鳩が、空中を忙しなく飛び回る。


 イヒトは枕元に手を伸ばし、手探りでボールを掴むと、目も開けず鳩めがけ投げつけた。

 命中。鳩は沈黙し、部屋には再び静寂が戻る。


 別に物にあたっているわけでも、動物虐待が趣味なわけでもない。ただ、そうやって止める目覚ましなだけだ。


 午前五時半。


 もう、こんな時間に起きる必要はないはずだった。

 寝て起きても、昨日消したばかりの真っ白な予定表が埋まることはない。


 それでも、イヒトは重たい体を起こし、二階へ向かった。

 いつも通りの、朝食の時間だった。




「……あん?」


 本郷家のリビングの扉を開けた瞬間、イヒトの足が止まった。


 普段と違う光景が目に入ったからだ。

 いつもなら、ホカゼと二人きりのはずの朝食。だが今日は、サクとリィズリースまで揃っていた。


「こんなに早く起きなくてもいいのに」


 ホカゼは気遣うように言うが、サクは「いや、もともとこのくらいの時間に起きてたから」と、まるで気にした様子もない。


 テーブルの上には、いつもと変わらないメニューが並んでいた。

 合成パンのトースト、合成卵の目玉焼き、それから申し訳程度に添えられた、本物の野菜を使ったサラダ。


 違うのは、量が倍になっていることだけ。

 いつもより少し騒がしい朝食だった。




 他愛ない雑談の合間に、ホカゼがいつものトーンで言った。


「そうだ、イヒトさん。お父さんがプラントに持って行ってほしいって」


 塩コショウを手渡しながら告げられた言葉に、イヒトが返事をするより先に、サクが反応した。


「え、プラントに行くの?」


「……? はい、そうですけど……」


 妙に食いつきのいいサクに、ホカゼは首を小さく傾げる。


「プラントは廃材再生を受け付けてますから。いつも、イヒトさんに分類と持ち込みをお願いしてるんです」


 要するに、小さな店では処理しきれない品を、もっと大きな業者に委託するようなもの。

 特に面白みのある話ではない。


 だが――


「それ、オレも手伝っていいかな?」


 サクが身を乗り出すように尋ねると、イヒトの箸が止まった。

 ホカゼも驚いた様子で、一瞬視線を泳がせる。


「えっと、私は助かりますけど……」


「やった! 一回見てみたかったんだよなー!」


 サクは嬉しそうに笑うが、イヒトとホカゼは戸惑いながら、視線を交わした。


「……あおい市に住んでると、ただの廃材回収まで珍しくなるんだね」


 ホカゼはぽつりとつぶやいた。

 ホカゼのあおい市への憧れから生れた偏見が、また一つ強くなったらしい。




 ◇




 小秋市の中央は、高い壁に囲まれていた。


 その門を、イヒトの引くリヤカーがくぐる。

 リヤカーには廃材が山と積まれ、後ろにはサクと――なぜかリィズリースもついてきていた。


「うわぁー、懐かしー……壁の中は、結構変わってないもんだな」


 サクは歩きながら周囲をきょろきょろと見回し、感慨深げにため息をつく。

 そんな様子にお構いなしに、イヒトは淡々と言い放った。


「たいした街じゃないだろ」


 水を差すような言葉も、サクには通じない。


「オレにとっては懐かしいんだよ。あ、ほらここ! あのタコ焼き屋があったところじゃねえ?」


 サクがはしゃぎながら指をさすが、イヒトはピンとこなかった。

 イヒトが小秋市に来たのは、氷解してすぐのことだった。


 サクのような郷愁とは無縁で、街がやたら狭く感じられたことに、ただ失望した記憶しかない。

 止まらないサクの昔話を聞き流しながら、イヒトの頭にはそんな記憶がよぎっていた。




 目的地に近づくにつれ、人通りも、車通りも増えていった。

 リヤカーを端に寄せながら進むこと五分。


 ようやく、プラントに到着した。

 小秋市の心臓部とも言える場所だ。


「うわぁ、すっげー……」


 サクは目を輝かせながら、古びた建物を見上げた。

 プラントは、刻印力(エナジー)誘引所――動力炉に併設された施設だ。


 一見すると、二十世紀製の古びた工場にしか見えないが、この崩壊後の時代においては産業の基幹となる重要な施設だった。


 まだ朝も早いというのに、すでに何台もの車が出入りしていた。

 受付で入場手続きを済ませ、イヒトたちもリヤカーを引きながら門をくぐった。


 プラントの敷地は広い。


 廃材の受付場までは、まだ少し距離があった。

 三人は巨大な建物に囲まれた通路を進んでいく。




「こんな感じなんだな……」


 サクは物珍しそうに周囲を見回す。


「そんなに珍しいかね」


 イヒトは、その様子にぽつりとつぶやいた。

 イヒトにとって、ここはただの日常だ。


 遺跡を漁り、ほとんど使えないものを持ち帰る。そして、時折こうしてプラントヘ廃材を持ち込む。

 ただ、それだけの日々だった。




 前からやってきた男が、イヒトの顔を見るなり眉をひそめる。


「チッ」


 すれ違いざま、露骨に舌打ちをされた。

 これも、いつものことだった。


「なんだよ、感じ悪いな」


 サクが不満げに後ろを睨みつける。


「気にすんな。そういう場所なんだよ」


 イヒトは何でもない風に言うが、サクは明らかに納得がいかない表情を浮かべていた。

 しばらくの間、無言のまま歩き続ける。




 前方から、猫耳を生やした亜人で、まだ年若い男が歩いてくるのが見えた。

 猫耳の少年はイヒトに気づくと、ニヤニヤと笑いながら近づいてくる。


「なんだ、ゴミ漁りじゃねえか」


 挑発するような一言。

 イヒトは内心でため息をつき、表情を動かさずに歩を進めようとした。


「いや、もうゴミ漁りですらないんだったか?」


 少年はさらに煽る。


「やめてねーよ。ちょっと休憩中なだけだ」


 イヒトは舌打ちしつつ、適当にあしらおうとする。だが、少年はわざわざ足を止め、進路を塞ぐように立ちはだかった。

 サクがムッとした表情を浮かべ、一歩前に出る。


「ゴミ漁りってなんだよ。失礼だろ」


 猫耳の少年は、ようやくサクの存在に気づいたように鼻で笑った。


「なんだ、お子様連れで社会科見学か?」


「あぁ!? だれがお子様だよ!」


 怒りをあらわにするサクを、イヒトが肩を押さえて制する。


「さすが、狩人をクビになっただけあるな。子守の時間まであるなんて、暇があってうらやましいぜ」


「このっ……!」


 少年の嘲笑に、サクのこめかみに青筋が浮かぶ。イヒトが押さえていなければ、今にも飛びかかりそうだった。


 イヒトは無用な争いは好まない。所詮ガキの言うこと、適当に流せばいい――いつもなら、そう考えていた。


 だが、今日は違った。

 自分だけならまだしも、仲間にまで突っかかるようなら話は別だ。


 言われっぱなしでは舐められるし――なにより、イヒトだってむかついてはいるのだ。

 イヒトは一歩前に出て少年に反撃する。


「そう言うテメェこそ、こんなとこで油売ってるじゃねえか。狩人のくせに廃材に縁があるなんて、奇遇だよな」


 冷ややかな言葉に、少年の表情が一瞬険しくなる。


「……んだと?」


「先につっかかってきたのはテメェだろうが」


 イヒトは淡々と続ける。


「まだやるってなら、今日はとことん付き合ってやるぜ。どうせ、お前の言う通り暇だからな」


「……チッ!」


 少年は睨みつけるが、それ以上言葉を重ねようとはしなかった。




 普段ならここで終わっていたはずだった。


 猫耳の少年はイヒトを明確に嫌っている。

 顔を合わせれば嫌味を言い合い、お互い不愉快な気持ちで去っていく――二人は、そんな関係だ。


 それでも、お互い引き際を知らないわけではない。

 腐っても同じ狩人だったのだ。仲間内で揉めて得することなどない。


 しかし――今日は違った。


 イヒトはもう狩人ではなくなっていた。

 そして、いつもと違い二人だけではなかったのだ。




「……ゴミ漁りですらなくなった、ゴミ野郎のくせに。とっとと小秋市から出てけよ」


 少年の捨て台詞は、いつも以上に鋭かった。


「お前っ!」


 サクが声を荒げる。


 猫耳の少年は睨み返し、サクをわざとらしく嘲笑った。


「ふん。単独(ユガミ)のガキが、ここは遊び場じゃねえぞ」


「はぁ? 言ったな、この猫融合(マザリ)が!」


「んだとぉ!?」


 一瞬で場の空気が張り詰める。


 二人は今にも殴りかかりそうな勢いでにらみ合う。


 イヒトは慌てて止めに入る。


「おいサク、やめろ」


「先に吹っかけてきたのはあいつだろ!!」


 だが、サクは収まる気配を見せない。


 もはや、亜人同士だからこその諍いに突入してしまった。

 イヒトも軽々しく踏み込めず、場には一触即発の空気が漂う。




「質問をよろしいでしょうか?」




 突然、割り込んだものがいた。


 リィズリースだ。


 唐突な介入に、イヒトも、サクも、猫耳の少年も驚き、その方を向いた。

 全員の怪訝な視線が突き刺さる。


 だが、リィズリースは気に留める様子もなく微笑みながら続ける。


「今、お二人が使われた言葉についてお尋ねします。単独(ユガミ)とは単独変異、融合(マザリ)とは融合変異を指す亜人の分類用語で間違いないでしょうか?」


「……なんだ、テメェ……?」


 猫耳の少年が低い声で威嚇する。

 イヒトも困惑し、「おい、何言ってんだ」と制止しようとするが、リィズリースは意に介さない。


 仕方なく、サクが答えた。


「……そうだよ、亜人同士じゃよく使われる。けど、決していい意味じゃない。間違っても初対面で投げるような言葉じゃない、ってのは覚えとけよ」


 サクが猫耳の少年を睨みながら言うと、リィズリースは納得したように頷いた。


「なるほど。やはり変異現象は文化にも多様な影響を与えているのですね」


「チッ、なにがそんなに面白いってんだよ」


 少年は苛立ちを隠さず吐き捨てる。だが、リィズリースは平然と続けた。


「はい、変異現象の全般を興味深いと感じています。亜人という新たなカテゴリは人類をさらに分断し、衝突を生みました。それでも、対立だけではなく均衡を保つための工夫や妥協も必要だったのでしょう。先ほどのスラングも、その一つの結果かと思われます」


 流れるように理屈を並べるリィズリースを、猫耳少年は険しい目つきで睨みつける。


「……テメェ、亜人をバカにしてんのか?」


「いいえ。ただ、興味深いと感じています」


 リィズリースは淡々と答えた。


「目下の関心ごとは変異の分類についてです。同じ亜人でも単独変異と融合変異は大きく異なりますが、現在は全て『亜人』としてひとくくりにされています。それほど変異という共通点は大きいのでしょう」


 リィズリースはにこやかに続ける。


「クリーチャーについても同じです。人間以外の突然変異した生物は、全て『クリーチャー』と呼ばれます」


 その瞬間、猫耳の少年の表情が険しさを増す。


「……何が言いてぇんだよ」




「ではなぜ、亜人とクリーチャーは同じカテゴリに分類されないのでしょうか?」




 場が凍りついた。


「……! テメェ!」


 怒りが爆発する。


 猫耳の少年は拳を握りしめ、リィズリースに飛びかかろうとする。

 だが、その腕をイヒトが素早く掴み、身体を押さえつけた。


「っ……! 離しやがれ!!」


 少年が必死に暴れるが、イヒトは力を込めて押し止める。

 リィズリースは気にする様子もなく、なおも続けようとし、


「例えば、生物学において人間は――」


「おい、ちょっと黙れ」


 イヒトは低く、強い口調で言った。


 リィズリースは一瞬目を瞬かせたが、あっさりと口を閉ざす。

 そして、イヒトは少年の目をまっすぐ見据え――深く頭を下げた。


「すまん、連れが悪かった」


「……っ!」


 予想外の行動に、猫耳の少年がたじろぐ。


「お、おい……!」


 サクも驚き、一瞬ためらう。


 だが、すぐにリィズリースの頭を押さえつけ、自分も一緒に頭を下げた。


「……チッ!」


 忌々しげに吐き捨てると、少年はそれ以上何も言わず、踵を返して立ち去っていった。




以下はキャラクターの参考画像です。




・猫耳の少年

挿絵(By みてみん)


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