第2話 狩猟も協同組合ができる時代
「……っ」
かつてサラリーマン一家が住んでいたであろう一軒家の遺跡。
薄暗い地下室で、イヒトは肩膝をつきながら、呆然としていた。
「イヒトさん。感慨にふけっているところ恐縮ですが、二つよろしいでしょうか?」
その声の主は、胴体から分離したリィズリースの生首だった。地下室に、人間とも機械ともつかぬ、不思議な声が静かに漂う。
「……っ。なめてんのか、テメェ」
イヒトは気を取り直し、なんとか顔を上げ、吐き捨てるように言い放つ。
だが生首は一切臆することなく、淡々と続けた。
「一つ目ですが、頭部をはめ直していただけないでしょうか? 急激に分離したせいで、胴体がうまく動かせなくなりました」
「……アホかよ、お前」
イヒトは内心で「イカれてんのか、コイツ」と呟きながらも、生首をひったくると、元あった場所にのせてやった。
すると、少しズレた首が自然に調整され、ピタリと元の位置に収まって胴体と接合される。
その様子を見たイヒトは、得体の知れぬ存在に対する恐怖すら感じざるを得なかった。
生首だったものは、しばらく具合を確かめるように細かく首を動かしていたが、やがて口を開いた。
「ありがとうございます」
「ったく……で、もう一つは?」
「はい、二つ目です。正体不明の危機が迫っていることをお知らせします」
その言葉に、イヒトは怪訝な顔を浮かべる。
「あぁ……? っ! おまっ――」
が、一拍遅れようやくせまりくる何かに気付いたイヒトは、反射的にリィズリースを抱え、後方へ飛んだ。
直後――轟音。
地下室の壁が崩れ落ち、二人のいた場所があっという間にがれきに埋もれた。
「っ! 言うのがおせえよ!」
イヒトは構えながら、脇に抱えたリィズリースに向かって、吐き捨てるように言葉を放った。
粉塵の向こうから姿を現したのは、見知った化け物――人体のパーツを寄せ集めたような奇怪でおぞましい姿のクリーチャーだった。
今や人類の厄介な隣人。
理性なく人に襲いかかる怪物が、唸りながら粉塵をかき分け、一直線に襲い掛かってくる。
「危険ですので、退避を推奨します」
脇に抱えたリィズリースから、どこか冷静な声が漏れる。
その一言に、イヒトの苛立ちは頂点に達した。
「ああっ!? んのっ、テメェなぁ!」
イヒトは拳を力強く握りしめた。すると、拳が光り輝き誰の目にもわかるほど、力があふれ出す。
「まあ」
リィズリースは短く、感嘆の声を漏らす。
「どいつもこいつも! なめてんじゃ、ねえっ!!」
イヒトは叫ぶように拳を振るい、迫り来るクリーチャーに向かって激しく叩き込んだ。
その日、一つの地下室が崩壊した。
◇
人工物の残骸と砂塵にまみれた荒野。
どこまでも続く廃虚を抜ける無駄に広い道に、イヒトはバイクを走らせていた。
後部座席には、さっき拾ったばかりの自称人間模型、リィズリースが腰かけている。
風を切る音とバイクのエンジン音の中、背後から冷静な声が響く。
「なるほど、あれはクリーチャーというのですね」
「……そうだ」
「先ほどのように、よく襲われるものなのですか?」
「……まあな」
背後から届く冷静な声を、イヒトは適当に受け流していた。
イヒトは曖昧に返事をしたが、実のところ、今日のような事態は珍しかった。
地下の廃墟にあんな大型のクリーチャーが出るなんて、普通はありえないのだから。
「現在の人類はさぞ大変でしょうね」
まさに他人事のようなリィズリースの言葉を、イヒトは鼻で笑いながら応じた。
「しかたねーだろ。今の地球の主役様なんだからよ」
ようするに、人類はもはや地球盟主の座を降ろされていた。
三度の世界大戦を経て、四度目に致命的な過ちを犯した結果、未曾有の変異現象が地球全土を襲った。
あらゆる生物に影響が及び、多くはクリーチャーと呼ばれる怪物へと変貌した。
今や、地表の九割以上は奴らの支配下にある。
とはいえ、人間もしぶとい。
車は一応走っているし、夜の街にも明かりは灯る。ネットさえも、かろうじて世界中に繋がってはいる。
ただ、かつての繁栄と比べれば人の行き来は激減し、生活圏もまるで猫の額ほどに縮まってしまった――それだけだった。
「つまり、クリーチャーへの変異現象が地球全土で起きたのですね」
バイクのエンジン音が響く中、リィズリースの声は良く通った。
「では、イヒトさんはなぜ遺跡にいたのでしょう? クリーチャーが危険ではないのでしょうか?」
「……ゴミ漁って、売るためだよ」
イヒトがため息とともに答えると、リィズリースは大仰に反応する。
「まあ。つまり、イヒトさんは遺跡からの出土品回収と保存を通して、循環型経済に貢献しながら生計をたてているのですね」
リィズリースのあからさますぎるおべっかに、イヒトは思わず吹き出した。
「はっ、物は言いようだな。――けどよ、お前もその循環の一部になるってこと、忘れんなよ」
リィズリースは感情のない声で問う。
「やはり、私は売られてしまうのでしょうか?」
「さっきも言っただろ。自動人形なんか、売る以外ねえんだよ」
「私は人間模型です」
「……うるせぇな。俺が人形っつったら人形なんだよ」
◇
「だからぁ! 人形だ、つってんだろ!」
小秋狩猟協同組合本部の三階。
薄暗い会議室の一角で、一ノ井イヒトは長机に身を乗り出し、わざわざ人間の職員に向かって怒鳴り散らしていた。
その前に座るのは、小秋狩協資源管理課主任、月山ツカサ。
「では、もう一度最初から確認しましょうか」
月山はイヒトの激昂を受け流すように、静かにため息をつき、書類と端末を交互に見比べながら淡々と報告を読み上げる。
「本日午前七時二十八分、23202003011号遺跡の地下に未開拓区域を発見。同時に、冷凍睡眠装置と、その内部に判別不能の人影を確認。狩協に戻り休眠解除申請を提出――」
月山は一旦報告を切り、端末に目を落としながら細めた視線を向ける。
「即時遺跡へと戻り、装置の休眠を解除。中から識別不明の自動人形を回収した――これが、一ノ井さんの主張ですね?」
「そうだ、つってんだろ」
イヒトはきっぱりと答える。その返答に、月山は小さくため息をつき、ほんの数分前の出来事を思い返していた。
その時、狩協ロビーでは騒然とした空気が漂っていた。
どう見ても人間にしか見えない女性を連れたイヒトの姿に、周囲の視線が集まっていたのだ。
確かに、人類黄金期と呼ばれる頃に製造された自動人形の中には、外見だけなら人間と見紛うほど精巧なものも存在する。
しかし、それはあくまで見た目の問題に過ぎない。
呼吸のリズム、視線の揺らぎ、まばたき、仕草や微妙な表情の変化――微細な動作が積み重なれば、人間と人形の違いなど一目瞭然である。
それを「自動人形を拾ってきた」と豪語するイヒトには、誰もが正気を疑わざるを得なかった。
月山は、騒然とするロビーの中で、女性をすぐに医務室へ連れて行くよう指示すると、イヒトに事情を聴き始めた。
「あのな。頭をすっぽぬいて、生首だけになって生きてられる人間がいると思うか?」
だが、肝心のイヒトは終始、どこか譲らぬ様子を崩さなかった。
月山は小さくため息をつく。
「わかりました。では仮に、一ノ井さんの主張が正しいとしましょう。それでもなお、問題は二つあります」
「……あぁ? ちゃんと正規の手続きは踏んだだろうが」
イヒトは、どこか自信満々に言い切った。その返答に、月山ツカサは端末の画面を指差しながら、論点を整理するように口を開いた。
「まず、許可申請についてです。ご存じの通り、遺跡の未発見区画への侵入には、事前調査計画書の提出と人間の承認が必須です」
「申請は通しただろうが」
「――ええ、確かに。事務用自動人形相手にですけれどね」
月山は深く息を吐き、続けた。
「ログには、一ノ井さんが再三にわたる人間オペレーターへの誘導を無視し、緊急性を訴え、強引に承認手続きを省略させた様子が克明に記録されていましたよ」
「そりゃ急いでたからな。文句があるならポンコツなAIの方に言えよ」
「……そうですね。一度、システム担当にチェックをお願いしようと思います」
悪ぶるイヒトに、月山は一度目を閉じ、冷静さを取り戻すように深呼吸する。
「ですが、二つ目の方が重大な問題です。地下室の崩落――これは、事実なのですね?」
問い詰めるような月山の言葉に、イヒトは眉をひそめる。
「俺が破壊したんじゃねえよ。事故だ、つってんだろ」
「冷凍睡眠装置ごと未開拓区画を埋没させたとあっては、『事故』の一言では済まされませんよ」
月山の厳しい指摘に、イヒトは思わず舌打ちした。
「しょうがねーだろ。まさかあんなでけぇ『ト型』がでるなんて思わねーよ」
そう言うと、イヒトは端末をひったくり、事前計画書を月山の前に突き出す。
平面図上には、雑な筆致ながらも、様々な可能性を考慮されたルートを示す細かな矢印がそこかしこに巡らされていた。
「見ろよ。クリーチャーの想定侵入口も、遭遇時の脱出ルートも、全部計画してあるだろうが」
月山は静かに首を振る。
「残念ですが、これでは懸念されるリスクを全てカバーしているとは言い難いでしょう」
「……あぁ!? あの短い間にそこまでできるかよ! 緊急性は認められてんだ、多少粗くたってしょうがねえだろ!」
「ええ、そうですね。すべてが予定通りに進んで入れば、少々の注意で済んだでしょう」
月山は、深々とため息をついた。そのため息には、初めて同情の色が混じっているように見えた。
その様子を見て、イヒトの顔にもようやく焦りの色が浮かぶ。
「あ、あんなの想定しろってほうが――」
その時、会議室のドアが勢いよく開かれ、イヒトの声を遮った。
「まーだ狩協におったのか、この疫病神が」