第17話 私がなんで怒ってるかわかる?
四人が、小秋の町並みを歩く。
誰一人口を開かず黙々と、ただ目的地へ向かう。
どこか居心地の悪い空気の中で、サクはクトリの言葉を思い出していた。
――イヒトって、ホカゼちゃんにはやたらかっこつけたがるんだよ。
クトリは、イヒトがホカゼに詰められる間、そう楽しそうに笑っていた。
――歳も離れてるし、守ってやらなきゃって思ってるんじゃない? 今じゃ、ホカゼちゃんの方がよっぽどしっかりしてるのにね。
今まさにホカゼの後ろを歩くイヒトは、どこか小さく見えた。
◇
ホンゴウビルの三階。
イヒトの自室。
室内は、イヒトが遺物として漁ってきた品々で溢れ返っていた。
気に入った物を所狭しと並べるあまり、足の踏み場もほとんどない。
そのいつも通りの光景を前にして、ホカゼは不満げに眉をひそめた。
本や雑誌――まあ、それはわかる。時折読み返したくもなるんだろう。
フィギュア――定番らしい怪獣やヒーローもののそれも、いいとしよう。
壊れたスピーカーやテレビ――こうした役立たずな機械類も、許そう。インテリアだと言われればかろうじて納得できる。
しかし、空き缶や空き瓶、錆びついたナンバープレート、塗装のはげかけた工事現場の看板――これは一体、どういう感性なんだろう?
およそ屋内空間にそぐわないガラクタの数々にしか見えない。
そのせいで、ただでさえ手狭な部屋がさらに窮屈になり、今のように四人が入るのもギリギリな状況になる。
これではただのゴミ置き場だ――と、ホカゼは思う。
掃除も一応されているし、倉庫部屋ほどひどくはない。だから、ホカゼも普段は口を出さない。
……出さないのだが。
しかし今日に限っては、ホカゼの機嫌を損ね続けるに十分な役割を果たしていた。
◇
「私が、なんで怒ってるかわかる?」
本来なら頭一つ分は身長が低いホカゼが、イヒトを見下ろす。
サクは、その様子を大層居たたまれない表情で見守っていた。
もう成人しようかという男が、中学生の前で正座させられ、説教をくらっているのだ。
そのセリフ、本当に言うんだなあ――などと現実逃避しようにもしきれない様子だった。
一方、リィズリースは変わらず、楽しげな笑みを浮かべていた。
とても珍しい出し物を見るかのように、興味深げにイヒトを観察している。
しばらく沈黙が続いた後、正座のまま、イヒトが口を開いた。
「……あのなホカゼ。怒ったところで何も解決しねえだろ」
「うん、だから原因を何とかしなくちゃいけないよね」
この期に及んでどこか威厳を保とうとするイヒトを、ホカゼは容赦なく斬り捨てた。
仁王立ちのまま厳しい視線をイヒトに注ぎ続け、やがて静かに言葉を続ける。
「電話の一つくらい、できなかったの?」
「メッセージは送っただろ」
イヒトは偉そうに腕組みをし、何でもない風を装った。
正座してるくせに、である。
ホカゼは、深いため息をついた。
「……どうして、イヒトさんはいつも……」
「大人には大人の事情があるんだ」
その一言に、ホカゼのこめかみがぴくりと動いた。
「そっか……人をクローゼットに閉じ込めて、誘拐犯のもとに乗り込んで、警察のお世話になって、狩人をクビになって、困ってる友達を見捨てようとして――」
ホカゼは、一つ一つ数えるように並べた。
「それを全部隠そうとしたのも、大人の事情なんだよね?」
イヒトの顔が凍りついた。
もちろん、イヒトにだって言い分はいろいろあるのだろう。
ホカゼもそれは理解していた。だからこそ、飲み込もうとした。
それなのに――
全てが露見してなお開き直る姿に、とうとうホカゼも切れたのだった。
緊張が走る場に、サクがなんとか割って入る。
「あ、あのさ」
ぎこちない笑顔を浮かべ、無意味に手を動かしながら、懸命に言葉を紡いだ。
「イヒトはオレを見捨てようとしたわけじゃなくて……迷惑をかけたくなかったんじゃないかなって」
それから、すこしだけ気恥ずかしそうに視線を落とす。
「それに、イヒトが誘拐犯をとっちめてくれたから助かったんだよ。……情けない話だけどさ」
必死にイヒトを庇おうとするその姿に、ホカゼは少しだけ目を伏せた。
「……ごめんなさい、気を使わせちゃって」
それから、ゆっくりと顔を上げ、再びイヒトを見据える。
「イヒトさんが、私たちのことを思ってくれてるのはわかるよ」
静かだけれど、決して揺るがない声だった。
「でも……もう少しくらい、信用してほしいの」
イヒトは、何も言えなかった。
◇
地獄のような時間が終わった後、サクとリィズリースは、ホカゼにビル内を案内されていた。
「リィズリースさんはこっち、サクさんは隣を使ってください」
ホカゼの言葉に、サクは素直に頷いた。
案内された三階の部屋は、実に殺風景だった。
とてもあの散らかったイヒトの部屋と同じ構造とは思えないほど、整然としている。
「すいません、大した部屋じゃなくて」
申し訳なさそうに言うホカゼに、サクは慌てて手を振った。
「いやいやいや、貸してもらえるだけでありがたいって! 急に押しかけたのにさ」
「部屋なんて、どうせ余ってるんだから大丈夫ですよ」
結局、サクはホンゴウビルに滞在することになった。
ホカゼはクトリを通じてほとんどの事情を把握していたらしい。
「今日中には生活できるように整えますから。それまで、下でゆっくりしててください」
そう言われると、サクはどこかばつが悪そうに尋ねた。
「準備、本当に手伝わなくていいの? オレたちが借りるんだし……」
今まさに、イヒトは二人の部屋を整えるために、ビルの中を奔走しながら家具を運んでいる最中なのだ。
「いいんですよ。せめて、あれくらいはやってもらわないと気が済みません」
顔をしかめるホカゼに、サクはこれでもまだマシなほうかなあ、とぼんやり思った。
なにしろ、一時は「イヒトの二部屋を潰してサクとリィズリースの部屋にする」とまで言い出していたのだから。
とはいえ、それでもイヒトに助けられた身ではある。
サクは努めて軽い調子で笑いかけた。
「その、さ。あんまり怒らないであげてな」
ホカゼは少し寂し気に微笑む。
「……大丈夫、わかってるつもりです。イヒトさんがどれだけ必死でお二人を助けたのかは」
ふいに、ホカゼはリィズリースへ向き直った。
神妙な面持ちで、深々と頭を下げる。
「リィズリースさん……昨日はすみませんでした」
しかし、リィズリースはきょとんとした表情を浮かべたまま、何の反応も示さない。
「私がリィズリースさんを放っておいたばかりに、誘拐されてしまって……」
「なにかの間違いではないでしょうか?」
リィズリースは不思議そうに首をかしげた。
「でも」
「そのような記憶は存在しません」
リィズリースの穏やかなほほえみは、まるで昨日の出来事などなかったかのようであった。
ホカゼは、ふっと力を抜くように息を吐くと、再び静かに頭を下げた。
「リィズリースさん……ありがとうございます」
リィズリースは終始、態度を変えることはなかった。
そのやり取りをみていたサクは「へんなの」という顔をしていた。
それから、サクたちはさらに下へと案内された。
イヒトが布団や棚を二セット分づつ抱え、階段を上がったり下がったりと奔走しているのを横目に、三人はビルを下る。
すぐに、ビルの一階までたどり着いた。
そこには、イヒトの部屋をさらに広くしたような――そう言うとホカゼは怒るかもしれないが――そんな空間が広がっていた。
ホンゴウリサイクル。
本郷家が営むリサイクルショップだった。
店頭では、一人の男性が鏡を磨いていた。
その姿を見つけたホカゼが、少し声を張る。
「お父さん」
男性――本郷ホウセイは、ちらりと二人を見てから、軽くうなずいた。
「リィズリースさんとサクさん。さっき話した二人だよ」
「ああ……よろしくな」
それだけ言うと、ホウセイは再び手元の作業に戻る。
サクとリィズリースも、軽く頭を下げた。
だが、それ以上の会話は生まれなかった。
物静かな人なのかな、とサクは思いながら、ホウセイの背中を眺めた。
ホカゼは、ちらりと店内を見回してから、不安げに二人へ尋ねる。
「ここがうちのお店です……えっと、リサイクルショップってわかります?」
サクは思わず吹き出した。
「そりゃわかるよ」
リィズリースもさらりと答える。
「古物商の一種ですね」
ホカゼは少し慌てたように、言い訳を始めた。
「ほら、リィズリースさんは目覚めたばかりだし、サクさんはあおい市民だって言うし」
「あおい市を何だと思ってるのさ」
サクは苦笑する。
確かに、小秋市と比べれば、あおい市のほうが都会だろう。
しかし、どれだけ発展しようと、中古品すら出回らないほどの消費社会であり続けるなんてありえない。
「ちょっと治安の悪いところに入るとさ、たった今拾ってきたようなガラクタが、地べたにそのまま置かれて売られてるんだぜ」
そう言って、サクは笑った。
それに比べれば、この店は手入れが行き届いており、並んでいる品もきちんと整理されている。
比べ物にならないほどちゃんとした店だとサクは知っていた。
「っていうか、オレも昔は小秋市に住んでたからね?」
「そうだったんですか」
「うん、冷凍睡眠前の話だけどね。イヒトと一緒だよ」
噂をすれば――
ホカゼが軽く驚いていると、イヒトが階上から降りてきた。
荷物の運搬は、どうやら終わったらしい。
その後、さらに買い出しに行かされ、ようやくイヒトはホカゼの許しを得たようだった。
夜。
四人で食卓を囲んだ。
久しぶりに賑やかだと、ホカゼは笑っていた。




