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第16話 浅はかにもほどがある




 イヒトの脳裏に、昨夜の記憶が蘇る。




 ◆




 廃工場内。


「いかがでしょう? 懐かしい気持ちになれましたか?」


 気を失ったサクを抱えたまま、イヒトはその声に目を向けた。

 リィズリースが、静かに佇んでいた。


「……お前、知ってたのか?」


 問いかけると、リィズリースはにっこりと微笑む。


「イヒトさんにとって、最も懐かしいものを探そうと思いました。いかがでしたでしょうか?」


「テメェ……!」


 イヒトの怒気があらわになる。

 だが、リィズリースはわずかに首をかしげるだけだ。


「何か、お気に召さなかったでしょうか?」


「……何が目的だ」


 イヒトはリィズリースを鋭く睨む。


「何者なんだよ、テメェは。俺に何させたいってんだ。あぁ?」


 しかし、リィズリースはただ微笑むばかりだった。


「私は、イヒトさんのお役に立ちたいと考えています」


 その言葉に、イヒトは一度口を開きかけたが、無言で閉じ、ガシガシと頭を掻く。


「あのなぁ……」


 ため息をひとつ。


「……俺より先に、世のため人のために役立っとけ」


 イヒトの言葉に、リィズリースは一瞬止まる。


「世の人の……ですか? しかし、私は――」


「その方がよっぽど俺の役に立つんだよ、結果的にな」


 リィズリースは考え込むように黙り込んだ。


「つーかお前は、人のことより前にまず自分のことだろ。もっと常識を知れっての」


 イヒトはサクを背負い、廃工場を後にしようとし――


「イヒトさん。一つよろしいでしょうか」


 しかし、リィズリースに呼び留められる。


「……なんだよ」


「まだお一人残っておられますが、お帰りになるのですか?」


「先に言え……!」




 ◆




 それから一夜明けた、クサカベスタンプにて。


 イヒトはカウンター越しに、静かにリィズリースを横目で見やる。

 昨夜のことなどなかったかのように、リィズリースはおとなしくしていた。


 何者なのか、何が目的なのか――


 イヒトの思考とは裏腹に、店内には再びにぎやかな声が響いていた。


「はい、おしまい」


 クトリは印器を手際よく扱い、あっという間にサクへの人造印を押し終えた。

 サクは腕を軽く動かしながら、満足そうに笑う。


「いやー助かったよ、人造印が全部消えちゃってさ。押してなきゃ、落ち着かないんだよね」


 サクの腕には、多くの印影が輝いていた。


「こちらこそだよ。頑強印や基礎筋印以外に、ここまで人造印を押してくれる客はなかなかいなくてね」


 サクが押した印は様々だった。

 栄養素合成印のようなポピュラーなものから、手指力や足指力といったマイナーな部位増強印まで。

 クトリにとっても、上客なのは本心なのだろう。


「でも、よく消去印なんて持ってたね。しかも、脱力印丸ごと消すとは……無茶するよね」


「あはは……一度に大量に消すと、あんな痛いんだね。初めて知ったよ」


「下手したら、後遺症残ってもおかしくなかったよ」


 クトリが真剣な顔をすると、サクはバツの悪そうな表情で頭を掻いた。


「うん、医者にも言われた」


「でも、あおい市から誘拐されたってのに何事もなくて……ほんと、よかったね」


「それは、まあ……」


 サクはイヒトの方をちらっと見た。


「運がよかったんだろ」


 イヒトはぶっきらぼうに言い放った。

 その言い草にクトリは苦笑し、サクに笑いかける。


「ま、早く帰って家の人を安心させてあげなよ」


 そう言われた途端、サクの表情がわずかに曇った。


「……あ、それなんだけどさ」


 クトリとイヒトが怪訝な顔をすると、サクは言いにくそうに口を開いた。


「実は、しばらく小秋市に居るつもりなんだ」


「……なんで?」


 ますます不思議そうな顔をする二人に、サクは続ける。


「あおい市行の都市間定期便、予約がいっぱいで、最低一か月以上は待つって言われたんだよ」


「あぁ~、なるほどねえ」


 クトリは納得したようにうなずいた。




 この時代、都市間の移動手段は限られている。

 自治体の運営する都市間定期便はその中でも数少ない()()()安全な手段だ。

 だが、それゆえ常に予約で満杯だった。




「一応、民間ならいくつか空きがあるらしいけど」


「民間はピンキリだからね」


 サクの言葉に、クトリが難しい顔をする。


「物資輸送のついでに客を乗せるだけならまだいい方。クリーチャーが出た時の囮にする輩もいる、なんて聞くしなあ」


「らしいね。警察でもお勧めしない、って」


「中には安全に送ってくれる奴いるだろうけど、一見がいきなり割って入れるものではないよねえ……」


 クトリはそう言いながら、一瞬イヒトの方をちらりと見た。イヒトはそれに気づいてか、


「……まどろっこしいな。歩いたって三時間くらいだろ?」


 鼻を鳴らし、軽く言い放った。

 そこへ不意に――


「五パーセントだそうです」


 リィズリースが会話へと割り込んできた。


「あ? なにがだよ」


 イヒトが顔をしかめ聞き返すと、リィズリースは流れるように答える。


「小秋市からあおい市までの道中で、クリーチャーに襲われる確率です。警察署のポスターに書いてありました」


 ――その業者、本当に安全? 本当に行かなきゃダメですか?


 そんな注意喚起のコピーが書かれたポスターを、リィズリースは律儀に記憶していたらしい。


「なんだ、たったそんなもんか」


 イヒトは大したことないと言わんばかりに肩をすくめたが、クトリの反応はまったく逆だった。


「いやいや、バカ高いだろ」


 なにせ、二十回に一回の確率でクリーチャーが襲われるのだ。

 もちろん護衛も同行はしているが、無視できる数値ではない。


「そうなんだよね」


 サクもクトリの言葉に同意し、頷いた。


「だからさ、おばさんとも相談して、しばらくは小秋市にいることにしたんだよ」


 サクは「そう言うわけだから」と続け、少し遠慮がちに尋ねた。


「あのさ、宿とか知らないかな?」


 だが、イヒトやクトリの顔は優れない。


「ねーだろ、そんなもん」


 イヒトがため息混じりに言うと、サクは「だよな」と力なく笑った。




 崩壊後の今、小規模な都市に宿泊施設なんてものはほぼ存在しないと言っていい。

 小秋市も同様だった。

 遠方からこの地域を訪れる者がいても、隣の大都市・あおい市に滞在するのが普通だ。




「あって、『流れ者』が使う宿所くらいだろ」


「おい、イヒト」


 クトリがたしなめるように言う。その顔には、「おすすめできない」とはっきり書いてあった。

 ボロくても個室なら上等。二段ベッドが当たり前で、大部屋での雑魚寝も珍しくない。


「……そっかあ」


 サクは困ったようにうめくが、イヒトはあえて知らん顔を決め込んでいる。

 そんなイヒトを見て、クトリは大きくため息をついた。


「イヒトさ、お前んち紹介してあげなよ。それくらいならいいんじゃない?」


 その一言で、空気が凍りついた。イヒトとサクの動きが、ぴたりと止まる。


「――いや、それはさすがに悪いって」


 サクが慌てて手を振った。


 けれど、変に焦っているのは、ほんのわずかとはいえそれを期待していたからだろう。

 なにせ、寄る辺のない街の唯一の知り合いだ。

 とはいえ普通、一か月以上の長期にわたって止めてくれなどとは、さすがに言い出すのもはばかられる。


 なによりイヒトからもその気配はない。サクもそんなもんか、と考えを切り替えていたのだろう。


「イヒトにだって都合があるだろうし。な?」


「ああ、ちょっと立て込んでるからな」


 イヒトはそっけなく答えた。

 そう、確かにイヒトには、様々に絡み合った複雑怪奇な事情があるのだ。




「立て込んでる、ねえ」


 クトリは鼻で笑い、じっとイヒトを見た。


「イヒトさあ、まさか隠し通せると思ってるんじゃないよな」


「……あ? なにがだよ」


 あくまでとぼけるイヒト。しかし、クトリの視線は冷ややかだった。


「お前ってホント、学習しないよな」


 クトリは軽くため息をつく肩をすくめ、サクへ笑いかける。


「ま、沙倉も気を悪くしないでくれよ。イヒトって居候って立場だからさ」


「ああ、そりゃ勝手に泊めるわけにもいかないよな」


 サクは納得した様子で頷く。

 だが、クトリは首を振った。


「いや、部屋なら余ってるはずだから泊まるには何の問題もないはずなんだよ。何なら大家さんには俺から言っても――」


「おい」


 イヒトが低い声でクトリの言葉をさえぎった。

 場に沈黙が落ちる。




 サクは困惑していた。


 イヒト自身が、大家さんに言い出しづらいのはわかる。

 しかし、クトリが代わりに話をつけるなら、それで済む話ではないのか?


 サクの戸惑いが深まる中――


 クトリが、ふっと小さく笑った。


「イヒトってさぁ、ちょうど仕事をクビになったんだよね」


 爆弾発言だった。


「……は?」


 イヒトとサクは、同時に目を見開く。


「でも、ホカゼちゃん――大家さんには言いづらいんだろうね」


 クトリはニヤニヤしながら言葉を続ける。


「だから直帰せず、俺の店に寄ってグダグダしてるってわけ」


「お前、な、なんで知って……! っ……! バラすんじゃねえよ!」


 イヒトは怒りを露わにする。

 だが、クトリはどこ吹く風だった。


「遅かれ早かれだろ?」


「だからって、勝手にだな!」


 イヒトは言い返そうとして――


 ふいに、リィズリースが振り向いた。

 イヒトとサクも、つられて視線をそちらへ向ける。


 次の瞬間、店のドアが勢いよく開いた。

 制服姿の少女が、息を切らせながら駆け込んできた。


 本郷ホカゼ――イヒトの大家だった。


「お久しぶりです」


 リィズリースが、にこやかに挨拶をした。




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