第15話 誰がバカで底抜けのお人よしだって?
これはおそらく、昔話になるだろう。
まだAIにはかわいげがあって、人造印を押すのが当たり前ではなく、クリーチャーも存在しなかった時代。
世界が、三度目の過ちを犯す以前。
一ノ井イヒトが、永い眠りにつく前の話だ。
◆
夕暮れの教室。
二人の子供が、本気の喧嘩をしていた。
チビとのっぽ。
どちらも小学生で、いじめられっ子で、そのくせ妙に気が強かった。
取っ組み合い、ひっかきあい、服を引っ張り合って、鼻血が出てもお構いなしだった。
子供らしく、つたなく、加減を知らない。
下手な大人の殴り合いより、ずっと危なっかしかった。
◆
初対面の奴と、すぐに打ち解けるにはどうしたらいいだろう?
自然と話が弾んで、親近感が増して、あっという間に距離が縮まる。
そんな夢のような手段が、あるとしたら――
簡単な方法が、実はある。
悪口だ。
クサカベスタンプの狭い店内は、いつもより賑やかだった。
カウンターを囲むように四人の姿がある。
中央にふてくされて座るのはイヒト。
そのカウンターの奥でニヤニヤと笑うのは、腐れ縁の店主、クトリだ。
イヒトの連れであるリィズリースは、少し離れて静かに佇んでいた。
そして、もう一人――
尖った耳を持つ亜人が、イヒトの昔話を楽しげに披露していた。
「――そんでさ、『空飛んだら一万やる』って言われて、イヒトの奴、二階の手すりからマジで飛び降りて!」
身振り手振りをまじえ、まるで今その光景を目の当たりにしているかのように話し続ける。
「で、骨にヒビ入ってんのに、その足で逃げるジジイを追いかけて『金よこせ』ってさ!」
「はははは! お前、全然変わってないのな!」
クトリも声を上げて笑い、イヒトの肩を叩く。
イヒトは鬱陶しそうに、それを振り払った。
二人の楽しそうな様子とは裏腹に、イヒトはむっつりと黙りこくっていた。
自身の恥ずかしい過去を暴露され続けて、かれこれ三十分近く。
うんざりするのも無理はないだろう。
まだまだ続きそうな二人を見て、イヒトはため息を一つつく。
ふと視線を横に流す。
リィズリースは静かに座り、ただ黙って話を聞いていた。
生粋のトラブルメーカーだと思ってはいるが、今だけはあの二人よりマシだ。
とはいえ。
リィズリースとはまだ一日たらずの付き合いなのに、イヒトはずいぶんと苦労させられていたのも事実あろう。
まさか、保護したその日に誘拐されるとは。
そのせいでイヒトは小秋市中を駆けずり回り、挙句の果てには狩協をクビになる羽目になった。
ただ、おかげで助けられたものもあるのだが――
気が付けば、イヒトの目はその一人に向いていた。
「……なんだよ」
向こうも視線を感じ、イヒトを見返してくる。イヒトはごまかすように肩をすくめた。
「いや――あの時、よく俺のことをわかったなと思っただけだ」
「なんだ、そんなの当たり前だろ」
尖り耳の亜人は鼻で笑う。
「イヒトって全然変わってねーんだもん。あんな目つき悪い奴、他にいねーよ」
「あぁ?」
イヒトが睨みつけると、いたずらっぽい笑い声が響いた。
「ははは、それそれ。……そっちこそ、よく覚えてたよな」
「ふん。サクみたいな生意気な奴、忘れるかよ」
沙倉サク。
それが、尖り耳を持つ亜人の名前だった。
昨夜――リィズリースを巡る誘拐騒動の末。
廃工場の薄暗い空間で、イヒトとおよそ百年ぶりの再会を果たした、亜人の――
「しかしさ、同じ時代を生きていた氷解者が、時を経てまた再会できるなんてな」
イヒトの思考を遮るように、クトリがぽつりと呟いた。
「沙倉もイヒトも、三次大戦前に冷凍睡眠されたんだろ? とんでもない奇跡じゃん」
サクは、その言葉に否定の意を示し、ゆるく首を振った。
「いや、偶然ってのはどうなのかな」
カウンターに肘をつき、少し考え込むように言う。
「イヒトとオレはたぶん、同じ事故に巻き込まれて冷凍睡眠処置を受けたと思う」
「そうなの?」
クトリが問うと、サクは思い返すように頷いた。
「ガキの頃だけど、そんな説明をされた覚えがあるんだよね」
「なるほど。それなら、沙倉とイヒトの発見されたタイミングが同じでもおかしくないのか」
クトリは納得し、イヒトもうなずく。言われてみれば、それが一番筋が通る話だった。
ただ――
サクは少し口ごもると、静かに続けた。
「オレからすりゃ、イヒトが小秋市にいる方が不思議だよ。オレたちが眠ってたのって、あおい市の施設だろ?」
あおい市。
小秋市に隣接する大都市。
距離的に遠くないとはいえ、氷解者が目覚めた都市から動くことは珍しいことだった。
身寄りのない彼らは、たいていそのまま目覚めた場所に定住する。
実際、サクは今もあおい市で暮らしていた。
その疑問に、イヒトが口を開いた。
「……たまたま、小秋市に住んでた奴に引き取られただけだ」
イヒトは、話をそらすように話題を変えた。
「ちなみに、タイミングもまったく同じってわけじゃないからな」
「どういうこと?」
サクは首をかしげる。
イヒトは、一息ついてから問いかけた。
「サク。お前、いくつだ」
「え? 一応、十五ってことになってるけど」
サクは曖昧に答えた。氷解者であるため、正確な年齢はわからない。
「だろうな」
イヒトは予想通りの答えに、小さくうなずいた。
サクの格好は、いかにも学校指定っぽいジャージと短パン。見た目からしても、学生なのは明らかだった。
一方、イヒトは――
「俺は十九だ」
「……え? ……えええぇえー!!」
サクは目を見開き、驚きの声を上げた。
「ってことは、お前、四歳も年上になっちまったの!?」
「らしいな」
イヒトは肩をすくめ、どうでもよさそうに答えた。
サクは、まじまじとイヒトの顔を見つめる。
「そりゃ、やけにでかくなったとは思ったけどさ……」
ぶつぶつと何かをつぶやいているが、イヒトにとっては大した問題ではない。
むしろ、たった四年のズレで済んだだけ奇跡とすら言えるだろう。
「んなことより、さっさと本題に入れよ」
イヒトは話を戻そうと促した。
さすがにもう、「昔話」という名目でサンドバッグにされるのには飽きていた。
「本題?」
サクが首をかしげる。
イヒトは呆れたように言った。
「あのな、お前が人造印を押しなおしたい、って言ったんだろ」
「あぁー! そうだった!」
サクがぽんっと手を打つ。
「あれ、そうだったっけ?」
クトリがとぼけた風にいうと、イヒトは睨み返した。
「わかってるって。じゃ、とってくる。イヒトも手伝えよ」
クトリは肩をすくめ立ち上がると、店舗の裏へ向かう。
イヒトも、仕方なくその後を追った。
狭い店のさらに奥。
クサカベスタンプのバックヤードに、クトリとイヒトはいた。
人間が二人いるだけで息苦しいほどの狭い空間だった。
クトリは作業机に腰を下ろし、ため息をついた。
「……で? なんなの、あの子らは」
問いかけるクトリに、イヒトは肩をすくめた。
「氷解者にはお前の知らない独自の繋がりがある――って言ったら信じるか?」
「誘拐犯を倒した正義のヒーローの言葉とあっちゃ、無下にはできないけどね」
「やめろ」
クトリが茶化すように言うと、イヒトは少し顔をしかめた。
昨夜の出来事を思い返しながら、再び沈黙する。
そんなイヒトの目を真っすぐ見つめ、クトリは問い詰め始めた。
「遺跡で氷解者を発見したと思ったら誘拐されました。助けに行ったら、もう一人別の氷解者がいました。しかも、大昔の友人を名乗っています――か」
クトリはわかりやすいくらいバカにした調子で、鼻を鳴らした。
「怪しまない奴はバカか、底抜けのお人よしだね」
クトリの言葉に、イヒトは何も言い返さなかった。
もし逆の立場なら、自分だってボロカスに言っているだろう。
「で、当の本人様は、どう思ってるわけ?」
クトリはイヒトに試すような視線を向けた。
「とりあえず――沙倉がさっき話してた内容には、どうなの?」
イヒトは少し間を取って、言葉を紡ぐ。
「……大体、覚えがある」
「ま、ホラであんなこと言われて、イヒトが黙って聞いてられるはずないもんね」
からかうクトリを軽くにらみながら、イヒトは話を続けた。
「ただ、怪しい点をあげたらキリがねえのは確かだ。単に俺と同じ記憶を持ってるってだけじゃ、断定はできない」
イヒトは、一瞬目を伏せる。
「……特に、オレの知ってるアイツとは決定的に違う点だってあるしな」
その言葉に、クトリはスッと目を細める。
「じゃ、偽物か?」
イヒトはすぐには答えなかった。
サクの思い出話は本物だが、だからこそ怪しいとすら言えた。
そこまでして自分をはめる意図がわからない、という点を加味しても疑念はぬぐえない。
しかし――
「いや、あれはサクだ――と、思う」
その言葉に自信はない。それでもイヒトは、偽物だとはどうしても思えなかった。
クトリはしばらく沈黙し――やがて、軽い調子でため息をついた。
「……なんだ。じゃあ、俺はイヒトの幼なじみ二号から三号に降格か」
「きめぇこと言ってんじゃねえよ」
イヒトはにらみつけたが、クトリはそれを軽く流して笑った。
気持ちを切り替え、二人は印器を取り出し始める。いつまでもサクたちを待たせるわけにはいかないだろう。
「ところで、もう一人のリィズリースちゃんの方はどうなの?」
手元を動かしながら、ふと思い出しようにクトリが尋ねる。イヒトは少し首を振った。
「それこそわかんねえよ。ただ、俺が遺跡で目覚めさせたのだけは確かだな」
「そっか。まあ、イヒトがそう言うなら信じるしかないね」
それ以上の追及はなかった。
クトリからしたら、サクの方がより怪しく映っていたからだろう。
イヒトにとっては、リィズリースの方がずっと得体が知れない存在なのだが――
イヒトの脳裏に、昨夜のことが思い返される。




