第13話 「記憶にございません」と言わなかっただけえらい
カスはできる奴だが、己を過信するほど馬鹿ではない。
自分よりできる奴がいない、などとうぬぼれることもなければ、自分よりできるからといって、諦めることもない。
どんな時も希望はある。
カスはそれを常に実践してきた。
カスの趣味はゲームだが、決して得意ではない。
それでも、「勝つ」と決めた勝負で負けたことはなかった。
夜を徹して練習し、過去の対戦を研究し、銃の手入れを怠らないからだ。
カスはあの侵入者を、こと戦闘においては自分よりできる奴だと認めた。
それならそれで、いつも通りだ。
やれるだけのことを、やるだけだった。
◇
センパイが侵入者と男同士のガチンコ勝負をしている隙に、カスは奥へと走った。
そこには巨大な檻がそびえ立っていた。
カス手ずから作り上げた、鉄格子の自信作だった。
天井まで届く檻の中で、ポチ――そう名付けられた巨大な犬型クリーチャーが眠っていた。
「よーしよし、ポチ、いい子にしてたかー? おねむかー? だよなぁ」
カスは優しく語りかけ、レバーを引き下げる。
普段、ポチのエサには大量の睡眠薬が混ぜられている。
出番が来るまで、起きていられては困るからだ。
だが今こそ、その時だった。
「そろそろ起きろなー。ようやく活躍の時間だぜ」
◇
イヒトは慎重に歩を進めていた。
音や光、空気の流れなど、様々な手がかりを頼りに気配を探っている――つもりだった。
イヒトはこういうのが苦手だ。
気配なる得体のしれないものを、感じ取れなどという方が間違っていると、いつも思う。
どうやら、イヒトにはそう言う才能がないらしかった。
ふと、イヒトはチームにいた頃の仲間を思い出す。
奴らはどこにどう目をつけているのか、ちょっとした情報から様々に推測も交えつつクリーチャーの痕跡を探り当てていた。
ため息を一つ。
――ま、できないことを考えたところで仕方ねえか。
とりあえず行くしかない。
覚悟を決め、慎重に進み――
轟音が鳴り響く。
奥の壁が突然、爆ぜるようにぶち破られた。
◇
壁が崩落し、粉塵の中から現れたのは、巨大な獣。
二メートルを超える犬型クリーチャー――ポチだ。
ポチは低すぎる咆哮を響かせ、鋭い牙をむき出しにしてイヒトに突進してきた。
クリーチャーの習性は単純だ。
刻印力の強いものを狙う。この場において、それはイヒトだった。
カスは制御など考えていなかった。ただその習性を利用して侵入者にぶつけようとしただけだ。
それは思惑通りにいった。
ポチは四肢に力を込め、矢のように突進した。
「――っ!」
イヒトはかろうじて反応し、横へと身をかわしながらポチの頭部へカウンターを叩き込んだ。
ドゴッ、っと鈍い音共にポチの巨体が勢いよく吹っ飛ぶ。
イヒトはこういった奇襲に弱い。気配を探るのも、先手を取るのも苦手だ。
だからこそ、イヒトの戦法は単純明快だった。すなわち、「やってきた獲物を殴る」である。
イヒトは後の先だと言い張るが、要するに行き当たりばったりだった。
ポチは唸り声をあげ、再び襲い掛かる。
牙が閃き、爪が裂く。
だが、イヒトはそれをひらりと避け、カウンターを決めていく。
獣の苦悶が、工場内に響き渡る。
◇
カスは高所から戦況を眺め、感嘆のため息を漏らした。
「うわぁ、素手であそこまでやんの? おっかねー」
眼下では、ポチが一方的に叩きのめされていた。
巨体が宙を舞い、床に叩きつけられるたびに、カスは思わず拍手したくなる衝動に駆られる。
だが、用心棒たるポチが圧倒されているというのに、カスに焦りはなかった。時間を稼いでもらえれば、それで十分だからだ。
すでにイヒトが投げ捨てたセンパイも回収し、退路も確保していた。
売りモノたちは惜しいが仕方ない。また捕まえればいい。センパイの方が大事である。
カスはそういう、仲間想いな男だった。
◇
「チッ……しぶてぇな」
イヒトはぽつりつぶやいた。
今のままでは決め手に欠ける。
いら立ち始めたイヒトは、仕方なくポケットからコイン型の印器を取り出した。
それは、送力印と言われた。
人造印の中でも、最もポピュラーなもののひとつだ。
通常は体内にとどまる刻印力を体外に放出し、他へと移すためのもの。
本来は、武器や道具へ刻印力をまとわせるために使われるものだった。
イヒトはコイン型の送力印用印器を左の掌に置き、そこへ右の拳を押し当てる。
瞬間、光がほとばしった。
左手の力が、右拳へと移動する。
本来なら外部へ送るはずの刻印力を、同じ体内にとどめることで、印器に負荷がかかり始めた。
耐えられれず、左掌の印器がバキッと悲鳴のような音を立てて砕ける。
だが、すでに光が右拳を包み込むほど大きく刻印力は増大していた。
「さっさと、沈みやがれ!」
イヒトはチャージが完了すると同時に、瞬時にポチとの距離を詰める。
全力の一撃。
刻印力が解放され、ポチの巨体を激しく吹っ飛ばした。
衝撃が空間を震わせる。
爆風の中、イヒトは軽く拳を振るった。
「もったいねえな、チクショウ」
疲れた様子もなく、淡々と。
◇
カスはその光景を見届けると、満足げに背を向け、闇の中へと姿を消した。
◇
ポチが床に崩れ落ちると、工場内に静寂が戻った。
イヒトは余韻に浸ることなく、音を立てぬよう慎重に、しかし足早に進む。
途中、放り投げた男が回収されたのはわかっていたからだ。
少々焦っていることが、イヒト自身にも自覚できた。
クリーチャーを倒したとはいえ、ここは敵地。逃げに徹せられれば不利は否めない。
苛立ちと焦燥を抱えながら進むと、古びた扉が目に入った。
工場の隅。おそらく、かつての事務室。
イヒトは息を潜め、ゆっくりと手をかけた。
――まだいたか。
扉をわずかに開いた瞬間、風を裂く音が耳元をかすめた。
反射的に左手ではじく。
衝撃が手に伝わるが、大した問題ではない。
あとはぶん殴るだけだ――
そう思っていたはずのイヒトは、寸前で拳を止めた。
――子供?
目の前には、赤さびた鉄パイプを握る、耳の尖った亜人の子がいた。
敵意に満ちた瞳でイヒトを睨みつけている。
だが、その様子はひどく不安定だった。
荒い息。額に脂汗。微かに震える体。
――ちょっと小突けば、倒れるな。
そうしたらよかった。
しかし。
相手は、さっきの連中とは、毛色が違いすぎた。
その尖り耳の亜人は、ホカゼと同じくらい背が低かった。おまけに、制服のブレザーにスカートまではいている。
そういう趣味でもなければ、おそらく女学生だろう。
どう見ても悪党のアジトには場違いだった。
「おい、ちょっと待て――落ち着けよ」
ダメもとで声をかけてみる。
だが、ソイツは止まらなかった。
無我夢中で鉄パイプを振り回し、まるで自分以外のすべてを拒絶するかのように暴れていた。
イヒトがかわすたび、パイプが壁や床に、がむしゃらに叩きつけられる。
仕方なく、イヒトは鉄パイプを掴んだ。
それでも、その亜人はギリギリと歯ぎしりをしながら必死に力を込めていた。
無理やり振りほどこうとする。
ぶつけられる怒りを抑えつけながら、イヒトは亜人の子の目を見据えた。
目が合った――
途端に、亜人の動きが、ピタリと止まった。
憎悪に燃えていた瞳がすっと冷える。
イヒトの顔をじっと捉えたまま、唇がかすかに震えた。
「…………イヒト?」
震える声が、そう呟いた。
――誰だよコイツ。
そう思ったはずだった。
イヒトには全く見覚えがない。こんなヤツと会った記憶もなければ、こんな場所で会う理由もない。
だが――
困惑するイヒトの脳裏に、かすかな既視感がよぎる。記憶にないはずの表情や声が、どこか懐かしい。
次の瞬間――
ふと口を突いて出たのは、イヒト自身も驚くほど自然な言葉だった。
「スマン。お前が描いてた漫画さ、ネットに上げたの俺だったわ」
亜人の子の顔が最高にゆがんだ。
その後すぐ、力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。
イヒトは慌てて受け止める。
影が差した。
「わざわざ来てくださって、ありがとうございます」
イヒトは声のした方を見上げた。
いつの間にか、リィズリースがそばで佇んでいた。
「いかがでしょう? 懐かしい気持ちになれましたか?」
リィズリースは、にっこりと笑っていた。




