第12話 お金は凶器に入りますか?
工場内――
その時、センパイは連絡を待っていた。
ソファに深く腰かけ、苛立ちを隠しもしない。膝を大きく揺らしながら、決して鳴ることのない電話をじっと待っていた。
その時、カスは掃除をしていた。
ご機嫌に鼻歌を口ずさみ、こびりついた汚れを熱心にこすり、床ごと削り落としていた。これが終わったら、ポチや女たちに水浴びをさせてやろう。ホースはどこにやったかな。
そして、その時――
バキッ!
と、何かが壊れる音が響いた。
侵入者だ。
センパイの体がビクリとこわばる。
「センパイ、お客さんッスよ~」
カスは実にのんきに声を上げた。
「バカ野郎、声がでけえ!」
カスは、「そう叫ぶお前の方がよっぽどでかい」とは指摘しなかった。
できる奴は、無駄な衝突を避けるものだ。
言われるまでもなく、カスは立ち上がる。
ここは、できる奴が動くべきだろう。
鼻歌交じりに扉を開き、侵入者の元へ向かった。
暗闇に紛れ、カスは待ち構えた。
待ち伏せに絶好の物陰に潜み、鉄パイプを握りしめる。
息をひそめ、じっと待つ。
しばらくすると、侵入者が近づいてくる気配があった。
派手にドアを壊しておきながら、ほとんど足音を立てない。
――分をわきまえているじゃん。
慎重な奴は嫌いじゃない。
カスは敬意を表し、自分も相手に倣って、いつもより丁寧に片づけようと心掛けた。
飛び出す。
鉄パイプを振り下ろす。
完璧なタイミング――
が、
軽々かわされた。
すかさず、侵入者のカウンターキックが飛んでくる。
カスは間一髪、身を捩じって避けたが、体勢を崩した。
丁寧さを心掛けなければ、一撃で終わっていたかもしれない。
「うわぁー、やるじゃん。おにーさん、何もんッスかあ?」
「……ただの人探しだ。ポンコツな女をしらねーか? リィズリースって言うんだけどよ」
「さあ? ここにある女は売りモンだけだからなあ」
「……あぁ?」
シュッ――
次の瞬間には、風切り音と共に、侵入者の拳がカスの目の前まで迫っていた。
カスはかろうじてガードを間に合わせたが、再び体勢を崩す。
「このクズ野郎が。遠慮はいらねえな」
「カスじゃなくてクズって言われたのは初めてだなあ……ってちょっ、まっ! ……はは、だーめだこりゃ」
カスは笑いながら、あっさり逃げた。
できる奴は、相手の土俵で戦わないのだ。
「センパーイ、ダメッしたー!」
能天気な声が響いた瞬間、センパイの怒りは頂点に達した。
「何やってんだカスがぁ! テメェから腕っぷしとったら何が残る!!」
「さーせん! でもありゃ無理ッス! センパイも逃げた方が――」
ふぬけたことを抜かすカスにセンパイは怒鳴りつける。この業界、舐められたら終わりだ。
「あぁ!? んなカスみてーな真似できるわきゃねーだろーが!!」
カスはそれを聞き、黙って引き下がった。やると決めた男を留めるほど無粋なことはない。
カスは小さく親指を立て、センパイの雄姿を見守ることにした。
センパイは懐から拳銃を抜き取った。
すでに覚悟を決めていた。扉が開いたと同時に、穴だらけにしてやる――
銃を構え、引き金に指をかけた。
ガチャリ、と音がした。
「オラァァッ!!」
扉が開くと同時に、センパイは威勢よく三発を連射した。
もちろん声を出す必要などない。だが、こういうのは勢いが大事なのだ。
しかし――
「なっ……!」
センパイの顔に驚愕の色が浮かんだ。
目の前の侵入者は、一歩も引くことなく、銃弾をすべて弾いて見せたのだ。
◇
一方の侵入者――一ノ井イヒトも内心、まさかという思いだった。
まさか、銃なんてものを軽々しくぶっ放す奴がいるとは思わなかったのだ。
今日び、弾薬は貴重なはずだ。
クリーチャーが跋扈するこの時代、生産力は落ちているのに需要が減ることはなかった。
かつてなら、一山いくらの安物だった拳銃弾すら、今では高騰。
一発当たり末端価格で、イヒトの一週間分の食費に匹敵することすらあるという。
そんなものを気軽にぶっ放すなど、気が知れない。
――もったいねえ奴だな。
イヒトは見当違いな感想を抱きながら、ゆっくりと歩を進めた。
◇
ゆっくりと近づいてくる侵入者に、センパイは恐怖に顔をゆがめた。
「く、くそがっ!」
残る弾丸をすべて叩き込む。
次々と銃口が火を噴く。
だが、全て無駄に終わる。
――なんだよこのバケモンは……! 銃弾を見てからはじくだと?
いくら人造印で体を強化しても、限界はある。
よほど高出力でもなければ怪我は避けられないし、まして、銃弾の衝撃を完全にいなすなんて不可能だ。
センパイは戦慄する。こんな奴が来るなんて、まさか。
――刺客か!? ……もうボスにバレたってのかよ!
もう、後には引けなかった。
センパイは奥歯をかみしめる。
震える手で弾倉を取り換えながら、怒りの咆哮を上げた。
「なめてんじゃねえぞコラァ!!」
怒声と共に一発、また一発。
銃声が鳴り響いた。
そのすべては無駄に終わった。
だが、センパイは冷静さを失っているように見せながら、慎重に数を数えていた。
三発、四発、五発。すべて弾かれる。
――ここだ!
センパイの意図は明確だった。必死の抵抗を装い、残りの一発を隠し玉として温存すること。
そう、最後の一発の意味を、悟られないためだった。
第四次大戦期のこと。
戦場に初めて投入された人造印はただの人間を超人に変えた。
刻印力と呼ばれる力を体内に宿し、肉体を強化したことで、かつて戦場の支配者だった銃弾の脅威は大幅に減じられた。
だが――どんな兵器にも対策は生まれるものだ。
刻印力で防御する相手には、同じ刻印力をぶつければいい――このごく自然な発想から生まれたのが「徹印弾」だった。
通常の弾丸とは比較にならない製造コストを要し、一部では兵器としての価値すら疑問視された贅沢品。
戦争が終わり、世界が崩壊した今では、クリーチャー対策としてすら、都市の自警団や一部の軍隊にしか出回らない。
そんな金満の象徴と言える弾丸を、センパイは弾倉のケツに仕込んでいたのだ。
「死ねぇっ!!」
センパイの絶叫と共に、虎の子の徹印弾が放たれた。
完璧な作戦だった。
錯乱したふりをして、普通の弾を撃ち続け、油断しきったところを最後の一発で仕留める――そのはずだった。
センパイの目論見通り、弾丸は拳にはじかれなかった。
だが。
あっさりと、かわされた。
「…………っ!?」
驚愕する。
最後の弾だけまるで狙いすましたように、体を軽くひねって躱したのだ。
センパイの目には、化け物に遭遇したかのような絶望が映し出されていた。
◇
一方のイヒトからしたら、目の前の男こそ気が狂った奴としか思えなかった。
――こいつ、本当に持っていやがった。
内心、驚愕する。
「徹印弾とか、正気かよ」
普通の銃弾の百倍、下手すりゃそれ以上の値段はするという。そんなものをただ捨てるなんて、どうかしている。
嫌な予感がすると思ったら、案の定だ。
「か、カスッ! カスゥ!!!」
男は必死にだれかの名を呼ぶ。だが、返事はない。
「……クソ、あの野郎逃げやがっ――」
「うるせぇよ」
取り乱す男に、イヒトは軽く拳をくれてやった。それで十分だった。
男の意識は一瞬で途切れ――
「あっ……」
倒れた男を見下ろし、イヒトは自分のミスに気づいた。
「やっちまったな……」
どうせなら、リィズリースの居場所を聞き出しておけばよかったのだ。
今さら倒れた男の頬を叩いてみるが、反応はない。イヒトは舌打ちをし、落ちた拳銃を拾い上げた。
――まあいい。万が一、人質交換にでもなったら使えるかもしれねえしな。
イヒトは男の襟をつかみ、暗い工場内をずるずると引きずり始めた。




