第10話 ご飯の前にお菓子は食べません
小秋市の東の、狭い大通り。
イヒトとホカゼの二人が並んで歩いていた。
傍から見れば、仲の良い兄弟のように映ったかもしれない。
だが実際は――イヒトがホカゼから、延々と説教をくらっているまっ最中だった。
「いい? リィズリースさんに、ちゃんと謝らなきゃだめだからね」
「……わかってるっての」
ホカゼに詰められるイヒトが、しどろもどろな言い訳を繰り返す。そんなやり取りが延々続いて、やっとホンゴウビルへと帰り着いた。
説教は、二階の本郷家の玄関扉を開く直前まで途切れることはなかった。
リィズリースはいなかった。
ビルの一階から三階まで、部屋中ひっくり返すくらい探しても、どこにも見当たらなかった。
◇
「バカかテメェはよぉっ!!」
怒声が、都市外の廃工場に響き渡る。
帰り着くなり、センパイは容赦なくカスを殴りつけた。
「でも」とか「ちゃんと成功したじゃないッスか」とか。
そんな頭の悪い言葉がつぶやかれるたび、カスの頭が右に左に揺さぶられ、ついには床へ崩れ落ちる。
「招待」された女――リィズリースはその様子を黙って見つめていた。
「もういい、連れてけ!」
吐き捨てるように言うと、カスは血をぬぐいながら勢いよく立ち上がる。
「ッス! ……あ、エサやってもいいッスか? あいつらとか、ポチとか!」
「それくらい言われねえでもやれや、カスが!」
「了解ッス!」
威勢だけいい返事をし、カスはリィズリースを奥の部屋へと連れて行った。
センパイは深く息を吐き、本当に頭を抱える。
まさか、あそこまでバカだとは思わなかったのだ。
すっかり日も暮れていたとはいえ、まばらながら人通りはあった。どこまで見られていたか。
誰にも見られていないなんて甘い考えをするのは、カスくらいなものだろう。
センパイは思考をめぐらせる。
――ボスならもみ消せるか?
ボスが小秋市において相応の影響力を持っているのは確かだ。
だが、小秋市も完全に閉じられた社会ではない。崩壊後の日本がどれほど継ぎはぎだらけだろうと、法治国家の体は失われていない。
それ以前に――本当にあの女はボス好みなのだろうか。
仮面の者などという怪しい奴を、なぜ信じてしまったのか。センパイは失敗続きの苛立ちからか、今更ながらに悔やんでいた。
「……逃げるか?」
思わずつぶやく。
今すぐ女を売り払おうとすれば、間違いなく買いたたかれる。
だが、自分一人が逃げる分だけの金にはなるだろう。
売り先も「足のつかないように」とか「ボスに知られずに」なんて、しち面倒くさい条件がなければ見つかるだろう。
センパイは廃工場内の一角、ぎりぎり無線の繋がる場所に足を急がせた。
◇
廃工場の奥。
かつては事務室だった部屋で、カスは手際よくエサの準備をしていた。
エサを用意するのは、拾い主の義務――カスは、そういう意識をしっかりと持っていた。
「機嫌悪りぃなあ、センパイ」
包丁片手にカスはぼやく。
ブロック肉や合成食材を器用にみじん切りにするその手際は、見事なものだった。
カスは、大抵のことにおいてすぐにコツをつかめる人間だからだ。
ただ、人と少しずれていたり、方向性を間違えやすいだけである。
四食分のエサを用意する。
――耳の尖った亜人の子。
――ロングヘアの子。
――リィズリース。
――そして、「ポチ」の分。
「ほーら、ご飯だぞ」
カスは、まず壁に寄りかかっていた亜人の子にスプーンを差し出した。
亜人の子は腕も足も動かせず、全身を壁に預けるのが精いっぱいだ。呼吸すらおぼつかないた。
その手に押された印が、淡く光を放つ。
脱力印――全身の筋力を弛緩させる人造印だ。
悪用がいくらでも可能で、素人が下手に扱えば命の危険すらある、ご禁制の品。
亜人の子も、脱力印の出力を上げすぎたせいで弱りきっているのだろう。
少しでも元気をつけさせようと、カスは一番にエサを与えようとした。
カスなりの優しさだった。
だが、優しさとはなかなか伝わらないものだ。亜人の子はかたくなに口を閉ざし、カスを睨みつける。
「おい、口開けろよー。せっかく作ってやったんだからよ」
カスはお手製のエサを、亜人の子の口にねじ込むが――
直後。ペッ、とエサが吐き出された。
カスの顔を狙ったのだろうが、勢いが足りず、床に落ちる。
だが、それでもいいのだろう。亜人の子にとっては、反抗心を失っていないと示すのに、十分だからだ。
「あーあ、こぼして。だめだろぉー?」
カスはしょんぼりとした表情を見せる。
が、怒らない。
カスは、自身を「できる側の人間」だと自覚しているからだ。できるやつは、そう簡単に怒ったりしない。
「ほら、ちゃんと食えよー」
カスは吐き出されたエサを床からかき集め、スプーンに戻し、再び亜人の子の口に押し込む。
「んんーっ!!」
今度は、顎をがっちりと掴んでいた。
吐きだそうとするなら、対策を取ればいいだけの話だった。
無理やり顎を動かし、水を流し込み、飲み込ませる。咀嚼の一切を、丁寧に、丁寧に、最後まで手伝ってやった。
亜人の子が一口ごとに喚こうが、カスは根気よく繰り返した。
何度も、何度も。
涙、よだれ、鼻水、そして食べかすにまみれながら――ついに亜人の子はすべてのエサを飲み込んだ。
「……ふぉっ……げほっ……はぁ、はぁ……!」
「よーしよし、よくできたな」
カスは満足げに亜人の子の頭を撫でた。
礼はない。だがやはり気にしない。
当たり前のことをしたまでだからだ。
「よし、待たせたな」
カスはロングヘアの子へ向き直り、スプーンを向けた。
「次はお前が死ぬ番だ」――そう告げられたも同然の宣告だった。
「ひっ……!」
ロングヘアの子は、びくりと肩を震わせる。
先ほどの惨状を特等席で見せられていたのだ。
それを目の当たりにして、抵抗する選択肢などあるはずもなかった。
「ほれ、あーしろ。あー」
カスがスプーンを差し出すと、ロングヘアの子は恐る恐る口を開けた。
「あ、あー……んぐ……んぇっ!!」
覚悟はしていた。
だが、エサが口に突っ込まれた瞬間――耐えきれず、喉の奥が痙攣し、えずいた。
カスの用意した食事は、文字通りただのエサでしかなかった。
肉や合成食材をみじん切りにしただけの、無造作にかき集められたもの。味付けも、調理も、何もない。
「うっ……っ……んんっ……!」
それでも、吐き出せばどうなるかはさんざん見てきた。
だからロングヘアの子は必死に耐え、自分から飲み込んでいった。
その様子に、カスも満足げに次々とスプーンを運んだ。
それは拷問のような時間だっただろう。
茶碗一杯分を完食するのに、たっぷり三十分以上かかった。
食事だけで、息を切らせるほど疲労を感じるなど、ロングヘアの子にとって生まれて初めての経験だった。
「ふー、時間かかったなあ。でも偉いぞー」
カスはロングヘアの子の頭をなでると、次のエサの準備に取り掛かった。
残りは二食分。
だが――リィズリースの番は来なかった。
「私はいりません」
静かに、しかしはっきりと。
二人の食事をただ見守っていたリィズリースは、自分の番が来る前にそう言い切った。
「好き嫌いしちゃだめだろ?」
カスが正論めいたことを言うと、リィズリースは冷静に返す。
「夕飯があるため、食べ過ぎてはいけないようです」
「……ああ、夕飯か。そりゃそうだな」
それだけで、カスはあっさりと引き下がった。カスには、妙に律儀な部分があるのだ。
「しゃーない、これはポチの分に回すかあ」
ロングヘアの子は、そのやり取りを見て愕然とした。
ならなんで、私たちは――
「ズルい」と思ってしまい――ロングヘアの子はすぐに自分を恥じた。




