第1話 一ノ井イヒトは模型を拾った
「世界のために死んでくれませんか?」
と、少女は言った。
少女が冷凍睡眠装置から起きて、初めて発した言葉だった。
腹立たしいほどに、いい笑顔だった。
◆
世界は、百年前に崩壊しかけた。
第四次大戦末期に発生した謎の変異現象が、すべてを変えた。
地上にはクリーチャーが跋扈し、人類の生存圏は狭まる一方。
そんな世界で、一ノ井イヒトは「ゴミ漁り」を生業にしていた。
遺跡を漁り、都市へ遺物を持ち帰る――それが、イヒトの生き方だった。
◇
かつて、世界が崩壊する前に建てられた一軒家。
その地下室の薄暗がりの中に、ひっそりと冷凍睡眠装置が鎮座していた。
イヒトは地下の隠れ家に腰を下ろし、手元のマニュアルに目を落としながら慎重に作業を進めていた。
ふと、脳裏に古い言い伝えがよぎる。
――自動人形の保管は、家庭用冷凍睡眠装置に!
冷凍睡眠装置――それが「中身入り」なら、可能性は二つに一つ。
人間か、人形か。
もし人形なら、一攫千金の夢が叶う。だが、人間なら、ただの重荷に過ぎない。
それが遺跡発掘者たちの常識だった。
同業者なら分の悪い賭けだと嘆くだろう。
だが、イヒトには勝算があった。だてに長く、廃墟のゴミ漁りをやっているわけではない。
もし、百年前の人々の発想が正しければ、この賭けにも意味がある――そう、自分に言い聞かせながら、イヒトは刻印力バッテリーを装置に接続した。
操作パネルに目を凝らす。
低い唸りが地下に反響し、曇った覗き窓が少しずつ晴れていく。
やがて、中の人影がくっきりと浮かび上がり、ランプが赤から緑へと変わる。
最後の警告メッセージが表示された。イヒトは、ためらうことなく起動ボタンを押した。
静かに、装置の蓋が開いていく――
中から現れたのは、上品な服をまとい、整いすぎた顔立ちの少女だった。
永い眠りにつく者が着るにはあまりにも不釣り合いな服装。イヒトは一瞬、これこそが自分の賭けに対する「答え」かもしれないと錯覚する。
しかし、その考えも束の間のことに過ぎなかった。
「世界のために死んでくれませんか?」
少女は開口一番、そう言い放った。
「どういう意味だよ、テメェ」
イヒトは顔をゆがめ、わかりやすく威嚇するような態度を取った。
目の前の少女が人間なのか、それとも人形なのか、まだ判別はつかなかない。
だがイヒトには、最初が肝心だということくらいはわかっていた。舐められたら負けなのだ。
そんなイヒトの気概を受け流すように、少女は穏やかに口を開いた。
「まあ、なぜでしょう。口から、自然と不適切な発言が漏れてしまいました。申し訳ありません」
悪びれもせず笑顔を浮かべ、ゆっくりと周囲を見渡す。
「つまり、私はあなたの手によって目覚めたのですね」
「……ああ」
イヒトは警戒の念を隠さずに頷いた。
「お名前をお教えいただけますか?」
「……一ノ井イヒトだ」
少女は一瞬の沈黙の後、淡々と告げる。
「把握しました。つまり、一ノ井イヒトさんが私のユーザーになった、という認識でよろしいでしょうか?」
その言葉に、イヒトの目が大きく見開かれる。
「……お前、人間じゃないのか?」
「はい。私はLM-AS7L、登録名称リィズリース・リリリウムです。よろしくお願いしますね」
少女――リィズリースは、にこやかに微笑んだ。
複雑な表情で考え込むイヒトに、リィズリースはさらに問いかける。
「イヒトさん。一つ、よろしいでしょうか?」
「……あぁ? んだよ」
「お願いを聞いていただくには、何をしたらよろしいでしょうか?」
「……お願いだぁ?」
イヒトは不信げにリィズリースを睨み返す。
「お前まさか、まだ俺に『死ね』とでも言う気かよ」
返事はない。
リィズリースは、相変わらず柔らかな微笑みを浮かべながら、じっとイヒトを見つめ返していた。
「誰がそんな願いを聞くんだよ、バカかお前」
イヒトは苛立たし気に声を張り上げリィズリースを睨む。
だがリィズリースは、完璧な笑顔を絶やさず、低く穏やかな口調で返す。
「なるほど、理解しました。これはいわゆる『好感度が足りない』という状況ですね」
「はぁ?」
「イヒトさん。何かお望みのことはありませんか? 私はイヒトさんのお役に立ちたいと思っています」
イヒトは、目の前のその自然体で人間そっくりの姿に、改めて呆れたまなざしを向ける。
確かに、仕草も話し方も、どこをとっても人間そのものだ。
しかし、口先だけの優しさはあまりにも薄っぺらい。
――大方、前の持ち主がいたずらで変な人格でも搭載したんだろう。
「……ったく、迷惑なこった」
イヒトは先の発言も含めそういうことだろうと納得すると、重い溜息をつきながら口を開いた。
「あのな、いくら俺に媚売ろうが無駄だぞ。お前はとっとと売り払うからな」
「まあ、そうなのですか?」
リィズリースは、飾り気のない穏やかな声で答える。
「あいにく、お前の所有権は俺にあるんでね」
「イヒトさんに所有されたままでいただくわけにはいかないのでしょうか?」
イヒトは険しい表情を崩さず、深いため息をつくと続けた。
「あのなあ、俺はお前を養うほど裕福じゃねえんだよ。お前みたいなもんには、なにかと維持費がかかるんだ。修繕費だの、刻印力代だの。なにより、税金がな」
「まあ、そうなんですね」
苦々しさをにじませながら、イヒトは声を低くする。
「わかったか? 俺にとっちゃ売る以外ねえんだよ」
その言葉に、リィズリースはしばしの沈黙を見せ、瞳を伏せるように考え込んだ。
イヒトはそんな横顔を気にしながらも、ふと呟く。
「こんなことで管巻いてる場合じゃねえんだよな」
軽く自分の顔を叩いた。
ここが都市外遺跡であり、油断が決して許されぬ状況であることを今一度はっきり思い出す。
「さて、コイツはどうしたもんか」
イヒトは視線を冷凍睡眠装置へと向けた。
人が一人がまるごと入るほどの、どでかい装置だ。ただ持ち運ぶだけならなんとでもなるが、地下室から運び出すだけでも骨が折れる。
「こんなもん、どうやって入れたんだか……ったく……」
ぼやきながら頭を掻くイヒトに、再びリィズリースが柔らかい声で問いかける。
「イヒトさん。私は、イヒトさんのお役には立てないのでしょうか?」
リィズリースの顔には、先ほどと変わらぬ、感情の読めない微笑みが浮かんでいた。
たかが人形の作り笑顔――そのはずだった。
だが気づけば、イヒトはその人形に対して、どこか慰めの言葉を漏らしていた。
「……ま、悪い話じゃねえさ。そりゃあ丁重に扱われるだろうからな」
その言葉に、自分でも不思議な気分になったイヒトは、ふと笑いをこぼす。そして、改めてリィズリースをじっくりと観察する。
見た目は完璧だ。肌の質感は人間そのものだし、造形も整っている。
中身も優秀だろう。ネットワークが切断されていながら、これだけ自然に受け答えができるのだ。
「お前くらいの自動人形なら、いい値段で売れるぜ」
その一言に、リィズリースの表情にかすかな揺らぎが走った。
しばらくの間、無表情でイヒトを見つめた後、リィズリースは穏やかに口を開いた。
「私は自動人形ではありません」
唐突な否定に、イヒトは眉をひそめ、声を荒げる。
「……あ? なんだよ、お前人間じゃないつったろうが」
苛立みを含む声にもかかわらず、リィズリースは動じることなく、さらに続けた。
「はい、私は人間ではありません。しかし、決して自動人形でもありません」
その一言に、イヒトの疑念は深まる。にらみを固定したまま、イヒトは問い詰めるように訊ねた
「なら、お前はなんだってんだ」
リィズリースは一瞬の静寂の後、はっきりと宣言した。
「私は人間模型です」
「人間模型……ぅ~?」
イヒトは眉を寄せ、しかしすぐに「よくあるやつか」とため息交じりに納得した。
どうせこの手の製品は、メーカーが独自の呼び名をつけるものだろうと、勝手に片付けたのだ。
「まあ、呼び方はどうあれ、結局は似たようなもんだろ」
しかし、リィズリースの返答は冷たく、わずかに鋭さを帯びる。
「違います。いわゆる自動人形とは、三次大戦から四次大戦の間に普及した『一定以上の自律性能を備えた機械式人型ロボット』の総称です」
リィズリースは淡々と説明を続ける。
「一方、人間模型は、人間の模倣が至上命題です」
「……人間の、模倣?」
イヒトは、間抜けにも相手の言葉をそのまま繰り返していた。だが、リィズリースは静かに頷き、さらに詳しく解説を加える。
「はい。表皮、筋肉、骨格といった構造から、神経系、循環器系、消化器系といった器官系、さらには組織や細胞レベルに至るまで、人間の内外を完全に模倣しているのが人間模型です」
その説明を聞くにつれ、イヒトの背中に冷たい汗がじわりと流れ始めた。
「――お前、内臓があるってのか? 心臓とか、肝臓とか」
「はい」
「血管や神経も?」
「同様に再現されています」
「…………脳は?」
「脳は神経系の中枢であり、器官の一つです。もちろん、再現されています」
リィズリースはにっこりと微笑む。その微笑みは、どこか嘲笑めいても見えた。イヒトは、乾いた笑いを漏らしながら呟く。
「……はっ。悪趣味なジョークまで垂れ流せるなんて、ずいぶん無駄に高性能だな」
「悪趣味なのですか?」
「お前の言ってることが本当なら、クローンとか、ホムンクルスみたいなもんってこったろ。んなもん作っていいわけねえし――」
その先に続く言葉は明白だった。
――あっていいはずがない。
だが、リィズリースはそんな懸念をあざ笑うかのように穏やかに続ける。
「なるほど、そのような勘違いをなされているのですね。ですが、私はクローンやホムンクルスではありません。あくまで私は、人間模型です」
イヒトは、半ば冗談と笑い飛ばそうとしたが、どこか不穏な汗が止まらなかった。
「……何が違うってんだよ」
リィズリースは、静かに首を振ると、説明を再び始めた。
「生物は、生命維持や繁殖を目的として機能を持ちます。一方、人間模型がそれらを再現しているのは、あくまで模倣のためです」
「……あぁ?」
イヒトの表情がさらに困惑に歪む。
リィズリースはふっと笑みを浮かべ、両手で自分の頭部を抱えるようにした。
「つまり――」
次の瞬間、リィズリースの頭部が胴体からすぽっと外れた。
「っ――――――!?」
驚愕のあまり、イヒトは声なき悲鳴を上げるしかなかった。無情な生首が、なおも微笑みながら静かに語りかける。
「このような真似は、あくまで模型であるからこそ可能なのです。ご理解いただけたでしょうか?」
その一言に、イヒトはただ、絶句するしかなかった。