手応え
「逆にリリルは肌感覚100%にしていないのか?」
そちらの方が不思議だ。とでも言いたげにロイコが尋ねてきた。これに首を横に振るうリリル。
「そもそも、15歳以下は心身の健康を守る名目で、肌感覚50%以上には上げられないようになっているのよ」
「う〜ん、それだと現実の感覚とズレが生じて、十全に身体を動かせなくないか?」
リリルの言にジェントルは首を傾げる。
「別に、50%でも変な癖付いてないでしょ?」
これにリリルはそう反論したが、ホリーは顎に人差し指を当て、それを否定する。
「変な癖が付いていない。と言う事実が変な癖になっていると思うわ。人……、と言うか、生き物を叩くのと斬るのでは、その動作には明らかに違いが出るはず。でもリリルは道場での練習を見る限り、生き物を斬るような動作を見せていないわ。これって斬る動作が身に付いていない証拠だと私は思う」
「そう言われても……。別に私は3人みたいに人殺しの経験を積みたい訳じゃないし、それで問題ないわよ」
そう反論するリリルだったが、3人はその答えに納得出来ないらしく、リリルから少し離れた場所へ移動すると、顔を突き合わせてゴニョゴニョ相談を始め、そのうちにステータスウインドウまで開いて、あれやこれやと話し合い、たっぷり30分はそれを続けた後、リリルの下へ戻ってきた。
「リリルも親の承認を得れば、肌感覚を100%にする事は無理でも、斬ったり叩いたりした時の感覚を現実と同じようにする設定にする事は可能のようよ?」
「そこまでする?」
ホリーの言に顔を引き攣らせるリリル。
「折角ゼフの計らいで、また1から経験値を積み上げられるんだ。斬る感覚を掴んでおくに越した事はないだろう?」
「現実の試合を想定した打撃感覚のままじゃなく、人間大のものを斬るような斬撃の感覚は、ここじゃないと手に出来ないぞ?」
遠慮はするな。とでも言わんばかりに、ジェントルとロイコまでがグイグイ来る。リリル的にはゲームはゲーム、現実は現実で切り分けたいところだが、確かにゼフュロスにより感覚が赤ちゃんに戻ったと考えれば、変に打撃風の癖が付く前に、1度斬撃の感覚を経験しておくのも間違いないか。などとリリルの思考が、3人によって物騒な方面へ誘導される中、
「いや、ゲームの楽しみ方なんて千差万別なんだから、親御さんが強制するのはどうかと思いますが」
とトンブクトゥが割って入ってきた。これにハッとなるリリル。トンブクトゥ自身が、世界観察者と言う準ユニークジョブであり、その発言から、他のプレイヤーとは違っていて良い。誰かに強制、強要されるのは違う。と言う含意が体現されており、リリルだけでなく、如月家3人にも響くものがあった。
トンブクトゥからしたら、肌感覚100%でこのシャムランドと言うゲームを遊ぶ危険性は、【世界観察者】となり、運営と関わりを持つようになってから、口酸っぱくなるまで注意喚起されている要件なので、ここでこの問題を見過ごす事は出来なかったのだ。
「大丈夫でしょ。俺、ゼフ先輩に殺されましたけど、後遺症とか残っていませんし」
これに対して、両手を頭の後ろに回しながら、軽く流すようにそんな事を口にするロイコ。
「はっ。シモの世話も1人で出来ない奴が偉そうに」
これに余計な差し出口を挟んできたのは、トンブクトゥではなくジェントルだった。
「あ、あれは初めてだったからそうなったんだよ! 親父も1度殺されてみれば、死の恐怖がどれだけ怖い事か分かる!」
「はっ。まるで俺が死の恐怖を知らないみたいな言い分だが、残念でした。こう言う職業をやっていると、要らん恨みを買うものでな、殺され掛けた事も、死に掛けた事も1度や2度じゃねえのよ。ロイコとは人生経験に差があるんだよ」
「はあ? 死に掛けただけで、死んだ訳じゃねえだろ? 俺だって対戦校の奴らに電車が来る中、駅のホームから突き落とされた事ありますー。でも死に掛けるのと本当に死ぬのは、全くの別物なんですー」
「はっ。どうだか。俺だって俺に負けた対戦相手にトラックで跳ね飛ばされた事あるさ。あの時は死ぬと思ったねえ。でも死の間際からこうやって生き残っている。凶器を振るう職業だ。死と隣り合わせなのは百も承知だ。今更殺される事に恐怖なんてねえよ。お前のこれまでの考え方が甘かっただけだろう?」
なんて会話をしているんだこの親子。と思わずトンブクトゥがリリルやホリー、ロンシンに視線を向ければ、3人は肩を竦めて首を左右に振るばかり。ここで中途半端に口を挟んでも藪蛇だと理解しているようだ。
「おうおう! そこまで言うんだったら死んでやろうじゃあねえか! ゼフ! 俺を殺せ!」
売り言葉に買い言葉で頭に血が上ったジェントルが、そんな頓狂な事を口走る。
「いや、仲間の攻撃を食らっても、『シャムールの加護』って言うものが発動して、攻撃は無効化されますよ」
これに対して冷静に返答するゼフュロス。ゼフュロスからしたら、プレイヤーであろうとストレンジャーであろうとシチズンであろうと、死んでも生き返るもの。と言う認識なので、死ぬ、死なないの話は、特に奇異には映らなかったからの反応だ。
「良し! じゃあ、俺が一旦パーティから抜けるから、それから殺してくれ!」
ここまで来たら引くに引けなくなったのだろう。ジェントルはステータスウインドウを操作して、自分だけパーティから抜けると、さあ来い! とばかりに仁王立ちとなる。これには、どうしましょう? とゼフュロスが皆の顔色を窺う。
トンブクトゥだけは止めるようにブルブルブルと首を必死に左右に振るっているが、他の面々は呆れている。死にたがっているなら、殺してしまえば? とゼフュロスの判断に任せる形だ。
これに暫し黙考したゼフュロスだったが、自分自身が1000回を優に超える死亡経験がある為、そこら辺の感覚が麻痺していたので、逡巡こそしたものの、トンブクトゥが止める暇もなく、サッと腰からグレイを引き抜きつつ、そのままジェントルを縦半分に切断してみせたのだった。
✕ ✕ ✕ ✕ ✕
「斬撃判定を現実と同様に出来るってやつ、ソースはどこなの?」
ダンジョン内は時間の流れが6倍速なので、一旦冒険者ギルドに戻ってきた一同。それでもジェントルがなかなか戻ってこないので、ホリーが現実へ迎えに行っている間、リリルがロイコに尋ねる。
「なんか、スカウトとかキャンパーの団体が、子供のうちから肉や魚をちゃんと捌いたり、命を奪うと言う事がどう言う事か理解させる為に、そこら辺を現実と同様に出来るように運営に要請を出したのを、お袋がネットニュースで見た事があったみたいでさあ、シャムランドのヘルプを色々調べていたら、コンフィグの『レスポンス』って設定を100%にすれば、現実同様の斬った叩いた殴ったの感覚を体験出来る。って出てきた」
「へえ、コンフィグの『レスポンス』? …………あ、これか。良くこんなの見付けてきたね。私初めて知ったわ。これを…………、ああ、これも50%以上には上げられないのか。でも『保護者の承認を取りますか?』って出てくるから、これをYESにすれば、『レスポンス』100%になるのかな?」
「結局、『レスポンス』100%にするのか?」
「うん。なんかお兄たち見ていたら、こんな事に悩んでいるのが馬鹿らしくなってきて」
と『レスポンス』設定で現れた『保護者の承認』の画面に触れようとするリリルを、トンブクトゥが慌てて止めに入る。
「いやいやいや! ジェントルさんが戻ってこない事から理解出来たでしょう? 肌感覚にしろレスポンスにしろ、100%にするのは危険性が伴います。もっと慎重に!」
これに対して、リリルは母ホリーのように人差し指を顎に当てて、少し考えてから、
「でも、現実の団体が要請を出して、それを運営が許可している。って事は少なくともレスポンス100%でプレイしている人は一定数いるんですよね?」
「それは……」
とトンブクトゥが言い淀んだ隙に、リリルはYESを押下してしまった。
「結局、決めるのはうちの親ですから、死を体験した父が、拒否する可能性もあり……、ああ。OKが出ましたね」
如月家両親の素早いレスポンスに、顔を引き攣らせるしかなくなるトンブクトゥ。「はあ……」とトンブクトゥが肩を落としていると、ギルドの転移陣が輝き出し、そこからホリー、そしてジェントルが俯いて現れた。
「おふ……ホリー、ジェントルはどうだった?」
「結局この人失禁していたわ」
肩を竦めるホリーの後ろに隠れるようにして顔を真っ赤にするジェントルを、ロイコが大笑いしながら小馬鹿にする。これに言い返す事が出来ず、ホリーの服の裾を掴みながら、ジェントルは恥辱に耐え続けるしかなかった。
「…………俺は脱糞してねえし」
「いやいや、大人になってから失禁する方がヤバいでしょ」
そんな2人のやり取りを半眼で見ながら、
「やっぱりあの申請、今からでもなしにした方が良いかなあ」
とリリルがぼそりと口にすると、
「まあ、肌感覚は50%のままなんだし、この2人みたいに無様は晒さないわよ」
ホリーは、リリルはロイコやジェントルのようにはならない。と返すのだった。




