逆鱗に触れる
ブルーミングトレントの枝による初撃を、飛び退いて躱す。『春風』のお陰か、いつもに比べて、格段に身体が軽く動く。これなら!
「良し! 僕は何をすれば良い?」
ナイフを身体の前で構えながら、クロリスに尋ねると、僕から飛び離れたクロリスは、驚いたような表情を見せた。
「意外ね。前の戦闘の時にも思ったけど、ゼフってこう言う時、立ち向かうのね? 怖くないの?」
「そりゃあ、怖いさ。でも僕の『頑張る』がパッシブスキルのせいで、どんな苦境になっても、前向きに頑張るような身体になっているんだ」
これに感心したような顔になるクロリス。
「ふ〜ん。あいつが考えたゲームにこんな隠れ仕様があったなんて。ゲームを面白くする為にAIが考え出したのかしら?」
「え、何?」
ブルーミングトレントの枝が、ピンクの花びらと同色の花粉を撒き散らしながら、ドサドサと降り注ぐ中、近くを飛ぶクロリスが小声で何か言っても、僕には聞こえなかった。
「何でもないわ。ゼフ程度の攻撃力じゃ、何をしても殆ど効果はないから、生き残る事だけ考えなさい。あなたが死んだら、仲魔である私まで帰還の魔法陣て帰還する事になってしまうんだから」
確かに。人間同士のパーティなら、仲間が死んでも、1人でも生き残っていれば、戦闘は継続されるけど、例えば職業【テイマー】の人間が、ダンジョンで死んだ場合、ダンジョン探索中であろうと、戦闘中であろうと、仲魔のモンスターは強制的に帰還の魔法で、仲間の人間とともにギルドの帰還の魔法陣に帰される。それを考えたら、僕がここでやるべき事は、絶対に死なない事だ。
「? ととっ? あれ?」
だと言うのに、身体が突然揺れて、平衡感覚を保てなくなってたたらを踏む。それどころか、痺れて立っている事も出来なくなってしまった。それなのに、ブルーミングトレントから目が離せない。
「『キュアエヴリシング』! ブルーミングトレントの『花盛り』にやられたのね。状態異常の『酩酊』と『麻痺』、それに『魅了』状態にさせられていたわ。ゼフのレベルの状態異常耐性じゃ、ここの香りを嗅ぐのは危険だから、もう少し離れていなさい」
クロリスは僕を癒してから、そのように説明する。どうやら、あのピンクの花粉を嗅ぐと、『酩酊』と『麻痺』、『魅了』の三重状態異常にさせられてしまうらしい。花粉で『麻痺』を引き起こす攻撃をする植物系のモンスターは知っていたけど、ブルーミングトレントは、流石はボスなだけあって、加えて『酩酊』と『魅了』の状態異常まで与えてくるらしい。そんなものに罹れば、僕は益々お荷物だ。なのですぐにブルーミングトレントから距離を置く。
「『凍れる雨』!」
僕が距離を置いたのを確認して、クロリスが魔法を唱える。ブルーミングトレントの上空に暗雲が発生し、豪雨が降り注ぐと、ブルーミングトレントの花は全て散り落ち、樹木全体に霜が積もる。特にその根本は氷が張っている。
「凄い!」
ボスモンスターを一撃でここまで追い込むなんて! クロリスが本来のステータスで闘っていたら、もしかしたら、一撃でブルーミングトレントを倒していたかも知れない。
「ぐうううっ!」
などとクロリスの闘いに見惚れていると、ブルーミングトレントがその顔のような樹洞から鳴き声を発する。直後、ブルーミングトレントの根本から緑色の光が立ち上り、樹木全体を覆っていく。すると、動きを抑え込んでいた霜と氷が瓦解し、枝に蕾が出来始めた。
「へえ。回復能力なんて持っているのね」
クロリスは、少し離れたところから、事態を見守っている。一撃で倒せなかった事を嘆く様子はなく、寧ろブルーミングトレントが、反撃してこようとしているのを楽しんでいる感じだ。
「なっ? 全く……」
僕はそれに呆れながら、まだ蕾状態ならば、先程の『花盛り』も使えないだろうと判断し、ブルーミングトレントに斬り掛かる。
が、蕾状態でもブルーミングトレントの動きは速く、その数多ある枝で攻撃してくる為に、胴体である幹まで攻撃を届ける事が出来ない。
「何で攻撃しようとするのよ!?」
と僕の行動に驚くクロリス。
「僕だって、したくてしているんじゃないよ! 今だって怖い! 僕、スライム相手にも勝てないんだよ!? でも『頑張る』のせいで、闘争本能が恐怖を上回って、身体を闘うように動かすんだ!」
漁夫の利目当ての言い訳に聞こえるかも知れないが、本当にそうなのだから仕方ない。僕は大量の枝を相手に苦戦しながら、そのせいかお陰か、これでも無理に突っ込む事なく、枝先を払うような攻撃のみとなっている。
「攻撃するなら、顔のない後ろに回りなさい!」
僕の後ろから光の矢が数十本放たれ、ブルーミングトレントの攻撃を押し返す。それがクロリスからの忠告と支援であると理解し、僕は『春風』で直ぐ様ブルーミングトレントの顔のない後ろへと回り込む。
「てい! いや!」
我ながら格好の付かない掛け声で、ブルーミングトレントを後ろから攻撃する。たまにブルーミングトレントの枝が1、2本こちらを攻撃してくるが、その程度なら今の僕でも躱す事が出来る。クロリスがブルーミングトレントのヘイトを受け持ってくれているから、殆ど攻撃が来ていないのでチャンスと言えばチャンスだけど、
「『スラッシュ』! 『スタブ』!」
攻撃技を使っても、HPを1削れているかどうか。多分僕が近くにいなければ、クロリスがもう一度強力な攻撃魔法を放ってお終いなんだろうけど、僕が邪魔でそれが出来ていない。僕だって、この場にそぐわない。ここからブルーミングトレントの攻撃が届かない場所へ移動した方が、万倍有益だと分かっていても、身体は闘争を選び、ナイフを振るい続ける。そう言う意味でも、僕はお荷物だった。
「くっ!?」
そうして、矢鱈目鱈にナイフを振るっていると、安いナイフの攻撃なんて通用しないと言わんばかりに、ナイフの耐久値の方が先になくなり、柄元からボキリと折れた。
それでも僕の身体は、拳で一撃当てるも、流石にこれでは攻撃が通じないと納得したのか、ブルーミングトレントから距離を取る。
それでも僕の身体は闘争を欲していた。ブルーミングトレントの攻撃が届かない位置を陣取り、何を始めたかと言えば、僕は近くに転がっている石を投げ始めたのだ。
「ええい! やあ!」
大きく振りかぶって、投擲とも言えない石の攻撃は、ブルーミングトレントの根本に当たり、コーンと言う軽い音を響かせるだけだった。
泣きそう。何に? それでも足下の石を拾い、懸命にブルーミングトレントへ向けて投げている自分に。絶対勝てない強者に、『頑張る』で強制された闘争本能が抗っているこの間抜けさに。
「ギャッギャッギャッギャッ!」
それを嘲笑うかのように、ブルーミングトレントの顔を形成する樹洞から、笑い声のような鳴き声が響く。それが僕の身体から力を抜いていくが、それでも僕の身体は諦めず、石を投げ続ける。力が抜けて届かなくなっても、目から涙が溢れ出るのを止められなくても、僕は攻撃をやめなかった。
「ギャッギャッギャッギャッ!」
「何がそんなに可笑しいのかしら?」
そんな笑い声に冷や水を浴びせるように、鈴のような声音には、僕の闘争本能が攻撃を止めてしまう程の殺気が込められていた。
逆鱗に触れる。と言うのはこのような状況を言うのだろうと、察するに余りある程の殺気が、クロリスからブルーミングトレントへ注がれる。僕の動きを止めたのは、その余波でしかないが、僕の身を竦め、棒立ちにさせるには十分な殺気だった。
「あなた、ネームドでもない癖に、必死で現状に抗おうという者を、嗤うんじゃないわよ」
そう口にしたクロリスは、両手を胸の前で合わせ、人差し指と中指の4本だけピンと伸ばす姿勢を取ると、それを天へ向けて突き上げる。するとその4本の指目掛け、聞いた事のない轟音と、目を突き刺す閃光が落とされた。
それは今にも破裂しそうな光の集合体であり、クロリスの小さな4本の指の頂点で、バチバチと音を立ててその解放を待ち侘びていた。そしてその4本の指を、ブルーミングトレントへ向けて突き出すクロリス。
「『衝撃の雷光』」
その魔法名に、暗い殺気の全てを乗せて、クロリスが突き出した4本の指先より、指先に落ちた時より数段威力が上がったと分かる雷光が、ブルーミングトレントを撃ち貫いた。
同時にブルーミングトレントの全身から、弾けるような炎と爆発が立ち昇り、直後に四散するブルーミングトレント。
「私の前で、闘う事を放棄しない者を嗤う事は、死罪に値する。その身でしかと受け止めなさい」
クロリスの攻撃の後に残ったのは、ブルーミングトレントがそこに存在していた証明の、幾つかの素材と、正しく巨木が突然消えた事を示す、直径20メートルはある大穴だった。