『1』つ卵を砕いてしまえば、あとは簡単に。 Probably won't be able to eat it. (8)
児童公園の全長は以外にも大きく、この近所では最も大きな公園である。その大半を占めるのは併設された球場なのだけれど、児童館やプールなどもあり、学校二つ分くらいの広さがあると考えてもらうのが妥当なのではないか。
そんな平穏だった空間は、地獄と化していて。全てが燃えている…。
「うはは」
「うははッ」
「ウっっっっハハハハハハハハハっ!」
突如として公園内に轟いた大きな笑い声。
燃える木々を抜けて、走る。
「こんな所で相まみえるとは驚きだ…『雑魚天使』よゥ」
「私もよ…〈天使の九階級〉…序列第一位」
ようやっと、声のする場所へたどり着いたけれど。
僕がたどり着いた頃には、全てが『決着』していたのかもしれない。
「でェ?てめェの『天使の輪』は俺に無理やりむしり取られた訳だけど、よく耐えるなァ。普通なら失神だぜ?失神」
物理的情報として目前にあったのは、ボロボロになったパーカー姿で。
その眼から、血の涙を流し。
苦悶の表情を浮かべながら。
辛うじて立っている彼女、
『堕天使』…トラオア・フロイント・アミークスの姿と。
それを満面の笑みで眺める、六枚の羽を生やした謎の男の姿だった。
「あなたが…本気で…翼をむしったなら…私は…直ぐに死んでいた…」
声もとぎれとぎれに、彼女は言う。
「おうおうおうおう、手ェ抜いた。確かに俺は手ェ抜いたぜ?あったりまえだろう」
木々は倒れ、黒く焦げ。
男の翼は、真っ赤に燃えている。
違う。
男の翼が、炎で創られている…?
「てめェは罪人だ。苦しんで、苦しんで、絶叫して、死んでもらわなきゃなァ?」
その男の覇気に、思わず僕は草むらに隠れた。
下手に飛び出したら、僕が死ぬ。
死ぬ。
「しっかしまァ、驚いたぜ?てめえみてェな『雑魚天使』に構う暇なんざ無かったんだがよ、聞いてみりゃあ『殺人』なんて禁忌を犯したとか言うじゃねえかァ…エ?」
周囲の炎の勢いが更に増した。
ごうごうと、燃えている。
ごうごうと。
厭らしくニヤニヤと笑いながら、男は彼女に近づいて行く。
「私は…否定しない。人を殺めてしまったのは…事実よ」
そう、ひたすら苦しみに耐えるような声色で、彼女は言う。
そして確信する。あの場所で聞いた声は確かに…彼女の声だった。
助けを...求めていた声。
「あららァ、意外にも素直に認めるわけだ、自分の『業』を…」
男は右手を前に出して、掌を彼女に向ける。
「何人も殺られてりゃア、報われねえよ…」
「…とっとと『裁き』を受けて」
「失せろ」
今度は空が赤く光った。
遠くに見える空を貫いて、いくつもの炎の弾が…。
ジリジリと。
近づいている。
…ヤバい。
流星群…か?
これ、死ぬヤツ…。
「…詠唱無しでこんな…」
立ち尽くす彼女。
そしてハッとしたように、突如絶叫する。
「カトリーヌ・ラブレに…従いて顕現する!方や『闇』、此方に『光』あらば汝祈りと契り、満たされん生への渇望を祈りに変え、嚮後に見出す希望を契りに成すならば、我に求めよ!」
「罪なく宿られたマリアよ、あなたに頼る私たちのために祈りたまえ…」
「『奇びの恩寵』!」
突如、彼女の頭上に現れた青い魔法陣は、空から降ってくる炎の弾と激突し、拮抗する。
魔法陣と炎の弾は…互いに強い光を発して消えた。
か、壁になったのか?
「ふゥん。『雑魚天使』でも詠唱術くらいは理解してんだァ」
男はまた、ニヤニヤしながら彼女を見る。
「なら、『最強』たる俺が詠唱したらどうなるか、バカでも雑魚でもわかるよなァ?」
そう言って、男は十字を切りながら。
「父と」
「子と」
「聖霊の」
「御名によって」
言う。
「や、やめて!そんなことを…すれば」
「今の比に…ならないくらい『下界に干渉』する!」
彼女の叫びもむなしく。
両手を合わせて。
「…アーメン」
僕は空を見上げた。
そこには、巨大な…『隕石』が…。
こちらをめがけて降ってくる。
東京全土を覆う程。
それは、巨大で。
公園どころか。
全てを、破壊しかねない恐ろしさがあった。
地面が、ぐらぐらと揺れる。
僕は何も出来ない。できるわけがない。
ただの一般人に、こんな『異常』な隕石をどうにかできる筈が無かったし、トラオア・フロイント・アミークスが見せた『詠唱術』とやらを僕ができる道理もない。
「うはは」
「うははッ」
「ウっっっっハハハハハハハハハっ!」
大きく笑う男。
「おうおうおうおう、後始末は必要ないぜ、俺はコイツの攻撃対象を『人外』のみに選択している」
自慢げに語る男の姿にその余裕がにじみ出ている。
絶対に、負けることなどありえないと言ったような。
その強さを、男自身も理解している。
「…ありえない、この規模の詠唱で…攻撃対象を選択するなんて、一体…どれだけの力があればそんなことが出来るって…言うの…」
ヘタりと…座り込んでしまう彼女。
巨大な、巨大な『隕石』は。
公園めがけて、勢いよく降ってくる。
徐々に視界を染める色が…。
赤く、赤くなっていく。
接近する。
接近する。
接近する。
…隕石とか…ありえねーだろ!
どうやって突破する…?僕は思考を巡らせる。
そして死を覚悟する。本日三度目。
何にもできるわけがない。
僕はここに一体何をする為にやってきたのか、目的を見失いかけていた。
彼女…トラオア・フロイント・アミークスを助ける為。
助ける為だけど…。
『普通』の僕には、やはり何も出来ない…?
「!」
ここで、僕と彼女は図らずしも目が合ってしまう。
草むらに隠れていた僕があまりの恐怖に恐れ慄き、動揺の動きを見せてしまったからだ。
「予定変更…悪いけど…ここで死ねない!」
彼女はもう一度、震える足で立ち上がり、更に絶叫した。
先ほどとは、比較にならないほどの、絶叫。
「西園寺、洋介!」
彼女はこちらに向けて手を差し出す。
「は、はい!」
僕はそれに気圧されて、思わず草むらを飛び出して。
無意識に…彼女の手に…触れていた。
差し出された手は、さながら天使の様で。
救いの手、そのものに見えた。
「顕現する!円環を忌避し、終末へ収束する『時間』に銷魂を覚えるならば!」
男はここで初めて、焦ったような、面食らったような。
その自信に、一つのヒビが入った。
「てめェ!」
「そいつァ…誰だ!」
それに答えず、彼女は『詠唱』を続けた。
「汝祈りと契り、満たされん生への渇望を祈りに変え、嚮後に見出す希望を契りに成すならば、我に求めよ!」
『隕石』はなおも接近を続ける。
むしろ、スピードを増した。
「まだ禁忌を犯すか!トラオア・フロイント・アミークス!」
僕は彼女に身を任せた。
もう、何が起きても驚かない。
この状態はとっくに『異常』だけれど。
そんな中で。
彼女と再びめぐり逢い、手を掴んだことが。
僕にとって、とても大事なことに。
思えて、ならないんだ。
「『時の絶対隷従』!」