『3』人の犯罪者を匿って。 There are no extenuating circumstances! (6)
清水祥子のそれからは、想像に難くない方向へ進み始める。
まず、一言も声を発する事が出来なくなった。気恥ずかしさを抱えていながらも、年相応の元気な明るさを持っていた彼女の声は、もう聞く事が出来ない。
そして部屋に籠り、アミーはその領域に立ち入る事を拒絶される。
天使には、それが怖かった。
恐ろしかった。
自身の行為の間違いとも思えない間違いを、悟り始めていた。
「ふうん、そんな事があったのかい?トラオア・フロイント・アミークス」
アミーが居たのは、原初の記憶と同じ場所、つまり神殿、あるいは天界。
「『神』様、私の選択は…間違っていましたか?」
「君は『清水祥子』の『願い』を叶える事が世界の変革につながると信じているのかい?」
「はい、わたしが彼女を癒し、『願い』の結実に協力することで、小さな人間一人でも、大きな変化につながると信じて…」
アミーの純真な行為は、僕にとっては、あるいは人類にとって残酷な行為であったけれど、彼女は善意で動いていたし、その痛みをわかろうと努力していた。
だからこそ、神に教えを乞うているこの状況が、なんだか僕には辛かった。
彼女の悪意なき『破壊』。それを神は正せるか。
「正しいよ」
「はい?」
「正しいよ、トラオア・フロイント・アミークス。その選択は正しかった、『完璧』だ」
僕は瞬間、背筋に悪寒を覚えた。
それだけは、あり得ない。『普通』でない。
「知を求める彼女に知を与えんと奔走する…なんと献身的な天使だろう、君は…。そして私は君に思い出してほしい事がある、最初に君に渡した『ソレ』…」
「…『知恵の実』ですか?」
「使えば、いいじゃないか」
「使えば、と言うと…」
「簡単だ、食べさせればいいのさ。それに君が選別した人間『清水祥子』は最も良いケースだ。知を求めている。より賢人になることを望んでいるんだろう?」
「は…はい」
この時点で僕は『神』からの悪意を悟っていた。そして清水祥子に、もっとひどい事が起きるのではないかという、不安、というよりも…予感めいたもの。
「安心して行ってきなさい、トラオア・フロイント・アミークス。君は立派な『天使』だよ」
そしてまた、世界は変わった。
ぐにゃりと歪んで、到達した、彼女の部屋。
右手に持っているのは、『知恵の実』…。
「祥子…?大丈夫…?」
返事はない。暗闇の中で布団にくるまり、ぴくりとも動かないその姿に、かつての彼女の面影を見ることはできなかった。
「祥子、私…祥子の夢を叶えられるんだ…!」
視点の主は、若干の喜びを見せている。
「祥子を賢くする為に、神様から貰って来たんだよ!『知恵の実』って言うんだ」
「だから、これを食べてみてよ…!」
布団をめくって、起き上がってきた清水祥子は、アミーにゆらゆらと近づく。
近づく。
近づく。
近づく。
「…それを食べたら…私の記憶は無くなるの…」
「…え?」
「私があんたと会ったって記憶が、全部無くなるのかって、そう聞いてんのよ…」
「ど、どういうこ」
「…私が、連れ去られる車の中で…何考えてたか分かる…?」
清水祥子の形相は、未だかつてない『憎しみ』を持った、苦しいものだった。
「…助けて…って…考えてた」
こちらに向けられるその視線だけで、僕は胸が苦しくなる。
「…で、でも、祥子は言ったよ…?私がやらなきゃ意味がない…って」
「あんなに…酷い事されてる私を…黙って無視するだけ…?」
「わ、わかんなかったんだよ、そんな事」
清水祥子の表情から、感情がすっと抜け落ちた。そこには真に何もなかった。
「…もういいよ」
「…もういいんだよ…私が全部悪いんだよ…」
今度はアミーが、その手を清水祥子の背中を撫でる。
「祥子は!」
「…何にも悪くないよ…だから、ほら…」
右手を差し出す。
「これ『知恵の実』って言うんだって」
「食べると、ものすごい知恵が得られるって…神様は言ったんだ!」
「だから祥子、これを食べたら…きっと願いも叶うんだよ!みんなを導けるくらい、正しくて、賢い、そんな人間になれるんだよ!」
それを受け取った清水祥子は、ジッと実を見つめて。
「…正しさって…何かな…」
「…私…本当は…」
ボソ、と呟いて。
「私…」
「助けて欲しかったのかなあ…」
それをむしり取って、食った。
貪り食うように。
その姿は若干の恐ろしさを帯びて、こちらに存在する。
「祥子…。これからは…一緒に…」
視点から観測する僕は、つまりこの場においては何も出来ないのだけれど。
ただ一方的に僕の視界に流入するその記憶は、僕の記憶を刺激する。
それは同時に、僕の『絶望』のトリガーになるには、十分すぎる事象だった。
「…え…あ…あ…?」
清水祥子の体は、下半身から変色していく。
まるで彫刻の様な、薄い緑の混じった灰色へと。
「…祥子⁈」
「どういうこと…?ねえ!トラ…トラちゃん!何とかして!ねえ!」
アミーは咄嗟に彼女に駆け寄るが、時既に遅く。
「しょ…祥子⁈」
彼女の足は、石の様に重く、動かないようだ。
「トラちゃん!ごめん!さっき言ったことは全部…嘘だから!助けて!お願い、助けて!」
清水祥子は涙を流してこちらに手を出す。が、彼女の下半身は既に固形へと変化し。
動くことも、できないようだ。
「助けて!ごめんなさい!助けて!ごめんなさい!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!だからお願い、助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!」
これまでの記憶が、まるで走馬灯のように、僕の元へと流入する。
「トラちゃん!トラちゃんって呼んでも、いい?」
「ごはん何がいい?冷蔵庫のあまりもので作れるよ!私…料理が実はうまかったり?」
「すごい、トラちゃん、そんなにご飯食べれるの?」
「先生になって、みんなを正しく導くんだ」
「だから私、もっともっと」
「賢くならなくちゃ」
清水祥子の体は、もう顔を残して、全てが石化状態にあった。こちらに出された手も、冷ややかな大理石の様に固くなり、動くことは無い。
「助けてよ!ねえ!」
「か、かみさま、これって、どういう」
「た、助けて!ねえ!」
「か、か…かみさま…」
顔面へと到達した石化は、ついに言葉を飲み込むことになる。
清水祥子は、アミーに言った。
「…私が全部悪いんだ!だから天罰だ!そうだ!もうおしまいだ!アンタも!」
「絶対許さない!」
完全に、石の様になった彼女…清水祥子は、話す事も無くなったし、動くことも無くなった。
それを前に、また石の様に固まる…『天使』トラオア・フロイント・アミークス。
僕の目の前で起きた出来事…観測した彼女の記憶は、そんなもの。
けれども、これだけは共有しておこう。
石化した清水祥子の、その背中。
彼女の芯を、えぐるようにして。
巨大な『翼』が、現出していた。




