賢者様の機知によって訪れる災難
6
きな臭さ漂う裏路地。
秦之介とロシェは猛獣使いの襲撃を退けてつかの間の休息をとっていた。
ロシェはまるで寝てないかのように疲れが顔に現れている。
対する秦之介は服装こそボロボロだが、何時間も酒をあおった後というような臭いも、また大魔術を行使した疲れも感じさせなかった。
「でも、どうして僕が」
「それは知らん。自分の胸に手を当てて考えてみればわかるんじゃないか? ダ・ロシェ」
秦之介の言葉を受け取るとロシェは胸に手をやった。
(本当にするのか……)
「まあ、なんであれ。とりあえずの危機は去ったわけだ。これからの話をしよう」
「猛獣使いは大丈夫なんですか?」
「騎士団が手を焼いてるようなゴロツキをどうして俺が見つけ出して倒せるって?」
おちょくるようなジェスチャーで返す秦之介。ロシェは苛立ちを抑えて彼の言葉を待った。
「で、だ。とりあえずこれからのことを話さなきゃいけないんだが、まず当面の目標として服が欲しい。貴族に会いに行くのにこんなボロじゃ失礼だろ?」
「そうですね」
「ということでダ・ロシェよ。金を貸してほしい。さっき守ってやった恩もあるだろう? な?」
「金なんて持っていないですよ」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げる秦之介。
よくよく考えても、おかしな声を出したものだと後から思うほど、それは頭の悪いものだった。
「さっき言ったじゃないですか。文無しだって。お金類はアルニが全部管理してましたから僕は何も」
「オー、マイゴット……!」
秦之介は膝から崩れ落ちると深く沈みこんだ。
「じゃあ、どうすればいいんだ? 二人とも金を持ってない! まさか乞食なんて真似、俺ができるはずもない!」
「わ、わかりません。でも、神に祈れば何か報われるかもしれませんよ?」
そう言うと、ロシェはペンダントに口づけしながら目を瞑った。
それを脇目にしながら秦之介は「そんなに優しい奴じゃなかったぞ」と独り言ちた。
長めのロシェの祈祷を眺めながら、秦之介はこの先のプランを必死で練り続ける。
ふと、ロシェのペンダントに注目した瞬間、秦之介の脳内で火花が弾けた。
「そうか!」
「な、なんですか!?」
勢いよくロシェの両肩を掴む秦之介。
びっくりしてロシェはペンダントを落としてしまった。
「ペンダントだ! ダ・ロシェ!」
「こ、これですか?」
拾い上げられたペンダントは怪しい光を反射していた。
7
真昼間のジューテ。
街の中心部の広場では二人の大道芸人が大勢の見物人に取り囲まれている。
綺麗目のスーツを着た暗い髪の背の高い方が手品を行い、少し背の低い可愛らしささえ感じる繋ぎ姿の金髪の少年がその補助だった。
背の高い方が火炎を手のひらからだすと、それはまるで生き物のように宙を泳いだ。
低い方がそれに合わせてまるで餌をやるように紙切れを投げると、炎はそれをご馳走と言わんばかりに貪り灰に変える。
炎が動くたびに歓声が沸き、観客の数は増えていった。
「じゃあ、ここで誰か手伝いを頼みたい! 稀代の大魔術師ムィ・シンノスケのイリュージョンに参加したい人はいるかな!」
高らかに呼びかけると、オーディエンスはこぞって手を上げた。
秦之介はその中から一番かわいい女を指名すると、自分たちの所へ招いた。
明るいブロンドで、鼻が丸く、やわらかそうなほっぺの14、5歳の少女だ。
「シャン。名前は?」
「イェーリよ」
「いい名前だ! イェーリ、緊張してるかい?」
「うん、でもそれ以上に楽しみ!」
「いいねぇ! 度胸も尻の形も! ロシェ、イェーリちゃんの横に立って!」
秦之介はロシェを彼女の横に立たせると指を鳴らした。
すると二人の身体は宙に浮き始めた。
ウキウキで嬉しそうなイェーリとは対照に、慌てふためくロシェ。その道化っぷりは見る人たちを笑わせた。
「シャボンは好きかな?!」
秦之介がまた高らかに尋ねるとスーツの下から泡がこぼれ始めた。
泡は風に巻きあげられ天高くへと舞い上がっていく。
秦之介が手を叩くと今度は大きな泡が生まれた。
大きな泡は二人を包むとゆりかごのようにその場に漂った。
皆のボルテージは最高潮だった。
「姫よ! 今助けるぞ!」
叫ぶと、秦之介は手を掲げた。
そして呪文を唱えると青白い稲妻が二人のシャボンへと飛んでいった。
稲妻がシャボンをはじくと、二人は落下した。
悲鳴を上げながら落ちてくる。
イェーリは秦之介にキャッチされあいさつ代わりにチューを交わした。
ロシェはと言えば、誰にも受け止めてもらえずに地面に墜落した。
その姿も観客の笑いを誘った。
イェーリを返した後、二人並んでお辞儀をして舞台は終演した。
飛び交うおひねりの数はそれはそれは多く、まるで花吹雪のようだった。
30分で5万。
結構な額が集まっていた。
「な? 言ったとおりだろ?」
「は、はい」
秦之介がにんまり顔でもう一人の肩を叩いた。
ロシェは少々ふてくされながら返した。
「これだけあれば間違いなしだ」
「じゃあ! あの、ムィ・シン。早く質屋に戻りましょう。ペンダントを取り返さないと」
「まあまあ、待てよ、ダ・ロシェ。期限は三日後だ。そんなに焦るな。そんな事より——」
秦之介の視線の先にはイェーリがいた。
彼が軽く微笑むと向こうも嬉しそうに手を振った。
「予定ができたダ・ロシェ」
「え、どういうことですか!?」
「空気を読め。ここに俺がいて、あそこに美女がいる。ほら、あんなに嬉しそうに手を振って」
「はあ!?」
「ということで俺はしばらくデートしてくる。ほら、おひねりだ! 誰にも襲われないようにおとなしく宿で待ってろ」
ロシェを取り残して秦之介はイェーリの元へ飛んでいった。
「イェーリ。どうだった? 俺の大魔術は」
「すごかった! 本当に! まさかこの町であんなにすごいものを見れるなんて」
「だろう?」と秦之介は上機嫌に応えた。
イェーリは興奮冷めやらぬ様子で、しかししおらしそうに秦之介の顔を見つめている。
「ムィ・シぃンノスケ」
「シンでいいよ。言いにくいだろう」
「ありがとう。でも珍しい名前。どこ?」
「言ってもわからない」
「いいじゃん。教えてよ!」
イェーリは馴れ馴れしく秦之介の手を握る。
もうメロメロらしい。
秦之介はじゃれつく子猫をあやすように優しく返した。
「日本ってとこだ」
「ニホン? 聞いたことない。ペール(※国名)?」
「いいや。もっと遠い」
「じゃあ、山脈の向こう! すごい! ねえ、ニホンのこと教えて!」
「山の向こうじゃないけどな。いいよ! たっぷり教えてやる」
秦之介が耳元でくすぐるように囁くとイェーリはさらに蕩けた。
二人はそのままジューテの町に繰り出し人ごみに紛れた。
ロシェは一人儲かったおひねりを抱えたまま呆然としていた。
(なんて勝手な人なんだ!)
心の中で秦之介に対して愚痴を吐いた。
その怒りはパフォーマンス中のひどい扱いの所為なのか、自分の知らない世界を楽しむ彼への嫉妬かはわからない。
だがロシェはむしゃくしゃした。
このまま一人でペンダントを返しに行こうかとも考えたが、昨日のことを思うととても一人で行動する勇気になれなかった。
その為、宿に戻る他ならなかった。
(でもこんなに上手くいくなんて)
彼に対しての怒りはさて置き、短時間でここまで稼いだ彼の手腕には素直に脱帽せざるを得ないとロシェは思った。
二人が広場で稼ごうと案を出したのは秦之介だった。
ロシェのペンダントを見て思いついたらしい。
「いいかダ・ロシェ。そのペンダントを質屋にもっていく。そして金と交換して服を買う」
「質屋に!? どうしてッ!? いや、それは嫌だ! これはジレイユ家に代々続く家宝だ! そんなものをどうして質に? いくらあなたとは言ってもそれは無理です! ムィ・シン」
「いいから最後まで話を聞け。何も質に流してそのままってわけじゃない。ちゃんと取り返す」
「どうやって?」
「俺に任せろ。いいか? そのペンダントを金に換えて、そして服を整える。ここまではさっき言ったよな? そして、ここからだ。大賢者様の言う事一言漏らさず聞き取れよ? 綺麗な服になったら俺たちは広場で見世物をする。具体的には俺の魔術だ。それで金を稼ぐ。稼いだ金でペンダントを引き取る。運が良ければこの先の路賃も手に入る。こんな名案ないだろう?」
ロシェにはその計画が上手くいくとは到底信じられなかったし、ペンダントを質に入れるなんて、貴族としての誇りが許さなかった。
だから、ロシェは何度も拒否をし続けた。
だがあまりにも自信満々に語る秦之介を論破することはできなかった。
しばらく問答を続けると秦之介は疲れて黙ってしまった。もはや諦め気分の様子であった。
「じゃあいいよ。別の方法を考える」
そう言った秦之介を今度は逆にロシェは引き留めた。
「いや、待って!」
止めたは良かったがその先のセリフを用意していなかった。
思わず言ってしまったからだ。
というのも最初こそ信用できなかったが、しつこく説得されるうちにロシェはもしかしたらを思うようになっていたのだ。
「やっぱり、その……その案いいと思います」
渋々了承する時にはもう朝だった。
二人はそれから秦之介の言う通り質屋に行くと換金し、服を整え、宿を借りて準備をすると、さっきの広場で観衆を沸かせることになったのだ。
宿に着くとロシェはため息をついた。
あのまま秦之介を行かせて良かったのか心配になったからだ。
ベッドに横になると疲れがどっと噴き出した。瞼がとても重かった。
ドンドンドン!
はっとした時、ドアをノックする音が聞こえてきた。
もう外は暗かった。
いつの間にか眠っていたらしい。
ノックの音は定期的になり続けた。
(ムィかな?)
遊びから戻ってきた秦之介だとロシェは思った。
ベッドからゆっくり起き上がるとドアに向かって声を掛けた。
「わかったから。ムィ・シン! 今出ます! ……ヒッ?!」
「……見つけたぞ」
ドアの先に立っていたのは、あの黒いトカゲと同じ模様が顔に刻まれた見知らぬ男だった。