颯爽と登場し華麗に獣を狩る天才賢者
13
噴煙立ち込める屋敷の庭を見下ろす男がいた。
大賢者、ムィ・シンノスケ・ヒオリ。
先ほど放った雷撃は確かにトカゲを捉え、バチバチと肌を刺す空気を醸しながら、その場にいた全員に彼の存在を知らしめる契機となった。
狼狽えていた騎士たちは一様に屋根を見上げる。
土埃の煙たさにむせながら皆指をさしている。
「シン!!!!」
ベレッタが腰の抜けた少年の手を握りながら大きく叫んだ。
まるで神に出逢ったかのように、彼女の顔は安堵と希望で光っていた。
「ムィ・シンノスケ! 来てくれると思ってました! ダ・ジレイユも無事です!」
「ベレッタ、ありがとう。ロシェ、無事でよかった」
「シンノスケ! あなたという人は、本当に……!」
ロシェは緊張がほどけて涙を浮かべている。
ベレッタはそれに気づくと彼の肩を抱きしめた。
ドシン
感動の再開は忌々しく響く地響きによって終わりを迎えた。
騎士たちがまた得物を構える。
その目の先には奴がいた。
「待て」
大賢者の声が降り注ぐ。
右手を前に出し、構うなと合図する。
騎士たちはそれに従い、気を張りつめながらじりじりと後退していった。
大きな円の空間が庭に完成した。
未だ漂う埃は球になってトカゲを覆い隠している。
中の様子は伺えない。
月が雲に隠れた。
辺りが闇に覆われる。
ぴしゃり
その暗黒を待ちわびていたかのように気味の悪い音が球の中から零れた。
刹那、秦之介は風のように屋根を降りた。
すぐに大きな岩がその場所を通過した。
「ヒッ……」
ベレッタがロシェの手を強く握る。
ロシェも彼女の手を握り返した。
今の岩はトカゲが投げたものだった。
彼は煙の中で地面から岩を掘り起こしていたのだ。
それを視界が悪くなる時を待って発射した。
狡猾で戦慣れしている彼らしい戦法だった。
しかし、それは秦之介に見破られていた。
細心の注意を払って静寂を纏った行動をしていたが、地面から取り出すときの小石の転がりが彼の戦術を暗示したのだ。
それを目敏くさらう秦之介もやはり戦慣れしている。
そうロ・ジュイーは思った。
憎々しいかの大賢者。
我が娘を誑かしたインキュロ。
しかし、彼がいなければこの窮地は脱出できない。
岩の後、戦闘は次の段階に移行していた。
屋根から降りながら秦之介は素早く詠唱し始めた。
そして、着地の瞬間魔力を爆発させて一気にトカゲの元へ距離を詰めた。
肉弾戦が得意なトカゲは、敵が交戦域に突入してくるのを見て舌なめずりした。
「トレイヤ!」
近づいた一瞬に秦之介がまた唱えた。
眩い雷光がさく裂した。
右手が雷を纏いながら深くトカゲに突き立てられる。
トカゲは衝撃を喰らって少しよろめいた。
しかし、すぐに立て直すと彼の腕をつかみ壁へと投げ飛ばした。
秦之介は飛ばされながら身をひるがえして上手く受け身を取る。
次弾の攻撃の準備を整えながら。
トカゲは彼から一切目を離さない。
投げつけと共に鋭い爪を立てて強敵に喰らいつく。
人の何倍もある強靭な筋肉は、衝撃波を発生させて巨体を彼の元へ打ち出した。
対する秦之介は、両手を前に構えて静かに目を瞑った。
彼の元に風が吹いていく。
神経を集中させ手のひらの前に、周りの空気を集める。
「ディフィル・ヤガ!」
唱えた言葉は風を巻き起こし、凶悪な爪から彼を守る空気の盾を作り出した。
トカゲがもう少しで彼を切り裂こうかというギリギリのところだった。
かぎ爪が盾に阻まれ、ビリビリとした衝撃が躍るようにその場を巡る。
庭に面した窓はそれに耐えきれず割れてしまった。
「風魔法!」
ロ・ジュイーが叫んだ。
あの秦之介が使った魔法は風魔法だった。
風を操り、時には刃に時には盾に。
まるで騎士のように風は敵を打ち倒す。
それはロ・ジュイーが昔憧れた姿であった。
しかし、彼には魔術の才がなかったのでその夢は諦めたのだった。
それをあの男が使っている。
一度は追い出したあの色魔が。
(炎や雷だけではなく、奴は風さえも自由に扱えるのか……)
ロ・ジュイーはそれからの戦いを一時たりとも見逃すまいとさらに目を開いた。
目に塵が入りそうだったが、そんなものは関係ない。
僅かでも彼の妙技を見損ねる方が嫌だった。
トカゲは力任せに見えない壁を突破しようとしていた。
衝撃により右手の鱗がいくらか剥がれて血が滲んでいたが痛みは感じない。
それよりも目の前にいる男を殺したくて殺したくてしょうがないのだ。
だが、秦之介の展開する壁は自慢の力をもってしても突破することはできなかった。
衝突から二秒後、秦之介は全身全霊の力を込めて腕を前に押し出した。
バチバチと激しい音を響かせながら、風の盾はトカゲに肉薄する。
対するトカゲは押されまいと力むが叡智の結晶の前には獣の獰猛さは歯が立たない。
「エリヤージェ!」
秦之介の叫び声が轟くと風に炎が纏った。
追い打ちをかけにいったのだ。
炎は眼前の乱れる気流に乗り無秩序に広がって猛獣に襲いかかる。
トカゲは秦之介の奇策に冷や汗をかいたが逆にチャンスと見た。
炎の壁は風と違って実体がない。
もちろんそこは魔術の種類によって異なるが、今回は純粋な炎だった。
今までは盾によって凌がれていた彼の攻撃も今なら意味を持つ。
炎が空気を焼く中、トカゲは一気に突撃した。
鍔迫り合いから解放されたトカゲの怪力がそのまま火炎の向こうの大賢者に迫る。
「馬鹿め!!」
トカゲの嘲りが火の子と共に舞った。
(仕留めた! 奴を仕留めた!!)
炎の向こうの得物を卑しく切り裂く。
感触は確かだった。
手のひらに生暖かい濡れた感覚が広がると、刹那に炎は鎮火した。
突然の暗闇に目が慣れずよく見えなかったが、秦之介の無惨な姿を目にすることができた。
「ふふふふ……あははははははは!!!!」
声帯に血が溜まったような、歪んだ耳障りな笑い声が庭に反響した。
「大賢者!? 笑わせる! この程度か! ハッ、わざわざ娘を誘拐して分断しようなんて面倒なことをしなくともよかったじゃないか! 恐れるに足らない!」
トカゲはわなわなと肩を震わせてしばらく勝利の美酒に酔っていた。
取り囲むオーディエンスたちは今しがた起こった出来事の判断がつかなかった。
特にベレッタとロシェは。
ベレッタは膝から崩れ落ちた。
ロシェはトカゲの背中を眺めたまま呆然としていた。
二人とも言葉を失っていた。
何もしゃべることができない。
出したくてもなんて音を出せばいいのかわからないのだ。
認めたくない事実を咀嚼していくと、まるで水にインクを垂らしたように二人の顔に絶望が広がった。
二人の希望の灯が消えてしまった。
ロ・ジュイーも現実を理解するのに時間を要した。
先ほどまで善戦していた若者が、ここまで簡単に命を散らすだろうか。
答えの出せない考えを巡らせていた。
憧れの風魔法。
華々しい魔術戦闘。
彼の抱いていた羨望もトカゲの刃に引き裂かれたのだった。
「さてと……そろそろ終いにするか!」
聞く者の身体の熱を奪うような言葉がトカゲから零れた。
トカゲは振り返るとロシェを探した。
見回して、見つけるとにやりと黄色い眼を歪めた。
ロシェはその瞳に魂を抜かれたような気がした。
ドシン ドシン
死神の足音が近づいてくる。
最後は神に委ねようとペンダントを探したが質に入れたことを思い出して絶望した。
まるで神に見放されたようだった。
トカゲが二人の目の前に立とうかという時、ロ・ジュイーが盾になった。
剣を抜いて決闘を申し込もうとしたのだ。
せめて、娘とロシェが逃げる時間が稼げれば、そんな淡い期待を剣にのせて。
その姿はトカゲをさらに愉悦にさせた。
「なんだ、今度はお前が相手をするのか?」
「ああ、猛獣使いよ。私はロ・ジュイー・クジュワーズ。お前に決闘を申し込む!」
「やめて! お父様! ダメです!」
ベレッタは父の意図を察して叫んだ。
しかし、彼が引かないことはわかっていた。
「そうだ。やめておけ。お前じゃ俺は倒せない。俺はな、特別なんだよ。この世界で特別な力を手に入れたんだ! お前らみたいな雑魚どもじゃ到底敵わない。強い力をな!」
トカゲはふんと、自惚れた息を吐いた。
「だとしても! 私はお前を倒すことを望む!」
「ふはははははははは——!!!!」
空気が大きく揺れる。
彼にとっては無謀な戦いを挑んでくる騎士の自己犠牲がどうにもおかしかったのだ。
「いいだろう。女神に会わせてやろう!」
まるでこの世の全ての恐怖が集まったかのような邪悪な笑顔を見せると、トカゲは爪を立てた。
その場にいる誰もがロ・ジュイーの死を確信した。
本人も悟っていた。
だが……
「ゼハ・エリュイ」
火を呼ぶ呪文が聞こえるとトカゲの周りに炎が蔓延った。
それは人々の怒りや憎しみを映したような激しく荒々しい赤黒い光だった。
肌を焦がす灼熱の炎にトカゲは苦痛の表情を見せる。
生き物のように炎はトカゲを貪る。
鱗を焦がし、肉を焼き、命の灯すらも吸収し死の灰へと変えていくような獄炎。
「ああああああああああああああああああッ!!!!!!!!!!!!」
火だるまになったトカゲが乱れ狂う。
助けを求めて辺りに手を伸ばす。
だが、誰も彼に近づこうとはしない。
ただ距離を取って、その先を窺っていた。
トカゲは先ほど秦之介を仕留めた場所を見た。
すると確かに殺したはずの大賢者がそこに立っていた。
身体に付いた大きな爪の痕からは火が上がっている。
土や煤がこびり付いた顔は凛としていて目には怒りが籠っていた。
なぜだ!?
トカゲから声にならない声が上がる。
秦之介はほくそ笑むとその問いに応えた。
「馬鹿なのはお前だ。あの程度で俺を倒した気になるとはな。全て俺の作戦通りさ。教えてやろう! あの時わざと盾を解いたんだ。お前を油断させるために。時間を稼ぎたかったんだ」
——なぜ生きている?——
「なぜ生きているかって? お前、ザシュトラと寝たことないのか? 簡単に不老不死にしてくれたぞ? ……ああ、ダメだ。それ以上は何て言ってるのかわからない」
トカゲの喉は完全に焼けていた。
もうそれ以上は声を出すことができない。
悲痛な叫びも、怨嗟の声も、もはや誰も聞くことはなかった。
そこには異様な時間が流れていた。
トカゲが燃え尽きるまでの数分間、皆ただ炎を眺めていた。
騎士たちは揺らめきに心を奪われていたし、ロ・ジュイーやベレッタも呆然としていた。
ロシェだけは、炎の先に見える秦之介の姿に胸を熱くして顔を光らせていた。
こうして、猛獣使いは駆逐された。
屋敷は戦闘によりめちゃくちゃになっていたが、死傷者は多くはなかった。
ロシェも、ロ・クジュワーズ親子も無事だった。
炎に奪われていた意識が戻ると、誰かが勝鬨を上げた。
その晩は宴だった。
レヴリカ達が店主に話をつけて酒を持って来てくれたのだ。
秦之介は会う人すべてに賛辞をもらった。
ロシェも褒められた。
二人は皆に酒を勧められただけ飲んだ。
飲んで飲んで飲みまくって、宴が終わるより少し前に眠った。