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遺書の中の子へ

作者: 鳩螺流

 その日、真夏の季節にしては珍しい豪雨が吹き荒れていた。


 ゲリラ豪雨だった。

 つい数時間ほど前まではからっとした快晴だったが、強い風に押し流された曇天が太陽を覆ったようだ。


 だが、そんな事は男の気に留まらなかった。

 机に積み上げていた資料や、参考書の山。

 それを崩し、破き、壊し、否定してやろうという衝動で頭は満たされていた。

 獰猛な唸り声を上げながら、男はその全てを土砂降りの外へと投げ捨てる。


 木造の暗い部屋の真ん中に、一人の男だけが残った。

 深い後悔と絶望の中で孤独にうずくまり、男は酷く慟哭する。


 けれどその声が近隣の迷惑になる事は無いだろう。

 外は大粒の雨が屋根や地に打ち付けられ、大きな音を立てている。

 どれだけ男が叫ぼうが、世の雨音で悲壮はかき流され、下水に捨てられ、無になる。


 ふと、床に一枚の封筒を見つける。

『遺言書』と表に書かれている。



 ———七月下旬、ひとりの少女が墜落した。


 世界に望まれず、裏切られ、見向きもされなかった、あるひとりの子ども。


 子どもは、現実(タナトス)よりも幻想(ヒュプノス)を望んだ。


 きっとそこに、憂いは無かっただろう。

 きっとそこに、運命を見出してただろう。


 けれどその果てには、ただ血と肉だけが散るだけ。


 庇護も愛情も無かった世界の裏側には、然りと言うかのように、天国も地獄も無かったのだろう。



 ……私は、彼女に嘘をついた。

 酷な家庭環境、陰湿な虐め、救いの無い孤独の中で、彼女は生きていた。

 そんな彼女に、私は希望を持たせた。

 生きてていいんだと。

 幸せを願ってもいいんだと。


 なのに、彼女は飛び降りた。

 そうなる結末を避ける為に助けたかったというのに、私は彼女を最後まで救えなかった。


 一体、何処で間違えたのだろう。

 もはや、その原因を見つけるには、途方もない労力を費やしたと思う。

 全てが正しいと思っていた。

 子どもが孤独の中で生きているというのに、それを無視して平気でいられるような大人なんて、いてたまるか。

 そう信じ、男は必死になった。

 少しでも、何か、彼女の心を慰め、癒す糧になれないかと。


 その結果が、これだ。


 きっと、彼女は私を恨んでいるかもしれない。

 結局、綺麗事だけで何も成し遂げない周りの教員や大人達と同じだったと。嘘吐きだと。



 封を切って、中を見開く。

 きっとそこに、彼女の全ての想いが綴られている。

 自分に残された、最後の責任。

 そこに記された彼女の想いが、たとえどれ程の怨恨や悪罵であろうとも。

 その全てを受け止める責任が、自分にはあるのだから。






 ♧






 私にとっての先生へ。



 遺書を書くのは初めてで、何を書くべきか分からないですね。

 とりあえず、素直な気持ちを記していこうと思います。


 まずは、先生。

 死んじゃってごめんなさい。

 先生が見ず知らずの私のために沢山尽くしてくれた事は、本当に理解していたつもりです。

 実際、あの日私が道ばたで叩かれていたところを、先生は庇ってくれましたよね。あの時から、私の人生は本当に大きく動いたんだと思います。

 死んだ後だから言えるのですが、あの時の先生は凄くかっこよかったです。


 けれど、そんな私の人生は、やはり生まれた時からこうなるよう決定付けられていたんだと今でも思います。

 父は離婚して私を置いて行き、母も私を捨てて夜遊びに出るばかり。

 学校では沢山いじめられて、時には女すら盗られちゃって。

 せっかく出来た友達も、みんな見てみぬふり。

 学校の教員は見えているはずなのに、中途半端で最後まで対応してくれない。



 私は、誰にも生きることを望まれていなかったんだと思います。


 生まれてきてはいけなかった。

 生き続けていてはだめだった。

 幸福を願ってはだめだった。


 私は運命って言葉を信じてるので、これは先生や私、誰のせいでもないんだと思います。

 そう、きっと仕方のないこと。


 でも先生はきっと、そんなことない、って言ってくれるのでしょう。

 先生はいつも、私が私自身を否定しようとした時、それを強く否定して、励ましてくれました。


 私は正直、いつもそれをキレイゴトだとか、なぐさめのウソだとか、そんな風に受け止めちゃってました。

 けれど、こうして自分の気持ちを素直に書いてると、それが私にとって、どれだけ嬉しいものだったのかが、強く思い知るんです。



 何を言いたいのかというと、先生には自分を責めないでほしいんです。

 私は世界の苦しみに耐えられず、飛び降りてしまいました。

 けれど、地面に打ち付けられる最後の時まで、私の心は先生のことでいっぱいでした。

 僅かな時間だったのに。

 救われていたんです。

 幸せだったんです。

 考えだすと、涙が止まらなくなるくらい、嬉しかったんです。


 だから、大丈夫。

 先生の努力は、無駄じゃありませんでした。

 あとは、来世の私にたくしたいと思います。



 それと、私を旅行に連れて行ってもらえなかった代わりに、最後のお願いがあります。


 身勝手だと思いますが、先生。

 どうか、私以外の多くの子どもを、救ってください。


 きっと、私だけじゃないんだと思います。

 この世界の何処かには、つきない暗闇が広がっていて、お日様も無い場所があるんです。

 そんな場所に閉じ込められた子どもは、いつか粉々にされて、透明になってしまう。

 痛みすら無く、誰が誰だか、分からなくなってしまいます。


 だから、先生にはそんな子ども達のお日様になってほしいんです。

 彼らが透き通ってしまう前に、先生に照らしてあげてください。

 この世界のどこかに、私のような価値のない存在が、もしいたら。

 先生には私を思い出して、その子を助けてあげてください。


 きっと、私と同じくらい、いや、それ以上に苦しんでいるかもしれません。


 でも、きっと大丈夫です。

 先生の行動や言葉には、子どもを救える力があるんです。

 その選択、その心延えに。

 私たちの暗闇をはらえる魔法が込められているんです。

 死んじゃった私が言っても説得力は無いかもしれませんが、私が保証します。



 長くなってしまいました。

 改めて、親子ですらないのに、こんな身勝手な子どもで、本当にごめんなさい。


 私の人生は誰にも肯定されなかった、何の意味も価値も無いものだったかもしれません。


 けれど、そんな一つの希望すら無かった人生ですが、最後に先生と出会えて、大切にされて、本当に幸せでした。




 ♧




 ———本当に、ありがとうございました。




 ♧






 あの日、少女は「助けて」と叫んだ。

 冷たいアスファルトに寝そべり、やまない雨に打たれながら、もはや声を出す体力もないというのに。


 年頃の少女に成人男性が関与する危険性を、男は承知の上で手を伸ばした。

 別に、男の中で少女にシンパシーを覚えたわけじゃない。

 男は一般的な家庭で生まれ、愛され、環境に恵まれた人生に生きている。

 少女とは真逆の世界に生きている。


 それでも、他人事とは割り切れなかった。

 何か、特別な感情があったわけでもないだろう。

 困っている誰かを前にして、居ても立ってもいられなくなったが故の、非論理的な選択。


 友人からは当然注意された。

 中には強く反対もされた。

 でも、もし自分が彼女を見捨てたら?

 親に捨てられ、友に裏切られ、尊厳を奪われた、一人の子ども。


 何もかもを失くした子どもが孤独なまま生きた果てに、一体何が待ち受けているのかなんて、考えるまでもない。


 周りの大人達は言う。

「他人の力を宛にするな」

「最後に自分を救えるのは自分だけだ」

 だったら、最後までその行く末を見届けてあげるくらいはしなかったのだろうか。


 温もりや愛情なんて、彼女の周りの何処にもなかった。

 誰もが無関心で、まるで、自分さえ幸福であればどうでもいいかのように。

 自立した大人だけが得られる特権に酔いしれ、独占する者ばかり。


 子どもに朝は訪れない。

 やがて現実と夢の境は溶け出し、子どもは永遠の眠りに落ちるだろう。




「———駄目だ、そんなの」


 救いがなさ過ぎる。

 子どもが生きるには無慈悲極まりない。


 子ども達が一体何をしたと言うんだ。

 彼らはただ、幸せに生きたいだけだ。

 幸福を独り占めしたがる大人と、本質は同じなんだ。

 その権利だってあるのに。


 誰よりも遅く生まれて、一から全てを積み上げていく必要があるのに、それを許されない。

 それでは、平等なんて何処にあると言うのだろう。



 ———それが、大人の責任だから。



 何処で聴いたのか、そんな言葉をふと思い出す。

 誰だって最初は子どもだった。

 それなら、一体どうして今、幸福なのか?

 こんなに過酷な世界を、子ども達はどう生きてきたのか?


 決まってる。

 不可能なんだ。


 大人ですら不安定なこの世界を、子ども達も歩んで生きている。

 だから、私達大人が支えてあげなきゃいけない。

 彼らの責任を全て、肩代わりしてあげなきゃいけない。

 弱く、迷うばかりの子ども達の有り様を、認めなければならない。


 子どもは「私達の未来そのもの」だから。


 私達の未来を、無碍にしてはならない。

 子ども達の自由を搾取してはならない。

 子ども達の心根と、その選択を、蔑ろにしてはならない。

 彼らの青春を———侵害してはならない。



「だから、謝らなくていいんだよ」


 静かな部屋の真ん中。

 もはやこの世にいない誰かに、男は呟く。


 気づけば、豪雨はすっかり過ぎ去ったようだった。

 開いた窓から、陽射しが差し込む。

 空は快晴で、散り散りとなった雲はまるで飛行船のように浮いている。


 足元に転がる、一本のペンを見つけた。

 少女が勉強に使っていた、唯一無二のシャーペン。


 手に取り、軽く耳元で振ると、一、二本残っているような音がする。



「……ここから、だよな」


 彼女が教えてくれた。

 ただ満たされるだけだった、私の無意味な人生。

 けれど、その幸福な人生が私に齎した希望と、その奇跡。

 それらが私の力になること。

 子ども達と共に歩む心根になったのだと。

 君は教えてくれたんだ。


「ありがとう」


 教員採用試験。

 八月の下旬に行われる、その二次試験まで、残り一ヶ月。



 ———大人としての、責任を果たすため———



 机の上に唯一残った、過去問のコピー紙。

 手に握ったペンで、私は再度挑んだ。


 


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