ナガメ
「ナガメ」
ナガメの季節は嫌いだ。外に出られないし、そのせいで彼に会えないから。そんなナガメもそろそろ終わる頃。
一
窓の外には、打ち付ける雨と、雨に触れて溶けて行く動物たちと植物たちがいる。毎年のこととはいえ何度見ても気味が悪い。耐酸性の金属で出来た家に居る私たちは安全だが、逃げる術を持たない動物たちはこの時期が来ると死を受け入れるほかない。自然界の生と死のサイクルから逃れることができるのは、私たち人間のみなのだ。
二
窓の外の世界を眺めていると、携帯端末のメールボックスに新しいメールが来たとの通知が入る。見ると、彼からのもののようだ。
ナガメの時期で会えないけど、サオトメは元気してる?
俺は元気だよ!この時期はどうしても陰鬱になりがちだけど、サオトメのこと考えて幸せな気持ちになってるよ~!
サオトメというのは私の名前だ。さっきまで外の死体がどうのと考えていた私とは対照的に随分明るい男だが、それでも陰鬱になりがちだという認識はあるらしい。彼とは付き合い始めて二か月ほど、だから今は2人が迎える初めてのナガメな訳だがうまく乗り越えられるだろうか。ナガメの時期に分かれるカップルは多いと聞く。
そんなことを考えながら返信を書き、送信する。
こっちも元気にしてるよ。タケル君はいつも元気そうだけど、それでも陰鬱な気持ちになっちゃうこともあるんだね
でも、私のことを考えてくれて幸せだなんて嬉しいな
三
あくる日、ナガメはまだ続いている。予報だとあと2日くらいでナガメは終わるらしいが、その2日が途方もなく長く感じる。ナガメも終盤になってくると、いい加減暇をつぶす事も無くなってくる。それこそ彼とのメールの内容も淡白になるのも仕方ないだろう。愛する気持ちはとめどなく溢れようと、使える語彙は限られているのだ。
携帯端末から得られる娯楽には凡そ飽きてしまった私の現在の娯楽と言えば、飼い犬のリンと戯れることくらいだ。リンを飼い始めたのは彼と付き合い始めたのと同じくらいで、今の私の一番の遊び相手だ。リンの方も私と遊ぶことに飽きている様子はなく、こちらが遊ぼうとしたときはもちろん、そうでは無い時も積極的に遊びに来てくれる。犬らしく、ボールを取りに行ったり、腹を向けて撫でるように要求したり、特に変わった仕草があるわけではないが、無機的な娯楽よりも生命力あふれるリンと遊ぶことの方が私にはよっぽど楽しく思える。
四
また次の日。彼からこの間の返信が届いた。
そっか!それならよかった~!
いつだってサオトメのこと考えてるよ!今は会えないけど、この先ずっと一緒にいるんだもん!
これまた楽し気なメールだ。普段の私なら彼に感化されて同じようなテンションで会話を続けられるのだが、窓の外で牛やら馬やらが溶けまくっているこんな季節ではそれも難しい。どうも彼とは根本の性格が合わない気がする。
どうしたものだろうかと、救いを求めるようにリンの方に視線をやる。すると不思議なことにリンがいない。どこかに隠れているのだろうか。さすがのリンも退屈すぎて新しくかくれんぼ遊びを覚えたかな?そう思って、部屋中探すが、どこにもリンの姿が見えない。大きな声で名前を呼んでも、リンの返事は無い。一旦元居た場所に戻って探してみようと思い、窓辺のクッションへと向かう。
しかし、やはりリンの姿は見えない。参ったなと思い、ふと窓の方に目をやると、窓にリンが嵌っていた。上半身だけが窓の向こう側にあり、下半身がこちら側にあるのだ。リンが窓を突き破って外に出かけているのかと思った私は、慌ててリンを引き戻そうとする。だが、リンの体は何か強い力で引かれており、私一人では到底部屋の方へと戻すことは出来なかった。そのままリンは何かに引っ張られ、ついには窓の外に放り出されてしまった。安全圏から出たリンをナガメは容赦なく襲う。「ジュッ」という音が一瞬聞こえると共に、リンは階下に落下してしまった。
五
また次の日。今日はナガメが終わる日だ。ただ、今の私には素直にそれを喜ぶ余裕は無かった。昨日、リンはナガメの街に放り出されてしまった。最後まで見届けた訳ではないが、どうなったかは想像に難くないだろう。
リンがいなくなり、何もすることがなくなってしまった。いや、何もしたくなくなったという方が適当だろう。彼からのメールも、返信する気力が湧かない。私に残されたものは、何だろうか。
そう考えていると、部屋に明かりが差し込んだ。空をドーム状に覆うナガメの雲が割け、日の光が街を照らす。ナガメが明けたのだ。
日の光を反射し、動植物たちは光り輝いている。ほとんど溶けてしまっているもの、かろうじて原形をとどめているもの、少し溶けているだけのもの、日の光は全てを照らし、それらは、全て完全に溶けたものとなり、大地に吸収される。大地はすべてを吸収した後、呼応するように、吸収したものよりも幾分か多い生命を地上に産み出す。大地は、瞬く間に草木に覆われ、その上をさらに動物が闊歩し、やがて光は覆い隠される。新たな生命の年が始まったのだ。
ふと、目を凝らすと、ケヤキの木の下にリンによく似た犬の姿が見える。リンによく似たその犬も、こちらに気づいたらしく、こちらに駆けてくる。呼応するように、私も感極まって窓を開け、飛び降りる。幸いにも飛び降りた先には苔が大量に生えており、クッションとなってくれた。苔に倒れた私の元に先ほどの犬がやってくる。それは、とてもうれしそうに私の顔を舐め、自分の腹を撫でろと言わんばかりに仰向けになった。私もそれにこたえて、存分に腹を撫でてやった。
ポケットの携帯端末がバイブレーションにより通知が届いたことを知らせる。自らの高揚を伝えたくなった私は、メールを開いて彼に連絡しようとする。すると、彼の方からも連絡が来ていたようで、先にそちらを目にすることとなった。
やっとナガメが明けたね!
俺、ナガメが明けるのを待つ時間はあんまり好きじゃないんだけど、ナガメが明ける瞬間は毎年楽しみなんだよね
なんていうか、俺らって生かされてるんだなっていうか、いろんな命に感謝しないとなって気持ちになって
ナガメでこそ死なないけど、俺らもいつかは死ぬわけじゃん。でも、それまでにパートナーを見つけて愛し合えれば、あの大地に吸収された後も、自分たちの子供を大地に産んでもらえる
そう考えると、人間も動物たちとそこまで変わらないんだなって思えてさ
なんからしくないこと言っちゃったね笑 ちょっと感動しちゃって笑
メールを読み終わった後、少し驚き、段々と喜びの感情へと移り変わる。彼との相性は、そう悪くないのかもしれない。