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「……取引?」
「その”能力”を使って俺に協力するのなら、牢から出してやろう」
そんな馬鹿な! とファリーンは自分の耳を疑った。
(よりにもよって終身刑の罪人に対して、なんて取引を持ちかけるのかしら!?)
あまりに都合が良すぎる提案に、ファリーンは思わず唖然としてしまったが、真っ直ぐに自分を見つめ、静かに返答を待つライオネルからは”汚れた匂い”はしない。
(どうやら、裏はないようね)
そもそもライオネルは裏表のない性格だ。逮捕されてから取り調べを受ける間も、ファリーン自身を見て話をしてくれた、数少ない武官だった。
ライオネルは真面目で紳士的な騎士様だと巷でも評判で、ノーブルの街に彼の名を知らない者は、殆どいない。あまり屋敷から出されなかったファリーンですら、新聞によく名前が上がるので、出会う前から、何となく為人を察していた。
人の常識を超える怪力の持ち主で、倒壊した建物から子犬を助けたとか、たまたま居合わせた火事から平民の子供を三人まとめて抱えて助け出したとか、キャシーの世界で言う、スーパーヒーロー然とした活躍が何度も記事になっている騎士なのだった。
「貴方はとても優秀な騎士様じゃない。どうして私の能力が必要なの? それに、司法院には優秀な特務武官が集ってるでしょう?」
純粋な疑問を口にすると、ライオネルは苦い顔をしてこめかみを抑えた。
「ここ数ヶ月、ノーブルで、凶暴性ばかりが目立つ事件が連続して横行している。その捜査が、非常に難航しているんだ」
まさか! と、ファリーンは驚きのあまりギョッとした。
聖国ウィスタリアの首都ノーブルは、青凪湾に隣接し、港街としても栄えている。別名を、蒼き水の聖都という。聖女様のお膝元なだけあって、本来ならばこの国で最も治安が良い平和な都市と言っても過言ではない。
何より、ノーブルには騎士と騎士候補の特務武官が集う騎士団と騎士団本部もある。犯罪者にとっては、この国で一番恐ろしい街のはずだ。そんなおっかない場所で派手な事件を起こすような輩は、そうはいない。
疑わしげなファリーンに、ライオネルは折り畳んだ新聞の切り抜きを何枚か手渡した。切り抜きには恐怖を煽るような見出しと共に、残酷な事件について書き立てられていた。
『娼館を放火した男、闇夜に吠える』
『下町に通り魔現る! 五人殺傷』
『食堂立て篭もり犯、人質を殺傷』
「……ひどい」
ファリーンは不快感を露にして、新聞をライオネルにつき返す。
「これだけではないぞ。まだあるんだが……他のものは少々刺激が強いから、貴女には見せられない」
ライオネルは険しい顔をして、受け取った新聞を仕舞う。
「下町で起きている事件ばかりなのね。能力者が絡んでいない事件に騎士様が駆り出されるなんて、珍しい」
「あまり大きな事件だと、下級武官の手に負えないからな。聖女様の意向もあり、我々が駆り出される事になった」
「全部バラバラの事件に見えるけれど、同じ犯人なの?」
ファリーンが尋ねると、ライオネルはニッと笑った。
「良いところに気がつくな。実は、それぞれの事件を起こした者は同一ではない。今のところ、全ての事件の犯人は検挙できている」
ライオネルは笑みを引っ込めると、表情をより険しくする。
「……だが、逮捕した犯人達は、誰もが例外なく錯乱してしまった。話ができる状態では無いから、どうにも取り調べようがない」
「そんな……」
不気味な共通点に言葉を失い、ファリーンは両腕で自分を抱きしめた。
「犯人が錯乱状態に陥る以外に、一つ一つの事件にほとんど関連性はない。だが、別個の事件にしては頻度が多く、恐ろしい事件ばかりだ。……おそらく、背後に何かある」
「その”何か”を私の能力で探し出したい、ということなのね。……聖女様の”千里眼”は?」
ライオネルは黙って首を振る。”千里眼”はまだ、何も教えてくれないらしい。
とある学者の一説に依ると、”千里眼は、天空神の御心のもとに天より授けられる映像を垣間見る能力”だという。
天空神にとっては、この事件は未だ国の大事には値しないということなのだろうか。
ファリーンは窓の外に広がる青い空を、恨みがましく睨みつけた。
「これは人の手によって解決すべき、天空神の与えたもうた試練ということなのかしら」
(どこの世界でも、神様ってちょっと意地悪だわ)
「貴女の能力なら、糸口を掴むこともできるだろう」
「まぁ、私の能力は確かに、細かなところを浚うには適しているけれど」
とは言ったものの、如何せんファリーンはこの世にたった一人だ。話を聞く限り、聞き込みローラー作戦でもするしかなさそうな状況だ。広い聖都をどうやって一人で聞き込みしろというのだろう? と、ファリーンは途方に暮れた。
(……果てしない重労働ね)
自力で脱獄するのも相当な労力がかかることに変わりないが、首都をしらみつぶしに聞き込みするのとどちらが大変かしらと、ファリーンは脳内で秤にかけてみる。
「貴女との取引は、聖女猊下もご賛同くださっている」
ふいにライオネルが発した名前に、ファリーンの脳内の秤が音を立てて倒れた。まさか、と声にならずにはくはくと唇が動いた。
「元々猊下は、アーチボルト夫妻から自分を庇って怪我まで負った貴女を、罪に問う事に反対しておられた。貴女は根っからの悪人ではない。命の恩人だ、と」
「……アリス様が」
ファリーンは喜びのあまり震える両手を握り合わせた。アリスはファリーンを救ってくれた。彼女こそ、ファリーンの恩人だった。
アリス・センツベリーが騎士達と共に城に現れた時、まるで天空神と示し合わせたかのように、彼女の千里眼が発動した。アリスが見たのは、人形として生きてきたファリーンの過去だった。過去を覗いた彼女に、『あなたは、どうしたいの?』と、問いかけられ、ファリーンの心は戸惑い、”疑問”が芽生えた。「本当にこのままで良いのか?」と。
『私は、あなたの気持ちが知りたい』と、初めて自分の心を見ようとしてくれたアリスの微笑みを見て、ファリーンの心は暖かい”喜び”を知った。そんな感情を与えてくれた、陽の光のような人を、両親の魔の手から守りたい。そう思ったら、無意識に体が動いてしまったのだ。
「私が勝手に庇っただけなのに、気にしてくださっていたなんて……アリス様はやっぱり、正真正銘の聖女様だわ」
どうにかこの牢獄から逃げ出せないかしら、なんて考えてしまった事が、ちょっとだけ申し訳なく思えて、ファリーンはお詫びがてら、天空神に祈りを捧げる。
(でもやっぱり、外に出たいわ!)
「俺は今朝、コーネル卿の脱獄騒動の件をアリス様に報告した。猊下は、貴女の告発には心から感謝する、と」
「結局役に立てず、コーネル卿は脱獄してしまったのだけど」
「それは貴女の責任ではない」
ライオネルは首を振り、申し訳なさそうに唇を噛んだ。彼の落ち度でもないはずだが、責任を感じてしまっているらしい。なんとも律儀で馬鹿真面目な人だわ、とファリーンは感心半分呆れ半分で彼を見つめた。
「アリス様は、同情すべき事情があり、更生の余地がある罪人に人生をやり直す機会が無い事を以前から疑問に思っておられたようだ。聖女に就任して以降、罪人の更生計画を元老院の議会に認めさせるよう、裏で根回しを進めていたらしい。恐らく近い将来に可決されるだろう」
「聖女に就任してから一年も経っていないのに、もうそこまで人心を掌握していらっしゃるなんて! 凄まじい方だわ……」
アリスの有能っぷりに、ファリーンは思わず舌を巻く。アリスはファリーンと同じ歳だ。確か、彼女も先月十八歳になった筈だ。この歳で堂々と政界で議員達と渡り合うなんて、なかなかできることでは無い。
牢獄でぼんやりしている自分と比べてしまって、ファリーンはなんだか、自分が情けなくなった。
「”保護観察計画”と、アリス様は名付けておられた。元老院で審議させる前に、有効な取組かどうか、試運転がしたかったそうだ」
「なるほど。今回の事件で私がコーネル卿を告発した事を口実にして、保護観察計画を私で試そうということなのね」
「まぁ、どちらかというと、猊下は貴女を牢から出したかっただけだろうが、な」
アリスの優しさにファリーンが感動していると、ライオネルは表情を和らげた。
「俺が貴女の力を利用したいと言ったら、猊下は二つ返事で頷いて、この計画の話をしてくださった。話によると、罪人の働きに応じて減刑もされるらしい」
「そんな、まさか……! あり得ないわ!」
「猊下は誰にも文句は言わせないと仰っておられた。貴女が心から改心して更生すれば、きっと減刑していただけるだろう」
ファリーンは一抹の希望が見えた気がした。目の前の世界がパッと明るくなったように思えて、仄暗く曇っていたファリーンの茜色の瞳に輝きが宿る。
元々が終身刑だからどれほど罪が軽くなるのかは分からないが、ライオネルに協力していれば、いつか本当の意味で自由になれるかもしれない。
じんわりと目頭が熱くなって、ファリーンは潤んだ視界に戸惑う。
何年ぶりの涙だろう? 最早覚えていなかったが、久しぶりの涙が嬉し涙になるとは、思っても見なかった。
「私、取引に乗るわ。いつか自由になって、今度こそ”自分の人生”を歩んでみせる」
「そうか」
短い返答だったが、ライオネルは柔らかい表情でファリーンを見つめた。すこし気恥ずかしくなって、ファリーンは俯く。
「それから……アリス様は今回の計画の為、秘密裏に能力者の手で開発させていた”最新機器”を、俺に授けてくださった」