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「……目が覚めたか?」


 目を開いたファリーンを覗き込むのは、薄藍うすあい色の瞳だった。武官の制服に身を包む琥珀色の髪をした青年は、僅かに凛々しい眉を下げていて、なんだか、心配しているようにも見える。

 罪人には不相応な、労るような表情に、ファリーンは目を見張る。


「どうしたの?」


 目が覚めての第一声がそれだったので、ライオネルは怪訝そうに、ゆっくりと何度か瞬きをする。


「いや、俺はどうもしないが」


「でも……いいえ、やっぱり、なんでもない」


 どうしてそんな表情をするのか、なんて、本人に聞いてどうするんだと思い直して、ファリーンは首を振る。寝ぼけているとでも思ったのか、ライオネルは気を取り直すように咳払いした。


「──それで、ファリーン嬢。手当は施されているはずだが、頭はまだ痛むだろうか?」


「いえ、もう大丈夫よ」


 口ではそう言ったものの、いざ体を起こそうとすると後頭部が鈍く痛み、ファリーンは顔を歪める。痛む場所を手で触れてみて、ようやく、頭に包帯が巻かれていることに気がついた。


(あの糞ワカメ、女相手に手酷くやってくれたわね)


 ふつふつ沸く怒りをなんとか抑えながら、ファリーンはゆっくりと起き上がり、ベッドに腰掛けた。


「……私、どのくらい眠っていたの?」


「丸一日ほどだな」


「そんなに……」


 長く寝過ぎたせいか、乾いた口が気持ち悪いし、喉もひりつく。ひとまず水を飲もうと、ファリーンはサイドテーブルに置かれている水差しに手を伸ばしたが、その手をライオネルが遮った。


「俺が注ぐから、大人しくしていなさい。……まだ痛むようだからな」


 ぐ、と言葉に詰まり、ファリーンはそろそろと行き場を失った手を下ろす。大袈裟に怪我人扱いされるのは、むず痒いような気分だった。

 ライオネルがコップに水を注いでいる間、ファリーンはじっとしているのも居た堪れなくて、きょろきょろと部屋を見渡した。


 自分の独房ではない。きっと医務室だろうと、ファリーンは当たりをつける。壁際には薬棚が並び、簡素なベッドが室内に並んでいた。窓から陽光が差し込むと、汚れひとつない真っ白なシーツに光が反射する。外は珍しく、晴れているらしい。

 寝起きの目には眩しくて、ファリーンは並んだベッドから目を逸らし、ライオネルを見る事にした。彼の琥珀色の髪は日に透けると橙にも金にも見えて、これはこれで、また違った意味で目に眩しいと、ファリーンはぼんやり思った。


「ほら。咽せないように、ゆっくり飲むように」


 ライオネルは、ファリーンの目の前に水が入ったコップを差し出す。「ありがとう」とファリーンはお礼を言って、ぎこちない手つきでそれを受け取った。言われた通りにゆっくりと、少しずつ時間をかけて飲み込む。

 空になったコップをテーブルに置くと、ファリーンはベッドの傍の椅子に腰掛けているライオネルと改めて向き合った。

 寝癖でもついていないかと、手櫛で毛先を整えていると、ライオネルは随分と短くなった髪を見て、嫌悪感を露にして眉を寄せた。


「貴女が寝ている時から気になっていたが──その髪はどうした」


「これ?」


 ファリーンは自分の髪に触れる。最初に切られた日から半年が経ったが、伸びてきても定期的に切られてしまうので、こざっぱりしたままだった。


「看守様が『お似合いだ』って、切ったのよ」


「──何だと?」


 凄まじい怒気がライオネルから溢れ、ファリーンは呆気に取られてたじろいだ。

 ウィスタリアでは、貴族の令嬢は髪を長く美しく保つ事が美徳とされている。平民の女性であっても、髪は大切なもので、肩の上まで髪を短くすることは無い。ところがファリーンの髪は、襟足を刈り上げられ、うなじが露わになっている。ライオネルが怒るのも当然の仕打ちだった。


「で、でも本当に、似合ってるじゃない? 私、この髪型好きだもの」


 正直に言うと、最初は『嫌いな髪色が目に入らなくて丁度良い』としかファリーンは思っていなかったが、キャシーの世界の価値観が混ざったので、今は純粋に、自分の髪型が好きだった。


「貴女は本当に──心からそう、思っているのか?」


「本当よ! そ、そんなことよりも、今の状況がよく分からないのだけど……何がどうなっているの?」


 ファリーンが話題を逸らすと、ライオネルは釈然としない顔をしながらも、騒動のあらましをファリーンに話して聞かせた。


「南の男子棟に収監されていたコーネル卿が、昨日の夜明け前に脱獄した」


 つまり、ファリーンがライオネルに手紙を送った翌朝に事が起こったらしい。

 思ったよりもずっと早く事態が動いていた。ファリーンは驚いて息を呑む。


「事件が発覚した朝に俺を含めた捜査隊が入り、内部調査の結果、貴女の手紙が届けられずに捨て置かれたことが判明した。検閲した者は書かれている内容を大事と捉えず、波風を立てないよう隠蔽することにしたようだ」


「私の忠告はライオネル様に届いていなかったのね」


「届いていれば、今頃コーネル卿は拘束されて取調べを受けているだろうな。あのような内容の手紙、まともな武官ならば、目を通した時点で至急連絡を寄越すべき内容だ。それを……」


 ライオネルはあまりに呆れてものが言えなくなってしまったのか、片手で顔を覆って深い溜息をつく。ファリーンも釣られて嘆息した。この監獄島は警備システムばかりが堅牢で、武官達はそれに胡座をかき、慢心していたのだろう。


「……手紙の検閲を担当した武官は厳しい処分を受ける事になる。どうやら奴は、貴女の能力をきちんと把握していなかったようだ」


「もしかしなくても、私に逆上してきたウォルター特務武官でしょう?」


「そうだ」


(あのワカメ武官、相当崖っぷちな状況に置かれているんじゃないかしら)


 監獄島に左遷された上、囚人とはいえ、能力者の忠告も聞かず、告発の手紙を握り潰し、受刑者の脱獄を許してしまったなんて人生の汚点だ。昨日突っかかってきたのは、追い詰められた挙句に、意味深に忠告してきたファリーンをコーネル卿の共犯と疑って逆恨みした、という顛末だったらしい。


F**kin'(ほんっと) idiot!(馬鹿な奴!)自業自得だわ」


「は? ふぁ? 何と言った? どういう意味だ?」


 (──しまった! ついうっかり、キャシー時代の言葉スラングが出てしまったわ)


 前世の記憶が戻ってきたファリーンの中には、キャシーの人格が残ってしまっていた。胸の中で二人分の人格がミキサーにかけられたような、何とも言い難い妙な気分だった。


 (そういえば目が覚めてから、令嬢らしくない品の無い思考回路になってしまっているような気がするわね)


 それでも、ファリーンはキャシーとしての自分の方が、なんだかしっくりくる気がした。空っぽで自分の意志を持たない、お人形のような自分のままでいたくはなかった。

 ……と言っても、不良少女だったキャシーも、決して真っ当な人生を歩んでいたわけではなかったのだが。


「……なんでもない。とにかく、彼からは”秘密の匂い”はしなかったわ。あのお馬鹿さんは、単に私が妄言を吐いていると思ったのでしょう」


「ファリーン嬢がそう言うのならば、彼が脱獄に関与した可能性は低い、ということか」


「私の話を、信じてくれるの?」


「貴女がこの件で嘘をつく理由がないだろう。それに、自分を害した人間を庇い立てするとも思えない」


(それもそうなのだけど)


 いとも簡単に自分のげんを受け入れたライオネルに、ファリーンは驚く。彼は膝の上で両手を組み、前のめりになるようにしてファリーンの目を見据えた。彼の蒼く澄んだ瞳は不思議な引力を持っていて、なぜだか目を逸らせない。


「貴女はどうして、コーネル卿を告発した? 面倒ごとを避けたければ、黙っていればよかっただろう」


「どうして、って……」


「コーネル卿を告発し、司法取引を持ちかけたかったのか? 情報を提供して少しでも刑期が短くなれば、いつか外に出られるかもしれないと、そう思ったのか」


「──そんなこと、できないくせに。できない事を夢見るほど、私、馬鹿じゃ無いわ」


 ファリーンは唇を戦慄(わなな)かせて、ライオネルを睨んだ。自分が死刑にならずに済んだのは、アリスが助命を嘆願したからであって、特例の措置なのだと分かっていた。

 いくら終身刑が自分に見合っていないと思っていても、それはキャシーの世界の常識だ。この世界の常識は違う。偽聖女の刑期が短くなるなんて、ファリーンには想像もできなない。正攻法では出られないだろうから、穴でも掘るかと考えていた所だった。


「では、何故だ?」


 ファリーンは上手く、言葉が出てこなかった。強いて言うなら”酷い匂い”に我慢できなかった、というのが正直な理由だ。見て見ぬふりをしていたら、そのうち、自分まで腐ってしまうような気がして、ファリーンはとても耐えられなかった。


「単に、嫌いな臭いだったの。何かあったら、夢見が悪そうだったし」


「そうか……」


 ライオネルは硬い表情を解く。柔らかな笑みに、ファリーンは息を呑んだ。彼の瞳の虹彩がきらりと輝く。やっぱり、海原に似ていると、思った。


「俺と取引をしないか、ファリーン嬢」

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